431 力無き者

 俺から『貴族ファンド』が行っている小麦融資。「小麦無限回転」についての説明を聞いたウィリアム殿下は顔を引きつらせながら言った。


「なんということだ! 民を苦しめておるのが貴族だと知られては、民も黙ってはおるまい」


 全くその通りである。ただ、それが知られたときに民が向ける矛先は、小麦価の吊り上げを主導した貴族ではない。その貴族を止められなかった行政府の方に向く。平民にとって、貴族と行政府、すなわち宰相府は同じものであって、違うものではないからである。現実世界でも行政と司法、立法、国と地方自治体の区別がつく人間なぞ少ないのだから。


 今のままでは民の矛先は間違いなく宰相府に向く。いくら小麦価の高騰回避に努力しようと、その責任を問う声は間違いなく宰相府、宰相閣下に向く事は間違いない。だから閣下も俺もクリスも小麦対策と暴動対策に躍起となっているのだ。しかしこの半年、それなりの対応をしてきたものの、ジリジリと後退されられているのは感じる。


「皮肉なものだ。借金に苦しめられておる貴族が、その借金を無くすために借金をして小麦を買い漁り、その差益を得て消そうとするとは・・・・・」


 ウィリアム殿下は嘆いた。確かにウィリアム殿下の言う通りなのだが、それは動機に過ぎず、取引をする過程で増える含み益に目が眩んで見誤るパターンなのは確実。だから今、小麦融資にのめり込んでいる貴族の多くが、これまで背負っている家の借金は眼中にはない筈である。人間というもの、本質的には愚かで浅ましい生き物なのだ。


「しかし、本当にそのような取引を『貴族ファンド』が実行しておるのか?」


「書類を読む限り、積極的に加担しているように思われます」


 なおも信じがたいというガーベル卿からの問いかけに、利子や手数料、小麦管理費に至るまで全て小麦で支払う仕組みとなっていると答えた。するとガーベル卿だけでなく、話を聞いていた殿下や長兄スタンもその仕組みに呆れてしまっている。『貴族ファンド』が、小麦を貨幣のように扱っている様に呆れ返ってしまっているのである。


「しかし、そのようなこと。市中に知られては・・・・・」


 ガーベル卿は事を平民が知る事を恐れている。知れば間違いなく王国側に怒りが向くこと、誰が考えても明らか。だからウィリアム殿下は「民は黙ってはおるまい」と指摘したのだ。ガーベル卿の長兄スタンは、その辺りの平民の空気感を上手く指摘した。


「知らずとも雰囲気を察知しておるやも知れませぬ」


「ですので、既に紛擾ふんじょうという形で不満が現れておるのです」


 近衛騎士団のメンバーとして現場に立っているスタンは、肌身でそう感じているようである。その空気感が暴動を引き起こしたとも言える訳で、スタンのその感覚は正しい。


「であるから、近衛騎士団と『常在戦場』が提携して、その紛擾を抑えようとしているのだな」


 ウィリアム殿下の中で話が繋がったようである。小麦高騰と貴族の関係。そして紛擾、すなわち暴動とも密接で不可分の関係にあるということが。


「小麦の買い上がりを主導している貴族は誰であるか?」


「・・・・・」


 俺は沈黙した。いくら私的な会見とはいえ、殿下に対してアウストラリス公にございますなんて、軽々に言えるわけがないではないか。もし知られれば、言った俺は「讒言した」と後ろ指をさされるだけではなく、地盤が無きに等しい殿下がターゲットにされかねない。間違っても、俺が言えるような話ではないのは明らかである。


「言えぬか・・・・・」


「恐れながら殿下に申し上げます。今、買い上がりを行いました貴族達を知りましても、今後加わる者が更に出てくるのは必定。それにカネを借りて小麦を購入されましても「領民に配るため」と主張されましては、何も申すことはできませぬ。それにカネを借りるのも、小麦を買うのも「合法」にございます」


「・・・・・」


 俺の説明に殿下は言葉を失った。「合法」であるとの指摘に、話をすることができなかったのであろう。仮にこの買い上がりを主導している貴族、アウストラリス派やバーデット派の貴族達の名を知ったところで、それがこの問題の理解が深まる訳ではない。むしろ何ら権限を有さぬウィリアム殿下にとって、己の無力を感じるだけの話だろう。


 今重要なのは、貴族らの実名を知ることよりも『貴族ファンド』が行っている「小麦無限回転」というシステムと、そのシステムを積極的に利用している貴族達がいるという事である。加えてそれが「合法」であるという事実も。そのシステムを考えているであろう、フェレットの若き女領導ミルケナージ・フェレットの存在を忘れてはいけない。


「これは『貴族ファンド』を実質的に動かしている王都ギルド一位のフェレット商会と三位のトゥーリッド商会の枢軸陣営と、我がアルフォード商会と誼を結ぶジェドラ、ファーナスの両商会を中心とする三商会連合との戦いでもあるのです」


「貴族がそれを利用しておると」


「その側面は否定いたしません。ですが我が陣営が『金融ギルド』を創設し、それに対抗する為にフェレットが一部貴族に近づいて『貴族ファンド』を創設したのは事実。それに対し、我々は宰相府に献策を行って「貴族財産保護政令」が施行され、『貴族ファンド』は貴族の所領や徴税権等を担保に取った融資を行うことが出来なくなりました」


「その暗闘の延長線上に、この小麦融資というものがあるというのだな」


 ウィリアム殿下は話を理解できたようである。俺は話を続けた。


「そのような構造の中で小麦融資が行われ、それを利用した貴族達によって小麦価が上昇している。今、それを止めさせようと策を立てても、やり方そのものが「合法」であるために、規制をかけると・・・・・」


「止められた貴族の不満は溜まるばかり」


「・・・・・それでは融資を利用している貴族の名を知ったところで、重要な意味は成さぬな」


 殿下はそう結論付けた。全くその通りで、融資を利用した貴族は合法的な手段を行使しているだけなので、何ら罪には問われることはない。ウィリアム殿下は俺を直視すると、こう言った。


「ただ、道義的な責任は大きい。本来平民の範となるべき貴族が民を苦しめる手に及んだ事、如何なる意図があるとしても、その罪を拭い去ることはできぬぞ」


 厳しい表情で殿下は断じた。全くその通りである。凶作下、小麦を買い上がれば誰が苦しむのかは考えるまでもない話。それを承知で買い上がったのは明らかな訳で、言い逃れることなぞできまい。


「して、アルフォード。この相手に対し、どのように挑むのだ」


「はっ。先ずは小麦を買わんとするも買えぬ者に融資を行うため、『金融ギルド』の出資金を上積み致します」


「その額は」


「およそ二〇〇〇億ラント」


「二、二〇〇〇億ラントだと!」


 これには殿下も驚いたようである。ガーベル卿も長兄スタンも驚きのあまり声も出ないようだ。


「この二〇〇〇億ラントを準備資金とし、全国の貸金業者へ供給して小麦が買えぬ者へ低利融資を行おうと考えております」


「小麦が買えぬ者に小麦を買えるようにしようということだな」


「我々で相場を動かせぬ以上、高値であろうと小麦が買えるように支援を行おうと思いまして」


「それは妙案だ」


「現在、宰相府とも協議を行っている最中でございます」


「宰相府とも提携して、効果的な策としようと考えておるわけだな」


「左様にございます」


 殿下は俺の納得できたようで、笑みがこぼれている。殿下は俺に聞いてきた。


「「先ず」ということは、次の手もあるということだな、アルフォード」


「こちらの方は既にお話しましたように、近衛騎士団と『常在戦場』の提携の話でして、同じ装備を持って万が一の事態に対応できるように備えておくと」


「最初に出た話だな。紛擾ふんじょうの未然防止を図るてだてを事前に講じておくことで、状況の悪化を防ぐと」


「そのようにございます」


「民に対し小麦の購入支援を行いつつ、一方で暴発した場合にはこれを封じ込める。王国と提携し、硬軟両様を以て事に対処しようと考えておるのだな。実に素晴らしい」


 俺とのやり取りに、殿下も満足したようである。


「アルフォードよ。国の大事はその方の双肩にかかっておると言っても過言ではない」


 いやいやいや。そんな大袈裟な話ではないから、これ。そもそも動機はクリスとの約束を果たすため。それが結果として、こんな話になってしまっただけなのだ。今更そんな事は言えないので、俺は黙るしかなかった。


「王子である私がアルフォードの力になれないのは、慙愧の念に堪えない」


「で、殿下!」

「殿下!」


 ウィリアム殿下の言葉にガーベル卿と長兄スタンがほぼ同時に声を上げた。「王子なのに力がない」という表現は、おそらくは禁句なのだろう。第一王子でありながら側室の子として生まれたが故に、実質的に王位継承権が無きものとされ、宮廷内では透明人間のような扱いを受けていると思われるウィリアム王子。

 

 忠臣であるガーベル卿が側に控えているとは言うものの、平民出身の宮廷騎士に政治力は皆無。従者のように従ってきたガーベル卿の長男スタンは、近衛騎士団の一団員に過ぎない立場。これでは殿下が政治的な影響力を行使する基盤にすらならない。まさに今回の小麦高騰は、殿下に己の無力を思い知らせる一件であった。


「恐れながら殿下。今はご自重の時と存じまする」


「アルフォード・・・・・」


「殿下は一心に民の事を思い、心配をなされておられます。その心、必ずや通じる時が参ります」


「アルフォード殿の言われる通りですぞ、殿下。その時までこのエリック・ガーベル、お供致しますぞ」


「・・・・・ガーベルよ・・・・・」


 こういう時には年の功。俺よりもガーベル卿の言葉の方が効く。長兄スタンも遅れ馳せながらお供することを表明したが、父親の表明に比べれば力不足なのは明らか。これは王子付として常に控えているガーベル卿と、団員として近衛騎士団に勤務するスタンの感覚の相違も大きいといえよう。


 俺は殿下から「今日は良い話を聞かせてもらった」との言葉を賜り、会見は終了したのである。

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