432 再会を期す

 ノルデン王国が五〇〇億ラントの国債を発行する事が決まったという話を聞いたのは、ロタスティの個室でザルツとリサの三人で夕食を食べていた時のこと。コース料理を食べ終わって頃、ワイングラスを片手にザルツが話したのである。昨日、国王陛下からの裁可が下ったらしい。正式に公表されるのは後日となるそうだ。


「宰相閣下も腹を括られた。我々も心してかからねばならぬ」


 いつになく顔を引き締めたザルツは言った。本日ザルツは、宰相閣下より直接話を聞いたということで、その席上宰相は今決定が貴族達の反発を呼び起こす可能性があることを示唆したとの話。相当な覚悟を以て、事に当たる決意を示したと言っていいだろう。


「ノルト=クラウディス公は、五〇〇億もの巨額な債務を背負わなければならぬような国家運営を行っておる。その任に相応しいかという声が上がることを覚悟なされておられるのではないか」


 ザルツはそう推測した。ノルト=クラウディス公爵家の長きにわたる宰相世襲を快く思っていない、アウストラリス公辺りの貴族派貴族が持ち出してきそうな理論である。論自体は悪くはないが、タチが悪いのはそのように仕向けている一端を自身が作っているという部分。すなわち小麦の買い上がりを自分達が行っているのだから、まさにマッチポンプ。


 王都に暴動が起こって多数の死者が出た事を契機として、内政運営の責を問われて失脚する。これが乙女ゲーム『エレノオーレ!』で描かれる宰相ノルト=クラウディス公チャールズの末路。だがリアルエレノでは、そうした状況を一部の貴族派貴族が作ろうと画策しているようだ。ゲームではそれが成功したかのように描かれているのだから。


 ノルト=クラウディス公爵家で最初に宰相となったフーベルトに始まりクリストファー、アルベール四世、パスクアーレ、フェリックス、ウィルヘルム、そして現宰相チャールズに至る七代百三十年間に亘って宰相位の一族独占を続けており、これまでこれといった反発が出ていない方がおかしいと言えよう。


 確か日本でも過去、天皇家の実権を将軍が奪って、その実権を更に執権となった北条家が奪って世襲をしたという鎌倉時代というのがあったな。ノルト=クラウディス公爵家の宰相世襲化もそれと同じようなものである。現実世界の日本とエレノ世界のノルデン王国に共通しているのは、上にいる天皇や将軍、国王がそのままいるということ。


 人間社会というものは面白いもので、いかにヘンテコリンな体制だろうと、長らくその体制が維持されてしまうと中々動かなくなってしまう。組織がそれに合わせて最適化されるのである。ましてノルデン王国の場合、なまじ宰相家の歴代が有能だったものだから、余計に体制が維持されてしまったという訳である。


 またこの国独特の国土構成。聞けば国王直轄領である天領がおよそ二割、ノルト=クラウディス公爵領がおよそ一割、残りを諸侯が治めるという領地構成も大きく影響しているものと思われる。大貴族筆頭のノルト=クラウディス公を抱き込むことで、ようやく王国領の三割を抑えるという有様では、王国安定の為に現体制が維持されるのは致し方がない。


 とはいえ、その微妙なバランスも今回の小麦の凶作を受けて揺らぎつつあるように見える。おそらくは百三十年の間に先送りしてきた矛盾、そして王国の脆弱な地盤が露呈しつつあるからだろう。だからアウストラリス公のような有力諸侯が動いているという訳だ。農業は国の礎というが、小麦価の激しい値動きは、王国そのものを揺るがそうとしていた。


 その小麦価は今週に入って更に値を上げて二五〇〇ラントを突破し、三〇〇〇ラントを窺う勢い。一時九〇〇ラントを割り込むまで落ち込んだ小麦価格は、そこから三倍に値上がりした形である。半値以下の暴落も今から見れば「調整局面」に過ぎなかったという訳だ。三商会側が積極的に売り込むものの、それ以上に買い圧力が強い。


「来週にも宰相府の財政当局とシアーズらが協議に入る」


「いよいよやるのか?」


 俺が聞くと、ザルツが力強く首を縦に振った。長らく懸案となっていた「小麦対策に係る平民向け低利融資」の一件を実行に移すため、宰相府と『金融ギルド』間で本格的な協議が行われる事になったのである。いよいよ小麦対策に本腰を入れるところまで来たとも言えよう。


「そこでだ。一旦モンセルに戻ろうと思っている」


 ザルツの口からいきなり出た話に、俺は固まってしまった。ザルツが王都から去るというのは、全くの想定外。長い間ザルツがいるので、すっかりそれに慣れてしまっていたのである。思わずリサの方を見るが、リサもこちらを見ているので、どうやらリサにとっても青天の霹靂であるようだ。戸惑っている俺達にザルツが言う。


「実はな、この話の目処が付くまで王都に残っておったのだ」


 ザルツはワインを飲み干すと、これまでの経緯を話し始めた。三者協議で宰相閣下と意見交換を繰り返す中、国の施策に関する話も行うようになり、様々な相談を受ける身となってしまったというのである。特に宰相閣下とザルツが力を入れて話し合っていたのは、まさに「小麦対策に係る平民向け低利融資」であった。


「小麦相場を閉鎖すれば、小麦そのものが流通できなくなる為、平民向け低利融資を小麦対策の切り札にしようとお考えになった」


「しかし、それをやればより小麦価格が上がるのではと、ピエスリキッドも言っていたが・・・・・」


「正しくピエスリキッドの言う通り。それは宰相閣下にもピエスリキッドが直接説明を行っている」


 なんとザルツは『金融ギルド』参与のピエスリキッドを伴い、宰相閣下と協議を行っていたというのである。俺が思っていた以上に、ザルツと宰相閣下の関係は深くなっていたようだ。しかし直接話を聞いた上で、なおも平民向け低利融資を推進するとはどういう事なのか。


「宰相閣下は「民もこちらと同様、背に腹は代えられぬところまで来ておると考えておる。そうである以上、小麦価格上昇というリスクを背負っても小麦が手に入る施策を打つべきだ」とお話になった」


「で、ピエスリキッドは?」


「「そこまでのお覚悟を示されておられるのに、何故なにゆえ私めが阻むことができましょうか」と答えたよ」


 宰相閣下の言葉にピエスリキッドが折れたというのである。意外過ぎる展開にこちらの方が呆気に取られた。まさかあの怜悧れいりなピエスリキッドが従うとは。今後、財政当局とシアーズ、ワロス、そしてピエスリキッドの三者が協議を行い、官民協働の「平民向け低利融資」が練られて実行に移されるとの事である。


「お父さん。いつまでいるの?」


「明日には発つ。既に宰相閣下にもご挨拶をした」


「急ね」


 少し淋しげにリサが言う。急なのはアルフォード家の家風みたいなものだからしょうがない。風のようにやって来て、嵐のように去っていく。それがアルフォードだと、以前若旦那ファーナスから言われた事がある。ザルツのこの動きを見ても、同じことを言うのだろう。そのザルツがリサに話す。


「そう言うな。近々ロバートが来る」


「え?」

「お兄ちゃんが?」


 俺とリサは同時に声を上げた。それを面白そうに見るザルツ。ザルツはグラスのワインを口に含ませると、詳しい事情を話し始めた。これまでロバートは、モンセルとサルジニア公国、そしてノルト=クラウディス公爵領にある毒消し草を確保するために動いていたというのだ。その目処が立ったので、上京してくるというのである。


「三者協議で毒消し草のレートが変わったからな。ラスカルト王国もディルスデニア王国も前にも増して毒消し草を欲しがっているのだ」


 三者協議で小麦の輸入量増加が決まったが、これにはカラクリがあるらしい。毒消し草と小麦の交換比率が一対三から一対五に変わった事で、二つの王国は毒消し草の数を確保する為に、小麦をより多く輸出しなくてはならなくなった。これにより、相手側がバンバン小麦を出してきたことで、こちら側も毒消し草をより用意しなくてはならなくなった。


「だから手付かずのまま置いておいたモンセルとサルジニア公国、そしてノルト=クラウディス公爵領の毒消し草をしっかりと確保したという訳だ」


 なるほど。だったら以前、クリスの長兄で領主代行のノルト=クラウディス卿デイヴィッド閣下に、毒消し草の領外への運び出しを止めるようにお願いした事があったが、あの件が結果として役に立ったのだな。俺は宰相閣下が知っているのかどうかについて、ザルツに聞く。


「もちろんご存知だ。三者協議のキモの部分だったからな」


 両国とも価格が変わらず毒消し草を仕入れられるかどうかで気を揉んでいたらしく、価格ではなく毒消し草と小麦の交換する量のレートが変わるだけだという話に安堵したとのこと。その為、話し合いは滞りなく進み、協議は円満に成立を見たとザルツは話した。そして話はロバートの事へと移ったのである。


「王都にロバートがやってきたら宰相閣下との協議の後、ディルスデニア、ラスカルト両王国へと向かうことになる。あまり話す機会はないかも知れぬが頼んだぞ」


「ええ」

「ああ」


 リサと俺はほぼ同時に返事をした。ロバートも黒屋根の屋敷で寝泊まりをするということで、リサが早速用意しなきゃと張り切っている。ザルツと同じように食事はロタスティ、風呂は学園の浴場を利用する話になっているらしい。それもザルツが書面で指南したという話を聞き、この辺りがなんとなくリサと似た部分なのだと思った。


 俺は収納で『シンファル・デ・ジュ・マール』という白ワインを取り出した。貴族間で再会を期す時に飲むワインらしい。先日スピアリット子爵がひょんな事から教えてくれたのだ。そんな習慣があったとはと、商人界にはない文化に、ザルツもリサも感心していた。俺達はその『シンファル・デ・ジュ・マール』で乾杯して、再会を期したのである。

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