422 子爵病臥

 ディール子爵が領地で倒れた。ディールの祖母を見舞う為、子爵領に入った最中であったという。ついては今後について話し合うため、俺とリサと連れて屋敷に戻ってこいとの母である子爵夫人からの指示を受けたディール。俺達が同行を了解すると、早急に早馬を出すべく、ディールは学園受付へと走っていった。


「これはただならぬ事態よ」


 鍛錬場でイスの木の棒を振るっていたリサが言ってきた。額面通り受け止めるな、というのがその心である。猜疑心の強いリサらしい指摘だが、疑わずとも小麦融資の一件で妻室としっくりしていないこのタイミング。領地に戻って倒れて動けぬというのは、話として出来すぎているのでないかと、俺ですら思う。


「ディール子爵夫人の返答待ちだな」


「ええ。私も行けるように準備をしておくわ」


 そう話したリサは再びイスの木を握りしめて鍛錬を始めたので、俺も一緒に立木打ちを再開する。しかしリサのレベルは大きく向上した。商人のレベルが上がると、『収納』の容量もアップする事を知ってから、猛烈にトレーニングを行うようになったのである。リサの鍛錬法が効率的なので、今や補助魔法も使えるレベルに達していた。


 鍛錬が終わって教室に入ると、リディアが封書を渡してきた。もちろん相手はガーベル卿。今朝受け取ったところなのだと話してくれた。何が書いてあるのか興味深そうにしているリディアだったが、面白い話は何もないよと煙に巻く。大体、ウィリアム殿下との会見について、リディアが知っても仕方がないじゃないか。


 昼食を終えてから、リディアから受け取ったガーベル卿の封書を開くと、休日二日目に御苑で殿下との会見を設定したい旨が記されていた。また前回と同様、ガーベル卿が送迎を行うことも書かれており、至急返事が欲しいとの事であった。最初に受けると答えている以上、断ることなど出来るはずもないので、了解の返答をしたためた。


 朝の一件でディールからも話があった。子爵夫人から今日、屋敷の方に来て欲しいという事である。急だなと思いつつも俺達は放課後、学園全体が明日に控える『学園懇親会』で騒がしい中、馬車二台を連ねてディール子爵家に向かった。一台目にはディールと次兄ジャマール、そして従兄妹のクラート。二台目には俺とリサである。


 次兄ジャマールは当然としても、どうして従兄妹であるクラートまでがディール邸に向かうのかは分からない。馬車に乗り込むクラートを見た時に思ったのだが、今日は俺達が乗る馬車とは違う馬車に乗り込んだので、クラートから事情を聞ける状態ではなかったのである。実はディール子爵夫人が俺とリサの為、わざわざ客用の馬車を遣わせたのだ。


 貴族社会のノルデン王国において、破格の配慮であることは言うまでもない。貴族が平民の為に客用馬車を遣わすなんて事は、基本的にあり得ないからである。リサはこれを見て、朝に持っていた疑念をより深めた。そして俺達が屋敷に到着すると、玄関でディール子爵夫人の出迎えを受けた事によって、確信へと変えたのである。


(これはただならぬ事態だな)


 リサと同じく俺も確信した。というのも子爵夫人がリサに「かねがね噂は聞き及んでおります」と挨拶したので、車上でリサが言っていたこと・・・・・・・が現実味を帯びてきたと感じたのである。応接室に通されて着座すると、子爵夫人が事情を話し始めた。


 母様ははさま、すなわちディールの祖母が体調を崩したので、我が子である子爵へ見舞いに来るようにとの知らせが届いたらしい。これを受けてディール子爵は嫡嗣パトリスと共に子爵領に向かい、ディール子爵家の城であるディール城に到着した後に倒れたのだという。


 次兄ジャマールが長兄の事を訊ねると、子爵を看病するために現在城内に逗留しているとの事。母様が倒れられ、ディール子爵も倒れたので、同行した嫡嗣は看病の為に領内に留まらざる得ない状況。今の王都には、ディール家を任せられる者が誰もいないと夫人は話した。


「そこでジャマール」


「は、はい母上!」


 夫人からいきなり振られたジャマールが慌てて返事をする。おそらくは大事になったと、それで頭がいっぱいだったのだろう。


「父上はそなたに采配権を委嘱するように書面を送ってこられました」


「えええええ!!!!!」


 何の前触れもない話に、当事者となったジャマールが絶句した。弟であるディールも呆気に取られている。二人の従兄妹であるクラートは両手で口を塞いだ。これは大事、やはりリサの予感は当たったな。書類を机に置いた夫人はゆっくりと言った。


「ジャマール。貴方は今日からお父様に変わって子爵家の責任を負って采配を振るうのです。分かりましたか」


「は、母上! あ、兄上がおられるのに何故私が・・・・・」


 子爵夫人はゆっくりと次男であるジャマールを見た。もう言ったではないかという顔をしながら。


「パトリスは、お城で母様とお父様を看病に忙しいではありませんか!」


「し、しかし母上。爵位を持つ者が任に堪えられない場合、嫡嗣が代行すると定められておりまする。それを・・・・・」


 ジャマールはしどろもどろになりながらも、貴族の慣例を母に話して諌めている。これを聞いた子爵夫人は苛立った。


「ジャマール! パトリスは母様とお父様を看病したいと、嫡嗣を辞退したのです!」


 こ、これは・・・・・ 子爵が病気だという話はまだしも、嫡嗣が世継ぎを辞退だとは! 小麦融資の話で足繁く派閥の集まりに参加するような者が祖母と父を見たいからと、嫡嗣の地位を辞退する筈がないじゃないか! 一言で説明するなら、まさに御家騒動。リサ車上で言っていた「クーデターよ、これは!」まんまの展開だ。


 というのも、子爵が領地で倒れたのは内輪の話であって、部外者、かつ身分違いの私達を呼んで話すような類のものではないとリサが言ったのである。それをわざわざ呼んだ理由は、ただ一つ。子爵夫人がクーデターで子爵の権限を奪って手中に収め、以て小麦融資を片付けようとしているという見立てだった。


 俺は玄関で出迎えをした子爵夫人が、リサに向かって「かねがね噂は聞き及んでおります」と話した際に確信したのである。リサの見立て通りなのだということを。ただ嫡嗣まで廃絶する挙に出るとまでは想像できなかったが。クーデターを起こしたと思われる子爵夫人の「長兄が嫡嗣を辞退した」という説明に、次兄ジャマールは絶句している。


 もちろん絶句しているのはジャマールだけではない。ディールもクラートもあまりの成り行きに沈黙したまま。そりゃ、今日から君が家を采配しろと、いきなり言われたってという話。家の跡を継ぐ事など全く想定していない次男に向かって、子爵が采配権を委嘱しましたとか長男が嫡嗣を放棄しましたから、なんて言われても困るのは当然だ。


「お父様はその心をお汲みになってパトリスを嫡嗣から外す決断をなされました。ジャマール。今日から貴方がお父様やパトリスに代わって、このディール子爵家の采配を執り行うのです」


「ですが私は未だ学園在学中。今、母上に申されましても・・・・・」


 子爵夫人の話では、長兄パトリスを嫡嗣から外す為の取消書類が一緒に送られてきたので、既に宮廷へと届け出したというのである。これでディール子爵家には嫡嗣が不在となった。しかし子爵夫人から、その話を聞いてもなお、采配権の指名を受けたジャマールは戸惑っている。それを見た夫人は溜息をついて俺の方に顔を向けた。


「アルフォード殿。リッチェル子爵夫人は、何歳の時に家の采配権をお持ちになったのですか?」


 え! ここでレティの話か。いきなり振られたので驚きながらも、それを顔に出さずに答える。


「十三歳の時と聞き及んでおりますが・・・・・」


「十三歳! ジャマール。聞きましたか? お前より年下のリッチェル子爵夫人は十三歳にして、家を取り仕切っているのです。女に出来て男に出来ぬ訳がありません」


「・・・・・」


 これにはジャマールはぐぅの字も出なかった。しかし厚かましいというか、並外れた胆力を持つレティと比べられるのは気の毒に思われた。あの統率力というか、人心掌握術は普通じゃない。あれと同じことをしろと言われたって、次兄ジャマールも困るだろう。子爵夫人はディールに言った。


「クリストフ、貴方は兄を支えるつもりはないの?」


「いえ、そんなことは・・・・・」


「では、ジャマールの采配を支えるのですか?」


「も、もちろんです」


「全力で支えますか?」


「はい! 全力で兄貴を支えます!」


 ディールは母に力強く答えた。子爵夫人はジャマールに言う。


「ジャマール。クリストフも支えると言っているではありませんか。私も支えます。ですから貴方も覚悟を決めなさい!」


「兄貴・・・・・」


「母上、分かりました。父上より御指名を受けました采配権。謹んでお受け致します」


 子爵夫人とディールに促された次兄ジャマールは、ようやく采配権を受領した。すると子爵夫人が俺達の方を見る。


「アルフォード殿。突然の話となりましたが、当主がこのジャマールに采配権を委嘱致しましたが故、今後このジャマールがディール家を代表することとなりました」


 俺たちにそう話した子爵夫人が、今度は采配権を得たジャマールの方を向く。


「ジャマール。まず決めなければならない事は、『貴族ファンド』から受けた小麦融資をどうするかです。貴方はどうすればいいと思いますか」


「もちろん、精算すべきです。ですが、方法が・・・・・」


「それはアルフォード殿の助力を得て対処すれば良いのです」


「母上! 私に異論はございません」


 ジャマールはそう言うと、こちらを見てきた。


「アルフォードよ。すまぬが俺に力を貸して欲しい」


「ジャマール殿、元よりそのつもりでございます。ご助力できる事あるならば、何なりとお申し付けを」


「アルフォードよ。よろしく頼む」


 采配権を受領して実質的な当主代行となったジャマールは、やらなければならないと思ったのだろう。役者の振る舞いであるかのような、少し大げさな振り付けで、重々しく言った。

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