421 賭け金の行方

 情報をいくら得ていようが、いくら知識を持っていようが、現実にはその事象を乗り越えられない。乗り越えていくには、もっと別の要素がある。そもそも情報が絶対普遍じゃないから、正しさが揺らぐのだ。要は何が正しく何が間違っているかではなく、正しかったと思っていた判断が、今日になって誤りだった事が明らかになったという事なのである。


 つまり正しさとは絶対ではなく、相対的なもの。だから「先んずれば人を制す」とは言っても、実際にやってみると既に別の人が先んじていたり、あるいは先回りしすぎて失敗したりするのである。考えなければならないが、考えすぎてもいけない。しかしそのさじ加減というもの、どれが適正なのかは誰にも分からないのだ。


 しかし一方で分かることもある。それはいつ行動を起こすべきかということ。自分が知り、自分が思い、自分が考え、自分で成さねばならぬと思った時こそが、真に行動を起こすべき時なのである。知行合一というあれだ。正しさというものはある面、己の行動によってのみ示されるもの。


 この視点から見た時、クリスがラトアン広場に視察に行こうと思い立った事や、立て籠もって宰相閣下を引きずり出した事は正しい。もしこれが躊躇して視察に行かなかったり、立て籠もったりしていなければ、馬車溜まりで露天商が商売を再開する事など間違いなく出来なかったであろう。思い立った時、いかに行動するかが重要なのである。


「こちらの方は宰相府の事情は分からない。だから閣下を直接お助けできるような立場じゃない」


「それは分かるわ」


 クリスは皆の話を聞いて落ち着いたのか、俺の話を素直に聞いてくれた。


「だって宰相府が商人を率いているのではありませんから。商人が宰相府の傘下には入っておりませんし」


「三商会と宰相府で思惑が違うのは、むしろ当然の話。そもそも立場が違う」


「人それぞれで思惑は違いますしね」


 そこはクリスの言う通りで、リアルでは多くの人の思惑が錯綜する為、小説を読む時みたいな謎解きに専念という訳にはいかない。何本もの道があるし、謎は謎のままで終わってしまうことも多いのだ。だから一つ一つの事象を勘繰り過ぎたら、こちら側の方が陰謀論に陥ったりして、気が滅入ってしまう。


「だが違う思惑が交差する事もある。その時に助力を得たり、連携したりできる」


「三商会はどんな提携案を考えたのかしら」


 俺がクリスに話していると、何故か楽しそうにレティが聞いてくる。こんなところの嗅覚が優れているんだよなぁ、レティは。楽しそうに答えを待っているので、俺は素直に答えることにした。


「『金融ギルド』に二〇〇〇億ランド以上を出資し、資金的な対応に万全を期すよう対応することになった」


「二、二〇〇〇億ですって・・・・・」


「ああ。『金融ギルド』のシアーズはこの前、宰相閣下と緊密に連携して対処すると明言している」


「そうだったのですね」


 クリスは俺の話を聞いて安堵したようである。自分が知らぬ間に色々なところで様々な話が動いていても、自分が何かをできる訳ではない。その辺り、気にするよりもハッキリと割り切った方がいい。俺はクリスに改めてそう言った。


「今日の視察も、『金融ギルド』の出資が増えるのも、小麦融資の一件も、全てが連動しているって事なのね」


「でも話が複雑過ぎて、全部が理解できません・・・・・」


「何も心配することないわ。私も・・だから」


 困った表情をするアイリに、レティがそう応じる。これには皆、思わず笑ってしまった。普段から緊張感を台無しにしてしまうレティだが、こういった場面において、それはあり・・だろう。重く沈んでいた場が、何か開放された雰囲気になったのだから。こういう解き放ち方をするのも、ヒロインパワーの一つなのかもしれない。


「それはそれとして・・・・・」


 レティがクリスに話しかける。今度は何を言い出すつもりだ、レティは。


「この前あった『園院対抗戦』。やっぱり賭博があったらしいのよ」


 よりによってその話かよ、レティ! レティの話をクリスが興味深げに聞いている。レティは話を続けた。


「最初は学院の方が低かったオッズが本選直前になって、学園に大量賭けした人が現れて・・・・・」


「グレンでしょ」


「そうそう。学園の方のオッズが下がっちゃったのよ」


「そして勝ったのは学園」


「そうなのよ!」


 クリスが結果を告げると、レティが同意する。二人の話を聞いていたトーマスが言った。


「それってドーベルウィン戦の決闘賭博の時と一緒じゃないか!」


「勝ったのはグレンでしょ」


 クリスは断定した。とにかくクリスは断定する。決める時には決めなきゃイヤなのだろう。気持ちは分かるが・・・・・


「いくら賭けたんだい?」


「五億ラントだ」


「え、ええええ!!!!」


 トーマスに聞かれたので素直に答えると、やっぱり仰け反られた。クリスは表情を消しているものの、驚いているのが気配で分かる。シャロンに関しては、呆気に取られている。アイリがおかしそうに笑った。


「ね、グレンらしいでしょ」


「本当にそうよね」


 クリスが微笑む。アイリとクリスはこういう時、すごく歩調が合う。本来ならばヒロインと悪役令嬢という、相対する立ち位置であるはずなのに、実に不思議な現象だ。


「で、どれだけ勝ったのですか?」


「四億五〇〇〇万ラントだ。これをセイラ基金に寄付しようと思っている」


「え、え、え」


「基金も大分少なくなっているだろう。前のカネも賭博のカネなら、今回のカネも賭博のカネ。俺が持つよりクリスが持っていた方がずっと役に立つ使い方ができる」


「そ、そんなに・・・・・」


「クリスティーナが使う事なら間違いないわ」


「そうよね。ラトアン広場の周りにある壊されたお店の支援にお金を使ったりしているものね」


 俺の案にアイリとレティが賛成してくれた。少し戸惑いながらも嬉しそうなクリスを見ると、寄付を申し出たのは正解だったようだ。


「トーマス。すまないが、またカネを預かってくれ」


「ああ。そんな仕事なら喜んでやるよ!」


 トーマスは資金管理を快く引き受けてくれた。その一方、主であるクリスが畏まって「ありがとうございます」と一礼してきたので、俺の方が妙に照れてしまった。こうして『園院対抗戦』の博打で勝った四億五〇〇〇万ラントは、『セイラ基金』に移されることによって、クリスが自由裁量で使うことのできる資金へと変わったのである。


 何をやるのにもカネは必要だ。今日行われた宰相閣下のラトアン広場訪問だって、クリスが『セイラ基金』を使って商店主らへの支援を行っていなければ実現できなかっただろう。カネの裏打ちがあってこそ、クリスの才能は生かされる。クリスが事を動かすためには、自由な裁量で使える資金が必要なのだ。その為の資金譲渡を惜しむ理由はない。


「明後日は『学園懇親会』ね」


「それが終われば春休みよ」


 アイリとレティが既に決まっている日程について話している。春休みになれば、またみんな実家に帰っていく。学園に残るのはおそらく俺一人だけだろう。次は新学期ね、というクリスの言葉通り、皆が顔を合わせるのは春休みが終わった二年生になってから。新学期でまた会おうということで、クリスの音頭を取って、皆で乾杯をした。


 ――朝四時五十分に起きてストレッチで身体を起こした後、いつものように朝食を食べようと、開店前のロタスティに向かうと入口に人影があった。これまでこんな事、この一年なかったぞ。正しく学園の椿事ではないか。明日で学年が終わるから、終業記念でロタスティ一番乗りでも思ったのだろうか。誰だと思って近づくと、なんとディールだった。


「グレン! 待ってたぞ!」


 ディールが眠たそうな目をこすりながら言ってきた。お前、今までこんなに早くロタスティに来たことがないだろう。朝っぱらから、まさかのディールとの遭遇にビックリした。どうしてこんな時間にいるのかと聞いたら、俺とどうしても会わなきゃいけなかったからだという。


「昨日の夜に母上から封書が届いたんだ。父上が倒れたと」


「なにぃ!」


「だから対策を考える為に至急戻ってこいって。グレンとお前のお姉さんもお連れして屋敷に帰ってこいと」


 ディールは明らかに動揺している。しかし、このタイミングで子爵が倒れるとは


「今日お前達が動けるのかどうかを確認して、屋敷に早馬を飛ばさなきゃいけないんだ」


 話すディールを見ると、急いでいるのが分かる。子爵夫人からせっつかれているのだろう。ちょうどリサもやってきたので、事情を話して三人で個室に入った。朝一番だから個室も空いている。基本的に貴族は朝に弱いので、この時間から個室を借りるヤツなんていない。中に入るとディール子爵夫人から届いたという封書を見せてもらった。


「領地に帰って倒れたとは・・・・・」


「かなり急いておられるようね」


 俺達の感想を聞いてディールは頷いた。ディール子爵夫人がディールに宛てた封書によれば、ディール子爵領に住まうディールの祖母を見舞ったディール子爵が、領地滞在中に倒れたというのである。子爵が領地に赴く話を知っていたのかと聞いたら、全く知らなかったという。


「家に帰ってなかったから、俺も知らなかったんだよ」


 ディールは先週、俺と共に屋敷に向かって以来帰っていなかったらしい。


「『学園懇親会』が終わったら帰らなきゃいけないから・・・・・」


 その説明を聞く限り、あまり帰りたそうではないようだ。俺が週末に帰らなかった理由について訊ねると、小麦融資の話でお腹がいっぱいだったと言うので、その点についてディールに同情してしまった。事情を聞いたリサと俺は今日、ディール家を訪問することを快諾したので、ディールは胸を撫で下ろしている。


「すまない。ウチの話で振り回してしまって。姉様にも申し訳ない」


「いやいや。子爵夫人にも協力を約束したからな」


 謝るディールに俺は言った。リサを「姉様」と呼ぶディールの態度が意外だったが、よく考えたら以前『実技対抗戦』の時にディールと組んでいた、男爵次女のテナントに対する応対もこんな感じだったな。それに従兄妹のクラートに対してもそうだし。ディールはどうも女にはやさしいようだ。

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