416 クリスを確保せよ

 教室の席から動こうとしないクリスを挑発して立たせ、手首を掴んで力ずくで教室の外に出した俺はアルフォンス卿の従者グレゴールやトーマス、そしてシャロンと共に宰相閣下の待つ貴賓室へと向かった。


「何処に行くのよ」


「いいから、いいから」


 こういう時のクリスは理詰めで攻めても無駄で、力ずくのなし崩し的な手法で引っ張り出した方が良い。絵に描いたようなお嬢様育ちであるが故、これまで力ずくで抑え込まれた事がないクリスは、こういう手法に全く耐性がないのだ。多少手荒ではあるが、連れてこいという宰相閣下の要求に応えるには、この方法しかない。


 貴賓室の前にいる衛士が俺達の姿を見ると、急いでドアを開けてくれた。クリスの手首を掴んで部屋に引っ張り入れた俺は、前室に入ると手を離す。クリスは左手が右手首を持って、こちらを睨みつけてきたが、俺は逆に本室の扉の方を見るよう首と目を動かしてクリスに知らせる。すると本室のドアの前に立っていたグレゴールが扉を開いた。


「・・・・・お父様・・・・・」


 本室の扉の先を見たクリスは絶句している。それはトーマスもシャロンも同じこと。まさか宰相閣下が来園しているなど、誰も想像すらしていなかったはず。三人はグレゴールの誘導に従い、本室内に入るしかなかった。その後を俺も続く。


「アルフォード。大義であった」


 上座に座る宰相閣下が言うと、クリスが首を動かしてギロリと俺を睨んだ。だが本室の扉を閉めたグレゴールがクリスを下手に案内したので、クリスはそれに従うしかなかった。しかし、クリスの視線を回避したのは一瞬だけで、なんとクリスが座る隣の椅子に案内されてしまったのだ。今回の場合、平民の俺には座る椅子などないはずなのだが・・・・・


 上座から見て右側にボルトン伯、左側にアルフォンス卿が座り、下座右側に俺、左側にクリスという位置。通常ならば俺とクリスの位置が逆の筈なのだが、今日は違う。グレゴールの案内で座っているので間違いという訳ではなさそうだ。レナード・フィーゼラーとメアリー・パートリッジという宰相閣下の二人の従者は閣下の後ろに控えている。


 アルフォンス卿の後ろにはグレゴールが、クリスと俺の後ろにはトーマスとシャロンが、それぞれ控えており皆椅子に座っている。全員が着座すると、宰相補佐官のアルフォンス卿がクリスに問い質した。


「クリスティーナよ。どうして屋敷に戻るようにとの指示に従わないのだ?」


「学業に専心しておりました故、叶いませんでした」


 ツンとした感じで答えるクリス。そんな学業、この学園の何処にあるのだとツッコミたい心境となったのたが、今はそれを言える空気ではない。貴賓室の本室は何とも言えない、気まずい雰囲気が漂っている。そんな中、刺々しいクリスに次兄が更に質す。


「学業が父上よりの指示を拒絶する理由にはならぬぞ!」


「私は事実を申し上げたに過ぎませぬ」


 クリスは挑発的に答えた。ハナっから、マトモに答える気がないらしい。不遜な態度で臨んでくる妹に対し、次兄でもあるアルフォンス卿は語気を荒らげた。


「事実? ならばここに今座っているのは何故だ! 学業の為に寸分の時も割くことが出来ぬという言い訳が、単なる詭弁であることを示しておろう!」


「私めが今ここに居りまするのは、兄様にいさまがアルフォードさま・・をお使いになって、貴賓室ここに連れてきたからではありませんか!」


「クリスティーナ! そもそも連れ出されるまで無視を続ける方が問題だとは思わぬのか!」


「私は学業に専心と、しっかりお答えしております。無視と言われるなど心外!」


 アルフォンス卿とクリスの不毛な応酬が続く。話を不毛にしているのは明らかにクリスなのだが、事情を知らない人が聞けば、アルフォンス卿がクリスにふっかけているように思えるだろう。その辺りがクリスの能力の高さなのだが。無理問答のように延々と続く応酬。険悪な空気が貴賓室を覆った。この居心地の悪さに今すぐ立ち去りたい気分になる。


「もうよい!」


 宰相閣下の苛立つ声が子供同士の言い争いを制した。


「アルフォードにクリスティーナを連れてくるよう依頼したいのは余じゃ。アルフォンスではない」


 そう言うと、宰相閣下はクリスを見据える。


「今のお前を連れ出せるのは、アルフォードの他には居らぬと思うてな。無理を頼んだのじゃ。余の見立て、間違っておるか?」


 聞かれたクリスは黙っている。それを見た宰相閣下は語気を強めた。


「どうじゃ。答えてみよ!」


「・・・・・」


「答えてみよ!」


「・・・・・間違ってはいないと思います」


 クリスのトーンが急に弱々しいものになる。どういう訳か、先程までの威勢の良さが消え去ってしまったのだ。クリスは一体、どうしたのろうか? 宰相閣下は更に言った。


「余の見立てが正しいと認めるのじゃな」


「・・・・・」


「認めるのじゃな!」


「・・・・・正しいと思われます」


 宰相から迫られても「認める」と言わなかったのは、クリスの意地なのだろう。しかし実質的には、宰相の言葉の正しさを認めたようなものである。だが疑問が残る。これまで頑強に抵抗していたのに、どうして突然折れたのだろうか? その辺りのクリスの気持ちがよく分からない。序盤を制した宰相閣下が口を開いた。


「クリスティーナよ。突然視察に訪れ、記者に取材をさせた意図は何か? 答えてみよ」


 宰相閣下が重々しく言う。だが、クリスは何も発さない。


「クリスティーナ。答えられぬのか?」


「クリスティーナ! 黙っておらず、父上の問いに答えよ!」


 再度聞く宰相閣下の言葉を受けて、アルフォンス卿が激しく迫る。しかし、それでも口を開かぬクリスに業を煮やしたアルフォンス卿が、今度は吠えた。


「クリスティーナ! いい加減にせよ!」


兄様にいさま。少しは落ち着かれてはどうですか?」


「なにぃ!」


「学園長代行閣下もおられるのですよ」


 クリスは、ヒートアップするアルフォンス卿をたしなめるように言った。ここだけ見れば、短気な兄をなだめる妹なのだろうが、兄を怒らせているのは明らかにクリスの態度。兄を黙らせたクリスは、宰相閣下の質問に答える。


「父上に申し上げます。暴動が起こった事実と、それに伴う被害が出ている事を人々に知らしめる為ですわ。暴動を現場の者が封じ込めた事で終わりにしてはいけないと思ったのです」


「クリスティーナ!」


 先程からのやり取りで苛立っていたからだろう、アルフォンス卿が怒気を発した。アルフォンス卿が怒るのも無理はない。クリスの言には暗に「現場が抑え込んだから終わりだと思っているのだろう」という意図が含まれており、その言葉の矛先は宰相府、つまり宰相閣下とアルフォンス卿に向いているのが明らかなのだから。


兄様にいさまは何をお怒りになっておられるのですか?」


「クリスティーナよ。現状に汲々として、あたかもやっていないかのような物言い。あまりに無礼であろう」


「兄様は、御自覚なされておられているのですね」


「なにぃ!」


 ヤバい。クリスの挑発たるや、悪役令嬢の物言いそのもの。アルフォンス卿が怒るのも無理はない。クリスの表現は回りくどく思えるが、アルフォンス卿の怒りを見ると、貴族社会の中ではかなりドギツイ部類の物言いなのだろう。


「暴動が起こったラトアン広場に赴きましたが、暴徒に店を破壊された店主達には、何の手当もなされておりませんでした。行政は何ら手立てを打ってはおりませぬ。それが私の見た現状です」


 宰相府の不備を激しく糾弾するクリス。これには宰相もアルフォンス卿もボルトン伯も顔を引きつらせている。まさかクリスがここまで言うとは思わなかったのだろう。


「どうして現状のままなのか? 打つ気がないから現状のままなのです。これは途方に暮れる罪なき民を放置しているのと同じこと。違いますか、父上」


「クリス、ちょっと待て!」


 クリスの激しい糾弾に思わず声が出てしまった。ギロッとこちらを見るクリス。おっと、この場は「公爵令嬢」とお呼びしなければならなかったな。俺は呼称を訂正し、表現を整える。


「公爵令嬢。少し言葉が過ぎます」


「何処が過ぎると申されるのですか!」


 俺に対しても好戦的なクリス。好戦的な今のクリスを見るに、単に事情を話すだけでは納得しそうにないな。そこで俺は正面を向き、全体に話をすることにした。


「昨日、『金融ギルド』の増資が決定しました」


「グレン! その話、無関係ではありませんか!」


 横で喚くクリスを無視して話を続ける。


「増資額は二〇〇〇億ラントでございます」


「!!!!!」


 俺の発した額にどよめいた。およそ六兆円。エレノ世界から見れば天文学的数字である。この話に宰相が身を乗り出してきた。


「遂に増資が決まったのだな!」


「左様にございます」


「よくやった。ザルツにも随分と骨を折らせたな」


 ザルツ? 宰相の口から出た言葉に我が耳を疑った。知らぬ間にザルツと宰相閣下の関係が近くなったというのか!


「グレン。今の話と関係ないでしょ!」


「これで小麦対策と紛擾ふんじょうへの対応にも目処が立つ。でかしたぞ!」


 苛立つクリスを無視して話す宰相閣下。どうやら閣下は『金融ギルド』の増資を心待ちにしていたようだ。


「なに無関係な話をしているの! グレン、聞いてるの!」


 クリスが俺の学園服の袖を握りしめて揺らしてきた。相当苛立っている。その苛立っているクリスに向かって、宰相閣下が声をかけた。


「クリスティーナ。これで大掛かりな対策を宰相府としても打てるぞ」


「それは・・・・・」


「王国は『金融ギルド』より、対策資金を調達する」


「えっ!」

「なんと!」


 宰相閣下の言葉にクリスとボルトン伯が驚いた。宰相は小麦対策と暴動対策に本腰を入れる為、必要な資金の確保を行うべく、これまでザルツと協議を重ねていたようである。従来の方法では捻出できない対策資金を借入金で調達しよういう宰相閣下の決意表明は、クリスやボルトン伯にとって、エレノ世界の常識を破る予想外の話だったようだ。

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