417 ささやかな要望
小麦対策や暴動対策の資金を調達すべく、ノルデン王国が『金融ギルド』より借り入れを行う。正確には少し違うのだが、宰相閣下の決意表明は、ボルトン伯やクリスが驚くぐらい衝撃的な話だったようである。
「発案はリサ殿だがな」
そう話した宰相補佐官のアルフォンス卿が、宰相閣下の言葉を補足する。まず宰相府が債券を発行し、それを『金融ギルド』が引き受け、それによって確保された資金を小麦や暴動といった有事対応の軍資金とする方針だと。債券は五年満期の予定で、それまでは利払いのみを行う為、当面の間は元本を払わずに事が進められる計画であるとの事。
「我が方もただ単に手をこまねいている訳ではない。が、動きが遅い点については、色々と問題はあるがな」
「それでは父上は・・・・・」
クリスのトーンが明らかに落ちた。少しは宰相の思いが理解できたようである。宰相閣下には閣下なりの危機感があり、閣下なりの方策を立てていたということを。ただ無為に時を過ごしていた訳ではなく、様々な検討を行った上で手立てを施していたのである。閣下は娘クリスに訊ねた。
「クリスティーナよ、単刀直入に聞こう。お前の要求は何か? 余の命に従わぬのは、相応の事由があるのだろう。言ってみよ」
宰相閣下が直球を投げつけた。それを受けてクリスが話す。
「今回の暴動。死者や怪我人が出なくとも、被害を受け、途方に暮れる民がおりまする。ですので、私の要望を一つお聞き願いたいのです」
最後の部分が丁寧だった。クリスは自分が考えている一つの案を聞いて欲しい。その為に激しく抵抗していたのか。これまでの流れを黙って見ていたボルトン伯が興味深そうな表情でクリスを見ている。というか、どうして貴方がここにいる、という場面なのだが。だって、学園長代行なのだから全くの無関係。それをシレッと場を確保して・・・・・
「して、どのような要望じゃ」
「私と共に現場を視察に訪れて欲しいです」
「そ、それだけか・・・・・」
「はい。お聞き入れ願いたく存じます」
クリスの要望を聞いて肩透かしを食らったような感じの宰相閣下。戸惑っているのは閣下だけではない。アルフォンス卿もボルトン伯も拍子抜けした感じである。俺も正直言うと、意外な要求だった。学園に立て籠もり、拒絶してまでする要求ならば、自身に暴動対策の全権を付与せよとか、それぐらいどギツイ要求をするものだと思っていたからである。
「そのような事、屋敷に戻り、余に直接申せば良いではないか?」
「父上。私めの要望、お聞き入れ願えますでしょうか?」
クリスは宰相閣下の疑問には答えず、自身の要望に対する回答を求めた。確かに順序としてはそうなるな。まず宰相閣下が質問を提示し、クリスがその質問に答えた。質問がクリスの要求に関するものだったので、その返事をするのは宰相の番。だからクリスは、閣下からの質問を無視して再度聞いたと。クリスは極めて冷静だ。
「分かった。クリスティーナの要望通り、現場を視察しよう」
「あ、ありがとうございます」
宰相閣下はあっさりとクリスの要望を飲んだ。これには激しく抵抗してきたクリスも戸惑っている感じである。そんなスムーズに話が進むものかと警戒しているのだろう。だが、そんなクリスの予感は外れてはいなかった。
「父上! 安易に返事をなされるものではありません」
アルフォンス卿が異議を唱えた。どうやら宰相閣下の返事に納得がいかないようである。
「アルフォンスよ。余は決して安易に判断などしてはおらぬぞ!」
「いえ。直ぐに返事を成されているではありませぬか! それではクリスティーナが籠もったから聞き入れたのだと取られかねません!」
今度はアルフォンス卿が荒ぶっている。もしかして冷静なフリをして荒ぶるのがノルト=クラウディス公爵家の芸風なのか? そういえば以前、ボルトン伯から聞いた「ソントの戦い」時のノルト=クラウディス家の当主、フーベルトとかいう人物も荒ぶって兵を挙げたんだったなぁ。息子からの厳しい指摘に対し、宰相閣下は説明する。
「クリスティーナの要望が聞くに値するものだと思ったからに他ならぬ。民の実情を見よとは中々の卓見ではないか。アルフォンスよ、お前はそれを違うと申すのか?」
「いえ・・・・・ その点に関しては・・・・・」
宰相閣下の指摘を受けて、アルフォンス卿は言葉を詰まらせる。おそらくはアルフォンス卿もクリスや宰相閣下と同じ認識、つまりは視察そのものには賛成なのだろう。だが、アルフォンス卿が問題としている部分というのは、そこではないようである。アルフォンス卿は言葉を続けた。
「しかし、話そのものが聞くに値するものであっても、その話を飲ませる為に立て籠もるという手法に難がありまする」
アルフォンス卿の意見を聞くと、クリスの要望そのものは賛成だが、手法が全く認められないという考えのようだ。要はゴネ得という形が問題であるという事なのだろう。この一週間、再三再四屋敷に戻るように伝えているのに、それを全て払い除けたのは他ならぬクリス。その理由が私の要望を聞けというのは我儘だろう、という指摘には一理ある。
「それはクリスティーナの話を聞いてからでも遅くはないだろう」
「先程のご質問の話でしょうか?」
クリスの言葉に宰相閣下は黙って頷いた。屋敷に戻って直接言わなかった訳を話せと言っているのだ。これを受け、クリスは宰相閣下へ質問を投げかけた。
「父上にお聞き致します。『週刊トラニアス』の号外をご覧になりましたのでしょうか?」
「ああ見た。この手に取って見たぞ。だから屋敷に呼んだのだ」
「でしたら、その時にお話をしたとして、私の要望にお応え願えたでしょうか?」
「!!!!!」
クリスの言葉に宰相閣下がウッとなっている。今のようにすんなり聞けたかどうかは分からないのだろう。
「・・・・・それは、まず話をしてみなければ分からないではないか?」
「いえ父上。それは違います。お聞き願えたのは、今のこの状況があるからでございます」
クリスはその理由を説明した。暴動の当日、宰相もアルフォンス卿も死者や怪我人の有無にばかり意識が取られており、実際の被害全体への意識が回っていなかった。閣下が被害状況を聞いて安心している中、今のような話を切り出したところで聞き入れてもらえるとは到底思えず、その状況に絶望してしまい体調を崩してしまったと話したのである。
また、そのような意識の中で『週刊トラニアス』の号外を読んだとしても、被害状況全体に意識が向くかどうかは甚だ疑問であり、それが深刻な問題であることを認識してもらうのは難しい。それ故、学園に籠もるという方法で問題を訴える以外の方策がなかったのだと話すと、アルフォンス卿は腕組みをして宰相閣下は嘆息した。
「確かにクリスティーナの言う通りかもしれぬ。被害が出ず安堵しておったのは事実。あの時に言われて聞き入れたかと言われれば・・・・・ 断言はできぬな」
「しかし父上。あの号外に目を通された後には・・・・・」
「そのとき、お前はクリスティーナの話を聞き入れる事が出来たと断言できるのか?」
「・・・・・」
「断言できぬという事は、クリスティーナの疑念に間違いがなかったという事になろう。クリスティーナは、確実に話を聞き入れる状況を作る為と言っておるのだから」
宰相閣下の言葉にアルフォンス卿が沈黙してしまった。その時クリスの話を聞くことが出来たのかについて、本人なりに考えたのだろう。答えは否だったという訳だ。息子に考えさせて、ズバリと指摘する。結果、アルフォンス卿の心の中に心当たりがあったという訳だ。その心理を利用して黙らせたのは、宰相閣下の年の功だと言える。
この論争、宰相閣下とアルフォンス卿を比べれば、閣下の方に分があるのは明らか。何故ならば、閣下の方が己の心理の有り
今回のクリスの話はまさにそうで、暴動が起こった直後やクリスのラトアン広場視察を報じた『週刊トラニアス』の号外を見た後では、おそらくクリスの話を聞き入れるような心理にはならなかっただろう。猶予期間、あるいは一定の時間を置かなければ、話すら出来なかったであろう事は間違いない。この点を考えれば、クリスの見立ては正しい。
「クリスティーナよ。明日、現地の視察を行う。手筈については追って沙汰を出す。良いか?」
「はい、お父様。お聞き入れいただきありがとうございます」
宰相閣下に深々と頭を下げるクリス。閣下はアルフォンス卿に対し、速やかに視察の手配を行うよう指示を出した。それを受けて、アルフォンス卿はグレゴールを連れて慌てて飛び出していく。また、会合に立ち会った学園長代行のボルトン伯に対し、このような事に巻き込んだと謝した。それに対してボルトン伯は言う。
「宰相閣下。我が子はいくつになっても読めぬものですから」
「伯爵もですかな」
「もちろんでございます。全く読めませぬ。それが我が子というもの」
フォフォフォと笑うボルトン伯。それを受けて宰相閣下も笑った。いやいや、全くその通りだ。見ると宰相の従者レナード・フィーゼラーも笑っている。フィーゼラー殿も息子グレゴールの心が読めぬのか。三人のおじさんとは対照的に、クリスと二人の従者シャロンとトーマスは困惑した表情を浮かべた。大人と子供の立ち位置の違いがよく表れている。
まぁ、俺の方はといえば子供陣営ではなく、おじさん陣営の方だ。ボルトン伯ではないが、愛羅や祐一の事なんか、さっぱり分からないからな。父親である俺から見れば、子供は謎多き生き物のようである。しかしボルトン伯は上手いこと言ったものだ。俺は表情を出さないようにしながら、心の中で笑った。
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