415 緊急指令

 再三の呼び出しに対し、一向に応じないクリスに詰問するため、突如学園を訪問した宰相ノルト=クラウディス公。学園長室に呼び出された俺は、そのクリスを連れてくるようにと宰相閣下に頼まれたのだが、そこで一案が浮かんだ。クリスの母セイラの侍女を長らく努めた、宰相閣下の従者メアリー・パートリッジをクリスの元へ遣わすという案である。


「公爵令嬢はメアリー殿を心底慕っておられます。メアリー殿のお言葉ならば必ずや令嬢は従われ、この場に姿を現される事でしょう」


 俺は確信した。この方法なら穏便に事を進められるだろうと。宰相閣下は暫く考えた後、言葉を発した。


「確かにアルフォードの案は妙案。だが、それはできぬ」


「!!!!!」


「今メアリーを遣わせば、余がここにおることを知らせるようなもの。それはできぬ」


 万全の策がまさか拒否されるとは・・・・・ 想定外の事態に俺が唖然としていると、宰相の後ろに立っているメアリーが話す。


「今のお嬢様を諭すことができますのは、お嬢様が最も信頼されておられるアルフォード様を除いて他にはおられません」


 いやいやいやいや。クリスが最も信頼しているのはメアリーだよ。俺じゃない。


「余はメアリーの話を聞いて、お前に頼んでおるのだ」


「・・・・・」


 うぬぬぬぬ。なんてことだ。まさかメアリーに先手を打たれていたとは・・・・・ つまり俺がクリスをここに引っ張って来なければならないということか。


「アルフォード殿。公爵令嬢を貴賓室にお連れしてもらえぬか?」


 この緊張した局面の中、ボルトン伯がいつもの調子でボケてきた。まさか、ここでボケてくるとは。いやいや、学園長室も貴賓室も連れてくる労力は変わらないから。配慮にすらなっていないボルトン伯のフォローに、俺はどう反応していいのか分からない。しかし、俺がクリスを連れ出さなければならないのは間違いなさそうだ。


「どうだ。頼めるか?」


 宰相閣下が念押ししてきた。頼むも何も強制力があり過ぎるじゃないか。限りなき命令に近い要請に、俺は受けることを承諾せざる得なくなっていた。


「分かりました。やってみます。ただ、了解していただけませんか?」


「ん? 何をだ」


 怪訝な顔をする宰相閣下。しかし連れ出せたとしても、これだけは了解してもらわないと困る。


「仮にお連れできた場合であっても、公爵令嬢の御機嫌が損なわれている事については御了解いただきたいと・・・・・」


 これには宰相閣下が目を丸くした。後ろのメアリーが声を出さずに笑っている。対して困惑気味の父フィーゼラー。この三人を見ると、クリスと二人の従者、トーマスとシャロンの関係とよく似ている事に気付かされた。宰相閣下とクリスはやはり親子なのだと。


「も、もちろんだ。クリスティーナの機嫌はお前の責任ではない」


 戸惑いながらも返事をする宰相閣下。宰相閣下の了解を得た俺はアルフォンス卿と話して、従者であるグレゴールの随伴を取り付けた。俺はグレゴールと共に学園長室を出ると、急ぎ二人で教室に向かう。


「やれやれ、大変な仕事を仰せつかったな」


 ようやく開放されたという感じで話しかけてきたグレゴール。


「仕方がない。拒否できる立場じゃないんだから」


 俺はグレゴールにそう応じた。要望や要請の部類なのだが、俺の立ち位置やエレノ世界の力関係を考えれば、拒否などできる訳がない。二人になってリラックスしたグレゴールは、これまでの経緯を話してくれた。屋敷に戻ってくるよう再三再四伝えたにも関わらず一向に応じようとしないクリスに対し、アルフォンス卿が動いたが、クリスは動かない。


 それを見て業を煮やした宰相閣下が直接動いたのが今日の朝。宰相の突然の行動に、宰相府は大騒動だったという。宰相補佐官のアルフォンス卿は宰相閣下に引き摺られるように学園へやってきたとの事。クリスめ、人を振り回しまくっているじゃないか。学園に到着するなり、グレゴールはクリスの元に遣わされたが、トーマスの所で門前払いを食らってしまった。


「トーマスだって、クリスの命令でやってるだけなんだ」


「もちろんだ。分かっているよ」


「ところで、どうやってお嬢様をお連れするのだ?」


「お話をして納得されると思うか?」


「思わないな・・・・・」


 グレゴールが嘆息する。今日、門前払いされたばかりのグレゴールが、俺とクリスが話をして上手く事が運ぶなんて、思うはずもないのは当たり前の話。だからだろう、グレゴールが再度聞いてきた。


「おいグレン。どうやってお連れするのだ」


「そうだな・・・・・」


 俺が方法について話そうとしたところ、ちょうど目の前にトーマスがいた。俺とグレゴールを見てバツの悪そうな顔をするトーマス。ここ一週間、主家であるノルト=クラウディス家中の使いを尽く拒否する役割をさせられているトーマスは、少し卑屈になってしまっているようである。そのトーマスを二人で近寄って捕まえる。


「グ、グレン・・・・・」


「トーマス。黙って俺に協力してくれ」


「協力って?」


「黙って俺の言うことを聞いてくれたらいい。クリスの不興は俺が買う」 


 戸惑うトーマスに、グレゴールが「俺もグレンに連れてこられただけなのだ」と言って協力を求めた。グレゴールも俺がどうやってクリスを連れ出すかについては全く知らないので、その点に関してはトーマスと同じだということをアピールしているのである。トーマスが真剣な表情で「お前は何をするつもりだ?」と聞いてきた。


「クリスを連れ出す」


「えっ?」


「トーマス。お前は俺の後ろに付いて黙って見ていたらいい」


「いや、それは・・・・・」


「クリスの言うことは聞こえぬフリをしてくれたらいい」


「えっ!」


「黙って俺の後ろに立っていてくれ」


「い、いや・・・・・」


 戸惑うトーマスを尻目に、グレゴールにも同意を求めた。するとグレゴールは「分かった」と、横にいるトーマスが聞こえるように返事をして、なし崩し的にトーマスが了解したような形を作ったのである。それを受け、俺は二人と共に教室へとなだれ込んで、クリスの前に立った。突然、目の前に立った俺達三人の姿に、クリスは驚きつつもこちらの方をギロリと見る。


「・・・・・」


 明らかに不機嫌な表情のクリス。後ろの席に座っていたシャロンが慌てて駆け寄ってきた。


「トーマス。これは?」


「トーマスは無関係だ」


 トーマスに焦点を絞ろうとしたクリスを俺が払い除けた。だからだろう、俺を睨みつけてくるクリス。流石は悪役令嬢。様になっているその表情に、何かゾクゾクしてくる。


「何の御用ですか、アルフォードさま・・


 他人行儀に俺の名字で呼ぶクリス。相当苛立っているな。クリスの後ろに控えているシャロンが戸惑った表情を見せている。俺はクリスに言った。


「殻の中に閉じ籠もっているだけでは、何も変わらないのではないか?」


兄様にいさまのお言葉ですか?」


 そう言いながら、グレゴールの方を睨みつけるクリス。クリスはトーマスの取り次ぎを払い除けた事に苛立っているようである。こういう時のクリスに、理性的な説得は意味を成さない。だから貴賓室へは別の方法、即ち力ずくで連れて行くしかないのだ。そこで俺はクリスを更に苛立たせる手段に出る。


「そうだとしたら何が問題だ?」


「問題ですわ。お断り申し上げた筈です。それを平民なのに脇からしゃしゃり出てくるなんて!」


 クリスは敢えて心にも無いことを言ってきた。俺の真意を測りかねているクリスは、ハリネズミが如く、徹底した拒否で応じてきたのである。その心理、俺には理解できる。何故なら俺がクリスの立場ならそうやって防御するからだ。このような場合は拒否出来ぬよう、更に焚き付けてやればいい。


「しゃしゃり出てきて何が悪い! そもそも、ラトアン広場へ連れて行けと言われて案内したのは俺じゃないか!」


「まぁ!」


 心当たりがあるからか、クリスの白頬が真っ赤になった。


「あ、案内せよと申しましたのは事実ですけれど、それ以上に関係は・・・・・」


「あるじゃないか! 露天商を調べろと言って、俺経由でトマールに指示を出しているんだぞ!」


 クリスの反論を阻んで、こちらの話をねじ込む。俺が言ったことは全て事実。反論の余地はない。自分の言いたい事が全て封じられてしまい、琥珀色の瞳が怒りで揺れているのが分かる。もう一歩で着火するはず。着火すればこちらのものだ。


「クリス。俺の事を小間使いだと思っているのか!」


「何ですって!」


 クリスが怒りに任せてガバっと立ち上がった。よし! 引っかかったぞ。俺はその瞬間を逃さなかった。クリスの右手首をガッチリと掴み、いなせたのである。


「よし、行くぞ!」


「えっ?」


 戸惑うクリス。俺は左手で掴んだクリスの右手首をクイッと引っ張り上げると、クリスの身体が机から離れたので、そのまま引き摺り出した。椅子に座った状態で引っ張り出すのは難しくとも、立った状態ならば簡単。だからクリスを挑発し、苛立たせ、怒らせて起立させたのである。俺はクリスの腕を引っ張りながら、グレゴールを見た。


「グレゴール!」


 俺はアイコンタクトを送ると、一瞬戸惑った表情を見せたグレゴールだが、直ぐに走り出して教室を出る。俺の意図を察してくれたようだ。


「トーマス! シャロン! 行くぞ!」


「あ、ああっ・・・・・」

「え、ええっ・・・・・」


 クリスの右手首を持ちながら、グイグイと引っ張って教室を出る。俺の後ろを二人が慌てて付いて来た。廊下にクリスを連れ出した俺は、貴賓室に向かう。


「ね、ねぇ、グレン」


「何だ?」


「は、は、離して、もう」


「嫌だ!」


 俺はクリスの要求を断固ね付けた。今離したら逃亡するに決まってるじゃないか。クリスは嫌がりながらも強い抵抗はない。いや、抵抗していないというよりも、今までこんな風に引っ張り回された事が無いから面食らってしまい、抵抗するすべにまで考えが及んでいないのだ。だから、この混乱している間を逃してはならない。


「嫌だって、言っていますでしょ!」


「こういう時には俺の言うことを聞くんだ!」


 右手首を持ったままクリスを威圧する。しかしクリスの手首は細い。身体を引っ張り上げた時に感じたのだが、本当に軽いのだ。こんなにクリスは華奢だったのか。そんな事を思いながら、貴賓室に向けてクリスの手首を引っ張った。

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