411 可視化された取引

 『取引請負ギルド』の総責任者であるエッペルが持ち出してきた、小麦が暴落した日から七営業日までの小麦取引の詳細書類。こんなものを出したら中立もへったくれもないように思えるが、ここはエレノ世界だから大丈夫なのだろう。見るとバーデット派貴族の購入量に比べ、アウストラリス派貴族の一家あたりの小麦購入量が少ないのが目に付く。


 とは言えアウストラリス派全体で九十八家、合わせて八百六十万袋の購入は驚異的である。平均小麦価格一二〇〇ラントの計算で、一〇〇億ラント以上購入したことになるのだから。アウストラリス派とバーデット派、この貴族派二派を合わせると小麦を大口購入した貴族の八割以上を占めており、組織的な購入であった事を窺わせる。


「エルベール派が七家、ウェストウィック派が五家、中間派とランドレス派、宰相派がそれぞれ三家、トーレンス派が二家。こちらの方の購入者は散発的ですわね」


 ハンナの分析により、小麦を大量買いした貴族家の派閥分布が分かってきた。大部分がアウストラリス派とバーデット派という貴族派二派によるものだったが、一部他派閥の貴族も購入していたのである。これを『貴族ファンド』がアウストラリス、バーデットの二派以外への拡大を図っているのか、個別の案件なのかは定かではない。


「ランドレス派には広がっていません。我が家には『貴族ファンド』から小麦の別枠融資の話が来ていませんから、ランドレス派にもこの話が来ていないと思われますわ」


 ハンナの実家ブラント子爵家に話が来ていないこと、ランドレス派の貴族が三家しか大量購入していない事から、ランドレス派には小麦の別枠融資の話が来ていないのは間違いがない。封書の段階ではブラント子爵家だけが知らないのか、ランドレス派が知らないのかについて、情報が少なかったのでハンナはその判断ができなかった。


 しかしエッペル親爺が出してきた小麦取引の詳細リストによって、ランドレス派自体が知らない事が明らかになったのである。それは貴族派第二派閥エルベール派にも言えることで、リッチェル子爵家にもエルダース伯爵家にも話が来ていない事に加え、リストにも派閥の組織的な購買がない事から、エルベール派にも話が届いていないのだろう。


「今までの話を総合すると、『貴族ファンド』は小麦の別枠融資を貴族派第一派閥のアウストラリス派と第三派閥のバーデット派にしか話をしていなかった事になりますなぁ」


「いや。それどころか、暴落前はアウストラリス派だけにしか話をしていなかったのでは?」


 ジェドラ父の話に対して、ワロスが異を唱えている。バーデット派の買い入れの「力」と、アウストラリス派の買い入れ時の「力」が違いすぎると。すなわちアウストラリス派は以前から小麦を買っているから、購入量がバーデット派よりも少なく、バーデット派の方は始めて小麦を本格購入した為に量が多くなっているのではと。


「確かにそれは言えますな」


 ワロスの言葉をザルツは肯定した。十分に合理的な説明だからである。でなければ、一家当たりの小麦購入量の違いが説明できない。ワロスの貴族を見る目は鋭い。しかしどうして、派閥毎にこれほどの温度差が出ているのだろうか。これまでアウストラリス派と歩調を合わせていたように見えるランドレス派に情報が入っていないのもその一つ。


 これまで貴族派は第一派閥のアウストラリス派とは、第三派閥のバーデット派と第四派閥のランドレス派が近い距離にある。『臣従儀礼』の際にも、この三派の貴族は参列していない。唯一抜け駆け的に参列したアウストラリス派の盟主、アウストラリス公を除いて。対して、第二派閥のエルベール派は距離があるという感じであった。


 第五派閥のドナート派は独自の道なので置いておくとして、同じ貴族派内でも温度差が激しい。アウストラリス派とバーデット派が組織的に動いているのに、エルベール派とランドレス派は散発的。貴族派内の意思疎通の悪さが、今回の一件で改めて露呈したようだ。『金融ギルド』参与のピエスリキッドが指摘する。


「しかし、今回小麦を大量購入した貴族は、総数数千と言われる貴族のごく一部。今後、更に多くの貴族家が小麦購入に加わるとなると、価格が完全に戻るのは時間の問題では」


「いえ。それどころか、前回の高値以上になっていく恐れがあります」


「全くその通りで、そちらの方がむしろ既定の事実と見たほうが・・・・・」


 ピエスリキッドの意見に対し、ウィルゴットとファーナスが値が戻る以上に、値が上がる事を指摘した。つまり相場の実情分析から、ますます上目線となったと言えよう。会合の中で皆の意見が集約されてきたようだ。つまり今後『貴族ファンド』は、貴族を介した小麦無限回転を使って、小麦の買い上がりを更に推し進めてくると。


「相手側の攻勢は、『貴族ファンド』のカネを使い切るところまで続くと」


「三〇〇〇億ラントを小麦につぎ込むなんて、狂気の沙汰だがな」


 エッペル親爺の分析を聞いたジェドラ父は吐き捨てるように言う。全くその通りだ。その通りなのだが、相手がやってきている以上、何らかの手を打たなければならぬ。しかしザルツの方を見ても反応がない。何やら思案をしているようにも見えるが、前向き、あるいは能動的ではないのは明らか。一体何が足かせになっているのだろうか?


 現在、ザルツが半ば黒屋根の屋敷に住んでいるような状態になっている。ディルスデニア、ラスカルト両王国とノルデン王国との三者協議以降、王都に常駐しているような形なのだが、その間に俺が知らない動きが数多く起こっている。それ故にザルツの意図が読めなくなっているのだ。だからここは一つ、俺の方から仕掛けてみる事にした。


「以前、検討する事になっていた、平民の小麦購入支援を行う低利貸付の話。あれはどうなったのだ?」


「現在保留中だ」


「案の骨子は出来ているが、ストップがかかっている」


 ザルツとシアーズは渋い顔をして答えた。これは何かあるな。どういう事由で止まっているのだろうか、そう思っていたところに、ピエスリキッドが事情を説明してくれた。


「仮に「小麦緊急支援貸付」と申しますが、この貸付自体は貸し付ける資金さえあれば、遂行することは可能です。しかしながら、これを実行した場合、小麦相場が更に加熱するのではと考えまして、現在留保している状況」


「それは如何なる理由で?」


「仮に平民が小麦購入用に低利のカネを受け取ったとするならば、流通するその低利のカネを目当てに更に小麦を買い上がって、小麦購入の資金を全て吸い上げるのではないかと愚考した次第。


「それは愚考ではないな」


 十分に有り得るというか、恐らくそうなる。しかしながら融資を実行する事で、現政権、即ち宰相閣下が支持されるのは確実。実際のカネ動きよりも、心理的な要素、つまりは平民からの支持を得るという意味合いの方が強くなる。こちらの方が金銭的な効果よりも重きが置かれることになるのではないか。要は一種のバラマキみたいなもの。


「ピエスリキッド殿は妙手と考えるのか、悪手と考えるのか、その辺りどう思われるのか?」


「妙手にもなれば、悪手にもなりまする。使う間合いが求められる策ではと」


 上手く言ったものだ。ファーナスからの質問に、禅問答のように答えるピエスリキッド。要はこういう事なのだろう。


「つまりは奥の手ということだな」


 そう指摘すると、ピエスリキッドは苦笑した。俺の言った通りなのだろう。黙ってしまったピエスリキッドに変わって、今度はザルツが出てきた。


「今はその時ではない。そう考えればいいだろう」


「その時になって、準備がなければ「その時ではない」事にならないか?」


 敢えて挑発してみる。隠し事が多すぎるザルツから真意を聞くには、それぐらいしないと反応が見えてこない。眉をピクリと動かしたザルツだったが、表情を消して問うてくる。


「確かにその通りだな。だが、何を用意する?」


「商人で用意できるものと言ったら一つしかないだろう」


 ザルツから問いかけてきたので、そう返してやった。エレノ世界で商人が用意するものと言ったら、究極カネ一択。さぁ、どう答える? と思っていたら、黙ってしまったザルツとの間にシアーズが割って入ってきた。


「じゃあ、先に用意すればいいって事だろ、グレン」


「どう用意すればいい?」


「簡単だ。カネを積むだけの話。いくら積むか、それだけだ」


「『金融ギルド』の出資金の話ですな」


 俺とシアーズとのやり取りを聞いて若旦那ファーナスが反応する。そう。以前、何度か話のあった『金融ギルド』の出資金増額の件。一度目はまだ早いと流れ、二度目は検討と言って止まった。三度目は時期尚早か? ジェドラ父が皆に問う。


「小麦価の暴落が起こった事と『貴族ファンド』のカネの流し方が分かったのだ。相手に資金力を見せる格好の機会だと思うがどうか?」


「確かにその通りでしょうが、如何程のカネをお積みになるつもりで?」


「少なくとも『貴族ファンド』よりは上の額でなければ・・・・・」


 ワロスの疑問に、ファーナスが最低ラインを提示する。『貴族ファンド』の出資額は三〇〇〇億ラント、対して『金融ギルド』の出資額は二六〇〇億ラント。『金融ギルド』の出資額が『貴族ファンド』の額を乗り越える為には、最低四〇〇億ラント以上のカネが必要ということになるが、生半可な数字ではすぐに相手が出資額を増やしてくる。


「となると、やはり四〇〇〇億ラントの辺りですか?」


「一〇〇〇億の差が付くというのはデカいな」


「その辺りが妥当な額なのでは? 運用の問題もありますから」


 ウィルゴット、ファーナスそしてピエスリキッドは、共に四〇〇〇億ラントだという見立てを示した。対してザルツ、ジェドラ父、シアーズは沈黙している。それをワロス、エッペル親爺、ハンナが興味深そうに見ている構図。リサは部外者然として知らぬふり。今日のリサはハンナを連れてくるのが仕事だったらしい。どうやら俺の出番が来たようだ。

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