408 ヒロインの就職
アイリがパフェ屋への就職を考えている。その話を聞いて、俺がアイリの未来について全く考えていない事を思い知らされた。よくよく考えれば、攻略対象者と結ばれることがない事がほぼ確定しつつあるアイリに、学園卒業後は結婚生活という道なんてなかった。そんな事に気付きもしない俺は本当に愚かである。
しかしそれはアイリの正体が明らかにならない事にもなり、アイリが貴族になるスチュアート公爵令嬢というルートも閉ざされてしまった形になる。結果、平民暮らしという選択しかないので、就職一択となるのは当然の話といえば、当然の話とも言えよう。しかし、まさかこんな展開がアイリに待っていようとは思いもしなかった。
ゲームが実質クリアできなかった状態での「ノーマルエンド」では、攻略対象者とヒロインが別々の道を歩む事になっている。しかしそれは学園内の光景で終わっており、学園卒業後の描写なんてなかった。レティはリッチェル子爵夫人だから暮らすのには問題がないだろうが、平民の扱いのままとなるアイリの方はそうはいかない。
アイリはローラン夫妻が養父母だということを知っているので、性格的なものを考えても自立生活を目指すのは間違いない。そこで得意の氷属性魔法を使って、パフェ屋で働こうという発想か。パフェが好きだし、好きな魔法が使える仕事みたいだからパフェ屋にしようという、安易過ぎる思いつきがアイリらしくていい。
「私にやれる仕事かどうかは分かりませんが・・・・・」
「十分過ぎて、お釣りの方が多いぐらいだよ、それ」
「えっ!」
今度はアイリの方が驚く番だった。おそらく自分の能力を高く見積もっていないので、驚いているのだろう。しかしヒロインを冷凍庫代わりに使うなんて、なんてオーバースペックなんだ。
「私には向いていないのですか?」
「そうじゃない。向き過ぎていて相手が困るレベルなんだよ」
「そ、それは・・・・・」
アイリが戸惑っている。自分の能力に対する自覚が乏しいアイリにどう伝えれば分かるのか?
「アイリのレベルが、パフェ屋で働いて人に教えるレベルなんだよ」
「えっ?」
「つまり先生レベルって事だな」
アイリは驚いている。にわかには信じがたいといった感じ。でも、本当の事なんだから、しょうがない。
「だからアイリは魔法を教える先生か、魔塔で働く魔術師。あるいは魔道士として一人で仕事を請け負うのかってレベルなんだよ」
「私って、そんなレベルなのですか?」
「一度、教官に聞いてみたらいいよ」
俺は真顔で言った。おそらく教官も俺と同じことを言うと思う。何しろアイリのレベルは、クリスの次。学年二位の実力者なのだから。一応学年三位に触れると正嫡殿下、四位は天才魔道士ブラッド、五位には正嫡従者フリックと名のある者が続いている。そして、最下位が俺であることは言うまでもない。全くやらないのだから当然だ。
「そうなんですね・・・・・」
何か残念そうに言うアイリ。そんなにパフェ屋で働きたかったのか、アイリ。アイリがそう言って窓の外に視点を移した。
「・・・・・あれはなんですか?」
アイリの言葉に窓を覗き込むと、数人の人が道に大きな
「『トラニアス祭』を知らせる幟だ」
「祭りなんですか?」
「ああ。トラニアスの守り神、水神さまを称える祭りだ。月末に行われるらしい」
「じゃあ、私が実家に帰っている間ですね」
俺は頷いた。ちょうど学園の春休みの真ん中で『トラニアス祭』が行われる。だからアイリも祭りの期間、王都トラニアスにはいない。
「リディアもフレディを誘ったんだが、フレディも実家に帰るんで、祭りを見ることができないんだよ」
「帰る人は皆、見ることができませんよね」
少し残念そうに答えるアイリ。俺は前フリが出来たので本題に入った。
「だから一人になったリディアが可哀想でな。俺も一緒に祭りを見ることになったんだ」
「まぁ?」
アイリがニッコリと微笑む。意外な反応に少し驚いた。怒られるかと思ったが違うのか?
「グレンは優しいね」
「いいのか?」
「ええ。私もいませんし。グレンが正直に言ってくれた事が嬉しいのです」
そうなのか。アイリの判断基準が、俺のそれとは違うことを改めて実感した。アイリは前もって事情を話す事に、誠実さを感じているようである。誠実さが嬉しいと。
「ガーベルさんは祭りが好きなのですね」
「ああ、そうみたいだ」
小さい頃は家族で見に行っていたそうだが、大きくなって一緒に見に行く人がいなくなったと話していた。そうだよなぁ。祭りなんて、小学校に上がったら、親じゃなくて友達と一緒に行くものだからな。義務教育がないエレノ世界では、学校で友達を作るなんて、学園か学院に進学できる年齢になるまで不可能。しかも通える身分や家の力が要る。
「ソラシド村は夏に祭りがあるんですよ、教会で」
妹のソフィアと一緒に参加するのが常で、去年の帰省でも祭りに参加していたらしい。楽しそうに話すアイリを見ると、祭りがエレノ世界では貴重な娯楽なのだと実感する。確かにデートスポット自体少ないもんな。特盛のフルーツパフェを見事に平らげたアイリがポツンと言った。
「ここにまたクリスティーナを連れてきてあげたいですね」
この『パルフェ』でクリスにパフェを食べる為、レティやクリスの従者トーマスとシャロンと一緒に来たんだよなぁ。あの時は、何故かアイリがクリスにパフェを食べさせると張り切って、クリスをお忍びで連れ出すという無茶をやったんだっけ。
「最近、元気がないので・・・・・」
女子寮の中にある談話室でクリスと話したのだが、意気消沈していたらしい。側にいたシャロンが心配して色々言っていたらしいのだが、反応がイマイチだったようだ。今日『常在戦場』の会合に出席して、暴動への対策が次々と採られているのが確認できたので、この話をクリスに伝えて安心させてあげたいと言っている。
「『常在戦場』だけではなく、他でも対応策を練っているよ。明日には三商会と『金融ギルド』との会合がある。こちらの方でも対策について話し合う事になっている」
「わぁ、そんなに。さすがはグレンね」
アイリは素直に喜んだ。人の為に喜べるのがアイリの徳目だ。実は先日、学園にある第四警護隊の控室で、隊長で特別講師のファリオさんとドーベルウィン伯、スピアリット子爵、そして武器商人のディフェルナルが話し合っていた席に、たまたま立ち入ったのである。今回のラトアン暴動で得た知見を元に、『オリハルコンの大盾』の改良について協議をしていた。
現場に立ったドーベルウィン伯の話を元に、ディフェルナル、ファリオ、スピアリット子爵の三人が、大盾の形について話し合っていたのである。その席でディフェルナルは『オリハルコンの大盾』を既に千三百帖程を納入しているのだが、どうすれば良いのかと悩んでいたので、費用は払うから、順次盾を作り変えてくれと頼んだのである。
協議の結果、現在製作中の二百帖はそのまま納入し、以降五百帖を新型の大盾に設計を変更して納入。その後、順次大盾を作り変えていくという話となった。四人とも費用がかかる話とあって、それぞれ俺にどう話をしようかと思案をしていたようである。その俺が自分から来てくれて、その場で了解してくれたから良かったと喜んでいた。
「そんなことまで!」
アイリは始めて聞いたと驚いている。そういえばアイリにはドーベルウィン伯やスピアリット子爵についての話をしていなかったな。ドーベルウィン伯に関しては、ラトアンの暴動で指揮を執った事を知っているので、アイリの方はその事も驚いた理由だったようだ。俺はアイリに先程の話で気になったことを聞いてみる。
「クリスと談話室で話しているのか」
「ええ、たまにですけど」
時間が合った時に話しているのだという。意外な話に少し驚いた。アイリとクリスが女子寮の談話室で話をしている。男子禁制の女子寮の中で話すヒロインと悪役令嬢という図式が新鮮だ。俺が知らないところで、二人が話していたなんて。クリスにとって、アイリは話ができる貴重な友人になっていたようだ。
「じゃあ、次に来られるのは新学年になってからだな」
「ええ」
春休みが過ぎれば新入生が入ってくる。俺達は二年生だ。この一年、上級生との交流は殆どなかったので下級生と関わることもないだろうが、一つの区切りにはなるだろう。しかしクリスを『パルフェ』に連れてくるというミッションは、暴動のリスクも踏まえると連れ出すハードルが高くなっているのだが、またその時に皆で新しい方法を皆で考えればいい。
――三商会を中心とする商人会合に出席するため、俺は会合が開かれる高級ホテル『グラバーラス・ノルデン』へ久々に赴いた。というのも最近ザルツがここに宿泊せず、黒屋根の屋敷を定宿化していることから、寄り付く機会が一気に減ったのである。そこで俺の脳裏には一つの案が閃いた。「そうだ! 温泉に入ろう!」と。
いい事を思いついたら即行動。朝に閃いた俺は、馬車を手配して、そのまま『グラバーラス・ノルデン』へと直行した。リサやザルツが朝早くに外出した事もあって、一人で行動する条件が整っていた事も温泉に入ろうと思った一因。到着したのは会合が開かれる二時間前だったので、ゆっくり風呂に入っても会合には十分間に合う。
『グラバーラス・ノルデン』の温泉はナトリウム炭酸水素塩泉、俗言う重曹泉。泉源温度は七十度と高い為に加水されているのだが、噴出量が多いので完全かけ流しである。休日の昼間という事もあって客は少なく、俺は久々の温泉を満喫した。アイリをここに連れてきてあげるべきだったんだよな。バカだな俺は。妙案が今頃になって浮かんだ。
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