404 ザルツの暮らし
『貴族ファンド』の貴族家への『小麦無限回転』というべき融資によって、小麦の買い上がりが行われているのに対抗する術がないのかと聞かれたので、高くなって購入しにくくなっている平民向けの低利融資を考えていると話した。ところが、その策そのものが小麦価を押し上げるのではないかという意見があり、留め置かれているのが現状であると。
この話を二人にすると、共に「難しいですね」と言って溜息をついた。そのタイミングが同時だったので、これがダブルヒロインのシンクロかと妙に感心してしまったのだが、それはこの話と関係がない。俺は今日の夜、ザルツと会合を持って話し合う予定だと告げると、二人ともいい案があるといいのにね、と言ってきた。
「しかしグレンのお父さん、ずっとおられるわね」
「そうですよね」
ポツンとレティが呟いたのをアイリが同意した。確かに今回の滞在期間は長いな。それは思う。
「半ば屋敷に住んでいるような状態だしな」
ザルツは朝から外に出て、夕方に帰ってくる。外で何をしているのかは分からない。宰相府に顔を出す一方、三商会の会合をよく開き、『金融ギルド』や『投資ギルド』の入る一棟貸しには頻繁に出入りしているようだ。一方、ロタスティでメシを食い、浴場を利用する際には事務服を着て往来しているので、いつの間にか学園に馴染んでいる。
「御実家の方は大丈夫なの?」
「ああ。ロバートがいる。今、サルジニア公国との取引交渉を行っているらしい」
俺はザルツに聞いたままを話す。「御実家」という辺りが、やはりレティも貴族の家の子らしいなと思う部分。アイリがザルツは普段何をしているのかと聞いてきたので、ザルツが話さないから分からないんだよなぁ、と返した。
「それじゃ、グレンと同じじゃないですか」
なぬ! 思わずアイリの顔を見てしまったではないか。アイリの方はニッコリと笑っている。
「本当よね。自分の事は一切喋らないのだから」
「レティシアも思っていたの?」
「もちろんよ!」
そう言いながら笑い合う二人。普段、君たちは俺のことをそんな風に見ていたのか・・・・・ 心当たりがないとは言えないが、少しショックを受けてしまった。まぁ『プロポーズ大作戦』の失敗から時間が経ち、俺達の中の雰囲気も元の状態に戻った事で良しとしなければいけないのだろう。俺は自分にそう言い聞かせることにした。
――黒屋根の屋敷にある俺の執務室の応接セットで、ザルツとリサにディール家の一件。小麦無限回転の話をすると、二人共内容に驚愕したのか、暫し会話が止まってしまった。ワインが入ったグラスをじっと見るザルツは、何かを考えているようだ。一方、リサの方はというと、こちらの方も首を傾げて何かを考えている。
「鶏が先か、卵が先か、よね。この話」
先に口を開いたのはリサだった。なるほど、面白い表現だ。小麦が先か、融資が先かという置き換え。哲学的な命題を商人的にはどう解釈するべきなのか。
「いつか破綻が来るものを永遠に破綻がないものと偽装してきたか」
ザルツの言葉に「ねずみ講」という言葉が浮かんだ。「ねずみ講」とは出資する会員を募り、その会員に出資以上の特典が得られるよう配当を与え、会員が意欲的に出資する会員を募るように仕向け、同じくその会員にも特典を得られるようにして出資する会員を募らせるという手法の事を言う。いわばカネを介したマルチ商法というもの。
集めたカネは上部会員の配当に回るため投資等が行われず、カネはピラミッド式に組まれた出資者の組織を上がっていくのみで、会員が集まらなくなれば最終的には破綻する定め。会員になるべき人の数に限りがある為に、最初から終わりが見えるシステムなのだ。だから現実世界ではカネを介したネットワークビジネスは禁じられている。
一方で、モノを介したネットワークビジネスは禁じられてはいない。親が子にモノを売り、利益の一部を親が受け取るという商売的要素を介するからである。システムとしては破綻はしにくいが、胴元から親、親から子、孫というピラミッドシステムに代わりはなく、下の世代に行くほど利が薄いため、会員獲得が難しくなるのだ。
今回『貴族ファンド』、おそらくはミルケナージ・フェレットが考案したであろう小麦無限回転はこうしたシステムとは異なる。だが、貴族社会という閉鎖された社会の中で投資話という形で貴族を勧誘し、その家を介して小麦を買い上がらせて値を上げる、そして、買った小麦を担保に出させて融資を行い、そのカネで小麦を買わせる。
ミルケナージを胴元に、勧誘する貴族が親。勧誘された貴族が子という形のピラミッドが形成されている事は間違いないし、小麦というモノを介している点においても、ネットワークビジネスと類似している。ただ一つ違うのは、この手の商法の多くはカネが親への一方通行なのに対し、融資という形でカネが回っている点。
カネで小麦を買い上がり、買い上がりによって小麦の価値を上げ、価値の上がった小麦を担保にしてカネを貸し、そのカネを使って小麦を買い上がるシステム。カネとモノが循環しているように見えるのが、小麦無限回転の恐ろしさである。まさにリサが言うように「鶏が先か、卵が先か」状態なのだ。故に永遠に回り続けるかのように見える。
「秋には確実に収穫が上がってくるものを投機の対象として持つと思うか?」
「持つはずがない」
「持たないでしょ」
俺とリサが同時に答えた。大体、平価七〇ラント前後の小麦を二〇〇〇ラント以上で取引しようと思う方がおかしい。現実世界で言うなら十キロ四〇〇〇円のコメが、一〇万円以上で取引されているようなもの。イカレている状況なのは考えるまでもないだろう。
「ということはだ。ケツは決まっている訳だ。その中でどう儲けて、どう逃げるつもりなのか、興味が湧かないか?」
「よねぇ。お父さんならどう逃げるの?」
「そもそもしない。逃げる事が前提の勝負なら最初からすべきじゃないからな。人間、いつまでも勝ち逃げできる筈がない」
尋ねてきたリサに対して、ザルツは断言した。ザルツの言うことはもっともだ。先が見えているような勝負なら、最初からしない方がマシ。ところがミルケナージ・フェレットは、それをやってきている。そこまでしなければならないぐらいフェレットが切羽詰まっている状態では無いと思うのだが、どうしてなのかという疑問を二人にぶつけた。
「人に先んじて儲けたいからでしょ。グレーゾーンが好きな人間がいるじゃない。そこを狙っている自分って感じで、仕事をやった気になっている人」
「あれか。詐欺紛いな手口をビジネスだとか言っている連中か?」
「そうそう!」
リサが大ウケしている。現実世界でもいるんだよなぁ、そういうヤツが。そんなもの商売でも何でも無いだろという。最近、小麦をより高値で売り飛ばせるのかが腕の見せ所だと息巻いている商人がいるらしいが、あれと同じだ。そんなもの腕でもなんでもない、って話。対するザルツは真剣な顔で言う。
「商いとは別の思惑がある、とかじゃないのか?」
「別? お父さん、それって・・・・・」
ザルツはリサの方を見ながら、グラスのワインを飲み干した。
「政治案件」
「政治案件?」
思わず口に出た。政治案件とは一体何か? 賄賂とかそういった話か?
「商売だけでは解決出来ない問題でもあるんじゃないのか。ウチらでいう「踏み倒し防止」とか」
俺とリサは顔を見合わせた。そんなものがフェレットにあるのか? 確かに以前横行していた「踏み倒し」対策として、こちらから働きかけて「踏み倒し防止政令」を宰相府が布告した事で封じ込めた事はあった。あれが政治案件なのか? リサの表情を見るに、ザルツの言葉の意味をどう捉えるべきなのか、俺と同じく困惑しているのが分かる。
「まぁ、確信のある話ではないのだが・・・・・ ただ商売人が商売以上の動きをする時には、その商売以外の思惑がある。往々にしてな」
ザルツは自らグラスにワインを注ぐと、グビッと飲んだ。見るに、どうもザルツはグラスに少量のワインを入れ、それを一気に飲み干すのが性に合うらしい。それはウォッカとか日本酒の飲み方のような気もするのだが、それは個人の自由というもの。俺がどうこう言う立場でもない。
「この件で一度会合を持つべきだな。知って手が打てるようなものではないが、知っておかねばならぬこと。当面は小麦価が上がるということだからな。この考え方を共有しておくことが大切だ」
ザルツは三商会と『金融ギルド』のシアーズ、『投資ギルド』のワロス、そして『金融ギルド』参与のピエスリキッドを交えて、近々話そうと言ってきた。どうしてピエスリキッドも? と聞くと、「彼の経験がモノを言う局面が来るやも知れぬ」と賛辞を送っている。褒めることの少ないザルツにそこまで言わせるとは珍しい。
その上でザルツは、俺達にもピエスリキッドと繋がりを持っておくようにと、わざわざ言い含めてきた。これには俺もリサもビックリである。確かにピエスリキッドはこれまで何度も話をしているが、債権の回収といういわばハイエナ的な仕事をこなしていたからか、人の心理を読むのに長けているやり手だとは感じていた。
また年齢よりも若く見える事から、仕事ができて若作りが好みだという、枯れ専レティのストライクゾーンに位置していると思われる。しかし厳しい評価の目を持つ、ザルツにも気に入られるとは珍しい。ピエスリキッドの動きに関しては、これまで以上に注視しておいた方が良さそうだ。
「商人界を二分するこの戦い。貴族社会をも分断した事で、一つ選択を間違えると命取りになりかねない。だから今まで以上に緊密な連携が必要になってくるぞ」
ザルツはワインを飲みながら、これからは考え方をすり合わせ。すなわち意思の統一が更に重要になってくると話した。フェレット=トゥーリッド枢軸と三商会連合との戦いは、新しいステージに立ったのだと、俺達三人は意識を共有したのである。
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