403 ディール子爵夫人

 夫人に内緒で『貴族ファンド』の枠外融資を使い、大量の小麦を買い込んでいるディール子爵と嫡嗣。ディールの次兄ジャマールは俺の話を聞いて、今まで父や兄が買い込んだ小麦を持ち続ければ、大きな利益を生むのではないかと言った。それは全くその通りである。しかし母親のディール子爵夫人が、それは違うと息子をたしなめた。何故違うのか?


「借金をして買った小麦を担保にし、更に借金をして小麦を買っているのですよ。もう四回も小麦を担保にして借りたのです。貴方は五回、六回はないと断言できますか?」


「・・・・・」


「小麦の価格がどこまで上がるかは分かりません。お話にあった含み益という利益も多く出るのでしょう。ですがあの・・二人が小麦の価格が上がる度に、借金を重ねて小麦を買うに決まっています! 既にそのようにして小麦を買っているのですから」


 その言葉にジャマールは沈黙するしかなかった。相場の事は分からないが、長年連れ添った子爵と自分が産んだ我が子の気質ぐらいは分かるという、子爵夫人の言葉には説得力がある。目の前に見える利益の数字よりも、それに目が眩んで発生する可能性がある高いリスクについて、子供達に向かって冷静に話す様は人生経験がそれをさせているのだろう。


「利益とやらを小麦に注ぎ込んだ上に小麦を質に入れ、借金を重ねて小麦を書い続けた果てに、身動きができなくなることは明らかではありませんか。ディマール、貴方はその時、どのように動くつもり?」


「・・・・・」


「ではファビアン。貴方はどう?」


「・・・・・」


 夫人はふぅ、と大きな溜息をつく。指名されて答えられなかった二人の息子、ディールとジャマールは、共に下を向いてしまった。


「どうにもならない時には、どうにもならなくなる前に対処しなくてはならないのですよ」


 そう諭した夫人は、二人に向かって強い口調で問い質す。


「貴方達は今、この時を「どうにもならない」と考えていますか? 「どうにもならなくなる前」だと考えていますか?」


「「どうにもならなくなる前」です」


「そうです。今はまだ「どうにもならなくなる前」です」


 ジャマールとディールは続けざまに答えた。その返事を聞いた夫人は、息子達の交互に見ている。確かに今は「どうにもならなくなる前」だ。今ならどうとでも動けるだろう。しかしこれから、どのように動くというのだろうか? その部分については全く分からないが、子爵夫人は、何か覚悟を決めたような感じである。


「それでしたら、答えは一つしかありません。二人共しっかりと覚悟を決めなさい」


「はい! 母上」

「はいっ!」


 息子達の気合の入った返事を聞いた夫人は、クラートの方に顔を向ける。


「シャル。貴方もですよ」


「叔母上・・・・・」


 子爵夫人からいきなり振られて、目を丸くするクラート。愛称で呼ばれたクラートは、何を言われたのか、いまいちピンと来ていないようだ。


「我が家で起こっている事と同じことが、クラート家で起こっている事を肝に銘じなさい」


「は、はい」


「リュドミラとはずっと封書でやり取りをしています。我が家と状況は同じです」


「お母様と・・・・・」


 どうやらリュドミラとはクラート子爵夫人、つまりクラートの母親であるようだ。夫人の口ぶりから考えて、ディール子爵夫人とクラート子爵夫人リュドミラは姉妹。それもディール子爵夫人の方が姉で、クラート子爵夫人の方が妹なのだろう。どうやらディールとクラートは女系で繋がっている従兄妹のようである。


「ですから、貴方も覚悟を決めなければなりません」


「叔母様・・・・・」


「分かりましたか!」


「はいっ」


 子爵夫人に圧され、戸惑いながらも返事をしたクラート。学園での強気なクラートとは対照的な、不安げな少女の顔をしている。今日の話を全て飲み込めているのかどうかは分からないが、分からない部分はディールが教えなければならないだろう。気弱そうなクラートに返事をさせた夫人は、顔をこちらの方に向けた。


「アルフォード殿、本日は我が家においでいただきありがとうございました。我が家の置かれた状況を知ることができましたこと、礼を申します」


 そう言うと、夫人は俺に向かって頭を下げた。雰囲気から見て、相当な覚悟を決めているような感じがする。


「ついては今後、改めて相談致したき事があるやも知れませぬ。その際にはこのような形で願えぬかと」


 これは・・・・・ 子爵夫人は何らかの行動を起こすつもりのようだ。幾つかの選択肢、融資の精算や小麦の売却が考えられるが、そのように動く際に俺と話をしたいのだろう。受けることは、やぶさかではない。いや、こちらから首を突っ込んでもいいくらいの話でもある。ディール家を介して『貴族ファンド』を書き回せるやもしれないのだから。


 だがディールの手前、安易に暴れる事はできない。話を聞いていると、クラート家も同じような状況にあるようなので、両家を使って工作を行うみたいなやり方は難しいと考えるべきだろう。だったら逆に割り切った関係、ビジネスライクな対応をとった方が、双方にとって良いのではと感じる。ならばと、夫人にそれを匂わすように話してみた。


「無論、このような縁ゆえの話。お断りする理由はございませぬ。ただ、私も商人・・・・・」


「もちろん報酬の対価はお支払いします。今日の話一つにしろ、貴族社会では聞けぬ話ばかり」


「我が姉のリサは、私よりも貴族家の財務に明るい者。次のお話の際には・・・・・」


「分かりました。是非にもお願いします」


 夫人は俺から出される要求を予見していたようだった。いや、最初から俺の要求を飲むつもりであったのかもしれない。いずれにせよ、ディール子爵夫人と俺との間で、交渉は成立した。後は夫人から再び相談があった際に、こちら側がしっかりと対処すれば良いだけの話。俺と夫人の連絡役をディールと決めて、会合が終わったのである。


 ――話が終わると程なくしてディール家を出た。夫人が晩餐をと皆を誘ったのだが、全員が断ってしまったからである。少し残念そうな夫人の顔を見るのは気の毒だったが、会合での話の濃厚さに、誰もがお腹いっぱいだったのだろう。帰りの車上ではディールも次兄のジャマールも、そしてクラートも魂を抜かれたように静かだった。


 しかしディール子爵夫人。ディールは神経質だと思っているようだが、実際に会ってみるとそうではなかった。事前にディールから話を聞いて想像していた夫人像とは少し異なっていたからである。神経質というよりもむしろ厳しい人であるように感じた。エルダース伯爵夫人のような厳しさ。貴族のプライドを持つという厳しさである。


 だから子供達にもあれこれ煩い。振る舞いや言葉使い一つにも注意が入る。これは夫であるディール子爵や跡継ぎでもある長男に対しても同じなのではないか。むしろ二人が責任ある立場であることを思えば、より厳しいものであったかもしれない。そういう事を勘案すれば、二人が夫人を煙たがっている可能性も十分に考えられるだろう。


 俺は学園に戻ると軽く夕食を食べると、そのまま学園の玄関にある伝信室に飛び込んだ。そこでディール家であった話の一部始終を便箋三枚に纏めて封書に入れ、それを女子寮の受付に渡したのである。宛先はもちろんリッチェル子爵夫人、レティシア・エレノオーレ・リッチェル。一仕事終えた俺は、そのまま寮の部屋に戻って、ベッドに転がり込んだ。


 その甲斐あってか、翌日図書館で会ったレティは昨日とは打って変わって上機嫌で、俺を見るなり礼を言ってきた。封書を朝一番に見たレティは、その勢いで便箋を書き、封書を従祖伯母いとこおおおばであるエルダース伯爵夫人の元に送ったとのこと。同じ動くにしても、事情が分からず動くのと、事情を知って動くのでは全然違うと喜んでいた。


「でも、ディール子爵家のあの話、深刻よ」


「ああ。しかし手の打ちようがない」


 レティと俺が顔を見合わせて溜息をつくと、アイリが何事かと聞いてきた。俺は昨日のディール家での話を大まかに伝えると、いきなり怒り始める。


「小麦が無くなったのは、それ・・が原因だったのですね!」


 アイリの瞳が鋭くなった。普段はのほほん・・・・としている青い目が、怜悧な青い瞳に変わったのである。


「皆が困っているのに、なんてことを・・・・・ グレン! 方法はないのですか?」


「ない・・・・・ モノの売買は自由だ。規制なんかかけたら余計にモノがなくなる」


 仮に小麦の売買に価格制限を付けたなら、持っている人間はまず売らないだろう。三商会ウチを除いて。ところがその三商会ウチの在庫を買った連中が、今度は人に売らない。規制をかけると、今度は売り惜しみによる品不足が発生するのだ。結局、人の思惑と心理で動くものなので、いくら対抗策を講じたところで小手先のものとしかならない。


「じゃあ、貴方達の陣営は手をこまねいているだけなの?」


「いや、策は立ててある。立ててあるが話が動いていない」


「どうして?」


レティが聞いてきたので、現状をそのまま話す。


「様子見をしているようだ。それにリスクもあるからな」


「リスクって、どんな・・・・・」


「ああ。より値が上がるという、な」


 庶民が小麦購入を行うための低利融資。ザルツによると『金融ギルド』のシアーズ、『投資ギルド』のワロスを中心として、『金融ギルド』から貸金業者にカネを流すスキームそのものは、概ね纏まっているとの話だった。ところが、庶民救済の低利融資が逆に小麦価を押し上げるのではないかという危惧が提起され、留め置かれているのである。


 この意見を出したのは『金融ギルド』参与のピエスリキッド。ピエスリキッドは、元「取り立て屋」。いわば人の足元を見て値踏みする稼業だったからか、小麦購入の為の低利融資を行うと、そのカネを狙って更に小麦価の引き上げにかかるのではないかというものであった。それを聞いたザルツは「傾聴に値する」として、策を留保しているのだ。

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