401 小麦無限回転

 ディール子爵夫人が持ち出してきた『貴族ファンド』の書類一式。夫人から差し出された書類は、通常の融資とは異なる枠外融資の契約書だったのだが、肝心の「賃借書」がなかった。これでは枠外の借入総額が判然としない。それを知った子爵夫人が夫と長男に疑念を抱き始めたので、俺は慌ててフォローをした。


「もしかすると賃借書そのものが、こちら側に存在していない可能性もございます」


「そ、そんなことが・・・・・」


 カードのキャッシングと似た方法を採っている可能性がある。契約書で最高貸付額を予め設定しているので、その額までは契約書を省略して貸し付けている可能性だ。それならば、こちらの方に借用書が存在しない事になる。また『貴族ファンド』の専用口座という代物が、銀行における当座のような役割を担っている事も考えられる。


 当座は通常の口座と異なり、通帳がない。取引内容を示した照合表のみであり、仮想のポケットである。だから利息も付かない。まぁ、これは想像の域だが書類を残さない、いや持たせない事で融資を受けている者の感覚を麻痺させようと考えているのではないのか。ならばいちいち借用書を発行しない理由も分かるというもの。


 大枠で賃借契約が成立しているのであれば、個別の賃借は帳票で事足りると見ている可能性。いかにスピーディーに貸し、如何にスピーディーに小麦を買わせるか? それに特化したかのようなシステムである。現実世界のネット決済には及ばないが、このエレノ世界では十分な速さだろう。次兄ジャマールが俺に言ってきた。


「大体の借入状況は分かるか?」


「正確な額までは分かりませんが。ですが類推することは可能です」


「類推・・・・・ それでもいい、教えてくれ」


 ジャマールの言葉に母堂である子爵夫人も頷いた。ディールの方を見ると、やはり知りたいようだ。俺は順を追って話すことを事前に説明した。


「まず無担保融資ですが、一五〇〇万ラントの融資を受けております。こちらは金銭賃借契約書ですので、一五〇〇万ラントの融資を受けた事は間違えのない話。この融資で小麦を一袋四三二ラント、三万四千袋購入しています」


「次に有担保融資の一本目。無担保融資で購入した三万四千袋を担保として最大二六五〇万ラントの融資枠が設定された契約書が結ばれました。この時、小麦価は七八〇ラント」


「そのお金を新たに借り受けたのか?」


「いや、これは購入したおよそ一四六〇万ラントで購入した小麦を担保として、新たに最大二六五〇万ラント融資が受けられるという契約。この内、いくら借りたのか正確な金額は分からない」


「そうか・・・・・」


 ディールが顔をしかめた。やはり話が難しく感じるようだ。まぁ、普段から契約書を読んでいないと、掴みにくく煩わしい話だよな。


「この次の有担保融資、二本目の契約で、新たに購入した三万三千袋の小麦を担保として最大四〇〇〇万ラントの融資枠が設定されています。ここから考えるに一本目の有担保融資で実際に受けた融資は二六四〇万ラントであると推測されます」(1200ラント)


「どうやって分かったのか?」


「一本目の契約書が結ばれた際の小麦相場が七八〇ラントでしたので、およそ八〇〇ラントであると見立てて三万三千袋の小麦額が二六四〇万ラントであると計算しました」


「なるほど。そうやって数字を弾き出していくのか。気がおかしくなりそうだ・・・・・」


 話を聞いて次兄ジャマールは頭を抱えている。貴族と商人、全く属性が違うからな。計算に対する概念から違うし。


「続いて三本目の契約では、無担保融資で購入した三万四千袋に対し、新たに二八〇〇万ラントの融資枠が設定。一本目の有担保融資で購入した三万三千袋に対しても一三〇〇万ラントの融資枠が設定されています。合計で四一〇〇万ラントの融資枠が確保されています。


「最初に購入した小麦は、もう担保に入っているのではありませんか」


「はい、その通りです」


「そうであるにも関わらず、どうして再び担保に入っているのですか?」


 子爵夫人が二重担保だと訝しがっている。全くその通りで最初に買った小麦は、既に一本目の有担保融資の担保。だが、俺が言っているのは契約書に記されている事実をそのまま話した。つまり担保に入っている小麦が、再び担保に入っているのである。俺はそのからくり・・・・について説明した。


「無担保で買った小麦は一本目の有担保融資の担保に入っています。ですがこれは評価額が一袋七八〇ラントのもの。三本目の有担保融資に入っている無担保で買った小麦の評価額は一袋一六〇〇ラント。一六〇〇から七八〇を差し引いた八二〇ラント分が担保として入っているのです」


「なんだって!」


「そんなことができるのか!」


 ディールと次兄ジャマールが同時に身を乗り出してきた。俺の話に子爵夫人とクラートは呆気に取られている。そりゃそうだよな。同じ品物が二度も担保になっていて、七八〇ラントまでの小麦価が一度目の契約、七八〇ラントから一六〇〇ラントまでの小麦価が三度目の契約の担保ですと言われたって、普通に聞いたら呆れるしかないだろう。


「これは含み益を担保とした融資なのです。小麦価が一袋一六〇〇ラントだった場合、三万四千袋の価格は五四四〇万ラント。最初の有担保融資の際には二六五〇万が評価額なので、五四四〇万ラントから二六五〇万ラントを引くと二七九〇万ラントと、三回目の有担保融資の評価額二八〇〇万ラントとほぼ同じ」


「・・・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」


 全員沈黙してしまった。俺の説明に言葉も出ないようだ。理解の範疇を越えてしまっているのかもしれない。だが、最後まで聞いてもらわないと、全容を話したことはならないので、四本目の有担保融資について話を始めた。


「四本目の有担保融資は三万袋の小麦に対し、五八〇〇万ラントの融資枠が設定されています。この二万四千袋の小麦というのは二本目の有担保融資で購入した小麦と推測されますので、一袋一二五〇ラントで購入したものとして計算しますと、二本目の有担保融資は三七五〇万ラントを受けたと推測できます」


 誰も聞いてこないので、一気に結論を話す。


「確実な借り入れは無担保融資の一五〇〇万ラント。類推できるものは一本目の有担保融資の二四六〇万ラントと二本目の三七五〇万ラント。合わせて七七一〇万ラント。それ以外に三本目と四本目の有担保融資枠が九九〇〇万ラント。これを合計すると最大で一億七六一〇万ラントの借り入れがあると考えられます」


 話し終わったが誰も反応しない。何か虚無感というかウンザリしたような感じである。これだけ煩わしい計算をくどくど解説されると、参ってしまうのは当たり前か。しかし借りたカネで買った小麦を担保にして小麦を買う。現実世界でも消費者金融から借りたカネで株を買い、それを担保で株を買い増すという「全力信用三階建て」というのがあるが、あれより酷い。


 この「借りたカネで買った小麦を担保として小麦を買う」というサイクルは論理上、小麦価が上昇する限り何度も続けられるので、謂わば『小麦無限回転』と言っていいだろう。借りたカネで買った五〇〇ラントの小麦を担保とし、カネを借りて一〇〇〇ラントの小麦を買い、その一〇〇〇ラントで買った小麦を担保として、一五〇〇ラントの小麦を買う。


 何を言っているのか訳が分からないのだが、このおかしな取引が現実に行われているという信じ難い話。本来、投資用語の「無限回転」とは、同じ資金を使って秒速で取引を繰り返すという意味なので同じものではないのだが、同じサイクルを続けるという点を考えれば『小麦無限回転』ほどしっくり来る言葉はないだろう。


 しかしミルケナージ・フェレットは恐ろしい仕組みを考えたものだと、ディール家の枠外融資の状況を解説しながら思った。悪知恵というか、脱法的というか、そういったアイディアが無限に生まれてくるのが恐ろしい。そんな事を思いながら紙にペンを走らせて、一人自分の計算が正しいかどうかを確認していると、子爵夫人が尋ねてきた。


あの・・二人がどうして「小麦が下がった」とか「手持ちのお金がないか」なんて言って慌てふためいているのか、少し分かった気がします。とんでもない額を借金しているからなのですね」


 子爵夫人が大きく溜息をついた。先程から「あの・・二人」と言っている事を考えると、これはかなり腹に据えかねているのではないか。


「お聞きしたいのですが、小麦の価格がどうなったら強制決済されるのですか?」


「それは契約ごとに異なりますし、三本目、四本目の契約書でどれほどの融資を受け、どれくらいの小麦を買ったのかが分かりませんから、何とも・・・・・」


「類推で構いません。教えて願えないでしょうか?」


 そう言われたので、俺は三本目の小麦を二万四千袋、四本目の小麦を二万五千袋と想定して計算した。


「ざっと計算して小麦価が一一五〇辺りが目安かと。手数料等を考えますと一二〇〇ラント辺りが」


 ディール家の小麦の購入法は、相場で言えば順張りという最も単純なものなので、平均価格は投資総額と小麦総量が分かれば計算ができる。が、手持ちの書面では正確なそれは分からない。よって一一五〇ラントから一二〇〇ラントという平均価格は、類推による算出である。


「今の小麦価格は・・・・・」


「大体一三〇〇ラントと言ったところでしょうか」


 今の相場が一三〇〇ラントと類推による数字は越えているので、当然ながら損益分岐点も越えてはいる。つまりは黒字。が、四本目の融資と五本目の融資で買った小麦が真っ赤であることには変わりがなく、事実上のナンピン状態。だからディール子爵親子も気を揉んでいるはず。


 ナンピンとは相場が下がった時に買い増して、平均購入単価を下げる方法。ディール家の買い方は買い上がりなので、それには該当しないのだが、結果としてナンピンとなっているという話である。

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