400 特別融資

 ディール子爵と嫡嗣が足繁く通う会合を主宰する貴族、ゴデル=ハルゼイ侯とヴァンデミエール伯。ゴデル=ハルゼイ侯は知っている。学園のOB会『園遊会』の常任幹事で、俺に対してあからさまに嫌悪の表情を見せた人物。アウストラリス派に属しており『貴族ファンド』の発起人に名を連ねていた。


 ヴァンデミエール伯の方は知らない。おそらくアウストラリス派の貴族だろうが、後でハンナに確認してみよう。貴族家は本当に多いから把握するだけでも大変だ。ひとしきりどうでもいい話をした後に本題に入るのが、エレノ世界における貴族話法。今回もその例に洩れず、「もう夕方」みたいなたわいもない話がされた後、子爵夫人が俺を直視した。


「御挨拶が遅くなりましたが、わざわざ我が家にお越しいただきましてありがとうございます」


 いよいよ本題である。俺が頭を下げると、書類一式が入っていると思われる箱を差し出してきた。俺は玉手箱を開けるようにゆっくりと蓋を開け、中の書類を取り出すと順を追って目を通す。


「何だこれは・・・・・」


 書類を見た瞬間、思わず声が出てしまった。書類を持つ手の圧力が強くなったのが分かる。契約書には、俺が想定していたものと全く異なる文言が書かれていた。


(信用取引・・・・・)


 いや、正確には信用取引ではない。そもそもこのエレノ世界には、先物取引自体がないのだから。しかし『貴族ファンド』内に専用口座を作り、そこに融資したカネを振り込むとか、その口座を介して取引を行うとか、従来のエレノ世界には無かった手法が随所に書かれている。一体誰がこんなものを・・・・・ 


(ミルケナージ・フェレット・・・・・)


 佳奈に似た、フェレットの若き女領導が脳裏に浮かんだ。やはりこれを考えたのはミルケナージなのか。ディールが心配そうに聞いてくる。


「おい、グレン。どうしたのだ」


「いや、考えていたものと余りにも違っていたんでな・・・・・ もう少し待ってくれ」


 俺は断りを入れるとミルケナージの顔を脳内から叩き出し、書類の精読に集中する。書かれている内容は、このエレノ世界ではあり得ない契約だった。微妙な数字や期日、利払い方法が書類を読ませにくくしている。これでは理解するのも一苦労だろう。ディールの「読めるが、内容が分からない書類」とはこういう意味だったのか。


 しかし「信用」であるとか、「現物」であるとか、制限事項であるとか、やたら出てくる文面だ。保険やクレカを契約したりする際に書かれている、あの小さい字で書かれた文章。読みにくく分かりにくいアレだ。あれと同じ匂いを感じる。そうであっても書類は書類。書類に一通り目を通した俺は、どのような種類の融資なのかを話した。


「この枠外融資。特別融資ですが、融資は融資でも目的別融資。つまり融資されたカネの使い道が限定されている融資。小麦を買うことに限定された、『小麦融資』と言うべき融資です」


「『小麦融資』ですって!」


 子爵夫人が声を上げた。ディールの次兄ジャマールが聞いてくる。


「『小麦融資』とはどういうことだ?」


「小麦を購入する事を前提とした融資。つまり小麦を買うことしか・・認められない融資です」


「どうしてそんなものを・・・・・」


「最近の小麦不足に対応した枠外融資という形なのだろう。しかもこの融資には二種類ある」


 戸惑うディールに俺は話した。無担保のものと担保があるものと二つの種類があって、五本立ての融資の内一本が無担保、後の四本が有担保であると。


「担保とは、どのようなものを・・・・・」


「現物です。すなわち小麦。小麦を担保としてお金を借りています」


「小麦を買う為に?」


「はい。小麦を担保として小麦を買うための融資を受けています」


 夫人に説明しているのだが、夫人は首を傾げている。いや、ディールもクラートも次兄ジャマールもみんな同じだ。説明している俺だって意味が分からなくなってくる。小麦を買うのに小麦を担保として小麦を買う。話を聞いているだけでは意味不明じゃないか、これ。もちろん、理由が分かっていれば別なのだが。


「担保になっている小麦は使えるのか?」


「動かせない。担保だからな。売ったり使ったりしたら、担保としての能力がなくなる」


「・・・・・」


 ディールは沈黙した。もちろんディールも使えないのは分かっているのだろうが、何か解せないものがあるのだろう。食糧なのに使えないなんて、普通に考えたら意味不明だからな。それもこれも小麦が投機のダシとなっているから起こっているのである。疑問に思っているディールに、小麦が使える方法を話した。


「その小麦を使いたかったら、担保を外せばいい。融資を返済すれば、その小麦は使える」


「つまりお金を返さないと、自由にはならないのだな」


 ジャマールがそう確認してきた。一つ一つ確認し、理解していこうという意思が感じられる。ジャマールは小麦に限定された融資なのだな、と念押しした上で無担保の融資と有担保の融資との具体的な違いについて質してきた。しかし、俺は敢えて無担保融資と有担保融資、共通の条件について話す。


「小麦の購入を条件とした融資であること。利子は月利二.三三%の月払いで現物、つまり小麦の引き渡しで行われる。小麦の管理費用として購入時額の〇.六五%を月単位で支払う。この三点」


「違いは・・・・・」


「違約金規定。無利子融資は違約金規定がないが、有担保融資には規定がある。半年以内の解約に関しては契約残月分の月利を一括して引き渡す事が条件。つまり有担保融資を二ヶ月で解約した場合、融資を全て返済したとしても四ヶ月分、九.三二%分の利子を小麦で支払う形となる」


「そんな縛りがあるのか!」


 とにかく取る形の契約だ。カジノでの逆三点方式で、ああだこうだと手数料を取るやり方と全く同じ。しかもカジノは換金したチップを介してのものだが、『貴族ファンド』の特別融資は小麦を介してのもの。やはり考案したのはミルケナージ・フェレットなのだろうか。しかしそれにしても巧妙な手法である。


「ああ。他にもある。購入した小麦は月に一割しか売れない事になっている。それ以上に売った場合、売却額の十五%を違約金として別途支払う規定になっているな」


「自分のお金で買っているのに、なんでそんな契約になっているのだ?」


「小麦を売られたら困るのだろうな」


「・・・・・」


 俺の推測にディールは黙ってしまった。『貴族ファンド』は融資した貴族に小麦を買わせる一方、容易には売らせない措置を取っている。小麦を担保として融資を受けたカネを使い購入した小麦を違約金なしで売却するには十ヶ月かかる計算。要は『貴族ファンド』としては、買った小麦を売って欲しくはないということ。


「まだある。月末段階で購入した小麦の価値が融資額を下回った場合、不足分を支払わなければ強制決済される事になっている」


 正確には融資で買った小麦の価値が、融資額の九割を下回った場合と書かれているのだが、その部分は説明から省いた。要はそうした数字が目眩ましととなって、契約全体の理解を阻害しているからである。もちろん『貴族ファンド』側は、理解させない意図があって盛り込んでいるのだろう。仮にそれを追及したとして、美辞麗句で誤魔化すだろうが。


「それはなんだ!」


「この融資を使って一二〇〇ラントの小麦を買った場合、二四〇〇ラントならば一二〇〇ラントの「含み益」という利益があるが、これが九〇〇ラントに暴落した場合、三〇〇ラントの「含み損」という損失が出る。その三〇〇ラントを補填しなければ、小麦が九〇〇ラントで強制決済されるという契約になっている」


 聞かれた事に対して答えた俺の説明を聞いて「少し理解はできたけれど、本当に分かりにくいな」とぼやくディール。しかし書類にはそう書かれているのだから、どうしようもない。次兄ジャマールが、強制決済されると何が起こるのかと尋ねてきた。


「三〇〇ラントの「含み損」が実際の損に変わる。小麦が再び一二〇〇ラントを越えようとも、売ってしまえば三〇〇ラントの損が確定する」


「すると売らなければ、損は確定しないのか」


「ええ。九〇〇ラントで小麦を売らなければ、手元に小麦がある状態になる訳で、小麦を売る機会を持ち続ける事になるのです。仮に小麦価が上がって、再び一二〇〇ラント以上になれば「含み損」がなくなる。つまり損が消えるということに」


「下がった場合はどうなるの?」


 今まで黙って聞いていたクラートが口を開いた。


「持っていれば含み損が更に増える。仮に小麦価が六〇〇ラントに下がった場合、含み損が六〇〇ラント。九〇〇ラントで決済、売っていたならば損は三〇〇ラントのままだが、倍の六〇〇ラントに損が膨らんだ形になる。だから月末段階で六〇〇ラントの含み損があった場合、九〇〇ラントの時の倍、六〇〇ラントを補填しなければならない」


「そのお金は・・・・・」


「いわゆる追証というヤツだ。お金を積まなければ強制決済。損が確定する。損を確定させない、させずに益が出るまで辛抱するならば六〇〇ラントを口座に入れるしかない」


「・・・・・」


 俺の説明に皆が黙ってしまった。小麦を担保に借りたお金で小麦を買ったのに、小麦価が下がったので含み損が発生し、その小麦の損を確定させない為に手持ちのカネを口座に入れる。この矛盾に満ちた話を聞いて、すぐに受け入れろと言われても出来る者は少ないだろう。しかし書類を読むとそうなっているのだから、ここは理解するしかない。


「実際のところ我が家の借り入れ状況は?」


 子爵夫人が本題に踏み込んできた。おそらく、この話を聞くタイミングを待っていたのだろう。だが、その前に言っておかねばならない事がある。


「こちらの書類の中にあるものの多くが契約書であって、賃借書は一枚しかありません。ですので、現段階における実際の借入状況については申し上げることはできません」


「まぁ!」


 これまで落ち着いてやり取りしていた夫人が声を荒らげた。


「なんてこと! その賃借書、あの・・二人は何処にやったのでしょう!」


 これまで我慢していたのだろう。夫人の言葉の「あの・・二人」という部分に大きな力がかかっているのが分かる。これは人間不信から来る力だ。ディール子爵と嫡嗣の二人と、子爵夫人との間の溝は、当初俺が考えていたよりも深かった。

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