第三十一章 小麦の術策

399 ラトアンの紛擾

 フレディとリディアの二人から聞いた、『週刊トラニアス』の号外を学園掲示板で見たのは昼休みの話。いつものようにロタスティでアーサーと食べてからだったのだが、曰く「令嬢も大胆な事をされたものだ」と感嘆していた。アーサーが驚いていたのは「視察」という部分で、長幼之序から考えれば、まずあり得ない事らしい。


 要は家督を継いでいない者、まして嫡嗣ですらない公爵令嬢が、当主を差し置いて単独で視察など行うなど考えられないというのである。逆に言えば、クリスはそれをやった。だからトーマスもシャロンも止めようとしたのか。従者達が慌てた意味がようやく理解できた。従来の概念をひっくり返そうという謀反気がクリスにはある。


 話は変わるが『週刊トラニアス』の威力は絶大だ。これまで話題にならなかった事でも、話題にできる力があるだから。暴動が起こったラトアン広場に、クリスが視察に訪れた一件を詳しく伝えている。もちろんタイトルは「ノルト=クラウディス公爵令嬢。ラトアン広場を視察!」、紙面はラトアン広場で起こった件一色。号外なのだから当然だが。


「公爵令嬢。ラトアン広場の紛擾ふんじょうに心を痛める」

「被害を受けた店舗の窮状を知り、店主に見舞金をお渡しになる」

「店主、公爵令嬢の厚情に感涙! 店の早期再開へ復興を誓う」


 週刊トラニアスは「暴動」とは書かなかった。「紛擾」すなわち騒動と書いたのである。さすがに暴動とは書けなかったのか。今のエレノ世界ではこれが限界の表現なのだろう。しかし号外という形であるとはいえ、暴動の件が伝えられたインパクトは大きい。というのも現状、先週の休日にラトアン広場で起こった一件は全く知られていないからである。


 つまり現状、暴動どころか騒動すら「なかった事」になっているのだ。それをクリスが視察して被害店主に見舞金まで出した事が伝えられれば、さすがに「何かが」起こった事を当局、すなわち宰相府は認めざる得ないだろう。しかし、どうしてクリスが記事化を急がせたのかという点について、その意図が全く分からない。


 何故なら、これが広く知られて最も困るのは宰相閣下ノルト=クラウディス公、他ならぬクリスの父だからだ。宰相閣下の意図は分からないが、これまでラトアン広場で起こった暴動を事実上、無視している現状がある。そこにいきなり娘が訪れて「暴動が起こっている!」と騒いでいる訳で、事と次第によっては宰相府が指弾されかねない。


 これでは父が鎮火しているのに、娘が火を付けているようなもの。つまりクリスはそうした状況を自ら作り出している訳で、それには明確な理由があるはずである。無駄な事をクリスはしない。しかし、わざわざ父と対立する状況を作っている理由は何か? 事と次第によっては、父娘対決という形でクローズアップされかねない。


 にも拘わらず、敢えてそれを作り出して露出させる、クリスの意図が全く見えてこない。クリスは一体、これから何をしようというのであろうか? あるいはどのような状況を作り出そうと考えているのか見当もつかない。まぁ、俺に読まれるような策は立て来ないのは分かっているので、考えても仕方がないのだが、気になるところではある。


 ――ディール子爵家の三男クリストフ・ベルトス・ディールと共に、馬車でディール子爵邸に向かっていた。車上にはディールの次兄ジャマール・アクセル・ディールと、二人の従妹でクラート子爵家の息女シャルロット・ルイーズ・クラートも同乗している。ディールの次兄ジャマールは、俺がディール家の書類を見る事になったのを素直に喜んだ。


「俺も『緊急支援貸付』で救われたからな」


 ジャマールもディール同様、決闘賭博でドーベルウィンに賭けた為、全財産をスッてしまったらしい。親にもカネをせびられない状況の中、半年間無利子の『緊急支援貸付』で一息吐くことができたというのである。


「よく考えたら半年間無利子なんてあり得ない条件だよ。だから家の書類を見た時、こんな書類を読めるのは『緊急支援貸付』なんてものを考えたお前しかいないと思ったのだ」


 カネの事ならグレン・アルフォードに聞くのが一番確実だ。ディマールが家でもそう力説していたとディールが教えてくれたが、そんな事を力説されても困るのだが・・・・・


「あの凄さは、体験した人間でなければ分からない。そうだろ?」


「ああ。兄貴の言う通りだ。それは認めるよ」


 ディールも次兄ジャマールの意見に同意した。上機嫌な二人に対して、従妹であるクラートの方は元気がない。いつも勝ち気なクラートが落ち込んでいるのを見て、なにか不憫に思った。そんなクラートが馬車に乗っているのは、彼女から見れば叔母に当たるディール子爵夫人から呼ばれたらしい。元気がないクラートには悪いが、家の事情を聞く。


 クラートの話によれば、父であるクラート子爵が夫人に黙って『貴族ファンド』の融資を受けたらしい。その事実が発覚したのは、その融資に関して穴埋めを行わなければならないという話をいきなり夫人に持ちかけた事から。どうして穴埋めの話になったのかは分からないが、それが元で夫婦間の諍いに発展したとの事。しかし「穴埋め」ってなんだ?


「分からないの、それが・・・・・」


 肩を落として答えるクラート。しかしカネを借りて使ったのに、「穴埋め」が必要とか全く意味が分からない。クラート子爵は一体、何にカネを使ったのか。聞けば聞くほど意味不明な話。さすがはエレノと言いたいところだが、旦那が嫁に内緒で注ぎ込むカネというもの、昔っから往々にして決まっている。酒か女か博打かの三つだと。


 若い頃、会社の上司に言われた言葉だ。「だからカネで嫁に隠し事をするな」と。それが夫婦が円満であり続ける秘訣だと、新婚の俺にアドバイスをしてくれた。上司のその言葉が正しいと、今の俺はハッキリと言える。周囲を見るに、それが原因で多くの夫婦が離婚している現実を考えれば、上司の正しさを実感するしかない。


 それを考えれば嫁にカネの事が説明できない、クラート子爵もディール子爵も旦那としては失格だ。隠さなきゃならないカネというものは、入る方も出る方もやましい・・・・カネ。キチンとした収入であったり、支出であったりするならば、そもそも隠す必要がないだろう。だから夫婦間において、カネに関しては絶対に隠し事をしてはいけない。


 俺がディール子爵邸に到着すると、皆と共に応接室に通された。俺はディールとクラートの学友という形で来訪しているので、全員が学園服。母である夫人が子供の学友から、我が子達の学園での様子を聞くという体裁だということになっている。これは屋敷で働く者に今日の話を知らせぬよう、偽装しているのだとすぐに分かった。


 話を聞いた時、リッチェル城での一件を想起したのでディールというか、子爵夫人の意図がすぐに読めた。夫人が子爵と嫡嗣が絡んでいる『貴族ファンド』の融資話について、あれこれ詮索しているを家中の者に知られたくないのだ。つまり子爵や長男に、自分の動きを知られぬように偽装しているのである。


 ディールから聞いた子爵夫人のイメージは「神経質」だった。小言が多いというのである。あれはいけない、これはダメですと、うるさいのだと。しかしそれは、思春期を迎えた子供なら持つ親へのイメージ。額面通りに受け取る訳にはいかない。ただ、この一件もあってナーバスにはなっているとは言えるだろう。


 席は正方形の机に夫人と俺が向かい合わせに座る配置。夫人から右側にディールの次兄ジャマールとディール、左側にはクラートが座った。クラートが相変わらず元気がない。夫人に挨拶をするも、どこか上の空。クラートだけではなく、ジャマールもディールもそうで。夫人から学園の話を振られても「ええ」「まぁ」と他人行儀である。


 いいところの家というのは、親子であろうと本当に他人行儀なのだと、こういう光景を見る度に思う。クリスの家、ノルト=クラウディス公爵家も最初、こんな感じだったからな。まぁ俺の家なんかは、子供らとこんな感じで取り繕う事すらできていないのだが。この微妙な振る舞いは、侍女が紅茶を出して退出するまで続いた。


 一方俺に対しては、ケルメス大聖堂で行われた、リッチェル子爵家の襲爵式の話を尋ねてきた。貴族家の情報だけではなく、隔週誌『小箱の放置ホイポイカプセル』で掲載されたレティのインタビュー内容の話までが、夫人の口から出てきた事は中々の驚きである。若きリッチェル姉弟の話は貴族界で話題になっているらしい。


 特にレティ、リッチェル子爵夫人が病身の両親の代わりに、采配権を握って家を切り盛りをしているという話が、貴族界の話題をさらっているそうである。しかし、いつの間にそんな美談にすり替えられたのかと内心驚いたが、俺は全く表情には出さなかった。夫人は「若いのに家の采配権を振るって立派」だと、レティの事を称賛している。


 侍女が部屋を出た後、夫人が次兄ジャマールに目配せをした。それを察したジャマールはサッと立ち上がると侍女が出たドアに向かい、そろっとドアを開け外を見た後、閉めて再び戻ってくる。そのとき、カチャッと鍵を閉める音がした。家の者に話を聞かれないかを確認しているのだ。ディール家を取り巻く環境は、リッチェル家同様厳しいようだ。


「母上。父上は?」


「今日はヴァンデミエール伯爵邸の会合に」


 夫人はジャマールの問いかけに答えた。ディールの方が兄上はと尋ねたので、一緒に参加していると話している。


「休日もゴデル=ハルゼイ侯の屋敷に向かわれたばかりでは!」


「そうよね。今日もあの時と同じように慌てて向かわれましたわ」


 我が子ジャマールに対して、他人行儀に答える夫人。詮無きことだと言わんばかりの口調からは、何か冷めた怒りを感じてしまう。ディール子爵夫人と次兄ジャマールとの会話から分かった事は、夫である子爵と嫡嗣である長兄の二人と、妻である子爵夫人との間には隙間風が吹いているという事だった。

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