394 コルレッツからの手紙

 学院でジャック・コルレッツから受け取ったジャンヌ・コルレッツからの封書。そこには日本語でこれまでの経緯や謝罪、感謝とお礼の言葉がビッシリと書かれていた。コルレッツが書く日本語を久しぶりに見たからなのか、不覚にも涙してしまったのである。便箋を読み進めると、コルレッツの近況についても記されていた。


 コルレッツの借金の状況についてはワロスの娘、マーチ・ワロスから説明を受けたらしい。利子が事前精算されているので、利払いを考えずに支払うように言われた時には、奨学金とまるで違うのでビックリしたと書かれていた。やはりコルレッツは大学生か専門学生、年頃は二十歳前後なのだろう。借金は飲み屋での稼ぎで返済しているとの事。


 今、飲み屋は非常に忙しく、思った以上に稼げそうなので、借金の方も早々に返済できるよう頑張っているらしい。返済後にはカネを貯め、学院に入学して勉強をしたいと書かれている。小麦高騰の中で実家に小麦を届けた事への感謝と、俺が両親や兄弟姉妹から託された手紙をもらったのがうれしくてうれしくてたまらないと綴られていた。


 年を取って涙腺が緩くなったのか、凄く泣けてくる。コルレッツのかいた文面を見て泣いているのか、エレノ世界で生きた日本語に触れたからなのかは分からない。しかし、やたら泣けてくる。一体、何故なのだろうか。俺にはさっぱり分からない。俺はペンと便箋を『収納』で取り出すと、泣きながらコルレッツへの返事を書く。文字は全て日本語だ。


 俺がコルレッツからの謝罪を受け取る事や、アイリにコルレッツの今の心境を知らせる事などを記し、今日の『園院対抗戦』の模様を詳しく書いた。具体的にはゲームと違ってヒロインが闘技場に居らず、そのため「心の交流」が発動していないにも関わらず、ジャックが殿下の通常攻撃を受けて倒されてしまった事についてである。


 他にはオルスワードら教官組と俺とアイリ達が決闘した際、オルスワードが黒魔法を使って現実世界のゲートを開けて、闇夜に赤く染まる太陽の塔が現れた事。ケルメス宗派からのオルスワードへの調査依頼を受けた中で、ケルメス宗派の創始者ジョゼッペ・ケルメスが転生者だったことが分かった事も記した。


 久しぶりに書く日本語に、何か胸がいっぱいになってしまった。本当に涙が止まらない。コルレッツも俺への手紙を書いていたとき、そんな心境だったのだろうか。文面からは窺うことはできないが、何か俺に向けて日本語で書くという強い意志は感じられた。しかし悲しいわけでも無いのに、どうして泣けてくるのだろうか。

 

 ――俺は休日、何か燃え尽きた感じとなっていた。『園院対抗戦』の興奮冷めやらぬままコルレッツの兄ジャックから受け取ったコルレッツの封書を読み、その返事をするため、一心不乱に日本語を書いたのだ。そして気が付けば、休日初日の朝になっていたのである。便箋十枚に及ぶコルレッツへの返事を書き終えた俺の心は、妙な達成感に満たされた。


 これまで現実世界に帰るべく、人知れず調べてきた事の一端を事情が分かる人間に伝えることができるという、今までに体験した事がない感覚に高揚していた事は間違いがない。俺はその日、何することもないまま、昼前まで寝ることが出来なかった。休日初日をこれで潰した俺は、これではいけないと、心を静めるべくケルメス大聖堂へ行ったのである。


 理由はもちろんケルメス大聖堂の図書館で魔導書を読むことだったが、この日、現実世界に戻るために参考になるような情報は得られなかった。今日は心を静める為に来たので問題はなかったのだが、代わりにラシーナ枢機卿から意外な話を聞くことができたのである。サルンアフィアの魔導書が存在するらしい。しかしケルメス大聖堂の図書館にはないとのこと。


「で、その魔導書はどこに?」


「今は王宮図書館に収蔵されておる」


 王宮図書館か・・・・・ ラシーナ枢機卿の話に溜息が出た。というのも王宮図書館は、貴族とその一族しか立ち入る事が出来ないからである。ケルメス大聖堂の図書館の閲覧もハードルが高かったが、それ以上にハードルが高い場所。それが王宮図書館。だから俺がサルンアフィアの魔導書を閲覧することは、実質的に不可能と思っていいだろう。


 しかしどうして王宮図書館にサルンアフィアの魔導書が収蔵されたのか? ラシーナ枢機卿にその辺りの事を尋ねてみると、どうやらサルンアフィアの書籍は、女帝マリアの命令によって収められたとの事。考えればサルンアフィアはマリアの家庭教師を務めていた訳で、突如消えた師匠の書籍を集めるのは自然な話なのかもしれない。


 大聖堂から帰るとザルツが話をしたいというので、黒屋根の屋敷で話をした。どうも最近、ロタスティの個室が取れない。貴族子弟に軒並み押さえられているからで、最近は辛うじて取れていた休日の個室までもが埋まってしまっている。それを愚痴っても仕方がないので、夕食を食べた後に執務室で話をすることにした。


 わざわざ話したいと言うから、何の話題だろうかと思えば案の定「小麦」の話。平日四日目で九〇〇ラント近辺まで暴落した小麦価は、翌日に一時一三〇〇ラントまで回復するも売りの圧力が強く、最終的には七三〇ラントで引けた。二四〇〇ラントだった小麦価が、僅か二日で三分の一になってしまったのである。


「リッチェル子爵夫人に乾杯だな」


 白ワインが注がれたグラスを掲げて、上機嫌で話すザルツ。今日の会合は、この小麦相場の話一色だったらしい。何の集まりだったのかと聞くと、三商会の当主と『金融ギルド』のシアーズ、『投資ギルド』のワロスの五者会合で、議題は先日から話が出ていた「緊急支援融資」の協議だったのだが、小麦相場の話に話題が集中したとの事である。


「これまで緊急支援融資の話を引き延ばしていたのは、小麦相場で勝負をする為だったからからな」


 ザルツは本当に機嫌がいい。普段口の堅い男が珍しく饒舌なのだから余程の話。緊急支援融資策の引き延ばしは、シアーズだけでなく宰相閣下も了承しているとの事で、三者協議で得た果実を活用する為に敢えて延ばしていたようだ。つまり、ザルツ、シアーズ、そして宰相閣下は、小麦価を下げる事を最優先に動いていたということ。俺はハッとした。


(そうか。そういう事か!)


 先日起こったラトアン広場での暴動。あの一件に関してクリスは、宰相閣下が小麦価が下がることで解決できるという姿勢を示していた事に不満を抱いていたが、このザルツの手に期待を寄せていたからなのだな。騒擾そうじょうの因は小麦価が原因なのだから、小麦価が収まれば解決する。クリスの不満の種は元からあって、小麦価は名分という考えとは真逆だ。


「いいワインだな、このワイン。銘柄は?」


「『ウップル・シェラ・ジェネーダ』だ」


 機嫌よく聞いてきたザルツに、そう答えた。


「どこのワインなのだ?」


「王都南部ファスマール地方のジェネーダで作られているワインだ。美味いって事で根こそぎ押さえたよ」


 ジェネーダ村のウップル家が醸造している白ワイン。直訳すると「ジェネーダ村のウップル家が出す磨かれたワイン」ってところか。実は年明け、クリスに出したワインがこれで「美味しいわね」というので、急ぎこのワインを全て買ったのだ。一本四万五〇〇〇ラント。日本円にして一三五万円。誰がこんな高いワインを飲むのかという話。


「全く、お前というヤツは。どこでそんな悪いことを覚えたのか」


 笑いながら言うザルツ。いやいや、ごく自然に覚えたよ、この学園でな。俺はこの『ウップル・シェラ・ジェネーダ』を一口飲むと、ザルツに聞いた。


「これで小麦価は収まるのか?」


「収まらんな」


 どうしてなのかと聞くと、簡単な話だとザルツは言う。


「小麦があると皆が思っていないからな。また上がってくる。問題はだ、どういう上がり方をするか。徐々に上がるのか、一気に上がるのか」


 徐々に上がるのは自然だが、一気に上がるというのは、何者かの思惑があるからだろうな。そう言いながら、今日の美味いとワインを飲むザルツ。自分のグラスに『ウップル・シェラ・ジェネーダ』を注いでくれたザルツは、これで尻尾を出せば良いがなと話した。なるほど、その為の撒き餌だったのかと思って、俺もグラスのワインを飲み干した。


 ――週明け。学園は『園院対抗戦』で持ちきりだった。本選出場者が六対九という劣勢をひっくり返しての勝利。しかも大将戦、正嫡殿下アルフレッド王子の活躍での勝利とあって、応援に参加しなかった生徒からは観戦できなかった事を残念がる声が上がっていた。対抗戦を見に来なかったリディアとフレディも、当然ながら悔しがっている。


「グレンは見たのね」


 リディアが羨ましそうに言ってきたので、全部見たよと答えた。そりゃ、朝から夕方まで学園に居たんだから、予選から全てを見ているよ。フレディからは「どうだったんだ?」と試合の模様について聞かれた。


「大将戦の殿下の時は本当に燃えたぞ!」


「いやぁ、見たかったなぁ」


「でも二人で出掛けてたんだろ?」


「そうなんだよ・・・・・」


 何かバツの悪そうな顔をするフレディ。いやいやいや、二人で楽しんでいたのだからいいじゃないか。


「対抗戦を見に行ったほうが良かったの!」


 少し拗ねたようにリディアが言うので、フレディは慌てて首を振った。こりゃマズイなと思った俺は話題を変えるべく、リディアに当日の学院の雰囲気、あの殺伐とした冷たい雰囲気を話した。


「学院の生徒の対抗意識が強すぎて、学園服を着ているような空気じゃなかったよ」


「そんなに厳しかったの?」


「だって俺、平民服に着替えたくらいだもん」


 一緒に観戦したスクロードなんか貴族服だったんだぞ、と話すと二人共顔を見合わせている。


「だから見に来てたら気分が悪くなったかもしれない。来なかった方が良かったかもなぁ」


「そうだったんだ・・・・・」


 俺の話を聞いてリディアも鉾を収めてくれたようだ。まぁ、あんな殺伐とした空気の中で試合を見るなんて、リディアにとっても罰ゲームでしかない。フレディと一緒に見たって、アウェイ過ぎてデートどころの雰囲気ではないだろう。リディア達は行かなくて正解だった。

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