387 小麦相場

 宰相家ノルト=クラウディス公爵家の令嬢であるクリスにとって、ラトアン広場の露店の禁止措置をとったのが、宰相府であったのが意外過ぎたのであろう。目を丸くして、暫し固まっていた。青天の霹靂とはこのような事。まさかそこで宰相府だなんて思ってもみなかったのだろう。しばらく考えていたクリスは聞いてきた。


「分かりました。露天の店主たちからも話を聞きたいです。今、どこに?」


「・・・・・どこにと・・・・・」


 トマールが窮している。おそらくトマールも居所が分からないのではないか。トマールの口が止まっているのを見かねたのか、ナ・パームの横にいたダラスという店主が言ってきた。


「確か、ケンプ村にいたのではと」


「ケンプ村?」


 トラニアスの南にある村なのだという。ケンプ村の者だけではなく、多くの露店商は郊外の村々からやってきているとダラスは話した。エレノ世界の例に洩れず彼らには彼らのネットワーク、同業者ギルドが存在する筈なので、一人を捕まえれば軒並み居場所は分かるはず。現実世界の繋がりよりも濃い、エレノ世界ならではのスタイル。


「ところで、露店を開いていた者達と交流はなかったのか?」


 聞くと、ダラスは「ありませんでしたね」と話す。横にいたナ・パームも「こちらと向こうは別ですから」と言った。ネットワークが違うので、そんなに話すこともないということであった。土地建物を所持して税を払う、あるいは賃借料を払っている商店主らと、広場をタダで使って商売をしている露天商では、自ずと立場が違うのは当然と言えば当然。


 ナ・パームとダラスの話を総合すると、露天商達は広場の清掃管理をする代わりに露店を開いていたようである。カネは払わぬが広場の維持を行うことで、周囲の店主らと折り合いをつけていたようだ。詳しい事情が聞けたのでトマールに露天商と連絡を取るように頼むと、商店主達が見送る中、俺達は広場を後にした。


 ――『週刊トラニアス』の最新号は、三者協議と小麦輸入の大幅増の記事で紙面が埋め尽くされていた。それだけではない。『小箱の放置ホイポイカプセル』『無限トランク』『蝦蟇がま口財布』、そして『翻訳蒟蒻こんにゃく』の主要誌もそれぞれ号外を出し、三者協議と小麦輸入増のニュースを伝えている。


「三者協議成立。小麦の搬入量増で合意!」(週刊トラニアス)

「小麦不足解消へ大きな布石なるか!」(小箱の放置)

「周辺諸国との関係、新時代に。小麦で提携へ」(無限トランク)

「小麦不足、三国の協力を確認」(蝦蟇口財布)

「ノルデン王国の外交史に新たな一歩」(翻訳蒟蒻)


 いずれも先日行われたというクリスの次兄で宰相補佐官であるアルフォンス卿が行った会見の模様を伝えていた。注目して読んだのは『無限トランク』の号外の端に書かれていた「宰相府記者会設立せり」の部分で、記者会見という従来にはなかった宰相府の取り組みに対応する為、各社が協力して取材に当たり、情報を伝えていくと書かれていた。


 この報道を受けてだろう、小麦相場は急変した。朝には二四〇〇ラントを付けていた小麦価が、昼には半値の一二〇〇ラントへ。そこから一五〇〇ラントまで持ち直したが、市場が閉まる夕方にはなんと一〇〇〇ラントを割って、九〇〇ラント近辺にまで下落したのである。この日、小麦相場は壮大にガラッた。つまり大暴落したのである。


 ガラ・・とは、ナイアガラの略。垂直落下式に相場が下がる、暴落のことを指す言葉。ただ、ここまでの相場急変は現実世界でも中々お目にかからない。しかし小麦相場が一〇〇〇ラントを切ったのは、およそ一ヶ月ぶりのこと。宰相閣下やザルツは今まで沈黙して、じっと待っていた。つまりはこれを狙っていたという訳だ。


 日が暮れて、屋敷に戻ってきたザルツから話を聞くと、各社の号外が配布されたタイミングで三商会側の商店が持っている小麦を一斉に売り払ったので、見る見る小麦価が下がったのだという。そして軒並み売り浴びせた後、一時値を上げたが、一五〇〇ラントから九〇〇ラントへと暴落。おそらくは下落相場を見ての狼狽売りが入ったのだろう。


 一時大きく値を下げた後、買いが入って一旦持ち直すも、そこから大きく下落する。暴落相場の手本みたいな値動きだ。恐らく現実世界のチャートと重ね合わせても、同じような線形になっているのではないか。しかしエレノ世界の相場と、現実世界の相場では大きく異なる部分がある。


 例えば現実世界の株式市場では、急激な値動きになるとストップがかかって取引ができなくなるのだが、エレノ世界の現物相場はその点全く自由である。前日比六割以上下がっても相場が止まらないのだから、その点完全な自由市場と言えるだろう。しかし盛大に暴落したものである。いかに投機だけで相場が動いていたのかよく分かる。


 大体、ビート相場だってこんな感じだ。俺が週初めに買い占めて、値がピンピンに跳ね上がっての昇龍拳。週終わりまでに売却すると、壮大なナイアガラ。そして気付いたら、普通に元値で相場が閉まる。俺一人の投機市場。エレノ世界の相場はインチキ相場なのは分かっていたが、実需が大きい筈の小麦までがインチキ相場だったとは思いもしなかった。


「小麦価はしばらくこの価格で推移するだろう」


 ザルツは見通しを示した。直近三週間分の小麦を一気に売り浴びせたのだから、値を上げるには相当な資金が必要だと言うのである。各社の号外記事から小麦の流通量が増えると思わせたところで、一気に小麦を売り浴びせた。これによって値崩れを起こさせて購買マインドを冷まし、小麦価の暴落を誘った。


 以前レティが考えた「一気売り」を採用したとの事で、それだけの小麦量を売り浴びせられては資金が追いつかず、買い上がりをしたくてもなかなか難しい筈。ザルツはワイン片手に、上機嫌でそう話した。まぁ小麦価が下落すれば民衆の不満も収まり、暴動に対する懸案が薄まる訳で、下がるに越したことはない。クリスも一安心するのではないか。


 そのクリスだが、今日は元気に登校していた。クリスが調子を戻したので、二人の従者トーマスとシャロンが胸を撫で下ろしている。クリスは一見、感情の起伏が激しいように見えるが、実は本人的にはすごく自制しているつもりなのだ。もっと言うなら、感情を発露する方法が分からないというか、要するに不器用なのである。


 もちろん長年側で仕えているトーマスやシャロンは、感覚的にそれを理解しているようだが、人生経験だけは俺のほうが上。その辺りのことは二人よりも理解できていると思う。ただ突飛というか、突然発想が降りてくる部分については、全くついていけないのは事実である。昨日、ラトアン広場の視察の帰り、車上でクリスが発したプランもその一つ。


「馬車溜まりで露店を開くのです」


「いや・・・・・ 馬車は・・・・・ どこに?」


「ラトアン広場を馬車溜まりとして使えば良いのです」


 クリスがラトアン広場で露店を開くことを禁止したならば、ラトアン広場に南にある馬車溜まりで露店を開き、馬車をラトアン広場に係留すればいいと言い出したのである。命令を守った上で場所を交換するのだから問題はないでしょうと言うのだが、あまりに突飛な発想に、俺だけではなくトーマスもシャロンも固まってしまった。


「しかしお嬢様。発想は良いとして、どのように実現されるのですか?」


「それはこれから考えます」


 シャロンの疑問にクリスはキリッと答えた。そんなとこで胸を張られても困るのだが、これがクリス。今まで、クリスの突然の発想に驚くこと一再ではなかった。『玉鋼たまはがね』を料理包丁に使うとか、高速馬車を軽量化して公爵領の特産品にするとか、その発想には目をみはるものがある。閃きとか、そういったセンスがあるのだ。


「考え方としては合理的だが、実現方法がな」


「広場にするとか、馬車溜まりにするとか、土地の使途を決めたのは行政です。使用を禁じた以上、禁じた宰相府はその責任は果たすべきです」


 俺の呟きに、クリスは行政の問題だと説いた。確かにそれはその通りなのだが、ここはエレノ世界。現実世界に存在する裁判所のような、訴える場自体がない。だからお上が指図したものは「善なるもの」である故、事実上動かすなんて不可能な話。それをどう動かすのか? トーマスが責任を果たすとは、誰に対して果たすべきなのかと主に聞いた。


「店を開くことを禁じられた露天商と利用客に対してです」


「えっ!」


 クリスの言葉に思わず声が出てしまった。露天商までは予測出来てはいたのだが、まさか利用客を出してくるとは。確かに露店の出店を禁じたことで、それまで店を利用していた客も不便を強いられる。そこにも責任を持つべきだ、というクリスの発想は斬新だった。つまり、その観点から導き出された結論が、広場と馬車溜まりとの「交換」なのである。


「広場で露店を出すのが危険なのであれば、他で出す露店ならば危険がないということ。違いますか?」


 胸を張って主張するクリス。確かにクリスの主張通りなのだが、それは行政の瑕疵かし、つまり自らの決定に半ば過ちがあった事を認めるようなもの。それを簡単に認めるとは、到底思えないのだが・・・・・


「ですので、馬車溜まりに露店の出店許可を出せば良いのです」


「それで丸く収まるのですか?」


「収まります。広場が危険な故、馬車溜まりでの出店を許可した。これならば決定の瑕疵はありません」


 確かにそうだ。宰相府が出した露店の出店禁止命令と、クリスの考えた馬車溜まりへの出店許可案は整合性がある。過ちは認めなくて良い。ならば決定のハードルは下がってくる。しかし、ここにいる者に全く権限がない中、それをどうやって実現するというのだろうか?


「誰に申せば良いのか、申すべきなのかをもう少し考えます」


 自身が為すべきこと、すべきことを見定めたクリスは静かに、しっかりと言った。

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