第三十章 園院対抗戦

388 国立ノルデン学院

 国立ノルデン学院。今から三百年以上前、平民教育の為に設立された学院である。多くの官吏や騎士を輩出している、平民にとっては登竜門の学校。貴族子弟の教育に重きを置く王室付属サルンアフィア学園とは、一線を画す教育機関だ。ただ学園と学院、二つの学校は共にそのサルンアフィアによって設立されたというのだから、皮肉な話である。


 そのブラマード・サルンアフィアという人物。俺が図書館などで調べた限り、実に不思議な人物だ。市井に身を置く平民ながら、高い教養を身に着けた魔術師として名を馳せ、私塾『サルンアフィア』を設立して貴族子弟を預かって教育を施していた。それを見た国王ロマーノの懇請によって、王の一人娘マリア王女の家庭教師に就く。


 サルンアフィアは様々な献策を行い、ノルデン王国のその後の体制に大きな影響を及ぼした。宰相府、内大臣府、統帥府の三府の設置。平民教育機関であるノルデン学院の設立。そしてサルジニア公国との国境線に施された『ガード』の施術など、いずれもサルンアフィアの手によるもの。にも拘わらず、サルンアフィアの役職は王女の家庭教師だった。


 しかもそのサルンアフィア、忽然と姿を消したのである。文字通り、突然消えた。サルンアフィアに関する本には、いずれもそう記述されている。どうして消えたのかは分からない。人々は突然いなくなった大魔術師を探すも遂に見つからなかった。突然現れ、風のように去ったのがサルンアフィアという人物なのである。


 まぁサルンアフィアの事を知ったところで、現実世界に帰られる訳でもなければ、この世界で生きるメリットも無い。今日の俺の仕事は、学院の闘技場で行われる『園院対抗戦』を観戦すること。対抗戦に参加しない代わりに見に来いというアーサー達の交換条件である。それともう一つ、学院に通っているジャック・コルレッツの招待もあったからだ。


 ジャック・コルレッツ。学園で攻略対象者を片っ端から攻略しようとして退学処分となった転生者、ジャンヌ・コルレッツの双子の兄。『園院対抗戦』のラスボスでもある、そのジャック・コルレッツから、観戦の誘いが来たのだ。学園からの参加者名簿を見ていたら、俺の名前が無かったということで、わざわざ対抗戦の案内をくれたのである。


 そういう訳で学院にやって来たのだが、周りを見ると圧倒的に学院服を着た生徒だらけ。学園服の人間は俺一人だけらしく、周囲からジロジロと見られていた。実は今日の『園院対抗戦』。参加者以外の学園生徒は自由行動。実質的に休みなのだ。だからなのか学園服を着た生徒の姿は皆無。もしかしすると、今日は私服なのかもしれない。


 いつもなら俺と一緒に動いてくれるアイリも、レティとの用事があるとの事で、今日は来ていない。リディアとフレディは二人で遊びに行くからと言っていた。クリスと二人の従者トーマスとシャロンも姿がない。一人で来るからと、目立たぬように学園服で来たのが間違いだったか。そう思っていると、聞き覚えのある声が俺を呼んだ。


「おお、ウィルゴット!」


 声の聞こえる方向に振り向くと、ウィルゴットが中折れ帽に三つ揃という出で立ちで来てやってきた。「まいど!」という商人式挨拶を交わすと、いきなり小麦相場の暴落の話を振ってきた。なんでも昨日、寄り付きはジェドラ商会だったらしい。「寄り付き」とは、相場が始まって最初の売買の事。このとき小麦六〇〇万袋を売りに出したとのこと。


「するとさぁ、相場は一気に大混乱したよ」


 当たり前だ。いきなり大商いじゃないか! 三五〇万袋は買い手が付いたが、二五〇万袋は二一〇〇ラントで買われたそうだ。その後、ファーナス商会も四〇〇万袋を売りに出し、こちらの方は一七五〇ラント。その後、ジェドラとファーナスは融通して利益を山分けしたそうである。


「壮大にガラッたからな」


「「ガラッた」ってなんだ?」


「暴落したって意味さ」


 へぇ、そうなんだとウィルゴットは感心している。語源のナイアガラの話をしたって、ナイアガラの滝がこちらの世界にはないのだから、恐らく意味は通じないだろう。しかし卸元のジェドラとファーナスが握って・・・、小麦を市場に流す。現実世界だったら完全にインサイダー、独禁法モノだよな、これ。


「空前の利益だぞ、これ」


 ウィルゴットは興奮気味に話す。当たり前だ。仕入れに総額一〇〇ラント程度の費用しかかかっていない小麦を二四〇〇ラントなんかで大量に売り捌いたら爆益しか出ないじゃないか。ジェドラとファーナスが市場で売りに出すのは始めての事なので、ウィルゴットが興奮するのも分かる。ジェドラもファーナスもこれまでは卸以外やっていない。


「動かせる小麦は全て動かした」


 俺が聞くと、ウィルゴットはそう答えた。要は卸す予定が決まっている小麦以外、全て相場で売り払ったということ。だったら倉庫も開くはずだよな。


「だったら、倉庫は空いているのか?」


「あれだけ売ったんだ。絶対空いていると思うぞ。しかしグレン、小麦を持っているのか?」


「ああ、多少はな」


 まだムファスタの倉庫から引き上げた小麦が百万袋以上残っている。これを引き渡せば、小麦相場への小麦投入第二弾に使えるだろう。しかしウィルゴット、どうして学院にいるのだろうか。とっくに卒業している筈なんだが・・・・・


「だって学院卒業生だから」


 えっ! そんな理由で見に来るのか? 俺がビックリしていると、ウィルゴットが説明してくれた。学年末に行われる『園院対抗戦』は学院にとっては一大イベントで、「打倒学園!」を合言葉に現役生と卒業生が一緒になって盛り上がるらしい。現実世界でいう、甲子園みたいなノリなのか? 


「学園の方で、そんな話は聞いたことがないぞ」


「多分、貴族学園だからだろう」


 ウィルゴットの一言で納得がいった。『園院対抗戦』は、平民が貴族を合法的に倒すことができるイベントなのだと。だから平民が通う学院が盛り上がるという訳だ。学園側の熱量が少なく、学院側の熱量が高いのは頷ける。しかし学園服を着ているからか、周囲からの視線が痛いのは相変わらず。


「なんだ、この視線は」


「学園服着てるの、お前だけだからな。今日の学院の空気じゃ仕方がないよ」


 それだけ好戦的という事か。だったら対抗するのは止めておこう。戦うだけ無駄というものだ。戦う意味がないのに戦ってもしょうがないだろう。俺は『装着』で三つ揃に中折れ帽というウィルゴットと同じ平民服を着て外套を纏った。もちろん脇には商人刀の「燕」が差している。すると不思議な事に、周囲の視線は無くなった。


「おいおい、いきなり刀かよ!」


「威嚇には丁度いいだろう」


 ギョッとするウィルゴットに笑いながら言ってやった。このエレノ世界、痛い視線には威嚇するのが一番なのは学園で実証済み。しかし何度見ても羨ましい能力だな、と商人特殊技能『装着』についてあれこれ突っ込んできた。そこでウィルゴットには「お前も商人だから、レベルを上げたら出来るようになるよ」と教えたのである。


「あ、あれは・・・・・」


 俺と話していたウィルゴットが会話を止めた。その視線の方向に振り向くと、そこには佳奈、いや若い頃の佳奈とそっくりな女がいた。


(ミルケナージ・フェレット・・・・・)


 フェレット商会の若き女領導。フェレット=トゥーリッド枢軸で三商会連合と『王都ギルド』を二分したミルケナージ・フェレットが立っている。フェレットは取り巻きに囲まれていたが、こちらの方に一人歩いて来た。そして俺達の前で立ち止まる。白いワンピースというのは見たことがないが、歩き方といい、若い頃の佳奈とそっくりだ。


「ジェドラ君、ご無沙汰ね。年末のとき以来かしら」


「フェレットさん。こちらこそお久しぶりで」


 言葉とは裏腹な乾いた会話。学院で同級生だったという二人は、昨年末『王都ギルド』の納会で顔を合わせている。ミルケナージ・フェレットをトゥーリッドが新会頭に据えようと、一報的な強弁で強行突破しようとしたのをザルツが阻止した一件。あの時に顔を合わせたのが最後なのだろう。そんな二人が、何を話すことがあるのか?


「そちらの方は・・・・・」


「グレン・アルフォード。アルフォード商会の次男だ」


「グレン・アルフォードです。お見知りおきを」


 俺はそのまま頭を下げた。ミルケナージ・フェレットのお目当てはウィルゴットではなく、俺のようである。ミルケナージの顔を見て、すぐに分かった。こっちは佳奈の顔を三十年弱、ぼーっと見続けている訳じゃない。微妙な気配や仕草、表情で何となく分かる。相手が話したいのはこの俺だということを。


「以前、お会いになりましたよね」


「いえ。今日が初めてかと」


 ミルケナージの問いかけに、俺はトボけた。というのも会ったのはフェレットが経営するカジノの中。それも偽名を使って入っているのだから、ここはトボけるしかないだろう。こういう場合には、敢えて前に出るべきだ。そこで、逆に尋ねて誤魔化す事にした。


「若き領導が、私に何か?」

 

「いえ。ジェドラ君と話をする三つ揃の方は誰なのだろうと」


 今度はミルケナージの方がはぐらかしてきた。俺がトボけているのに対抗しているのだろう。ウィルゴットをチラ見すると、俺とミルケナージとの駆け引きに、全く気付いていないようである。


「アルフォード商会の次期当主だとは思いませんで、失礼致しました」


「いえ、私は嫡嗣ではありません。ロバートという次期当主がおります」


「これは失礼致しました。最近、つとに話題となられている御方ですから、すっかり次期当主の方かと」


 明らかな嘘だ。事前に調べている顔をしているじゃないか。佳奈はもっと直線的に言ってくるので、こういう嘘の付き方はしない。外見や声、挙措がいくら佳奈であろうとも、どうやら内面は別人のようである。佳奈の身体に憑依をした者と言った方がいいのか? ミルケナージ・フェレットは旗色が悪いと思ったのか、早々に引き上げていった。

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