386 視察

 暴動現場なんて公爵令嬢の行くところじゃない。それに今から行くと言ったって、準備なんて全く出来ていない。これまでのように、お忍びで行くんじゃないんだぞ。屋敷から衛士を呼んでくるなんてしていたら、今日行くなんてまず無理だ。これから現場を見に行くと突然言い出したクリスに護衛を手筈した後、改めて行こうと説得した。


「いえ。この身一つで行きましょう」


 一度決めたらかなんなのか、俺が言っても全く聞かない。トーマスやシャロンが諌めても聞き入れようとはしなかった。それどころか、馬車の手配をと指示を出す有様。クリスの琥珀色の目はギラギラしている。あんなに泣きじゃくっていたクリスは何処に行ったのか。とりあえずは時間稼ぎをして落ち着かせよう。


「クリス。服の用意もある。準備をしてから行こう」


「この服で行きますから、服装のご心配は無用」


 クリスは学園服で行くと言い出した。一学生の身分で暴動の現場を見に行くというのである。トーマスは主に食い下がった。


「お嬢様。グレンが言う通り、外に行くにしても護衛が必要です。まずは手配をしなければ」


「グレンとトーマスが護ってくれるなら安心です。ねぇ、シャロン」


「・・・・・」


 何か言おうとしたその瞬間に話題を振られて沈黙するシャロン。クリスは頑として聞かない。応酬の末、遂に俺達の側が折れざる得なくなってしまった。ファリオさんと急遽協議して、第四警護隊の新任副隊長グルーザトッホ以下八名の隊士が警護の為に同行。馬車三台を連ね、暴動現場であるラトアン広場に向かったのである。


 ラトアン広場に着くと『常在戦場』警備団長のフレミングと二十名程との隊士達、調査本部長のトマール、そしてリサが出迎えてくれた。実は暴動で被害を受けた店の案内をトマールに依頼したところ、王都通信社でリサと打ち合わせをしている最中だったのである。それを知ったクリスが、俺から魔装具を奪い取って、リサも来るように言ったのだ。


 その際、クリスが『週刊トラニアス』の記者にもラトアン広場に来るように話をしたので、リサは編集部からアルスラーンという壮年の記者を伴っていた。クリスはフレミングら隊士達に、暴動鎮圧の礼を述べて労っている。実質的なオーナーである俺が言う前にクリスが言ったものだから、俺の立場が無くなってしまった。


 またトマールとリサにも声をかけ、急な呼び出しにも関わらず応対してくれた事に礼を言っていた。しかし俺達の馬車は広場の南側、中央大路を北上して入ったので気が付かなかったのだが、今改めて見ると広場の東側に面した商店の入口が軒並み壊されており、四日前に起こった暴動の爪痕が生々しく残っている。


「想像以上に酷いな」


「ええ」


 思った以上に酷い惨状に、視察すると言い出したクリスも言葉少なだった。トーマスもシャロンも黙って破壊された店を見ている。さすがのリサも「こんな事が起こっていたなんて」と驚いていた。見ると広場の西側の店は大丈夫であるらしく、今日も営業をしているようなのに、東側の店が破壊されているように見える。


 このラトアン広場というところ、非常に特色のある広場である。広場の真ん中を中央大路が南北に貫いている円形の広場なのだ。この円形を取り囲むように商店が立ち並んでおり、広場の北側、中央大路から逸れた道まで商店が連なっている。繁華街が旧商店街ならば、ラトアン広場周辺は「新商店街」とでも言おうか。


 そのラトアン広場は、マーサル庭園の南側に位置している。去年行われた『常在戦場』の臣従儀礼の際に行ったパレードでは、王宮前広場からディマリエ門を通り中央大路を南下した後、交差する庭園前通りを右折してマーサル庭園に到着した。その庭園前通りを右折せず、中央大路を更に南に向かうとラトアン広場に突き当たる。 


 繁華街を東に抜け、中央大路に出てから北上し、馬車溜まりや駅舎を抜けるとラトアン広場がある。だから先日の暴動に際し、繁華街近くにある屯所から出動したグレックナーや二番警備隊ら『常在戦場』の面々は、中央大路の南からラトアン広場に入った。今日の俺達もその道を通ってラトアン広場へと入ったのである。俺は東側の店が破壊されている訳を聞いた。


「群衆が暴れていましたので。特に広場の東側に面した商店が」


 フレミングが状況を説明してくれた。広場の東側で開いていた露店で諍いが始まった為、その周辺の店の被害が大きいのだと。クリスが群衆に店を襲われた店主らと話がしたいと言ったので、トマールが広場の東側にある店を案内してくれた。そこでナ・パームという、カバンなどを扱う雑貨店を営む店主を引き合わせたのである。


 ナ・パームはクリスが宰相閣下の娘だという事に大変驚き、恐縮しつつもクリスからの「ありのままに話して欲しい」という言葉を受け、暴動が起こった当日の状況を詳しく話し始めた。露店の方が何か騒がしいと思ったら、「わぁ」といった感じで棒を持った群衆が自分の店を目がけて襲ってきて、玄関周りや店の中を破壊してしまったのだという。


「あまりのことに何が起こったのか分からず、恐ろしくて声すら出ませんでした」


 震えながら言うナ・パーム。突然、棒を持った暴徒に店を襲われて冷静に対処できる訳がない。そのナ・パームに対してクリスは、お店の再開についてや他のお店の被害状況などを聞いている。ナ・パームが言うには何から手をつけたら良いのか分からず、雑貨店の再開の目処は立っていないという。周辺の店も同じような感じであると。


 話を聞いていて、災害で被災した店のコメントを思い出した。台風とか地震とかで、大きな被害を受けた店の人が「どうすればいいのか」「何をすればいいのか」と憔悴した顔で言っている映像である。まさにあれが今、目の前で展開されているのだ。クリスは被害を受けた他の店の話も聞きたいので、集まってもらえないかと話をする。


 これを受けてナ・パームは周辺の店に声を掛けたので、たちまちのうちに人が集まってきた。皆、一様に疲れた表情をしている。クリスが被害についての話を聞きたいと言うと、人々はクリスに対して必死に説明を始めた。ある者は惨状を話し、ある者は窮状を訴え、そしてある者は不安を口にしている。そんな話を熱心に聞いていたクリスは言った。


「今ここで皆さんのお話を聞き、大変な状況に置かれていることを肌身をもって知りました。一日も早いお店の復旧、復興を願っております」


 被害を受けた店主達は、皆真剣にクリスを見ている。おそらくクリスのような高位貴族と直接話したことなど一度もないだろう。まして宰相閣下の娘、公爵令嬢が街に出てきて、自分達の窮状を知ろうとしているだけでも驚きのはず。だからある種、敬意の念を持って見ているのが分かる。昔、『玉鋼たまはがね』を取りに行ったアビルダ村での光景と同じ。


「私の方から二〇〇〇万ラントを用意します。被害に遭われたお店の一日も早い再開の為に使って下さい」


 クリスの言葉に一同が静まり返った。おそらく言われた意味をどう捉えれば良いのか分からないのだろう。しばらくしてナ・パームが聞いてきた。


「よ、よ、よろしいのですか・・・・・」


「はい。早くお店を直して、再開しましょう」


「あ、ありがとうございます」


 ナ・パームは感涙して、膝から崩れ落ちた。ナ・パームの側にいたダラスという店主はしゃがみ込んで、ナ・パームを励ましている。店主たちは口々に感謝の言葉を述べ、ある者は喜び、ある者は泣き、ある者は感謝のあまりクリスに祈りを捧げた。中には「宰相閣下万歳!」とか「ノルト=クラウディス公爵家に感謝!」と手を上げる者までいる。 


「皆さん、一日も早く平常を取り戻しましょう!」


 クリスがそう言うと、今度は歓声が上がった。暴動の被害に遭って沈んでいた店主達が、気力を取り戻したのである。落ち込んでいた人々に対して、クリスはこれからすべきことを指し示したのだ。クリスは俺に二〇〇〇万ラントを出すように言ってきたので、俺はすぐさま『収納』で出して、二〇〇〇万ラントを引き渡した。


「このお金を使って下さい」


 俺が出した二〇〇〇万ラントを被害に遭った店主を代表して、ナ・パームが受け取った。ナ・パームは皆とその場で話し合い、各店でそのお金を分けることにしたのである。ただ、この二〇〇〇万ラントについて心配する者がいた。いくら公爵令嬢であっても出されるのは大変なのではと。その疑問に対し、クリスはにこやかに答える。


「私が持つ基金のお金です。安心して下さい」


 そうか。『セイラ資金』か。ドーベルウィン戦の時の決闘賭博で、俺とクリスが勝ったお金を合算して基金化した、あの金か。横にいたトーマスが「まだ半分以上ありますから」と言ってきた。なるほど、あのカネを使うとは。味なことを考えたな、クリス。そのクリスから話を聞いた店主は安心してお金を受け取った。


「ところで、この広場に出していた露店はどうなったのですか?」


 クリスはトマールに露店について尋ねた。実はこのラトアン広場にやってくる車上で、クリスから露店の事について聞かれたのだが、全く聞いていなかったので答えようがなかったのである。だから今、トマールに聞いているのだろう。


「露店の出店は禁止されました」


 今回の暴動の発端となったラトアン広場の露店。再び騒ぎが起こらぬようにとの事で、広場での出店については禁止措置が講じられたとトマールが説明している。


「そのお店はどうなったのですか?」


「店を開けないままだよ」


 クリスの質問にトマールが答えにくそうにしていたので、俺が代わりに答えた。露店なのだから出店を禁止されてしまえば、露店を開きようがない。実質的な閉店である。


「では、店主は・・・・・」


「商いはできないよな」


「では店主はこれからどうやって生きるのですか?」


 商う場所がなくなったのだから、職を失ったも同然の話。どこかの軒先を借りて店を開くか、商売替えをする以外に生きていく方法はない。そう話すとクリスが怒り出した。


「その措置を誰が決めたのですが?」


「王都の行政だから、宰相府だよ」


 俺はそう言いながらトマールに目で確認すると、黙ったまま頷き返してきた。俺の回答に間違いないようである。クリスは俺の回答が意外だったらしく、目を丸くして固まってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る