384 まつらなければ

 以前から思っていたのであろう。スピアリット子爵の怒りは止まらない。暴動が起こっても、なお変わらない現状について激しく指弾した。剣聖と言われるだけあって、切れ味はシャープだ。


 もし現実世界にスピアリット子爵がいたならば、企業の中で一目置かれる切れ者リーマンになっていただろう。俺が部下だったら確実に締め上げられている筈。対してドーベルウィン伯の方は優秀な公務員、公僕である。


「この際だ。ハッキリと言っておこう。ドレッド、まつらなければ・・・・・・ならぬぞ」


「・・・・・まつらなければ・・・・・・


「おう。近衛騎士団と『常在戦場』を背後にできるお前がまつらなければ・・・・・・、誰がやるというのだ!」


 「まつらなければ・・・・・・」。一体何をすれば良いのだろうか? 意味が分からないので、スピアリット子爵の意図が見えてこない。


「政治をやれというのか?」


「そうだ。目の前にある危機に対して緊張感が無さすぎるではないか。考えても見ろ、言い方は悪いが商人の倅の方が、危機に対して真剣に対応しているではないか。それに対して王国の方はどうだ。我々もそうだが、その商人の倅に頼り過ぎではないのか」


 政治。「まつらなければ・・・・・・」とはそういう意味なのか・・・・・ 知らなかった。「まつる」というから、服をまつるのかと思っていたが、政治の事を「まつる」というとは。一つ勉強になった。スピアリット子爵は言葉とは裏腹に、気を使いながら話を進めているように感じられる。クールにしてシャープ、そして繊細と言ったところか。


「しかもだ。頼っていることをすら自覚せず、大丈夫だと安心し、事後の備えを怠って、より難事に当たらなければならなくなる。現状、それが我が国の未来だぞ。お前が国を思うならば政治をやらねばならぬ」


「マルティン! お前は俺に一体、何をしろというのだ!」


「掌握するのだ、統帥権を」


 ドーベルウィン伯の目が一瞬、見開いた。スピアリット子爵の隣に座るドーベルウィン伯の実弟、レアクレーナ卿も驚きの表情を浮かべた。統帥権! 確か軍を統べる力だったよな、統帥権ってのは。要は統帥府、近衛騎士団の全権を握れということなのか? ならば近衛騎士団長であるレアクレーナ卿にとっては尚更関係がある。


「握らねばならぬぞ。握らなければ、暴動も満足に鎮圧できぬぞ。鎮圧するには大きな力が要るからな」


 スピアリット子爵は大いに捲し立てた。捲し立てている方は気分が高揚しているだろうが、捲し立てられた方は追い詰められた心境となる。まさにスピアリット子爵とドーベルウィン伯爵の関係そのものである。しばらく考え込んでいたドーベルウィン伯は、静かに口を開いた。


「・・・・・分かった。考えておこう」


「そうかドレッド。考えておいてくれ」


 その言葉に大きく頷いたスピアリット子爵は満足気である。二人が何をどう動かそうと考えているのかは分からないが、近日中に何らかの行動を起こすのだろう。スピアリット子爵曰く、緊張感に欠けるノルデン王国にとってはむしろそのくらいで丁度なのかもしれない。これで暴動当日の状況は分かった。これを参考にして、俺は俺なりの対応策を考えることにしよう。


 ――クリスは平日三日目も学園に姿を現さなかった。もちろん二人の従者トーマスとシャロンもである。一体どうしたのだろうかと気にかかって仕方がない。かといって、こちらから確認しようがないのが現状。ノルト=クラウディス公爵邸を訪れる事もできないし、宰相府に問い合わせる事もできない。こういうときに、クリスの身分の高さを実感する。


「グレン、グレン。こっちだ、こっち」


 いつものようにロタスティでアーサーと昼食を食べた後、教室に戻ろうとすると、聞き覚えのある声が俺を呼び止めた。トーマスだ。久しぶりだな、と声をかけようとしたが、深刻そうな顔をしているので止めた。一体どうしたのかと聞くと、一緒についてきて欲しいという。何処に連れて行くのかと思ったら、貴賓室の方へと向かっていた。


(クリスが居るのか?)


 そう思ったのだが、トーマスに尋ねられるような雰囲気ではない。凄くピリピリしているのだ。確かにトーマスは短気なところはあるが、ここまで刺々しい感じになったのを見たことがないので、クリスに何かあったのだろう。貴賓室に入ると、前室でシャロンが立って出迎えてくれたのだが、シャロンもいつもに増して無表情。絶対に何かある。


「グレン。お嬢様は本室におられます」


 トーマスは俺に告げた。いつもなら俺の来訪を告げる為に本室に入った後に出てきて、俺を誘導するのだが、今日はその場で三十度に頭を下げたまま。シャロンもトーマスと歩調を合わせている。明らかに違う雰囲気の中、俺は本室への扉を開き、中に入った。そこにはクリスが一人で立っている。俺がクリスの方を見ると、扉が閉められた。


 おそらくトーマスだろう。扉を閉める音が聞こえた後、本室は静寂に包まれた。机は端の方に置かれて、クリスが座っていたと思しき椅子が一脚だけ置かれている。普段の貴賓室とは大きく違う光景。立っているクリスは目を瞑ってはいるものの、やつれた感じがする。慣れぬ三者協議のレセプションが重荷だったのだろうか? おそらくは家で伏せっていたのだろう。


「クリス・・・・・ 元気だったか?」


 俺の言葉にクリスは頭を左右に振る。学園に来ていない時点でそんな事分かりきっているのに、ありきたりな声しか掛けられない、俺の能力のこの低さを呪った。結局、俺はクリスの言葉を待つしかなかったのである。


「・・・・・体調が優れませんでした」


「そうか・・・・・」


「今もまだ・・・・・」


 そんな事は言わなくても分かる。顔色の悪さを見ても明らか。


「クリス。もう何も言うな。今日は休もう。話は明日でも出来るじゃないか」


「出来ません。今日、グレンと話すために来たのですから」


 俺の提案をクリスは首を振って退けた。しかし何だか話をするのも辛そうだ。俺はクリスに近づき、今日は止めようと再度言った。


「グレン・・・・・ 暴動が起こってしまいました・・・・・」


「!!!!!」


「暴動が起こってしまいました」


 力なくクリスが復唱した。そうなのか・・・・・ やはり暴動の件で伏せったのだな。


「暴動が起これは我が家は・・・・・」


「心配するな」


「でも、でも、グレンは言ったじゃないの。暴動が起これば我家は没落すると!」


「今は大丈夫だ」


「これからどうなるの!」


 クリスが倒れるように抱きついてきた。俺はギュッと抱きしめ返す。何の違和感もなく、瞬時にそうした。


「大丈夫だ、クリス。心配するな!」


「何が大丈夫なの? 何が!」


「俺が何とかする。何とかするから」


「どうするのよ! これから一体どうするのよ!」


 クリスの身体は震えていた。暴動発生の報を受けて、俺の話が現実のものとなった事を実感し、ノルト=クラウディス公爵家の没落話を確信したのだろう。


「クリス。信じてくれ。約束は守るから」


「グレン・・・・・」


 嗚咽するクリスをギュッと抱きしめた。何の根拠も示せないが、今はそう言うしかないのは誰が見たって明らか。「ノルト=クラウディス家を守って下さい」。クリスは俺にそう頼んできた。そして俺は守ると約束したのだ。そのために全力投球してきたし、クリスも俺と同じように頑張ってきたじゃないか。


「クリス。今回の暴動で犠牲者は出なかった。怪我人も出なかった」


「・・・・・知っています。報告は受けました」


「事前準備ができていたから対処が出来たんだ。俺達が頑張ってきた事は無駄じゃない。だから心配するな」


「うわぁぁぁぁぁぁぁ」


 俺の胸で嗚咽していたクリスが思いっきり泣き始めた。こんなクリスは初めてだ。気丈で勝ち気なクリスが人目を憚らず、大声を上げて泣くなんて・・・・・


「お、お嬢様!」

「お嬢様!」


 クリスの泣き声にビックリしたのだろう。トーマスとシャロンが本室に飛び込んできた。俺の後ろにいる二人の表情は見えないが、間違いなく血相を変えているはず。


「二人共心配するな。クリスを泣かせてやってくれ」


「グレン・・・・・」


「クリス。思いっきり泣くんだ!」


「うおぉぉぉぉぉ。うおぉぉぉぉぉ」


 恐らく慟哭というのは、今のクリスのような泣き方を言うのだろう。顔を俺の胸に思いっきり当て、低い唸り声のような声を上げて泣き続けた。その声が振動となって俺の身体に伝わってくる。そして少しずつ、少しずつ、その振動は小さくなっていった。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


「謝らなくていいんだ。クリスは何も悪くない!」


 クリスは何度も謝ってくる。感情の発露が悪いことだと思っているのだ。これまで胸中にあった、不安で不安で仕方がない感情が抑えきれなくなって、このような形で出たのだろう。俺の胸に顔を押し込んでいたクリスは、声を上げる力が無くなったのか、ヒックヒックと軽いひきつけを起こしたような感じになっている。俺はクリスを強く抱きしめる。


「グレン・・・・・」


「大丈夫だ、トーマス。心配するな」


 トーマスが不安そうなのは声質で分かる。俺はクリスが落ち着くまで、そのままの姿勢でいることにした。しっかり泣いたのか、クリスが徐々に落ち着きを取り戻しているのが、身体越しに伝わってくる。かれこれ十分ぐらい経ったであろうか、大丈夫そうだなと思ったので手を解くと、クリスも同じタイミングで手を解いた。


 阿吽の呼吸というか、その間合いに関して言えば、俺とクリスの相性はバッチリなのは経験済み。その辺り口に出さなくても、お互い感覚的に分かっているので、非常に楽なのである。俺はシャロンに後事を託すと、トーマスの腕を引っ張って、そのまま貴賓室を出た。クリスが気恥ずかしいだろうと思ったからである。


「グレン・・・・・ お嬢様は・・・・・」


「シャロンに任せているんだ。安心しろ」


 ここは野郎の出る幕じゃない。同性の出番だ。主従であり、かつ親友でもあるシャロンであるならば、クリスも気を使わずに心を落ち着かせることができるだろう。

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