376 デマとの戦い
ディールが従妹のクラートと共に、メガネブタとテクノ・ロイド、及びその一族の裁きを目撃した話は予想を上回るものだった。平和なエレノ世界の裏に潜む家長制度と同調圧力の呪縛が、ただならぬものであることを思い知らされたからである。司法制度もないノルデンの秩序を維持していたものは、文字通り「恐怖」であった。
顔も知らない声も聞いたことがない、全く面識のないメガネブタと俺の対決点は、メガネブタが書いた根も葉もないデマ記事だった。要はデマを払拭できればそれで良かったのだが、それをするためには剣ではなくペンが必要だったので、第三民明社を買収し、リサが王都通信社を立ち上げたのである。
デマ記事をデマ記事だと証明するには、相当な労力がかかった。多くの証言と検証が必要だったからである。デマを撒き散らす方は、想像力を逞しくすれば良いだけの話だが、デマと対決する側は膨大な労力がかかる。しかも、それだけではデマの証明にはなり得ない。たとえデマである事を証明できても、それがデマだという認識が広がらないからだ。
つまりデマ記事をデマ記事だと証明することは、身の潔白を主張することには繋がらず、デマを撒き散らされた側が自己満足の為に行うものになっている。本来の目的から大きく逸れてしまっているのだ。だから現実世界では、デマの被害を受けた側が泣き寝入りをする羽目になっているのだろう。やれてもせいぜい慰謝料を取る程度で終わってしまう。
だがエレノ世界はそうではない。司法制度のないノルデン王国では、現実世界とは全く違う理屈で事が動いている。それが「神への誓い」であり、「裁き」なのだ。デマ記事をデマ記事だと証明してもダメであろうと、デマ記事を書き散らした本人が、神の前で嘘をついている事が明らかとなれば一族が裁きを受ける事になる。これがデマの証明となった。
神に誓いながら、それとは反する言動をする人間が本当の事を書く訳がない。それがエレノ住民の共通認識なのである。これは個別の記事を検証するより、記事を書いた人間そのものを断罪した方が分かりやすいことを示していると言えよう。つまり、デマ記事を書いた人間の人格や存在を否定することが、デマの証明を世に示す最短距離だと言える。
仮にエレノ世界に現実世界のメディア人を連れてくれば、殆どがメガネブタやテクノ・ロイドのような哀れな末路を辿らなくてはならないのではないか。現実世界では嘘を嘘である事が証明されても、数百万程度を払えば済む話だが、こちらでは一族ごと地獄送り。メガネブタは文字通り神罰を以て、垂れ流した嘘を証明する形となったのだから。
嘘を混ぜ込んでもカネさえ払えば大丈夫。嘘への
「あんなの見たら、悪いことはできないと思ったよ」
ディールは言う。そりゃそうだ。そんなものを見せられるなんて恐怖以外の何者でもない。直感的に出ない行かないと思ったのだが、話を聞くに俺の防御アンテナは正しかった。
「気を付けなきゃな。自分がやってなくても、一族がやっていたら・・・・・」
「だよな。他人事じゃないよな」
俺の言葉にディールが同意してくれた。そうなのだ、メガネブタやテクノ・ロイドには一族に対する配慮がなかった。無さ過ぎたと言ってもいい。もしもあれば、デマ記事だと指摘された時点で謝罪できただろうし、謹慎なりしていれば良かったのだ。俺達はこの二人の末路を他山の石とすればいい。そう言って、ディールと別れた。
――アーサーとの約束を果たす為、指定されたロタスティの個室に入ると、既に先客が待っていた。俺を呼び出したアーサーの他に剣豪騎士カインとドーベルウィン、そしてスクロードの四人。わざわざ、放課後に呼び出されたのはこういう事だったのか。俺がよく個室が取れたなと聞いたら、アーサーが取ったからだよと返ってきた。
最近、個室が埋まりっぱなしだけど、アーサーだったら取れるだよとスクロードが教えてくれた。スクロードによると最近は放課後も個室が全部押さえられてしまっているらしい。しかしボルトン家が高位家だから、他の人よりも予約が優先されるとのこと。普段はそういった権限を使わないのに、今日は使ったという辺り、アーサーの本気度が窺える。
給仕がワインではなく、紅茶が持ってくるところもアーサーらしい。やっぱり真面目で、健全なんだよなアーサーは。まぁ、それでも俺は構わない。というのも昨日の放課後も、図書館にレティが現れなかったのだ。二日連続現れないのは初めてだったので、レティがどうしたのかとアイリが気にかけていたのを見るといたたまれない気持ちになった。
今日はこちらの方に来るからという事で、そこから逃れる事ができたので、結果としては誘われて良かったというべきなのだろう。しかしそれは一時的な逃げにしか過ぎず、明日明後日になると更に重くのしかかってくる事になる。それを分かっていながら逃避してしまうところが俺の情けなさ。しかしそれが俺の気質なのだから仕方がない。
長年、バランスを維持してきた二人のヒロインと俺の関係を崩しにかかったのは他ならぬ俺。それは俺が現実世界に帰るために踏み出さなければならなかったこと。しかしそれが入り口にも立たないうちに終わってしまった事で、関係を崩してしまっただけになってしまった事が悔やまれる。これならば、最初からやらない方がマシだったのではないか。
「グレン。どうしても『園院対抗戦』に出ないつもりか?」
カインの言葉にロタスティの個室へと引き戻される。俺は一瞬言葉に詰まりながらも「そうだ」と答えた。
「俺を倒しているんだぞ。どうして出ない」
「決まってるじゃないか。俺がカインよりも弱いからだ」
「俺に勝っているのにか!」
カインが珍しく苛立っている。剣豪騎士というだけあって実直なカインは、普段感情を露わにする事はない。これは父である、剣聖スピアリット子爵の教えによるものだろう。だが、そのカインが苛立っている。それは俺の回答に納得していないからだろう。俺の口ぶりがカインの問いかけをはぐらかしている、そう捉えているようだ。
「グレン! お前は俺に勝っているのに、俺より弱いという。何故そんな嘘を!」
「いや、嘘じゃない。一騎打ちなら勝てる自信がない。あれは集団戦だから勝てたんだ」
そうなのだ。『実技対抗戦』の時には俺の背後にはリディアとフレディがいて、リディアが相手を側面から攻撃して支援をし、フレディが回復で後方支援をしてくれたから勝てたのである。カインと俺の一騎打ちなら、俺はカインに間違いなく力負けをしてしまう。何しろ攻撃力も防御力もカインの三分の一しかないのだから。
「しかし、お前はあのとき、俺よりも強い力で攻撃してきたじゃないか」
「あれは『ディフェンスライン』という商人特殊技能の効果で攻撃力を増した上に、『狂乱』によって更に攻撃力を上げたからだ。それができたのは後ろでデビッドソンがひたすら俺を回復させてくれたから」
「しかし攻撃で圧倒すれば・・・・・」
「『園院対抗戦』は一騎打ち。防具も園院支給の同じもの。魔法の使えぬ俺が回復で使えるのは、数に制約のある「ハイポーション」のみ。騎士に比べ攻撃力も防御力も劣る俺は、手持ちの「ハイポーション」を相手より先に使い切ってしまう。さて結果はどうなる?」
「・・・・・」
俺の説明にさすがのカインも黙ってしまった。アーサーもドーベルウィンもスクロードも同じ。誰が考えても負け以外に考えることができないからだろう。
「俺は『常在戦場』の団長をやっているダグラス・グレックナーと一騎打ちで勝負した時に思い知らされたんだよ。職業スキルの差を。商人がいくら優れた剣や防具で武装しようとも、能力の高い騎士にかかればひとたまりもないことを」
「戦ったのか?」
「ああ。闘技場でな」
スクロードからの問いにそう答えると、皆が驚いている。「いつの間にやってたんだ?」とアーサーが聞いてきたので、夏休みだと答えておいた。するとアーサーは嘆息しながら天井を見上げている。これは難しいと思ったのだろう。すると今度はドーベルウィンが俺に言ってきた。
「しかし、俺との一騎打ちのときには後方支援なんかなくても勝てたじゃないか」
「それはあのときのドーベルウィンだったからだよ。今のお前とだったら、おそらく負ける」
「えっ、どうしてだ?」
「じゃあ聞くが、今のお前があのときのように『エレクトラの剣』を振り回して終わりみたいな攻撃をするのか?」
「それは・・・・・」
ドーベルウィンは口籠もってしまった。俺は言葉を続ける。
「俺と今戦ったとしてだ、お前はあんな得物を使わなくても、俺に斬り込んでくるよな」
「・・・・・ああ、そうするよな」
「だから、俺の勝ち目は薄くなるって事だ」
「どうしてだ?」
「お前が聖騎士だからだよ。聖属性の回復魔法は一般の回復魔法よりも効果が高い。こっちはハイポーションで全力。これで勝てるのか?」
「・・・・・」
ドーベルウィンは沈黙してしまった。おそらく自分がどう戦うかを考えた結果、俺が勝つシミュレーションにはならなかったのだろう。逆に言えば、ドーベルウィンがそれを考えられる事ができるぐらいのレベルには到達しているという事である。
「まぁ「近衛の黒騎士」と稽古して、成長しない訳がないからな」
俺が言うとドーベルウィンが少し困った顔をした。どうしたのだろうかと思うと、このところドーベルウィン伯と一緒に稽古が出来ていないらしい。
「最近、叔父上達と話している事が多いんだよ」
叔父上「達」という事はドーベルウィン伯の実弟、第四近衛騎士団長のレアクレーナ卿以外に、誰かドーベルウィン伯爵邸に来ているのだろうか?
「父上も叔父上の屋敷に向かっているよ」
なるほど。スクロードの話で状況が分かった。ドーベルウィン伯の義兄、第二近衛騎士団長のスクロード男爵もドーベルウィン伯爵邸に出入りしている。ドーベルウィン一族がドーベルウィン伯爵邸で何やら話をしているのは確実だろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます