373 神罰
夜、俺はロタスティでザルツと食事をしていた。話によると、今日のリサは帰りが遅くなるとの事。おそらく王都通信社に籠もって、編集長のミケランや『常在戦場』の調査本部長のトマールと共に、メガネブタの裁きに関する打ち合わせをやっているのだろう。今日は休日ということもあってか個室が取れたので、ザルツと二人で食べることになった。
「個室を取るのが難しくなったのか?」
「ああ、そうなんだよ。特に平日の夜が」
少しまで普通に取れていたのだが、最近は全く取れなくなってしまった。どうしてこうなったのかは分からない。俺は平民であるため、個室を確保する優先権がある貴族子弟の予約があると、俺の予約は自動的に解消されてしまうのである。これがエレノのやり方なので仕方がないのだが、急にそうなった理由が分からない。
「色々面倒なルールがあるものなのだな」
ワインを口に含ませながら、ザルツは言った。
「しかし不条理なそのルールを乗り越えるなり、呑み込むなりしなければ、光明は見いだせぬ。それはどこでも変わらない」
全くその通りだ。ザルツの言に異論はない。極端な話、文句を言うだけなら誰でもできるが、文句を言っているだけではウサを晴らす事もできない。ルールを乗り越える手立てを考えるなり、割り切ってそれを受け入れ、その中でやりくりするかを決めなければ次に進まないのである。ザルツは俺に、それを言いたかったのだろう。
「三者協議に出席することになった」
「三者協議に?」
突然言われて俺は固まった。話題を急に変えられたら俺が対応に困るではないか。ザルツもワインが入って、口元が緩んでいるのかもしれない。
「イッシューサム首相の意向らしい。宰相閣下から直々に要請があった」
「直々にか?」
「そうだ」
まさか宰相閣下がザルツに直接要請するなんて。貴族が平民、それも商人に要請するなんで、ノルデンの常識からしたら考えられない事。外国というファクターは、それだけ常識を変えるという事なのか。
「宰相閣下とは金融支援策の話も行った」
「おお。金融支援策を」
「宰相閣下は乗り気だ。三者協議が終わった後、シアーズを交えて話し合うこととなったよ。閣下がシアーズをご存知だったことには驚いたが」
「宰相閣下とシアーズは、貸し渋り対策を協議して意気投合したらしい」
「なるほど。同じ穴の狢か」
俺の話を聞いてザルツは笑った。おいおいおい、なんだその表現は。いいのか、それで。確かにシアーズも宰相閣下もこの世界の人間にしちゃ、先鋭的な方だが。両者とも慎重に見えて挑戦的だしな。
「宰相閣下とシアーズ、そして俺の三人での話し合い。中々面白そうじゃないか」
「自分で言うのか?」
「言って悪いか?」
楽しそうにワインを飲み干すザルツ。
「確かに閣下とシアーズに見劣りしないが・・・・・」
「そうだろう。だから面白いと言っているのだ。シアーズの方も素案を纏められたようだしな。話を始める時期としては丁度いい」
「時期とは?」
「値が上がる時期さ。話したところ宰相閣下も同じことを考えておられるようだ。長期的な持久戦を覚悟されておられる。守りに立たされているのに立派なものだ」
珍しくザルツが褒めた。確かに宰相閣下は小麦不足の勝負の時は春と、最初から見定めておられたのは事実。だから次男のアルフォンス卿が小麦価に一喜一憂していようとも、一顧たりともしなかった。ただ、想定を越える小麦価の暴騰には驚いておられたようだが。
「時期と言えば・・・・・」
そう言いながらグラスにワインを注ぐザルツ。今日のザルツは一段と機嫌が良いようだ。自分でワインを注いだグラスを口元に寄せ、ワインを口に含ませたザルツが言う。
「以前、お前が言っていた小麦の売り浴びせ。この辺りで使えるかも知れぬな」
「実はあの案、俺が考えた案じゃない。リッチェル子爵夫人が考えた案なんだ」
「ほぅ、レティシアさんがか。これは面白い」
俺が事実を話すと、ザルツが大いに喜んだ。この案をザルツに伝えるように後押ししたのが、クリスだと伝えるとザルツは前のめりになった。
「ならば、尚更活かさなくてはならぬな、この案」
「どうやって活かすのだ?」
俺がそう問うと、ザルツはグラスのワインを飲み干した。
「ああ、それか。それは三者協議の話の流れと宰相閣下との話し合い次第だな」
楽しそうに笑いながらワインをグラスに注ぐザルツ。結果は見てのお楽しみという訳か。まぁいい。近日中に答え合わせはできる。その時になって「あの時の話はこうだったのか」と思えばいい。俺はグラスのワインを飲み干すと、ザルツがワインを注いでくれた。結局、この日はロタスティが閉まるまで三時間、ザルツとサシで飲んだのである。
――平日初日、学園は騒然となった。学園の掲示板という掲示板に生徒達の人だかりができている。というのも『週刊トラニアス』『
「メガネブタに神からの審判下る!」(週刊トラニアス)
「メガネブタの一族を天が裁く!」(小箱の放置)
「怒りの鉄槌、メガネブタに下される!」(蝦蟇口財布)
「メガネブタに神罰! 紛い物許されず!」(無限トランク)
四誌ともリミッターが完全に外れていた。タイトルから激烈過ぎて、現実世界の週刊誌やゴシップ誌をブチ抜く勢い。誌面を見た俺も驚愕した。というのも「
具体的に言うならばメガネブタやテクノ・ロイドの妻の一族やメガネブタの子供の嫁の一族、テクノ・ロイドの母の一族や弟の妻の一族が罰を逃れる為に、メガネブタの妻や子、子の嫁、孫やテクノ・ロイドの親や子、兄弟らを棍棒で叩きのめしたとある。罰を与える執行者となることで、その罪を減免するという考え方なのだろう。
しかしそれにしてもやり方がえげつない。どうしてこのエレノ世界に犯罪が少なく、刑務所や警察がないのかが分かった。単純に必要ないからだ。犯罪を行ったとされる者に留まらず、犯罪を行った者を出した家そのものを消し去る仕組み。すなわち同族で始末をさせるというこの仕組みによって、それを不必要なものとしているのである。
こんなものを現実世界で導入なんかしたら大変な事になるだろう。犯罪を行った者の家そのものを根絶やしにするのだから。しかも罪を減免する代わり、それを一族の手によって処置を行わせるという、ある面合理的な手法によって行う。これでは執行者も要らない筈である。エレノの平和と秩序はこの恐るべき仕組みによって維持されているのだ。
エレノには死刑制度がないのも分かる。わざわざ死刑にする必要なんてないからだ。必要がなければ制度もなくなる。実に単純な話である。二人の一族は、嫁に行った者達を切り捨てる選択を行った。つまり二人の親族を守ることよりも、自分達の一族を守ることを優先にした。そうしなければ、自分達の一族が処罰されるからである。
「譴責の刑」に処せられるという事はどういう事なのか。これは事実上、あらゆる権利を剥奪されるに等しいもの。言ってしまえば「八星十字」の印を持つ者を貴族はおろか平民に至るまで、何ら咎められることがなく、自由に虐待することが許されるのだから。むしろそれが善行として推奨されるような有様。事実上の公然処刑を承認したようなもの。
一族の者はそもそも、メガネブタのデマ記事に関与していない。応援すらしていなかっただろう。しかしこのエレノ世界、一族は「止めなかった」罪を問われるのだ。要は見てみぬふりを許さないのである。その代償が自らの手を汚しての処置による罪の減免。それがメガネブタとテクノ・ロイドの親族への棍棒叩きという訳である。
結局メガネブタとテクノ・ロイド以下、一族九十七名の処罰は、七十六名が「譴責の刑」。九名が「刻印の刑」。十名が「刻印の刑と永久神罰」となった。刻印の刑を受けたのは廃倉庫に隠遁していたテクノ・ロイドの家族、刻印の刑と永久神罰を受けたのは逃走したメガネブタの家族。
また「譴責の刑」を受ける事になった七十六名のうち六十七名は免除。「譴責の刑」を九名が執行されたとあるのはメガネブタの両親や兄弟、テクノ・ロイドの兄弟ということで、メガネブタやテクノ・ロイドと共に逃走隠遁しなかったものの、血の濃さから罰を免れる事ができなかったようである。
ある面、現実世界よりも厳密な判断だ。記事によると、刑の執行を受けた者は全て半狂乱となっていたと書かれているが、そりゃ誰でもそうなる。特に当事者じゃないメガネブタやテクノ・ロイドの家族達にとっては、いきなりやってきた地獄のようなもの。
だが、ここはエレノ世界。ガチガチの家長制度と絶対的なカーストによって秩序が維持されている世界。それからは誰も逃れることはできない。そしてメガネブタとテクノ・ロイドには「氏名剥奪」が宣告された。
(これで終わったな)
『翻訳蒟蒻』にメガネブタが書いた俺と『常在戦場』を狙ったデマ記事が掲載されて二ヶ月。メガネブタが嘘つきとして断罪され、処罰される結果に終わった。これが小説や漫画だったら俺とメガネブタが正面切ってバチバチやって、遂にメガネブタが倒された、正義は勝つという形になるのだろう。
しかし現実にはそんなドラマは起こらない。あまりにも都合が良すぎる展開である。そもそもメガネブタと会った事もなければ、助手のテクノ・ロイドと遭遇した事もないのだから。これまで進展について俺は、雑誌からの情報や人づての話を聞くのみ。それがリアルというものである。俺にとってメガネブタの話は近くて遠い話だった。
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