372 日常生活

 リディアとフレディの二人と朝の教室でいつものように話をしていたら、リディアの口から以外過ぎる話が飛び出してきた。


「最近、グレンのお父さん、ロタスティで食べてるよね」


 はぁ? 一瞬、リディアが何を言っているのか分からなかった。それに合わせるかのようにフレディも口を開く。


「職員服を着てね」


 はぁ? 職員服だと。どこでそんなものを手に入れた! どうもザルツは俺が知らない間に、職員服を着て学園を出入りしているようだ。


「グレンのお姉さんも学園服着て食べてるから、おかしくはないんだけど・・・・・」


「そうだよね。溶け込んでいるもんな」


 二人の話を聞いて何となく思ったのだが、ザルツに職員服を着せているのって絶対にリサだよな、これ。だって自分も学園服を着て学内をウロウロしてるんだから。リサが王都に来て以来、当たり前のように学園服を着ているから俺の感覚が麻痺してしまっているが、よくよく考えれば生徒でもないリサが学園服を着ているのはかなりおかしい。


「それはそうと、またやっていたらしいよ」


「何を?」


 フレディがいきなり言い出したので、思わず聞き返してしまった。


「ウェストウィック公爵嫡嗣とアンドリュース侯爵令嬢が」


「またぁ?」


 あの二人、またやり合ってたのか。リディアが「またぁ?」なんて言うぐらいだから、しょっちゅうモメているのだろうな、モーリスとカテリーナ。


「あの二人婚約者なんでしょ」


「どうも嫡嗣の方には相手がいるようなんだ・・・・・」


 口籠もるフレディに対して、リディアがハッキリ言った。


「あのいつも一緒にいる女?」


「ポーランジェ男爵息女エレーヌの事だな」


「そう!」


 俺が話すとリディアが元気よく返してくる。


「要は婚約者がいるのに、男が別の女に入れあげているって話だ」


「最低よね、なに考えているのって」


 リディアがいつもにも増して飛ばしている。こういう時の女って容赦がないよなぁ。するとフレディが恐る恐る聞いてきた。


「どうしてそんな事に・・・・・」


「女の方が務めを果たそうとしているのに、男の方が逃げているからだよ」

 

「そうそうそうそう。そうなのよ」


 俺の説明に激しく同意してくるリディア。それにフレディは圧倒されてしまって黙ってしまった。しかしこのままじゃ、本当にモーリスが婚約破棄へと動くかもしれないな。しかしこれ、正嫡殿下とクリスの時だったら、どう言われていたんだろう。顰蹙モノだった可能性もあるな。まぁモーリスとカテリーナの件、俺は部外者。遠巻きに見守るしかない。


「メガネブタ。休日に裁きが行われる!」


 学園の掲示板に『週刊トラニアス』の号外が張り出された。明後日、セルモント広場においてメガネブタとテクノ・ロイド、二人の一族合わせて六十二名が神の御前おんまえで裁かれる事が決まったのである。拘束から六日目、異様に早い裁判だ。


 記事によると、既に二人の反論記事が出されている事から尋問不要と書かれており、いきなりエレノらしい滅茶苦茶さが光っている。要はドアがノックされたらシベリア送りか強制収容所送りみたいなもので、初めから結論ありきの裁きだと言ってもいい。


 検察も弁護人もいない中、メガネブタやその助手のテクノ・ロイド。そして一族の者は一方的に裁きを宣告されるのである。現実世界ではあり得ない進行で、開いた口が塞がらない。また裁かれる者の中で、逃亡した者と隠遁した者に関しては格別に罪が重くなる旨が指摘されていた。


 罪が重くなる可能性のある者はメガネブタと共に逃亡した妻と長男、長男の嫁、長男夫婦の子供三人、長女、次女、次男の合わせて十人。テクノ・ロイドと隠れた妻と長男、長女、次男、次女、三女。父と母、弟夫妻の十一人と、これだけで二十一人。更に連座して両方の一族九十七人も裁きの前に引きずり出されるのだから、たまったものではない。


 これが現実世界ならせいぜい名誉毀損でメガネブタが訴えられて五十万から百万、良くても二百万程度の賠償で済むはず。ところがここは裁判所も刑務所も警察もないエレノ世界。訴えられる事もなければ、カネを払う必要もないのだが、神の前に誓った事が嘘だと明らかになっただけでこれなので、どちらが幸せなのかという話である。


 ただ不幸にもメガネブタは、エレノ世界に生まれてデマ記者として暮らしてきた。そうやって暮らしてきた以上、こちらの世界の掟に従って裁かれる以外に途はないのである。裁かれる者達にどのような結末が待っていようとも、この辺りの事については、割り切る以外はないだろう。


 号外を一通り読んだ俺は、教室へ戻るところをトーマスに呼び止められた。来週一週間、クリスが学園にいないのだという。もちろんトーマスとシャロンの二人の従者もである事は言うまでもない。三者協議か?と聞くとトーマスは頷いた。


「やっぱりグレンだね。お見通しって事だな」


「しかしクリスまでが出なきゃ・・・・・」


「はい。閣下と共に・・・・・」


 両国の使節が出席するレセプションに顔を出さなければならないらしい。おそらくは妻室なき宰相閣下の横で、ファーストレディの代わりを務めなければならないのだろう。母の代役は娘であるクリスにしかできない。


「こんな体験、したことがないからどう振る舞えばいいのか、イマイチ分からない」


「海外の要人なんて来たことがないもんな」


「グレンの国は?」


「日常茶飯事だ。一般人が知らないのも含めて」


 「そうなんだ」とトーマスが驚いている。何かあったらすぐに道路封鎖し、車線を減らして検問するもんな。国交を結んだ海外の代表者が首都に常時滞在しており、各級代表者が行き交いをしているという話をすると、だからグレンには違和感がないのだなと妙に感心された。


「迎えるための儀礼や施設、警備体制があるからな。大規模なものになったら数万人レベルだ」


「警備がか?」


「ああ」


 それに比べて今回のノルデン側の警備体制はずっと小規模なものである。しかしそれでも長年やっていなかった事であり、用意するのも試行錯誤だから大変なのは容易に想像がつく。今頃上から下まで大慌てだろう。


「まぁ、三者協議自体はそんなにかかるものではないはずだし、非公式協議だからな」


「公式と非公式はどう違うんだ?」


「実務者協議だからな。両陛下をはじめとする王侯貴族が列席した挨拶や晩餐会、パーティーなんかは行われないはず」


 トーマスは「あっ」という顔をした。おそらく三者協議の予定を知っているのだろう。


「なるほど。それでお嬢様が・・・・・」


 ノルデン側の実務代表者が宰相閣下。だから宰相閣下が応対する形となる。そこでクリス登場となるのだ。おそらく若く美しいクリスは両国使節の注目の的となるはずだ。そう思ったら、妙にムカムカしてくる。クリスを誰にも見せたくない気分になってきた。


「クリスには気負わず休むように言っておいてくれ」


「ああ」


 先程思っていた事を押し込めて、別の要件をトーマスに頼んだ。感情を抑えて別の事を言うなんて偽善的だろうが、こちらの方も思っていることには違いない。クリスは責任感が強いので、全部抱え込もうとする。それをしたらダメだぞ、と伝えて欲しかったのだ。頷くトーマスを見ると、俺の意図は理解できているようである。


 ――俺はこの休日を利用して『プロポーズ大作戦』の第一段を決行した。レティ宛に封書を送ったのである。内容はいたってシンプル。「平日初日の昼休み、話があるので中庭で待っています」という一文のみ。声を掛けるとか、色々なことを検討した結果、封書を送るというやり方で、この文面という形にした。


 これは乙女ゲーム『エレノオーレ!』で天才魔道士ブラッドが、ヒロインを呼び出す為に使った手であり、これならばヒロインであるレティも動くはずだと考えたのである。工夫したのは封書を出すタイミングで、平日に出さなかったのは、いつも顔を合わせているのに、寮に帰ったら封書が届いていたという展開ではおかしいと思ったから。


 これが休日初日の夕方に出す形なら、顔を合わせて丸一日開くし、受け取った翌々日に会う形となる。しかもその間、顔を合わせる事もない。検討に検討を重ねた結果、このタイミングにしたのだ。俺にしては時間を割いて、慎重に物事を考えたと思っている。なにせこの『プロポーズ大作戦』、失敗は許されないのだから。


 俺は休日、学園外に出ることはなかった。メガネブタの裁きが行われるため、街が騒がしくなるだろうと予想したからである。俺の意図を知ってか知らずか、アイリが遊ぼうと言ってくれたので、学園と黒屋根の屋敷を往復しながら専ら二人で過ごした。遊ぶと言っても、俺のピアノに合わせてアイリが歌ったり、話したりするぐらいのものなのだが。


 話の中でアイリが現実世界では休日のとき、男女が何をして遊ぶのかと聞いてきたので、答えに窮した。何をやるのか言わなきゃいけないのか? そう思ってアイリの顔を見ると、どうもそういう意味でないらしいのでホッとした。まぁ、アイリなんだからそんな話になるわけがないのだが、早合点をしてしまう俺もどうかと思う。


 そうだなぁ。佳奈と付き合っていたとき、何をしていたのかなぁ。ううん、どうも子作りをしていた記憶しかない。それじゃ、できちゃった婚にもなるよなぁ。よくよく考えれば、話すか子作りしかしていないよな、俺達。映画館に行ったとか、買い物に行ったとか、カラオケに行ったとか、外食したとか、そんな記憶が全くないぞ。どうしてこうなった!


「街に出掛けたり、歌を歌ったり、一緒に食べたり。そんな感じかな」


「だったら、私達がやっていることと変わらないね」


 アイリがニッコリと微笑む。いやいや、アイリ。俺とアイリがやっている事の方がずっと健全だぞ。本当に清い交際だ。昔に戻ったら、佳奈にやってあげたいぐらいだ。きっと喜ぶだろう。それほど俺は何も知らなかったし、分からなかったんだよな。俺は交際というものをアイリから教えてもらっているんだな、と本当に感じる。


 何気ない時間が何気なく流れていく。これが幸せというものなのだろう。休日の二日間、アイリと共に過ごして終わっていった。久々にスイーツ屋に入ってパフェも食べたので、アイリはご満悦だ。今は冬だけど、冬を感じさせないノルデンの気候なので、パフェも問題なく食べられる。今度、街に出てスイーツを食べに行こう。アイリと俺はそう約束した。

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