第二十八章 報道合戦

359 加熱報道

 王都の小麦は高騰していた。出発前、八〇〇ラントのラインまで上昇していた小麦価が一三〇〇ラントに達していたのである。これはチャーイルの街の小麦価一五〇〇ラントや、リッチェル子爵領の小麦価一七〇〇ラントよりも低いが、やがてその水準に到達しそうな勢いである。もはや誰にも小麦価格を止めることは出来そうにない。


 帰ってきた俺を待ち受けていた異変は小麦価だけではなかった。なんと四大月刊誌の一つ『蝦蟇がま口財布』がスクープ記事として、俺とあの車椅子ババア、イゼーナ伯爵夫人とがケルメス大聖堂で激突した話を掲載していたのである。学園内はこの話で持ちきりとなっており、多くの生徒が俺の登校を待っていたというのだ。


「グレン・アルフォード氏。名もなき庶民に三〇〇〇万ラントを譲渡して、イゼーナ伯爵夫人と対決」

「両者の戦い、『翻訳蒟蒻こんにゃく』モデスト・コースライス氏の記事が導火線?」

「待ったなし! 『常在戦場』と『ノルデン報知結社』との全面抗争!」


 生徒達が持ってきた記事を見てビックリした。車椅子ババア、イゼーナ伯爵夫人と悶着があった母子に三〇〇〇万ラントを譲渡した上で、母子がケルメス大聖堂に喜捨をした話が詳細に書かれている。記事によると、この母子。子供が車椅子ババアと接触しそうになったことから、ババアにいびられていたらしい。


 そこへ俺が現れて「喜捨の額で人の価値が決まるのだったら、俺が出す」と言ってポンと三〇〇〇万ラントを譲渡したのだと。それを見たババアは金額に恐れをなしたのか、逃げるようにその場から退散した。目撃者の証言としてそう伝えていたのである。実際は違う部分が幾つもあるのだが、群衆からはそう見えていたのだろう。記事を読んでそう思った。


「この記事は本当なのか?」

「こんな額を出したの?」

「イゼーナ伯爵夫人と喧嘩をしたのか?」


 取り囲まれる中で聞かれた俺は違う部分もあるけれど、概ねその通りだと答えると皆がどよめく。合っているのは金額と経緯、違っているのはババアとの喧嘩やババアが一方的に退散したこと。ババアとは直接喧嘩をした訳ではないし、ババアが引き下がったのはアリガリーチ枢機卿の案内に従ってのこと。記事がズレているのは目撃証言のみだからである。


 この記事で一番笑ったのは最後の部分。「イゼーナ伯爵夫人とノルデン報知結社に問い合わせたが、期日までに回答がなかった」との一文。わざわざこんな部分、現実世界をトレースしなくてもいいのにと思う。俺は皆からの質問に答えると、一限目が始まることを理由にその場から退散し、廊下を走って教室へと辿り着く。


 だが、俺が教室の席に座ってもこの話題から逃れることはできなかった。前の席に座るリディアと、隣の席にいるフレディが同じように『無限トランク』に書かれた記事のことを聞いてきたのである。俺は先程聞かれた時と同じことを話さなければならなかった。二人はイゼーナ伯爵夫人と俺との戦いに興味津々なようである。


「いやいや、対決して別れたんじゃないから」


 俺が話すと意外そうな表情をする。記事と違うじゃないかという感じだ。しかし本当にそうなのだからしょうがないだろう。記事にまつわる話を細かくしていくうちに、記事とのズレに二人は気付いたようで、やがて聞いて来なくなった。おそらく俺の説明に納得してくれたからだろう。教官が入ってきたので、話はそこで終わった。


 冬休み前にあった『臣従儀礼』についてあれこれ聞かれた時のような状態になったので、俺は一限目が終わると早々に切り上げるとロタスティの個室に籠もって早い昼食を摂り、そのまま黒屋根の屋敷にある自分の執務室に転がり込んだ。実は今日の朝、鍛錬も行わず朝食も食べなかったのだが、結果として良かったのかもしれない。


 学園に帰った後、アイリとレティはこの二日、学園を休む選択した。一方、俺の方はといえば早く生活サイクルを戻そうと学園に出る判断をしたのだが、それは誤りだったようである。体が対応できていないだろうと朝の鍛錬を飛ばして学園の授業を受けようと思ったのだが、『蝦蟇がま口財布』のまさかの記事で生徒に取り囲まれるとは。


 全く予想外も甚だしい。こんな事になるのであれば、アイリとレティに倣って今週は休んだほうが良かった。もちろん二人とは別の意味でだが。俺は机の上に置いてあった冊子を手に取り、おもむろに広げる。『週刊トラニアス』の最新号だ。そこには驚くべき見出しが躍っていた。


「モデスト・コースライス氏激白! 全てはテクノ・ロイド氏が悪い!」


 はぁ? 俺はタイトルを二度見した。いやいやメガネブタ、お前、優秀な助手で情報源だと言ってただろ! 記事を読むと『週刊トラニアス』側の取材に対し、メガネブタは身勝手甚だしい理屈をこねていた。自分の書いた記事そのものに瑕疵はないが、助手であるテクノ・ロイドの取材した部分、襲爵式の事次第に誤認があったというのである。


 襲爵式のリッチェル子爵家とグレン・アルフォード氏との関係については、テクノ・ロイドの取材を基に書いており、この部分については誤りがあったと認めたのである。ところがメガネブタは、テクノ・ロイドの取材した部分は記事そのものの信憑性を揺らがすものではなく、記事の信頼性を損ねるものは全くない、と主張した。


 その上でテクノ・ロイドはこの責を問うて解雇した事を明らかにしたのである。つまりはトカゲの尻尾切り。レティという貴族からの告発を受け、さすがにマズイと判断したメガネブタがテクノ・ロイドに責任を負わせたのだ。もしかすると切ったのはメガネブタではなく、記事を載せた『翻訳蒟蒻こんにゃく』編集部の可能性もある。


 どちらにしろ、全くひどい話だ。利用するだけ利用しておいて、危なくなるとポイをするとは。やり方もやり方だが、性根が腐り過ぎていて目も当てられない。どの世界にも腐りきった人間はいるのだろうが、本当に救いようのない連中である。しかし、この尻尾切りでメガネブタの記事がデマであることを本人が認めた形となった。


 事実上、息の根が止まった状態なのだが、字面を見るにメガネブタは全く気付いていないようである。おそらくはリッチェル子爵夫人レティシアという貴族の追及から逃れる事に気が取られているからだろう。その点においてメガネブタは致命的なミスを犯している。自分の記事の中に瑕疵があった事を認めてたのだから。


 「悪いもの」の中に、「いい部分」と「悪い部分」があるという話を納得できる人間がいるというのだろうか? それが現実に存在していたとしても、額面通り認める人間は少ないだろう。仮に「いい部分」があろうと、「悪いもの」であることに違いないのだから。上辺では認めた風を装っていたとしても、心の中では「悪いもの」と貼り付けているはず。


 今回のインタビューでメガネブタは、自分の書いた部分を「いい部分」、テクノ・ロイドの担当した部分を「悪い部分」と定義した。その上で「悪い部分」があるが、記事そのものは「良いもの」と主張しているのである。しかしそれは通らない。人というもの「悪い部分」があれば、それは「悪いもの」だと決めつけるからだ。


 つまりメガネブタは自分で自分の首を絞めた。いや、自分で自分の首を絞めるように誘導されたのだ。時系列で整理するとこうなる。まずメガネブタがデマ記事を書く。次にこちら側は『常在戦場』の面々のインタビュー記事を掲載し、メガネブタのデマ記事を追及して世論を惹起じゃっきした。そしてメガネブタに反論させる。


 これによって世の中に向けて対立軸を明らかにし、メガネブタのその主張を揺るがぬようにした上で、神に誓わせるように追い込んだ。そこへ貴族であるレティに告発させ、メガネブタを追い込み、助手であるテクノ・ロイドを切らせた。それがここまでの流れである。誰が追い込んだのかはもはや明らか。リサしかいない。


 リサは『週刊トラニアス』と『小箱の放置ホイポイカプセル』という二誌を使ってメガネブタを誘導し、逃げられないようにしてしまったのだ。しかも当の本人は全く気付いていないというのだから滑稽である。しかしクビになったテクノ・ロイド。確かメガネブタと同様、司祭の前で神に誓っているはず。ということは、「仏敵神罰」に値しないのか?


 もし、これが理由となって「嘘」認定されたら、テクノ・ロイドはおろか、その家族にまで累が及ぶはず。親、祖父母、兄弟、子、孫、伯父、伯母、甥、姪。確かその辺りまでが罰の対象となるはずである。警察や裁判所といった治安組織や司法機関がないこのエレノ世界、そもそも処罰される人がいる事自体が稀。


 それは何故なのかというと、家長制度のエレノ世界。一旦処罰されるとなれば一族ごと処罰対象となるため、皆一線を越えないのである。越えればこの世界の中で生きられない程の罰を受ける訳で、それが犯罪を極度に抑制しているとも言えよう。だから平和が保たれているのだが、家族だからという理由だけで罰されるのはたまったものではない。


 一見平和に見えるエレノ世界の秩序は家長制度を中心として、ある意味人を雁字搦めにする事で成立しているとも言える。罪人を出した家ごと浄化すれば、平和が保たれる。これがこの世界の根底に流れる考え方であり、罰もその考え方に即して行われるというわけだ。そして現実に、そのお陰で秩序が維持されているのである。


(しかし『蝦蟇がま口財布』の件をどうするかだな)


 メルメス大聖堂で起こった俺と車椅子ババア、イゼーナ伯爵夫人との悶着を書いた記事について、学園の生徒からあれこれ聞かれて取り囲まれる事態を避けるには、一体どうすれば良いのか。俺は『週刊トラニアス』を無造作にペラペラと捲りながら考えていると、一つ閃いた。


(そうだ、俺の見解を書いたものを掲示板に張ろう)

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