360 反論の方法
以前、学園長代行のボルトン伯が教官と生徒の対立を文に変えろと、掲示板に張り出した事があった。あれを使えばいい。張り出せば皆見るだろう。事実が分かれは落ち着くはず。今から書いて張り出しておけば、来週には落ち着いているだろう。よし、そうと決まれば・・・・・ 俺はすぐさま紙を取り出し、見解を書き始める。
何よりも重要な事は、偶然に諍いが起こったことを知らせること。第二に車椅子ババアと俺との激突が、ババアの家がオーナーであるノルデン報知結社や月刊誌『翻訳
「グレンか?」
見解が大体書けた頃、ドアをノックする音と共にロバートの声が聞こえた。どうしてロバートがいるんだ? ディルスデニアからか帰ってきたのか? そんな事を思いつつ、立ち上がってドアを開けると、確かにロバートだった。
「おお、グレン。帰ってきていたのか!」
「ロバートこそ!」
「三日前に帰ってきたんだ。お前は?」
「昨日の夜だ」
「そうか。リサがお前の帰りを待ってたぞ」
立ち話もなんだからと応接セットに案内すると、ロバートがどっかとソファーに腰掛けて言った。
「なんで黙ってるんだよ、と怒っていたぞ」
「はぁ?」
「ほら、あれだ。えー」
「ケルメス大聖堂の件か?」
「そうだ、そうだ、それそれ。お前、
「大事でもなんでもないよ」
これまであまりトラニアスに滞在した事がないロバートにとって、王都の事情は不案内。本当は一旦、本拠モンセルの方に引き上げようと思ったのだが、リサからグレンを待っていてと言われたので、屋敷で留守番をしているのだという。
「リサも忙しくて、屋敷にいる時間が少ないようなんだ。だから代わりに俺が・・・・・」
「そうだったのか。すまないな」
「いいよいいよ。お陰でゆっくり出来たから」
ロバートはごきげんだった。風呂と食事は学園で済ませ、後は屋敷でゴロゴロする。母さんもいないから、気兼ねなく休めると。そういえばニーナ、なぜかロバートだけにはキツかったんだよなぁ。長男だから厳しく躾けたかったのだろうが。ロバートがリサに連絡して欲しいというので、俺は魔装具を取り出し、早速リサを呼び出した。
「ああーっ! やっと帰ってきた!」
「ああ。昨日の夜に帰ってきたよ」
「いまどこ?」
「屋敷」
はぁ? リサがやたらけたたましい。俺は焦った。普段、もっと穏やかでゆっくりの筈なのだが、こんなリサ相手にどう振る舞えばいいのか分からない。
「じゃあ、夕方グレンの執務室にいて。分かった。離れちゃダメよ」
「分かった分かった」
そのまま魔装具が切れてしまった。何が起こったんだ、リサに。俺とリサのやり取りを聞いていたロバートが一人ウケている。
「いやいや、ケッサクだったよ。お前でも慌てるんだなぁって」
「人間だから、俺」
ロバートが俺のことを何か勘違いしているようなので、キチンと言っておいた。それはそうと、ザルツはどうしているのかと聞くと、はたまたラスカルト王国に向かっているのだという。
「アルフォンス卿とだと!」
これには驚いた。ザルツが同行している使節が、ラスカルト王国と交渉する使節が外務部のシューレンター補佐官から、クリスの次兄で宰相補佐官のアルフォンス卿に変わったというのである。事実上の格上げ人事。だが、それだけではないのは間違いない。おそらくはシューレンターの緩慢な動きに、宰相閣下が業を煮やしたのだ。
思えば俺達とムファスタに入った時点からおかしかった。交渉場所であるピンパーネルの街から帰ってくる際の動きが鈍かったのだから。おそらくはシューレンターが、外国と交渉するのに向いた気質ではないのだろう。タフじゃないというか、バイタリティーがないのである。まぁ、この無気力体質もエレノの特性の一つだが。
「クラウディス=ミーシャン伯とイッシューサム首相との交渉が細部まで渡ったものだから、時間がかかったのだよ」
ディルスデニア王国との交渉について、ノルデン側の使節クラウディス=ミーシャン伯に同行したロバートは、その模様について話してくれた。連日の交渉の中、ラスカルト王国との協議はノルデン王国の首都トラニアスで行うことや非公式協議して扱うこと、ラスカルト王国側に三つの日程を提示することなどで一致。
ディルスデニアとノルデンがラスカルト側に提案する形としたのである。こうすることによって使節の往復を最小限に止め、ディルスデニアとラスカルト両国が疫病対策について、速やかに交渉できる環境を整えようとしたのであろう。この辺りを纏めたというのは、イッシューサムの手腕とクラディウス=ミーシャン伯の度量によるものだろう。
「小麦の方は搬入量を増やせるぞ。値上がりも問題ない。値を釣り上げているヤツが買い付けた量を越えた小麦が流通する」
搬入量によほど自信があるのだろう。ロバートは笑って言った。
「さてさて、役目も終わったし、俺はモンセルに帰るぞ」
「もう行くのか?」
「ゆっくりさせてもらったしな。高速馬車も待ってもらっているんだ」
ロバートは上機嫌で俺の執務室から出ていった。あの楽観視する姿勢はどこから来るのか。まぁいい、あれで何かあっても
「コレットいるか?」
「あっ!」
生徒会室のドアを開けると学年代表コレット・グリーンウォルドが、クルト・ウインズに向かって楽しそうに話していた。そこへ俺が入り込んできたものだから、コレットが思わず声を上げたのである。生徒会室は二人だけしかいない。これはチャンスとショタ好きのコレットが牙を研いでいたのだろう。相変わらずだな、コレットのショタぶりは。
「ああ、すまんすまん。取り込み中で」
「いや・・・・・ そんなのじゃ・・・・・」
恥ずかしそうに答えるクルトとは対照的に、コレットの方は堂々と睨みつけてくる。全く、気が強い子だな。
「これを転写して欲しいって、思ってな」
俺は屋敷で書いていた見解を見せた。
「これは・・・・・」
「『
「へぇ?」
コレットが手に取って読んでいるのをクルトが横から覗き込む。この二人、いつの間にかデキてたんだな。年末に行われた学園舞踊会でも踊っていたし。
「あの話、こんなのだったの!」
「ああ。ニベルーテル枢機卿に丸く収めていただいたし」
コレットは話の違いに驚いている。横からクルトが聞いてきた。
「じゃぁ、イゼーナ伯爵夫人が逃げ出したというのは・・・・・」
「そこに書いているようにニベルーテル枢機卿の指示を受けたアリガリーチ枢機卿が、伯爵夫人を案内されたんだ」
「ていうか、枢機卿猊下と知り合いだなんて、凄くない?」
俺の話を聞いて驚くクルトを尻目に、コレットが前のめりになった。そして俺はやっぱりタダ者じゃないわ、と妙に感心している。
「皆に記事のことでアレコレ聞かれるから、授業どころじゃないんだよ。今日なんか一限目しか出ていないんだぞ」
「でも聞きたくなるよね、目の前にいるグレンから直接・・・・・」
クルトの言葉には首肯せざる得ない。だから皆が俺に寄ってくる。それを回避する為に見解を書いて、これを学園内にある掲示板に張れば皆も少しは落ち着くだろうという考えを二人に話した。
「だから転写すればいいのね」
「グレンの見解を掲示板に張っておくよ」
飲み込みの早い二人は、俺の意図をすぐに理解してくれた。コレットがその場で転写してくれると、人気が少なくなった夕方に、二人が俺の見解を掲示板に張る手筈がすぐに決まったのである。
「しかしグレンが行くところ、本当に騒がしくなるよね」
「今や街中は『常在戦場』と『翻訳
クルトとコレットが言い合っているのを聞いて、それほど大きな話題になっているのかと問うと、二人が呆気にとられた顔をした。
「有名だよ、有名! だって僕のお父さんまでが言っているんだよ。「この戦いどちらが勝つか」って」
はぁ? あの固そうな官吏のジェフ・ウインズまでがか。全く、信じがたい話。
「街じゃ、この話で持ちきりよ。だって面白いんだもん」
「どこが?」
「グレンが」
はぁ? 笑いながら言うコレットを思わず二度見してしまった。小悪魔的に笑う様は、少しレティと似ている。
「相手は助手まで切っちゃったじゃない。でも『常在戦場』はグレンを出してないわ。だからグレンを出してない『常在戦場』の方が有利よね」
「あれじゃ、記事が嘘ですって言ってるようなものだから」
「後はどう負けるかよね、あの記者が」
「うん」
コレットとクルトは二人だけの世界を作っている。実に楽しそうだ。しかし俺達とメガネブタとの戦いが、ここまで注目されているとは思ってもみなかった。だから車椅子ババアとの悶着の記事に皆が群がるのか。世の中というもの実に恐ろしい。俺の見解を掲示板に張ってくれるよう改めて頼むと、急ぎ屋敷へと引き返した。
黒屋根の屋敷に戻ると、丁度リサが帰ってきたところだった。リサの後ろには『常在戦場』の調査本部から『
「グレン! 屋敷に居なさいって言ったじゃない」
「ゴメンゴメン。学園に用事があったんだ。だからすぐに戻ってきたんだろ」
「なにしてたの?」
ニコニコ顔が消えて立腹しているリサを見て、これはヤバいと思った俺は『収納』で俺が書いた見解文を出した。
「これを学園の掲示板に張ってもらってたんだよ」
「これを・・・・・」
「皆が聞いてきて、授業どころじゃないんだよなぁ」
「・・・・・そう」
事情を知ったリサはいつものニコニコ顔に戻った。クールダウンが出来たようだ。リサに同行してきたマッテナーと目が合った俺は、皆を俺の執務室へと案内したのである。
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