354 領内の有力者

 夜更けにリッチェル城に到着した俺達は、レティ自身の案内で本城に入り、応接室に入った。普通の貴族家では考えられない応対に戸惑いつつも、ソファーに座る俺達。レティがこれからの動きついて聞いてきたので、俺は自分が考えた予定を話す。


「明日の昼に小麦を下ろして、夜にリッチェル城を発ち、明後日の朝、ドラシド村に入る」


「どれぐらいかかりそうなの?」


「話によると半日程度のようだ」


 明日の夜に城を出て、明後日の朝にアイリの村であるドラシド村に入る。そして小麦を下ろした後には村を離れ、速やかにリッチェル城に引き返す。おそらくリッチェル城に戻ってくるのは夜半になるだろう。そう話した。


「するとここを出るのは明々後日ね」


「そうなるな」


 レティが何かを考えている。何を考えているか分からないが、三日後にはこのリッチェル城を後にするのは間違いない話。明日の午前中はゆっくりとして馬車旅の疲れを取り、午後から本格的に動くことに決まった。俺達がそんな打ち合わせをしていると、応接室のドアが静かに開く。見ると当主となったミカエルだった。


「姉上!」


「ミカエル!」


 レティはサッと立ち上がると、駆け寄ってきたミカエルを抱きしめた。この姉弟、本当に仲がいい。俺とリサも仲がいいとは思うが、ここまでじゃないからな。


「アルフォードさん、ローランさん。よくお越しくださいました。出迎えもできずに申し訳ありません」


「いやいや。夜にいきなり押しかけてすまない」


「ミカエルさん、お邪魔させていただきます」


 恐縮するミカエルに俺とアイリは挨拶する。ミカエルと顔を合わせたのは襲爵式以来だが、とても元気そうだ。ナイトヤーが気を利かせて、ミカエルに俺たちの到着を知らせたそうである。話を聞いて少し顔を曇らせるレティ。それを察したのかミカエルが言う。


「姉上、執事長も侍女長もまだ知りませんから、ご心配なく」


「そうなの?」


「しかし、当主の私が知らないのは問題でしょう」


「確かにね・・・・・」


 やんわりとナイトヤーを庇うミカエル。これにはさしものレティも黙ってしまった。まぁ普通に考えて、ナイトヤーの振る舞いは完璧だろう。レティの意向を踏まえて家の者には知らせないようにしながら、当主のみには知らせているのだから。


「ミカエル。小麦を持ってきたわよ」


「えっ? どこにですか」


「ここよ」


 レティは、俺の方に手を向ける。「はっ?」となって俺を見るミカエル。レティが目配せをしてきた。えっ、ここでやれというのか? 戸惑っていると、視線で催促してくる。無茶を言うなよ、レティ。俺は応接室の床に『収納』で小麦を下ろした。


「えっ。えええええ!」


「ね、あるでしょ。お金を出せば、キチンと小麦を売ってくれるわ。グレンが幾らでも持っているから心配しないで」


 ミカエルは目をパチクリさせて、姉であるレティと俺とを交互に見ている。


「ミカエルさん、安心して下さい。グレンはデビッドソン主教にもお売りしましたので」


「デビッドソン主教にも!」


 アイリの言葉に安心したのだろう。ミカエルはホッとした表情をする。話によると領内の実力者から、連日「小麦はいつか」「小麦はまだか」と言われて困り果てていたのだという。


「また「ラディーラ!」「ラディーラ!」って言って?」


「はい。そうです」


 レティからの問いかけに苦笑交じりに答えた。そういや、このリッチェル子爵領の支配階層「地主兵ラディーラ」達は、語尾に「ラディーラ!」と付けるとか、レティが言ってたな。


「全く」もう! ホント、能天気なんだから! 頭の中身は父親エアリス並よ!」


 ため息をつくレティ。もう呆れた、と言わんばかりだ。明日の昼には対処をするから、主だった者を集めておいてと、ミカエルに指示を出す。対するミカエルの方は「はいはい」と言った感じで、姉からの指示に唯々諾々と従う。そのやり取りを見て、俺もアイリも思わず笑ってしまった。


「どうしたのよ!」


「いや、兄弟はどこも同じだなと」


「レティシアも私と同じで安心しました」


 自分たちの兄弟関係と照らし合わせて笑ったのが分かったレティとミカエルは、お互いの顔を見合わせて笑いだす。自分達が無意識でやっていたことが、他人から見れば、そのように見えるという事に気付いたからだろう。食事の用意ができたというので、ダイニングに移動して遅い夕食を摂った俺たちは、用意された寝室でそれぞれが眠ったのである。


 ――翌日。ゆっくり休んだ俺達は、食事をして身支度を調えると、本城のホールに入った。ここはミカエルが襲爵式を終えて帰還した後、子爵位の襲爵を宣言し、レティをリッチェル子爵夫人に叙した場所。玄関と広間が一体となっており、黒屋根の屋敷とは大きく異なる構造である。リッチェル家ではここで儀式やパーティーを行うのだという。


 当主ミカエルの立ち会いの下、ダンチェアード男爵、家付き騎士のレストナック、執事長のボーワイドと侍女長のハーストの四人と再会したのは昼過ぎのこと。ホールに用意された席に座るリッチェル子爵家に仕える面々は、皆元気そうである。代表してダンチェアード男爵が挨拶と歓迎の言葉を述べ、俺とアイリはそれに答えた。


「しかし夫人もお人が悪い。事前に知らせていただければ・・・・・」


「帰ってくるぐらいでわざわざお城に来なくたっていいじゃない。夜更けなんかに」


「しかし・・・・・」


「みんな持ち場で一生懸命やっているのだから、気にすることなんてないのよ。誰も見ていないのだし」


 レティはダンチェアード男爵を言いくるめる。貴族の対面の為に労を掛けるのは無駄だと言いたいのだ。この貴族的でない思考のおかげでリッチェル子爵家は破綻を免れているのは間違いない。しかしレティのその先進的で開明的なその感覚、どこで身に付けたのだろうか? 全くの謎である。


「それより小麦よ。ウチで出せるお金でありったけの小麦を買うわ。どれくらいあるの? ポーワイド」


「はぁ。現在七五〇万ラントほど・・・・」


「かき集めて?」


「はい・・・・・」


 レティは右のこめかみを人差し指で押さえた。おそらく想定以上に少ないのだろう。


「私のお金も合わせて一五〇〇万ラントかぁ」


 レティ! 君はこれまで博打で三〇〇万ラント以上を稼いだのか。以前ドーベルウィン伯爵家の手伝いで三〇〇万ラント、俺とドーベルウィンとの決闘賭博で一〇〇万ラント、合わせて四〇〇万ラントを得ているはず。


 ということは残り三〇〇万ラント以上をどこかで稼いでいる計算。となるとレティ得意のルーレット以外に稼ぎ場がない。これまでの学園生活で使った費用も捻出したと考えると、相当額をカジノで稼いでいる事になる。すなわち博打で稼ぐヒロインの実像が浮かび上がったのだ。


「ねぇ、グレン。その額で譲ってくれる?」


「構わんが、レティが出した費用は・・・・・」


「買った小麦を売り渡して返してもらうわ」


 よし、いいだろう。俺は快諾した。俺とレティとの間で小麦一袋九〇ラントで売却するという約束で交渉が成立すると、ダンチェアード男爵が驚いた。


「そんな額でよろしいのですか?」


「平価で譲るという約束をレティ、いや夫人と約束しているんだ」


「安心して。グレンだって商売でやってるから、利益を確保しているわ」


 レティの言葉に皆が驚いている。しかしレティの言う方が正しい。馬車代として一袋二〇ラント取っているんだし、仕入れ値が四五ラントだから丸儲けみたいなもんだ。レティが本城の倉庫にある小麦の備蓄状況について、執事長のポーワイドに聞いている。


「夫人の指示通り、本城に備蓄していた小麦も殆どを放出しました」


「そう。でしたら、本城の倉庫をまずは埋めなきゃね。グレン、いい?」


「ああ、もちろんだ」


 俺が返事をすると、レティが何の前触れもなく立ち上がったので、それにつられて一斉に立ち上がる。倉庫に行きましょうというので、皆がレティの後について歩く。夜は見えなかったが、リッチェル城は古めかしい石造りの城だというのが、歩いて分かってきた。まるで中世の城のような雰囲気である。ただ今の時代に合わせて改造しているようだ。


 本城を出て外に出ると、リッチェル城の外観が見えてきた。西洋の古めかしい城。真ん中に高い尖塔があって、ゴツゴツした石で覆われた無骨な城である。ここでレティが育ったのかと思ったら、何か感慨深い。その城、本城の外れに倉庫があった。この倉庫も石造りで無骨な建物。レティの指示を受けた家の者が倉庫の扉を開ける。


「・・・・・無いわね」


 レティが言った通り、倉庫は文字通りだった。レティが「ここに下ろして」というので、その指示に従い、俺は『収納』で小麦を下ろす。


「おおおおお!」


 立ち会っていたダンチェアード男爵が声を上げた。家付き騎士のレストナックや執事長のボーワイドは、ビックリして固まっている。侍女長のハーストや家の者も同様だ。いきなり小麦が現れたらそりゃ驚くか。


 レティが周囲を見渡して「この小麦は切り札だから、大事に使ってよ」と言うと、その言葉に皆が頭を下げる。このリッチェル子爵家の実質的な主人がレティであることを示す振る舞いだった。


「ミカエル。普段はここの小麦を大事に使って、いざとなったら、この蔵を開けなさい」


「分かりました」


 レティに頭を下げるミカエル。なるほどな。レティはこうやって家中を治めてきたのか。しかしヒロインとは思えぬ采配ぶり。するとレティは、街にある倉庫に向かう手筈を指示する。家付き騎士のレストナックが俺たちを馬車溜まりへと先導してくれた。そこには既に二台の馬車が用意されており、非常に手際が良い。


 これはおそらくレティの指示なのだろう。一台目の馬車にはレティ、ミカエル、俺とアイリが乗り込み、二台目の馬車にはダンチェアード男爵と家付き騎士のレストナックの二人が乗った。執事長のボーワイドと侍女長のハーストは見送りだ。俺達六人は二台の馬車でリッチェルの街にある倉庫を目指して出発した。

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