353 リッチェル子爵領

 俺たちが乗った高速馬車は北に向かって走っていた。昨日の夕方にチャーイル教会を慌ただしく出た後、駅舎で馬を繋ぎ変えながら一路リッチェル子爵領を目指している。リッチェル子爵領は王都トラニアスとレジドルナの幹線沿いにあるのだが途中分岐しており、リッチェル子爵領経由の道を通るとレジへの近道なのだという。


 これはメイン道がドルナを通ってレジに至るのに対して、リッチェル子爵領を経由する道は橋を渡ってモンセルとレジドルナを結ぶ幹線に入り、レジ側に至ることができるからで、リッチェル子爵領経由の道はいわば抜け道的に使われているらしい。ただ、抜け道というには理由があって、道が丘陵地を通るため平坦ではないとのこと。


 それゆえ多くの人は、平坦なドルナ側の道を使うという訳だ。因みにリッチェル子爵領を通ってレジに至る道も幹線である。高速馬車はこのリッチェル子爵領を通る幹線を走るために分岐した道に入ったのだが、平坦な道からなだらかな上り坂となったので、馬車の速度が落ちた。ここらは軽自動車のような馬力のない車と変わらない。


「コルレッツさんのお家はどうだったのですか?」


「いやぁ、みんな元気だったよ」


 アイリがコルレッツ家の事について聞いてきたので、ありのままを答えた。デビッドソン主教と共にコルレッツの実家を尋ねると、主人ペイジルをはじめ妻セシリーや長弟ジュリオと長妹ジュリア、末弟カルロと末妹カルラらコルレッツの弟妹達が出迎えてくれたのである。事前に早馬を飛ばしていたので、俺の訪問を皆が知っていた。


 俺は早速、一五万ラント分の小麦を下ろした。これはジャックがコルレッツから預かってきた代金の分。加えて主人ペイジルが小麦を譲って欲しいと一〇万ラントを出してきたので、その分の小麦も下す。倉庫に小麦が積まれて一安心したペイジルに、どうして小麦がなくなったのかと尋ねた。というのも以前、俺が手放さないように言っていたからだ。


「それが・・・・・ 村の者に頼まれまして・・・・・」


 小麦が高騰したときに、小麦がなくて困っていた村の者に小麦を売ってしまったというのである。しかも相場値ではなく平価で。娘であるコルレッツの時といい、なんて人がいいんだ。一人に譲ると、二人三人と譲らなければならなくなり、家の倉庫が空になってしまったそうである。人の良さも大概にしないと大変なことになるぞ。


「これはジャックとジャンヌから事付けられた小麦だから、頼まれても譲ってはいけませんよ」


「はい、分かっております」


 ペイジルは頭を下げた。さすがにこの小麦を売り渡すことはできないだろう。そう言い含めて帰ろうとすると、ペイジルの妻セシリーをはじめ、ジュリオやジュリア、カルロ、カルラが俺の周りを取り囲んで、ジャックとコルレッツ宛の封書を渡してきた。


 話によるとジャックからコルレッツの連絡先を聞いていないとの事。ジャックは家族の誰にも妹の連絡先を教えていなかったのである。それにしてもジャックの口は堅い。コルレッツは実質的に謹慎中の身であり、おそらくは俺に対して義理を立ててくれているのだろう。本当にジャックは責任感の強い男である。


 そうした事情を汲んだ俺は皆の封書を預かり、コルレッツ家を後にした。しかしコルレッツ、あれだけ家族にも無茶を強いているのに、何故かその家族に愛されているんだよなぁ。ただ今回のように、借金払いをしながら小麦の代金を捻出しているのを考えると、コルレッツの方にも家族愛があるのだろう。


「弟や妹も物好きよねぇ」


 呆れたようにレティは言った。皮肉めいた口調が、リッチェル家中でのレティの立ち位置を示している。兄ドボナード卿は種馬野郎で、姉パリタス男爵夫人は世間知らず浪費家。頭を悩ませる行動しかしない兄姉を持つレティからしてみれば、兄弟に酷い仕打ちをしたコルレッツをなおも慕うという、コルレッツの兄弟達の感覚は理解できないのだ。


「でも・・・・・ ミカエルからはそう思われたいわ」


「私も!」


 レティの言葉にアイリが続く。アイリの妹かぁ。ソフィアだったよな、確か。アイリに妙な入れ知恵をして、俺に迫らせるように仕向けた中々の猛者だが、普段あまり話に出ないからどんな子なのかは分からない。しかし、ジルは俺の事をどう思っているのだろうか? 現実世界では弟や妹がいなかったので、この辺りの感覚が分からない。


 六回目の馬の繋ぎ変えを終え、しばらく馬車が走っていると視界が一気に狭まった。これが夕暮れなので余計に狭く感じる。左右に崖が迫って来る中を高速馬車が駆け抜けていく。勾配はあまりないが、高速道路を走っている感覚だ。「セラミスの切り通し」と言われている場所で、道を平坦にする為に掘られたようである。


 この「セラミスの切り通し」を抜けるとリッチェル子爵領だとレティが教えてくれた。道の両側に迫ってくる崖が突然なくなり、パッと視界が開けた。草原、だだっ広い草原。突然変化したこの景色、日が沈んで赤黒くなった空の中、高速馬車は北上する。薄暗くなった草原をよく見ると、所々に馬が走っていた。


「馬産地なのよ」


 そういえば言ってたよなぁ、それ。これから馬の需要を増えるから、リッチェル子爵領で馬を増やすと。暗くなっている中、草原を走っている馬が影のように見える部分が幻想的である。


「南が草原、東西が小麦、北が木材なのよね、領内。こんなところじゃ、産業を興すなんて、まず無理だし」


 なるほどな。一次産業で殖産興業ということになるって訳か。子爵領の真ん中辺りにリッチェルの街とリッチェル城があるとリサが言っていたが、これは偶然ではなく人為的に行われたもので、ご先祖様が遠い昔に定めて作ったものだとレティが話してくれた。誰に聞いたのかと振ったら、ダンチェアード男爵からだという。エアリスじゃないのか!


「城に着いたわ」


 レティが言う。夜でも見える一つの尖塔。あれがリッチェル城なのだという。高速馬車は街中に入り、城に至った。閉まっていた城門を衛兵が開ける。エレノではよくあるゲート式ではなく、左右に開くドアと同じタイプ。城門が開くと馬車は静かに走り出し、城内に入る。程なくして本城の玄関に到着して馬車が止まった。


「さぁ、降りましょう」


 レティがそう言うと、一人馬車から降りた。一瞬ギョとしながらもレティに続いた。アイリも俺と同じく少し戸惑っているようである。というのも貴族の家を訪問する場合、出迎えが来るまで車中で待っていなければならず、ドアを開けられてから降りるものだからだ。ドーベルウィン伯爵家やボルトン伯爵家、ノルト=クラウディス公爵家もそうだった。


 レティの親族であるエルダース伯爵家も同じなのに、リッチェル子爵家の場合、それがないのである。だから貴族家を訪問する際の出迎えも、当然ながらない。貴族らしくない故に戸惑っているのだが、レティを見るとそんなしきたり・・・・に拘りがなく、全くお構いがないようだ。まぁ、学園のときのレティのままだと言えばその通りなのだが。


 しかし乙女ゲーム『エレノオーレ!』に出てくるレティも貴族設定にしては奔放だったが、実物?はそれ以上にぶっ飛んでいる。全く貴族らしさがないのだ。今まであまり考えたことがなかったが、目の前にいるレティの姿を見てそれを実感した。レティは自分でドアを開けて本城に入ると、俺とアイリを招き入れる。


「帰ったわよ!」


 薄暗いホールにレティの声が響き渡る。しばらくすると四、五人の使用人がどこからともなくゾロゾロと出てきた。


「お、お嬢・・・・・ 夫人様・・・・・」


「お、おかえりなさいませ・・・・」


 出てきた屋敷の者達は皆、ビックリしている。事前に到着を知らせていなかったのか、レティ?


「皆を起こさないで。今、厨房に残っているもので、用意してくれる? 軽くでいいから。 持って来るのは一時間後でいいわ」


 レティは「寝室は用意できているでしょ」と家の者に確認すると、応接室に行くわと告げて、俺たちを部屋に案内した。屋敷の中で夫人を誰も先導しないなんてまず有り得ない話。レティの振る舞いは明らかに貴族のそれではない。クリスのそれを見てきた俺からしたら、もう異世界の話。こっちの方が心配になってくる。


「大丈夫なのか、これで」


「何が?」


「いや、貴族らしくなくて・・・・・」


 ソファに座った俺は、思わずレティに聞いてしまった。


「いいのよ。だって貴族らしくしたって、窮屈なだけじゃない、みんなが」


「うふっ。レティシアらしい」


 アイリが笑うと、レティが少し恥ずかしそうな仕草をする。さすがに開けっ広げだと思ったのだろう。どうやら奔放だという自覚はありそうだ。俺達が話していると、そこへ中年と思しき侍女が部屋に入ってくる。


「お茶をお持ちいたしました」


「ありがとう、ナイトヤー」


 ああ、この人物が侍女ナイトヤーか。リサが忠義に厚いと言っていたリッチェル子爵家の侍女。エアリス夫妻の周りの世話をしながら、夫妻に靡くことがなかった職務に忠実な侍女。そのナイトヤーが俺たちに紅茶を入れてくれる。ナイトヤーは使用人達から夫人の帰宅を知らされ、挨拶に立てなかった事を侘びた。


「いいのよ。碌な連絡をしていないのは私だから」


 侍女にもフランクに対応するレティ。日頃からこうなのだろう。ナイトヤーは頭を下げると、この後の予定について伝えてくれる。


「お食事は一時間後にお運びします。部屋はご用意ができています。お風呂は明日の朝にご用意致します」


「急に帰ってきて、ごめんなさいね」


「明日の朝だと伺っておりましたので、皆そのつもりでご用意を・・・・・」


「予定よりも早く着いてしまったのよ。でも遅いよりもいいでしょ」


 レティがそう言うと、侍女ナイトヤーは笑った。二人の間の信頼関係はそれだけ深いのだろう。どうやらレティは学園と同様、家でもこの調子のようである。飾らない気質、レティの素がこうなのだろう。ナイトヤーは一礼すると部屋から下がった。

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