352 神に誓う
レティが差し出してきたのは『週刊トラニアス』の最新号。昨日、出発前にリサがやってきて翌日に発行予定ものを俺達に差し入れてくれたのだ。レティが誌面を広げると、「えええ!」と驚きの声を上げながら、俺に向けて誌面を広げる。
「ちょっと、見てよ! あのメガネブタが「神に誓った」って書いてあるわよ」
「ええ! ホントか」
差し出された記事を見て、我が目を疑った。確かにそう書いてある。受け取ってはいたものの夜の間に目を通さず、いまレティが広げて読んだ事で、リサの意図が初めて分かったのである。俺達にメガネブタの事が書かれたこの記事を見せたかったのだということが。記事の見出しは中々衝撃的なものだった。
「モデスト・コースライス氏、神の前で正しさを誓う!」
誌面にはメガネブタが司祭の前で『翻訳
「こんな誓いまでして、大丈夫なのコイツ?」
「大丈夫な訳がないだろ。全部デタラメだぞ」
「そうよねぇ」
俺とレティは顔を見合わせた。何から何まで嘘であることは明白なのに、どうやったら司祭立ち会いの下、神に誓えるのか。その図太すぎる神経には恐れ入るばかり。記事を読んでいたアイリが言った。
「もし、この誓いが誤りだったらどうなるの?」
「大変な事になるわ。家族にも累が及ぶはずよ」
レティが眉をひそめる。もし嘘である事が証明されれば「八星十字」を付けなければならなくなると。「八星十字」とは忌まわしき犯罪者の証。エレノ世界でこれを付けるということは、あらゆる権利が剥奪される為、生き地獄を味わうのと同じこと。それは昔ムファスタで邪教とされた、モルト教の聖職者が受けた仕打ちと同じ目に遭うことになるのだ。
「それって・・・・・」
「犯罪者よ。家族も」
アイリはレティの言葉に驚いた。嘘を吐いているのに、どうして誓いなんて立てたのかと訝しがっている。言われてみればその通り。俺達はメガネブタが嘘を吐いている事が分かっているのだから、疑問に思うのは当たり前。メガネブタはどうしてそんなリスクを冒したのか。
「それは俺にも分からないが、メガネブタが神に誓ったことだけは間違いがない」
「そうよね。信じられないけれど」
レティは「神に誓う」というメガネブタの行動に対し、首を傾げながらも俺の見立てに同意した。俺達が『週刊トラニアス』に掲載された記事について話している中、高速馬車はチャーイル教会に到着したのである。
御者には教会内にある管理棟の側に寄せてもらい、馬車を降りて建物の中に入ると、受付にいた初老の男ペッグに声を掛けた。俺の顔を見て驚いた表情をしたペッグは、一礼すると建物の奥へと消えていった。おそらくは俺たちが来ることを聞いているのだろう。暫くしてペッグはフレディの父、デビッドソン主教と共に戻ってきた。
「リッチェル子爵夫人。わざわざお越しいただきありがとうございます」
「ケルメス大聖堂での襲爵式を執り行って頂き、改めてお礼を申し上げます」
レティとデビッドソン主教はそれぞれ頭を下げる。たとえ俺に用があろうとも貴族に挨拶するのが先で、俺達への挨拶は後になる。
「アルフォード殿、ローラン殿、よくぞお越しくださいました」
デビッドソン主教と挨拶を交わすと、そのまま応接室に案内された。馬車移動の直後なので体調について尋ねられたが、アイリもレティも大丈夫だというので、そのまま小麦についての協議に入る。
「チャーイルにも、ナニキッシュにも、全く小麦がないのだ」
ため息混じりに話すデビッドソン主教の姿を見て、二人は驚いていた。予想はされていたとはいえ、小麦が「全く無い」という話にまでなっているとは思っても見なかっただろう。小麦価は一五〇〇ラントに達しているが、カネを出しても小麦そのものが手に入らないのだという。上手く手に入っても少量とのこと。
「アムスフェルド地方にもスティーナ地方にも小麦が消えたのだ。それも突然に」
アムスフェルド地方はこのチャーイル教会のあるところ、スティーナ地方はアムスフェルド地方の東隣にある地方で中心地がナニキッシュ。コルレッツの実家もスティーナにある。話を聞くと年が明けてから急に小麦相場が上がり、皆が売り捌いてしまったが為に小麦が蒸発してしまったとのこと。デビッドソン主教は聞いてきた。
「アルフォード殿、小麦の方は・・・・・」
「好きなだけお渡しできますよ」
「しかし・・・・・」
デビッドソン主教がどこに? という顔をしたので、『収納』で応接セットの横に小麦を出した。
「おおおおお!」
「倉庫十棟分ありますから、どれぐらい必要かと」
「そんなにも・・・・・」
量を聞いてデビッドソン主教は絶句している。実際問題、費用の話も出てくるので、無尽蔵という訳にもいかないだろうが、かなりの量を渡せるという事は分かってくれたようだ。俺は額を提示した。
「平価で売らせてもらいます」
「平価で!」
「七〇ラントで」
七〇ラント。つい数ヶ月前まで、その価格で取引されていたのだが、今となっては夢の金額。しかし問題は額ではなく、小麦を配る方法だと話すと、その点に関しては案を考えていると、デビッドソン主教は言う。
「一人あたりに渡す量を少なくするのだ。都度購入という形にすれば転売する者も少なくなるだろう」
なるほど。それであれば安く売り渡しても、大丈夫ということか。エレノ世界は厳しい身分制社会。戸籍は教会が管理しており、教会側が小麦を直接引き渡した場合、誰にどのくらいの小麦を売ったのかを全て把握する事ができる。現実社会では考えられない話だが、戸籍を使った管理社会を構築する事も容易なのだ。
「サルミス教会には倉庫がないが、このチャーイル教会とナニキッシュ教会には倉庫がある。その倉庫に小麦を下ろして貰えれば」
俺の封書を読んで、既にプランを考えていてくれたようだ。つまり後は小麦を下ろす量を決めるだけ。その点に関しては俺の方が提案をした。
「倉庫に小麦を下ろしますので、後はケルメス大聖堂を通じでの払いで」
「!!! それで良いのですか」
「はい。代金は後払いということで」
「それはありがたい」
主教の表情が明るくなった。小麦の配給プランは考えていたが、買取にかかる費用については目処が立っていなかったようである。それが一瞬で解決したということで、デビッドソン主教も肩の荷が下りたのだろう。話の大筋が纏まったところで、そろそろ頃合いだろうと教会の食堂に移動した俺たちは、遅い朝食を頂いた。
俺とデビッドソン主教がナニキッシュ教会とコルレッツ家に出向いている間、アイリとレティはチャーイル教会の客室で休息を取る事になった。高速馬車の御者達も教会が提供してくれた部屋で休んでいる。出発は俺が帰ってきてから後ということで、おそらくは夜になるだろう。食べてから数時間は待たなければいけないからである。
チャーイル教会の倉庫に小麦を『収納』で下ろした後、教会の馬車に乗り込んでナニキッシュ教会へと向かう車上、主教の息子であるフレディの話になった。フレディは封書の内容を知らなかったので、ここに来ていることも伝えていないと俺が話すと、主教はホッとしたようだった。
「黙っていてくれてありがたい。息子には何も言ってなかったので」
察しておいて正解だったようだ。主教は小麦不足をフレディに知らせたくなかったのだろう。
「わがままな話だが、頭を下げるのは私だけでいいと思ってな」
そうか。フレディが事情を知ったら、フレディが俺に頭を下げなければならなくなる。それを避けるために教えなかったのか。なるほど、親の心情というやつだ。今までそんなこと、一度として考えたこともなかった俺とは大違いである。デビッドソン主教は俺なんかよりもずっと立派な親だよな。だから裕介も愛羅も俺に関わって来ない訳だ。
だって親としてみたいな発想がないんだから、俺。当然といったら当然か。デビッドソン主教は自身の私情を汲ませるような事をして申し訳ないと頭を下げてくれたが、本当の親らしい振る舞いを見せてもらったことで、俺は一つ勉強になった。こちらの方から礼を言いたいくらいである。
ナニキッシュ教会に到着するとデビッドソン主教と倉庫に赴き、『収納』で小麦を下ろした。チャーイル教会の倉庫の時もそうなのだが、倉庫があっという間に小麦で満杯になるので、デビッドソン主教と立ち会った者が呆気にとられている。
「何度見ても気持ちがいいぐらい、一瞬で満杯になる」
デビッドソン主教の言葉に思わず笑ってしまった。ナニキッシュ教会の者にテキパキと指示を出したデビッドソン主教の指導よろしく、小麦入荷の知らせのお触れを出した事で、集まった街の人々に小麦がどんどん販売されていく。
主教によると、チャーイル教会の方でも同じように行われているだろうとの事で、この辺り綿密なデビッドソン主教の采配が光る。ナニキッシュ教会で早めの昼食をいただいた。というもの今日の夕方にチャーイル教会から発つので、食べる時間がないのだ。それを察してくれたデビッドソン主教が、事前に用意してくれたのである。
今回の訪問は小麦を渡すだけのもの。だから日程がタイトだし、強行軍となってしまう。だから食べてしばらく休んだ後、再び馬車に乗った。ナニキッシュ教会からコルレッツ家に向かう最中、二つの教会に下ろした小麦の清算と支払方法の話になった。
話し合いの結果、俺が下ろした小麦の額およそ一三五〇万ラントの内三八〇万ラントを先に受け取り、残り九七〇万ラントについてはケルメス大聖堂を通じて後日支払うことで合意。コルレッツ家に立ち寄った俺はジャックに頼まれた小麦を渡すと、そのままチャーイル教会に戻ったのである。
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