355 ババシュ・ハーン

 リッチェル子爵領の真ん中に位置するリッチェル城。このリッチェル城の南側に城下町が形成されていた。これがリッチェルの街である。リッチェルの街は小さいが、馬車の窓から見る限り、賑わっているように見える。感心したのは、街の人々が俺達の馬車に頭を下げていること。


 これを見るにリッチェル子爵家という威光が強く働いているのが分かる。レティはこの領内では「お嬢様」だったんだな。今頃になって気付いたよ。街中を走る馬車。リッチェルの街の中心部近くにある建物の中に、俺達を載せた馬車は入っていった。馬車が通るぐらいの開口がある建物も珍しい。建物が馬車溜まりを取り囲んでいる中庭構造である。


「集会所よ」


 そういえば、子爵領内にある街の統治の中心は集会所だとか言ってたよな。俺達が馬車を降りると、集会所から三人の人物が出てきた。中年から老人くらいの男達だが、いずれも腰に刀を差している。鞘を見るとやたら刃が太く、湾曲しているように見える。こちらの世界に来て、見たこともないような形状だ。


「ラディーラ!」


 三人の男達は、ミカエルとレティを見るなり、声を合わせた。ホントに「ラディーラ!」って言うんだ! 内心ビックリしたが、ここでは顔に出さない。


「ババシュ・ハーン。小麦はどうなの?」


「もうない、ラディーラ!」


 は? レティが言ってた事はガチだったんだ。なんでも後ろに「ラディーラ!」を付けるって。三人の男の中で一番序列が高そうな真ん中の人物、レティがババシュ・ハーンと呼んだ、両端がピンと上に跳ね上がっている特徴的な口髭を持つ、白髪交じる短髪の男が言う。


「みんな小麦が無くて困っているラディーラ!」


「貴方達が言いつけを守らず、お金に目が眩んで小麦を売り払ったからでしょう!」


「申し訳ないラディーラ・・・・・」


 レティからの説教に、刃が広い独特の形をした刀を差したババシュ・ハーンはうなだれてしまった。ババシュ・ハーンの右隣にいる、ターバンのようなものを頭に巻き、渦を巻いている髭をたくわえた壮年の男が言う。


「あまりに小麦が高かったので、売って買えばより多くの小麦が買えると思ったラディーラ・・・・・」


「それでなくても少ない小麦を売ったらゼロになるに決まってるじゃない!」


「ラディーラ・・・・・」


 これにはもう反論の余地もないだろう。しかし、この眼の前にいるラディーラおじさん達に限った話ではないが、エレノ世界の住人は実にノーテンキなところがある。表現が古いが漫画レベル、存在自体がもうギャグとしか思えないような振る舞いや発想をする者だらけ。


 どうして揃いも揃って少ない小麦を売り払い、その後に買い戻そうなどと考えるのかと。不足していて無いモノが、どうやったら買い戻せるなどと考えられるのか。何度理由を聞いても分からない。普通に思考回路がおかしい。どうやら呆れているのは俺だけじゃなくレティも同様のようで、「もういいわ」と言うと、倉庫に案内するように指示を出した。


「ホントにないのね」


 集会所の敷地内にある倉庫を見たレティは言った。空っぽの倉庫を案内した三人の実力者ラディーラは恐縮して縮こまっている。その縮こまっている一人、ターバンのようなものを巻いた壮年の男が、レティに尋ねた。


「・・・・・あの・・・・・小麦はどこに・・・・・」


「ここにあるわ」


「!?」


 俺のほうに手を向けるレティを見て、ターバンの男は目が点になっていた。もしかして「俺が小麦?」とでも思っていそうである。ターバンの男もエレノ世界の住人である以上、それぐらいの勘違いをしたところで、全く違和感はない。


「グレン。小麦を降ろして」


「ああ」


 俺は返事をすると『収納』で小麦を下ろした。またたく間に倉庫は小麦で満たされる。


「ラディーラ!!!!!」


 これを見た三人の実力者ラディーラは驚愕している。まさかいきなり小麦が現れるなんて思っても見なかったのだろう。


「グレン・アルフォードに頼んで小麦を用意してもらったのよ。感謝しなさい!」


「ラディーラ!」


 レティの言葉に従って頭を下げた三人に向かって、俺はレティが小麦を買ってくれたから下ろしたのだと話した。つかさずレティが言う。


「もう今度売っちゃダメよ。この小麦をみんなで大事に分けて。売るのは平価で売りなさい。代金は城に渡すのよ」


「ありがとうございますラディーラ!」

「感謝しますラディーラ!」

「言いつけは守りますラディーラ!」


 これじゃまるでレティが親、三人の実力者ラディーラの方が子供のようである。頭痛の種はエアリスとアマンダという実の親だけではなかった。どうやら領内の実力者ラディーラの方も同じようだ。「ラディーラ!」と叫ぶ実力者ラディーラを見るに、不安で不安で仕方がない。


 なんだかリッチェル子爵領の当主という地位そのものが地雷に見えてきた。ターバンを巻いた渦巻髭の男がその場を離れると、「ラディーラ!」と叫ぶ別の男達を連れてきた。なんだかマドハンドみたいな展開である。彼らはレティとミカエルに「ラディーラ!」と礼を言うと、ババシュ・ハーンを囲んで拳を上げ、「ラディーラ!」と何度も連呼した。


「全く。何でも「ラディーラ!」と言えば解決すると思っているのよ!」


「あ、姉上・・・・・」


 帰りの車中、呆れながらも語気を強めるレティに、ミカエルが困り果てていた。レティが事後をダンチェアード男爵と家付き騎士のレストナックに託したので、俺達の馬車はひと足早く城の方に戻っているのだが、その車上での話。夜にアイリの実家であるソラシド村に俺達が向かうので、レティがそのように指図をしたのである。


 しかし子爵領に来る前からレティに聞いてはいたのだが、実力者ラディーラがここまでお目出度い連中だとは思ってもみなかった。実力者というには、あまりにも能天気過ぎる。レティを見るに、これまでも気苦労が多かったのではないだろうか? レティはため息混じりに言った。


「でもババシュ・ハーンにはお世話になったからね」


「どんな世話になったんだ?」


「街の取り纏めを一手に引き受けてくれたのよ」


 俺が聞くと、レティが答えた。なんでもババシュ・ハーンはリッチェルの街を取り纏める中心人物で、レティがリッチェル子爵家の采配権を握る前から、レティを支持した有力者ラディーラの一人であったとのこと。


 レティが「種馬」と罵る兄、ドボナード卿を廃嫡に追い込む為に力を尽くしたのは、ダンチェアード男爵と、ババシュ・ハーンの二人であったという。領内の村をダンチェアード男爵が、街の方をババシュ・ハーンがそれぞれ押さえることで領内の総意を作り出す事に成功。レティの父で前当主のエアリスに、ドボナード卿の廃嫡を認めさせたのである。


 これがエアリスから子爵家の采配権を奪う大きなきっかけとなったのだが、ババシュ・ハーンがレティに与したことも少なからず影響を及ぼしており、領国経営の観点から考えても街の有力者ラディーラ、ババシュ・ハーンの事を見て見ぬフリができる立場ではなかった。


「ミカエル。彼らに厳しく言いなさい。すぐに忘れる人達だから」


「はい、姉上」


 リッチェル子爵家の当主となったミカエルに、姉であるレティは諭す。厳しく言わないとまた小麦を売りかねないという危惧は正しいと、部外者である俺でも思う。レティはババシュ・ハーンを見て見るフリはできないが、言うべき事はしっかり言う、というスタンスで臨んであるようである。


 しかしそれにしても年端も行かない姉弟に厳しく指摘されているのに、全く効いていない感じがする。反省がない子供のようだ。それぐらいあいつらラディーラはヤバい。レティは俺とアイリに見苦しいものを見せたと侘びてきたが、レティは何も悪くないとフォローする以外、言いようがなかった。


 ――俺とアイリを載せた馬車がアイリの故郷ドラシド村へ向け、リッチェル城から出発したのは夜のこと。リッチェル城に戻った俺とアイリは早い夕食を摂って仮眠をした後、二頭立ての馬車に乗り込んだ。


 実はこの馬車、トラニアスから乗ってきた高速馬車ではなく、普通の二頭立て馬車。どうして普通馬車で向かうのかには、大きな理由がある。リッチェル子爵領からドラシド村に向かうには大きく分けて3つのルートがあった。


 まず子爵領を北に抜け、レジに至る幹線を通ってレジドルナに入り、ムファスタ行きの幹線で向かうルート。次に来た道を幹線まで戻り、ドルナ側からムファスタ行きの幹線を使うルート。そして子爵領を西に向かい、支線を通ってドラシド村に至るルート。俺達が通るルートは三番目のルート、支線を使う道である。


 というのも幹線を通るルートがいずれも大きく迂回する為、高速馬車であっても半日以上かかるからだ。理由は高速馬車がドラシド村に乗り入れる広さの道が、レジドルナームファスタ間の幹線側、すなわちドラシド村の西側にしかないのである。一方、最短距離で到達する村の東側に通る道は支線の為、小型の二頭立て馬車しか通れない。


 だが村の東側に通ずる道を使えば距離そのものが短いので、馬の繋ぎ変えを含めて十時間程度で到着できる。そのため幹線を使った時間よりも短くて済む。なので高速馬車に比べて遅い普通馬車を使い、支線を通るルートを使うという判断をしたという訳だ。小型のために4人乗りというには名ばかりの馬車の車上、アイリが話しかけてきた。


「短い時間ですけど、お願いしますね。グレン」


「ああ。慌ただしいけど、任せてくれ」


 夜陰に紛れているから表情は見えないが、アイリの声が弾んでいる。実は出発前に打ち合わせをした中で、小麦を降ろす量を増やす話をしたのだ。デビッドソン主教の教会や、リッチェル子爵領で代金以上の小麦を降ろしているのを見ていたアイリが、ドラシド村でもなんとかならないかと言い出したのである。


 アイリ曰く、ドラシド村だけ小麦が溢れていたら、近隣の村々から何を言われるのか分かったものじゃないと。確かにそうだ。アイリの話はもっともだということで、まず三〇〇万ラントの小麦を降ろし、その小麦を村人にアイリが配っている間に、アイリの父フロイス・ローランと追加で降ろす量について話し合う手筈となった。

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