348 大聖堂での紛擾

 ケルメス大聖堂に到着した俺は、いつものように玄関から受付に向かった。受付の横にある通路を介して図書館に入るからで、言ってはなんだが特別待遇というやつである。その通路を通る為には、まず受付に告げなければならない。ところがいつもは静かな受付の場が、ざわついていて人だかりができている。何かヒステリックな女の声が聞こえてきた。


「身分の差も弁えず、よくも邪魔をしてくれたわね!」


 どこかで聞いたことがある、耳障りの悪い金切り声。何だ?と思って見ると、そこには車椅子に乗ったババア、あのイゼーナ伯爵夫人という車椅子ババアが叫びまくっていたのである。


「碌に喜捨もできない者が、一人前に並ぶものじゃないわよ、この礼儀知らずが!」

 

 取り巻きに囲まれた車椅子ババアは、地べたに這いつくばっている親子に向かって罵声を浴びせ付けていた。親子、母親と男の子だろうか、男の子に覆いかぶさるように母親が頭を下げている。どのような事情かは詳しく分からないが、この親子が車椅子ババアに絡まれてしまった事だけは間違いない。


「大体、この大聖堂にお前達のような分を弁えない者が来るから、間違いが起こるのよ! そうよね!」


 車椅子ババアは取り巻きたちに対して高圧的に同意を求める。こうやって人を従わせ、理不尽を通すのがコイツのやり方だろう。この手の人間がやる手口なんざ、大体決まっている。


 そういやこのババアの家、イゼーナ伯爵家はノルデン最大の出版社、ノルデン報知結社のオーナーだったな。ノルデン報知結社といえば、俺のデマ記事を載せた『翻訳蒟蒻こんにゃく』の発行元。本当に上も下も性根が腐ってやがるな。


「・・・・・お許しください」


「許すも許さないも、何の価値もない者に、そのようなものは不要でしょ!」


「・・・・・ご勘弁を」


「高貴な者と下賤な者の違いについて、お前は何も分かってはいないのね」


 車椅子ババアはあのカジノで見た時と同じく、執拗にいびり続ける。高き身分であるにも関わらず五体が満足でないこのババアは、五体満足な身分低き者の存在そのものが許せないのだ。だから自分が奉仕されることは当然であると思うどころか、自分に罵声を浴びせつけられた事自体を感謝せよぐらいに思っているのである。


 現実社会にもこんなヤツはいる。お前達が私に奉仕するのは当たり前だと言わんばかりに振る舞う輩が。あの手の者と同じ種族。人の尊厳を踏みにじる事を自分の権利、当然の事だと考えているヤツ。この車椅子ババアは明らかにそういう側の人間。このババアのヒステリックな罵声を聞くと、ムカついて仕方がない。


「人の価値はねぇ、喜捨の額で決まるものなの。はした金・・・・しか出せないようなお前達とは違うのよ!」


 はぁ? お前、何を言ってやがる! そうかい。カネの価値で決まるのか! 俺の中で何かがキレた。以前の俺なら事なかれで関わらないようにして生きてきた。しかし今、この一瞬、この瞬間だけは違う。カネならは、こちらの方が圧倒的に持っている。


 カネの価値で決まるとババアが言うのなら、その価値を決めてやろうじゃないか! ムカついた俺は『収納』で商人刀『飛燕』を出すと脇に差し、群衆をかき分けて車椅子ババアと虐げられている親子の前に出た。


「な、なんだお前は!」


 群衆をかき分けて立っている俺を見た、車椅子ババアは睨みつけてきた。こちらも見下した目を隠していないから当然か。俺は車椅子ババア、イゼーナ伯爵夫人に言ってやった。


「人の価値は喜捨の額で決まるのだな」


「・・・・・な、なんだお前は・・・・・」


「人の価値は喜捨の額で決まる。そう言ったよな」


 俺はそう言いながら、車椅子ババアの取り巻きを睨みつけ、刀に手をかけた。取り巻きの衛士達が動けないようにするためである。


「・・・・・い、言ったわよ。当然の事よ!」


「だったら、あんたよりもこの親子が多く喜捨をすれば、この親子の方が上って事だよな」


「なんだ、この無礼者!」


 車椅子ババアが苛立っている。取り巻きに動くようにと、オーラを出しているが俺が封じているので誰も動かない。俺は腹式呼吸で低音を響かせて、車椅子ババアに最大音量を浴びせつけた。


「お前よりこの親子が多く喜捨をすれば、この親子の方が上って言ったんだろ!」


「な、なにを・・・・・」


 どうもこの車椅子ババア、自分が言うのは慣れているようだが、言われる側に立ったことがないようだ。車椅子ババアの向かいに跪いていた親子は、俺の方を見ている。何も心配することはないとアイコンタクトを送った。そして俺は車椅子ババアに更に圧力を強める。

  

「だから、お前より多くのカネを喜捨すれば、この親子の方がお前より上なんだろ!」


「なんですって!」


「言ったじゃねえか。「人の価値は喜捨の額で決まる」って」


 車椅子ババアが固まっている。今の状況が飲み込めていないらしい。だったら、目の前で現実を知らしめるしかないだろう。俺は『収納』で、親子の前にカネを出した。


「おおおおおおお!!!!!」


 俺たちの回りを取り囲む群衆が一斉にどよめきの声を上げた。這いつくばっている親子の前に、いきなりカネが出てきたからだろう。車椅子ババアが、ハッと俺の方を見るが、俺はその視線を振り払いって親子に声を掛けた。


「このお金で喜捨を」


「しかしこのようなものをいただくわけには・・・・・」


 息子に覆いかぶさっている母親は恐縮して、断ろうとした。当然だろう。見ず知らずの人間がいきなり大金をわたしてきたのだから。


「これは私が大聖堂に喜捨をしようと思っていたお金。ですが、こちらの方が「人の価値で喜捨の額が決まる」と貴方に断言された。ならば貴方にこのお金をお渡ししたい」


 俺が話すと、取り囲んでいた群衆が再びどよめいた。と同時に、「そのお金を受け取りなさい」とか、「その方の言われると通りに喜捨されるといい」などと、母親に声を掛けるものが相次いだ。皆、身分差を恐れて言いたいことが言えなかったのだろう。俺は車椅子ババア、イゼーナ伯爵夫人の方に視線を移す。


「おい。どれぐらいの喜捨をするつもりだ」


「・・・・・」


「言ってみろ!」


 車椅子からこちらを睨みつけてくる車椅子ババア。その腐りきった性根が顔から滲み出ている。人を踏みつけるのには慣れていても、人から嘲笑を受けるのには慣れていない。こちらの方はそんな事ぐらい、人生経験から承知している。


「こちらの親子は三〇〇〇万ラントの喜捨をされるそうだ。お前が出せるのはそれ以下だよな」


「なにぃ!」


「だったら、出せよ。三〇〇〇万ラント。今すぐだ!」


 俺は車椅子ババアをどやし上げた。すると、群衆が「そうだ!そうだ!」と一斉に声を上げ始めたのである。怯む車椅子ババア。ババアが今、そんなカネを出せないことぐらいこちらは承知している。たとえ裕福な伯爵家であろうとも、この場でポンと三〇〇〇万ラント、九億円なんてカネ、今すぐ出せるような金額じゃない。


「うぬぬぬぬ・・・・・」


「何だ、出せないのか。だったら、こちらの方よりもお前の方が価値は下ということだな」


 俺の言葉に呼応して、群衆から「そうだ!」との声が相次ぎ、やがて高校野球のブラスが流す曲で「カ~ネ! 出~せ! カネ出せ出せよ~♪」の大合唱となった。いきなり高校野球かよ。流石はエレノ世界、本当に芸が細かい。車椅子ババアは周囲をキョロキョロするが、群衆に何も言えない。三〇〇〇万ラント以上のカネが出せないだろうからな。


「カ~ネ! 出~せ! カネ出せ出せよ~♪」


「おいおいおいおい!」


「カ~ネ! 出~せ! カネ出せ出せよ~♪」


「おいおいおいおい!」


 男女混声の圧倒的な掛け声に取り囲まれた車椅子ババアは、先程までの傲慢さはすっかり失われていた。周りは全て敵。イゼーナ伯爵夫人の傍若無人な振る舞いを遠巻きに見ていた民衆が、俺が多額のカネを持って詰め寄った結果、怒りを露わにしたのである。いくら貴族であろうとも多勢に無勢、圧倒的多数の民衆を敵に回せばひとたまりもない。


「どうだ。出すのか、出さないのか、ハッキリと言え!」


「この騒ぎ、いかなる事で・・・・・」


 車椅子ババアに詰め寄っていた俺を遮ったのはラシーナ枢機卿だった。見るとアリガリーチ枢機卿とケルメス宗派の長老であるニベルーテル枢機卿もいる。いきなりの枢機卿の登場に、俺たちの周りで騒いでいた群衆は静まり返った。それほど枢機卿の権威は高いのだろう。三人の枢機卿は左右に道を空ける群衆の中を通り、俺たちの前に近づいてくる。


「ニベルーテル枢機卿殿。この下賤の者が分を弁えず、無礼千万な真似を!」


 車椅子ババアが俺に指を差してニベルーテル枢機卿に抗議をした。このババア、枢機卿を利用して劣勢を挽回しようとしているようだ。何処までも卑劣な性根。ニベルーテル枢機卿は俺に尋ねてきた。


「アルフォード殿。何がございましたのかな」


 ケルメス宗派の長老ニベルーテル枢機卿の言葉に群衆がどよめいた。おそらく俺の名前を出したからだろう。どうやら今や俺はちょっとした有名人のようである。


「はぁ。こちらの方が「人の価値は喜捨の額で決まる」とそちらの御婦人に申されていたのを耳にして、御婦人に喜捨するお金をお渡ししたのです」


「この者が言っておること、相違ございませぬか?」


 ニベルーテル枢機卿が車椅子ババア、イゼーナ伯爵夫人に尋ねた。これにはババアもバツの悪そうな顔をしている。おそらく普通の状況であれば喚き散らして、初めから無かったことにしようとするのだろう。しかし今は高い権威を持つ枢機卿三人と多くの聴衆の圧力を受けて、容易にはそれができない。


「私はそのような意図を以て申したのではありませぬ。道徳上の教育的概念から申した次第」


 しばらく間を置いて、尤もらしく言う車椅子ババア。すると周りの群衆が騒ぎ出した。


「言ったじゃねぇか!」

「そうだそうだ!」

「この耳で聞いたわ!」


 その声の方を睨みつける車椅子ババア。しかし、多勢に無勢。鋭い眼光も民衆の声の中に虚しく吸収されてしまう。次第に高まる、車椅子ババアへの糾弾の声。そこへラシーナ枢機卿が「皆様、ご静粛に」と一声掛ける。すると取り囲んでいる群衆は再び落ち着きを取り戻した。枢機卿の権威というものは圧倒的で、人を無条件に平伏させる力がある。

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