346 アンドリュース公爵令嬢カテリーナ

 乙女ゲーム『エレノオーレ!』では、正嫡殿下アルフレッドがクリスに婚約破棄を通告するのは、学年末に行われる『学園親睦会』。この席上で正嫡殿下はヒロインを抱き寄せると、悪役令嬢クリスティーナに罪状を突きつけて、多くの生徒達の前で婚約破棄を通告するのだ。今、その流れの中にカテリーナがいるのではないか。


 つまりカテリーナがクリスの立ち位置にいるということ。ならば『世のことわり』に従い、婚約者であるウェストウィック卿モーリスから婚約破棄を宣告されてしまうという定め。そうなればカテリーナの実家アンドリュース侯爵家は没落し、カテリーナには従者を連れて国外に落ち延びるという未来が待っている事になる。


 これまで何度かカテリーナを見たが、クリスと同様、悪役令嬢という割に悪印象はない。もちろん近い関係ではないので、その性格は不明だが。しかし乙女ゲーム『エレノオーレ!』で出てきたような、おじゃま虫的な振る舞いは全く見えない。これはモーリスと婚約しているからかもしれない。ゲーム上のカテリーナには婚約者がいなかったのだから。


 しかしカテリーナが婚約破棄を告げられたからといって、俺が何かをする、あるいはできる立場ではない。これがクリスならあれこれ動くことになるのは間違いがないのだが、カテリーナとは親しい関係ではないし、出ていく義理もないのだから。しかし『世のことわり』がカテリーナの人生に大きな影響を及ぼしている事が気の毒である。


 ――放課後、俺はフレディから受け取ったデビットソン主教からの手紙について考えながら、学園図書館に向かっていた。本来ならば久々に会えるアイリの顔を思い浮かべながら歩いている筈なのだが、デビッドソン主教からの訴えが頭から離れなかったのである。だがしかし、小麦の件で頭を抱えていたのは、デビッドソン主教だけではなかった。


「グレン。三〇〇万ラントで小麦を譲って!」


 学園図書館でソプラノの声が響いた。俺の顔を見るなり、アイリが立ち上がって言ったのだ。そのおカネは?と聞くと、以前ドーベルウィン伯の家で俺が買取をした際、その仕事を手伝った報酬だと話した。そう言えばあったな、そんなこと。そのお金は両親に渡したのだが、王都で小麦を手に入れるため、そのお金を返してもらったのだという。


「小麦がなくて、村の人達が困っているの・・・・・」


 ああ・・・・・ アイリの村にまで小麦不足の波が襲っているのか。よくよく考えたらアイリの村ドラシドは、レジドルナとムファスタの間に位置する村。レジドルナで起こっている小麦の買い上がりに巻き込まれていない訳がなかった。ドラシドでも高値となった小麦価を見た人々が小麦を売り捌き、買い戻しが出来ずに小麦不足に陥っているらしい。


「グレン。相談なのだけれど・・・・・」


 俺とアイリが小麦の事で話をしていると、そこにレティが深刻そうな顔をしてやってきた。もしかして、レティのところも小麦問題が発生しているのか?


「小麦売ってくれない?」


「レティシアも!」


 アイリが思わず声を上げた。


「えっ、アイリスのところも?」


 レティの声にアイリが頷いている。それを見たレティはため息をついた。やはりそうか。レティの実家、リッチェル子爵領はレジドルナから近い位置にあるとレティやリサから何度か聞いているが、その影響を子爵領もモロに受けたか。


「しかし、レティ。小麦は売るなと言っておいたよな、確か」


「ええ。お城の小麦は売ってないわ。でも領民が・・・・・」


「売ったのか!」


「そうよ。今までにない高値だからって。モノがないから高値なのに、買い戻せる訳ないでしょ。なんでそんな事も考えられないの? バカなのよ、みんな!」


 レティが怒り出した。家の小麦、領地から上がってきた小麦は売ってないが、領民が持っている小麦がない。領民自身が売ってしまったことで。


「通知していたのよ。「小麦を売るな!」って。なのに、なのについつい売っちゃいましたって、「ラディーラ!」って言いながら話すのよ。やってられないわ!」


「なんだその「ラディーラ!」って。身分のことじゃないのか?」


 俺はレティに思わず聞いた。確か『ラディーラ』とはリッチェル子爵領内にだけ存在する「地主兵」とか「兵隊地主」とかいう身分ではなかったのか。どうしてそれが「ラディーラ!」という言葉になっているのだ?


「あの人達、話した後にいちいち「ラディーラ!」って付けてくるのよ、面倒くさい!」


「はぁ?」


「「小麦が無くなりラディーラ!」とか、「ついつい売ってしまったラディーラ!」なんて言ってくるのよ。そんなの聞いたら、誰だっておかしくなるでしょ!」


 その話に思わず笑ってしまった。俺につられてか、アイリも笑っている。なんだその「ラディーラ!」って掛け声は。どうも話を聞くと、有力者ラディーラは畏まった席で主君と話す際、後ろに「ラディーラ!」と付けるらしい。おそらく「ラディーラ!」とは、一種の掛け声なのだろう。で、そこから彼らは「ラディーラ」と呼ばれるようになったと。


「もうバカでしょ。深刻な話なのに、脳天気に「ラディーラ!」なんて言うのよ。まったく信じられないわ、ウチの領内の人間!」


 顔を見るにレティは呆れ返っているようだ。まぁレティよ、その気持ちは分かるぞ。エレノ世界はゲーム制作者が自分の趣味とネタを押し込んで作った世界。有り得ないことが全て具現化されている。領内にいる有力者ラディーラ連中のフザけた振る舞いも、おそらくゲームの仕様だろう。現実世界じゃ、そんな連中、とっくに支配階級から滑り落ちてる。


「ねぇ、グレン。小麦あるの?」


「あるよ」


「少しだけでもいいんだけど・・・・・」


「私のところも・・・・・」


 レティとアイリがせがんで来た。俺は十分にあるから大丈夫だと話す。


「どれぐらいあるの?」


「倉庫十棟分」


「は?」


 量を聞いてきたレティがポカーンとしている。俺は改めて持っている量を言った。


「だから倉庫十棟分だって」


「え?」


「だから一億ラント分の小麦があるって!」


「だから何処に?」


「『収納』で持ってるよ!」


 俺は左手の人差し指を天に指した。俺の頭の上にあると示したのである。すると二人がビックリしてしまった。そこで俺はムファスタの街の倉庫にあった小麦の多くを『収納』して持って帰ってきた経緯を話す。ラスカルト王国からの小麦の搬入量が増えるので、倉庫を開けるために在庫の小麦を『収納』したと。


「その小麦を王都で下ろそうと思ったんだが、こちらの倉庫も余力がなくてな。だからまだ俺が持っているんだよ」


「じゃあ」


「あるのね!」


 レティとアイリは喜んでいる。自分達の地域で小麦がなくなっているので、王都にあるか不安だったのだろう。


「じゃあ、すぐに・・・・・」


「いや、待ってくれ!」


「え? どうして」


 俺は逸るレティを抑えた。


「貨車がないぞ、おそらく」


「あっ!」


 そうなのだ。小麦の運搬量を増やすために運送業者を動員しているので、王都にある貨車という貨車が出払っているのだ。今残っている貨車は王家貴族が使うものか、商人が抱えているものだけ。実質的に王都で手配できる貨車はない。


「小麦があっても持っていけないの?」


 話を聞いたアイリがガックリしてしまった。横にいるレティも同様だ。ぬか喜びをさせてしまったようで申し訳ない気持ちになる。


「そうだ! だったらグレンに来てもらったらいいのよ!」


「えっ?」


「アイリス。グレンに私達の故郷に来てもらって、『収納』で下ろしてもらったいいのよ。これだったら貨車は要らないわ!」


「グレンは要りますけどね」


「そうそう」


 二人は手を取り合って笑っている。そうか、俺が動けば小麦を下ろせるか。だったらデビッドソン主教のところに寄って、小麦を下ろすこともできるな。その方法だったら。なるほど、レティの閃き。いいじゃないか。


「グレン。いつ行ける?」


 レティから言われて、ハッとした。そうだ。今の俺は王都にいなきゃいけないんだ・・・・・


「どうしたの? グレン」


 アイリが心配そうに俺の顔を覗き込む。身動きができないことが顔に出たか。


「何かあるの?」


「ああ・・・・・」


 心配そうな顔をする二人にザルツとロバートの件を話した。小麦の輸入量を増やすため、宰相府の使節と共にラスカルト、ディルスデニア両王国へ向かっており、その帰国を待たなければならないと。そして二人が王都に帰ってきた後には今後の策、小麦対策を協議しなければならない。だからそれが終わるまでは行けないのだと。


「もう先に動いていたのね!」


 俺の話を聞いたレティは驚きの声を上げた。


「宰相閣下も危機感をもって対処されている。その中で、こういう動きになっているんだ」


「だから私達よりも早く動いているのね。でも外国にまで働きかけるなんて、本当に凄いわ」


 レティが感心している。レティ達よりも早く動けているのは、ドルナの商人ドラフィルからの緊急報を受けてのものだが、その事については今は触れないでおこう。


「でしたら、お父様がお帰りになった後なら・・・・・」


「話が終わったら動ける」


 アイリに告げるとホッとした表情を見せた。レティが何時頃帰ってくるのかと聞いてきたので、一週間程度だろうと話すと、それぐらいなら待てると言ってくれた。


「でもグレンが言っていた通り、小麦が暴騰したわね。聞いていなかったらお城も大変な事になっていたわ」


「私のお家も小麦を残しておいたから大丈夫だったけど・・・・・ 村の人達が・・・・・」


 レティもアイリも俺の話を聞いていたから自分達の家は大丈夫だったが、周りの人達が大変な事になっているのを憂いていた。この辺りがまさにヒロインなのだろう。言い方は悪いが、自分の身は護られながら周りの不幸を気にかけて解決に向けて動く。そりゃ人は聖女だ、救世主だと持て囃すのは当たり前。施された者が崇め奉らない訳がない。


「じゃあ、グレンのお父さんが戻ってきて話し合いが済んだら行きましょう。いいわね」


 レティが言うと、俺もアイリも首を縦に振った。それぞれの家に近々小麦を運び入れるに当たって、その詳細を話し合う。小麦の分量や分配の方法などだ。アイリとレティでは必要な小麦の量に違いはあるが、一人あたりの分配量は同じなので、その額についても詰める。あれこれ話している間に閉館時間となったので、話は次の日に持ち越しとなった。

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