345 嫡嗣の責任

 ボルトン伯爵家に残った最後の懸案。伯爵家の陪臣シャルマン男爵家を長年苦しめてきた通行料問題を解決したアーサーは、ようやく解放されたという感じだ。しかしアーサー、将来ボルトン伯になるのだから、この宿痾から逃れることはできないのだぞ。そう思ったが、大事を成してホッとした表情を見せるアーサーに、話を切り出す事はできなかった。


 そんな話をアーサーとした俺は、ロタスティを出た後に内庭で一人ベンチに座り、デビッドソン主教からの封書を開けたのである。そこには小麦不足に陥っている、チャーイルの街の現状が書かれていた。またこれは近隣にあるサルミスの街、そしてスティーナ地方の中心ナニキッシュでも同様の事態となっているのだという。


 当初小麦価が高騰した事で、多くの人々はその価格で小麦を売却した。ところが安値で買い戻そうとしても小麦価は更に上昇。慌てて買い戻そうとしても、小麦自体が無くなっており、お金を積んでも小麦が手に入りにくい状況となっている。そう書かれていた。


 幸い俺のアドバイスによって、デビッドソン主教の管理下にある三つの教会は小麦を確保しているとのこと。デビッドソン主教は現在、デビッドソン家が代々管理をするチャーイル教会の他に、同じアムスフェルド地方にある近隣のサルミス教会、スティーナ地方の街ナニキッシュにあるナニキッシュ教会という三つの教会を管理している。


 この三つの教会の管内に住む人々が日々、小麦の事について相談に訪れており、一体どうすれば良いのか思案に暮れる日々だと綴られている。責任ある立場となったデビッドソン主教の苦悩が見て取れる文章だ。どうりでフレディが事情を知らない訳である。おそらくデビッドソン主教は小麦不足の件をフレディに教えていないし伝えてもいない。


 フレディの方も小麦が問題なくある教会にいるから、外で起こっている小麦不足について知りようもない。知って頭を悩ませるより、知らぬ方がいいだろうという親としての配慮なのだろう。


 しかし問題はそこではなく、デビッドソン主教が管理する教会は、いずれも王都トラニアスの北にある地方であり、小麦価の高騰はそこまで来ている事がデビッドソン主教の封書を見ても明らか。南西にあるノルデン第五の街ムファスタも小麦が高騰しており、王都の小麦価が上昇するのも時間の問題。いよいよ王都の小麦相場も荒れる時が来た。


(しかしデビッドソン主教からの相談にどう答えるべきなのか・・・・・)


 デビッドソン主教の元に小麦を送る方法は安易過ぎる。送ってもどうせ相談に来た人々がその小麦に群がるだけで、手に入れた小麦が無くなったら、またもや「小麦、小麦」と騒ぐのは間違いない。一度、そんな形で小麦を手に入れてしまったら「まだあるだろうと」、都合の良い解釈をしてデビッドソン主教の元を訪れるのは確実。


 それでは何の解決にもならないし、対処の方法ですらない。かと言って話の内容が小麦不足とあっては、答えを先延ばしにはできない。しかもデビッドソン主教には大きな借りがある。コルレッツの件やミカエルの襲爵式だ。デビッドソン主教は問題が起こる度に快く引き受けてくれた上、アドバイスもしてくれた。


 デビッドソン主教のおかげで懸案を乗り越えることができたのである。だからデビッドソン主教から受けたこの相談、必ず答えなければならない。しかし一体どう答えれば良いのか、その考えが纏まらない。ベンチに座り込んだまま方策を思案していると、何かを問い詰めるような、聞き覚えのある鋭い女子生徒の声が耳に飛び込んでくる。


「一体、何をお考えなのですか!」


 見ると、アンドリュース侯爵令嬢カテリーナだった。男女二人の従者を従えたカテリーナが、一組の男女に迫っている。


「先日の御挨拶の際にも、あのように席を外されて・・・・・ 私はどのように振る舞えば宜しいのですか!」


 んんんんん。ちょっと待て。このセリフ、何処かで聞いたことがあるぞ。


「あれは、そなたが勝手に手配したものではないか。私が指図を受けなければならぬものか?」


「モーリス様、私とは婚約者。相応の場所では、相応の振る舞いをするのが筋ではありませぬか!」


 ウンザリしたような口調の男子生徒、ウェストウィック公爵家の嫡嗣モーリス・アンソニー・ジェームズ・ウェストウィックに対し、カテリーナは鋭く詰め寄った。そのカテリーナがモーリスの隣にいた女子生徒を睨みつける。モーリスの隣にいるのはエレーヌ・マルクリッド・ポーランジェ。ポーランジェ男爵家の息女。


「エレーヌにはこの話、関係がないぞ!」


「モーリス様! 私という婚約者がいるのを承知で近づくような女をどうして許されるのですか!」


「やめよ、カテリーナ!」


 モーリスはカテリーナに立ちはだかり、ポーランジェを抱き寄せた。このシチュエーション。乙女ゲーム『エレノオーレ!』でもあったぞ。確か・・・・・


「ああああああああああ!!!!!!!!」


 思わずベンチから立ち上がって大声を出してしまった。思い出した。確か中盤でヒロインと親密になった正嫡殿下に対して、婚約者であるクリスが中庭で詰め寄るシーンだ! クリスがカテリーナ、ヒロインがポーランジェ、そして正嫡殿下が・・・・・ モーリスだ!


「な、なんだ貴様!」


 見ると、モーリスが俺を睨みつけている。抱き寄せられているポーランジェも、向かいにいるカテリーナもその後ろにいる従者も、モーリスの後ろにいる従者も、揃いも揃って何事かと俺を見ていた。そうか、俺がいきなり大きな声を上げたから、何だと思って見ているのだな。


「確かアルフォードだったな・・・・・ 何用だ!」


 声を聞いただけで分かる。好意的でない事が。こちらも小麦の事ばかり考えていて煮詰まっていたところ。今の俺は腹の虫の居所が悪いんだよ。ならばこちらが好意的になる必要もない。


「確か婚約とは家と家が交わすものであるはず。そこには個人の情を差し挟む余地がないのでは?」


「商人風情に貴族のしきたりの何が分かるというのか!」


「ほぅ。貴族の家では既に結ばれておる者が別の女に手を出しても良いという取り決めがございましたか」


「な、なにぃ!!!!!」


 モーリスは声を荒らげて睨みつけてきた。対するカテリーナの方は、俺を見てビックリしている。モーリスに抱きかかえられいるヒロイン役のポーランジェはキョトンとした顔をしていた。


「商人の家にはそのようなしきたりはございませんので・・・・・」


「貴様ぁ! 言わせておけば・・・・・ 我を誰だと思っておる!」


「ウェストウィック公爵家の嫡嗣様であり、アンドリュース侯爵令嬢の婚約者でございますよね・・・・・ 確か」


「うぬぬぬぬ。言わせておけば・・・・・」


 モーリスは抱き寄せていたポーランジェを離すと、肩を怒らせて俺に近づいてくる。その目は血走っていた。これは一戦止む無しだな。考え事をしていて、ムシャクシャしていた俺が相手にフッ掛けた事が原因といえば原因。受けて立つしかないか。


「モーリスではないか。どうしたのだ、このようなところで」


 一つ間を外したような声が、モーリスを呼び止めた。


「殿下・・・・・」


「年が明けて初めて顔を合わせるな、モーリス」


 そう言いながら、殿下。正嫡殿下アルフレッドがモーリスに近づく。モーリスは先程までの剣幕は何処へやら。平身低頭、殿下に挨拶をする。


「ウェストウィック公爵嫡嗣モーリスが、正嫡殿下に御挨拶を申し上げます」


「堅苦しい挨拶は良いではないか、モーリス。我とは従兄弟」


 正嫡殿下のタイミングを外す間のおかげか、モーリスは「はぁ」と力なく頭を下げるのみだった。ポーランジェもカテリーナも従者達も頭を下げている。俺は軽く頭を下げていたが、横目で見ると殿下の後ろにいる従者フリックとエディスの二人と目が合った。アイコンタクトから察するに、状況を見た殿下が割って入ってくれたようだ。


「アルフォードよ。去年末の学園舞踊会。見事な演奏だったぞ」


「お褒め頂きありがたき幸せ」


「また、演奏の機会があるときは演奏してくれ」


「はっ」


 俺が深々と頭を下げると「頼んだぞ」という声と共に、殿下が立ち去る気配がした。俺が頭を上げると、真正面を見るとモーリスがバツの悪そうな顔をしている。モーリスはフンッといった感じで、ポーランジェの方を見たかと思うと早足で歩き出し、「行くぞ」とばかりにポーランジェと二人の従者を連れて立ち去っていった。


 その場に残された俺とカテリーナ。そしてカテリーナの従者二人。何ともいえない空気が漂う中、カテリーナが俺に近づいてきた。


「この場のとりなし、感謝します」


 カテリーナからのその言葉を受け、俺は静かに頭を下げた。


「しかし、そなたは何故、私達を見て驚いたのじゃ。まるで何かを思い出したように・・・・・」


 やはり、そう見えていたのか・・・・・ 俺は顔を上げてカテリーナを見ると、じっと俺の方を見ているではないか。話してもいいのだが、クリスのように全てを受け入れてくれるとも思えないし・・・・・ 


「心苦しいのですが、令嬢のお気持ち、閣下には伝わりにくいのでは、と」


 カテリーナは黙って聞いてる。俺が問いかけには直接答えず、微妙に逸した事についてどう反応するのか。


「そうはいかぬのじゃ」


「家と家の取り決めを守るためでございますね」


「そうじゃ」


 無表情だったカテリーナが、少し表情を和らげた。どうやら俺が何かを思い出したかのような振る舞いを問う事よりも、事情を理解している事をアピールしている方に、意識が向かってくれたようである。


「しかし見ておりますと、それ故にお苦しみになっているように見受けられます。時間もあること、ここは間を置かれても・・・・・」


「うむ、心しておこう。礼を言うぞ」


 そう言うと、カテリーナはきびすを返し、従者を連れて中庭を立ち去っていった。

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