第二十七章 変転

344 休み明け

 冬休みが開けた初日。それまで閑散としていた学園は生徒で溢れかえり、長期の休みなど無かったかのように普通の学園生活に戻った。このサルンアフィア学園、まず始業式がない。夏休みが終わった時もそうだったのだが、休み明けの始業式がないのだ。だから終業式もない。始まりと終わりに儀式がないのがエレノ流である。


 年末年始以外は平常運転だった俺は冬休みの終盤、若旦那ファーナスの長男リシャール・ファーナスとシーラ・セルモンティ、そしてセバスティアン・マルツーンという商人子弟三人組の鍛錬に付き合っていたので、学園の外から全く出ない日々を送っていた。おかげで連日打ち込み一万本を行い、ひたすらピアノを弾くという単調な暮らし。


 そんな中、ムファスタギルドの会頭を務める、ホイスナーから封書が届いた。内容は次の三点。ムファスタにおける小麦価格上昇の件と、ザルツがラスカルト王国との交渉が終えてムファスタへと向かっている事。そしてムファスタ滞在時に俺が引き取った小麦の請求額である。やはりというか、当たり前だが、ムファスタの小麦価は大幅に上昇していた。


 ムファスタの小麦価は俺が王都に発った数日後から上昇を始め、今や一四五〇ラントにまで上がったとの事。レジドルナから始まった小麦価の上昇はムファスタに至った。次はいよいよ王都の番となる。次は交渉の終わったザルツの件。ムファスタに一時逗留した上で、王都に帰還する予定だと書かれていた。おそらくは小麦受け入れの下準備だろう。


 そして最後は小麦の請求額。一億七九六五万ラント、およそ五四億円の請求だった。平価だから圧倒的に安い。今ムファスタで売ったら二十倍にはなる。つまり、小麦を売れば一〇〇億円以上が俺の手元に残る計算。しかしそんな封書が届こうと、俺の日常が変わらなかった。リシャールら三人組が冬休み最後の日まで、学園に通い続けたからである。


 俺の方はそんな日々を送っていたが、家に帰っていた生徒達はもっと充実した冬休みを送っていたのだろう。多くの生徒達は昨日学園に戻ってきて、今日から始まる学園生活の為、寮で一夜を過ごしている。しかし今日登校する者も少なからずいるのがこの学園。王都在住者、自前の馬車を持っている貴族子弟の中には今日学園入りする者もいるのだ。


 クリスもそんなうちの一人。クリスは朝、二人の従者トーマスとシャロンを伴い、王都にあるノルト=クラウディス公爵邸を馬車で発ち、学園に降り立った。それをどうして知っているのかというと、馬車溜まりでクリス達を出迎えたからである。今日はクリスを驚かせてやろうと、稽古もせずに馬車溜まりで待ち伏せていたのである。


「い、いきなり・・・・・ おどかさないでよ!」


 いきなり現れた俺にクリスが驚いた顔を見せた。一緒にいたトーマスとシャロンもビックリしている。これでクリスから受けた奇襲の借りは返した形となり、俺の目論見は成功したと言えよう。一方、奇襲を受けた側のクリスだが、受けた割には嬉しそうな表情。驚かしたのは吉のようである。皆でしばらく話をした後、別々にクラスへと移動した。


 教室に入ると、いつものようにリディアが手を振ってきた。早くこっちに来いという合図だ。見るとフレディが複雑そうな顔をしている。間違いなく何かあるな、これは。そう思って俺の座席、最後列の窓際の席に座ると、リディアが早速話しかけてきた。


「ねぇねぇ、これを見て!」


 バーンと広げて見せてきたのは『週刊トラニアス』。それも『常在戦場』の反論記事だ。


「グレン。凄いのよ、これ。グレンのウソ記事書いてた人に『常在戦場』の人が文句を言ってるの。もう読んだの?」


 いやいやいや。とっくに読んだよ。しかしウソ記事とは・・・・・ まぁ、間違いないが、文句なんて言われたら事務総長のディーキンも一番警備隊長のフレミングも心外だろうに・・・・・


「もうね、この週刊トラニアス。すごく面白いのよ。これでタダなのよ、タダ!」


「いつの間にこんな雑誌が出来たの?」


「冬休みの間さ」


 実家に帰っていたために事情が分からず、困った顔をしていたフレディにそう教えた。どこで知ったのかリディアに聞くと、年末に繁華街で創刊準備号を手に入れたというのである。流石はリディア、情報をキャッチする力を持っているな。ミーハーぶりは半端じゃない。


「最初は『翻訳蒟蒻こんにゃく』がグレンのウソ記事が載って、週刊トラニアスで『常在戦場』の人が文句を言ったの。そうしたら『小箱の放置ホイポイカプセル』に、ウソ記事書いてた人のインタビューが出て、それにまた『常在戦場』の人が週刊トラニアスで文句を言ってるのよ」


 リディアの説明に、分かったような分からないような顔をするフレディ。リディアの説明が雑というか、メディアを使った応酬の方に目が行っているので、事情を知らないフレディには分かりにくいのだろう。そこで俺がモデスト・コースライスのデマ記事について話すと、フレディの表情が一変した。


「グレン。それじゃ濡れ衣を着せられているようなものじゃないか!」


「そうよ。だから『常在戦場』の人が文句を言ってるのよ。それを記事を書いた・・・・・」


「メガネブタか?」


 俺が言うと、不意を突かれたのかリディアが吹き出した。


「そうだわ! そう! あの顔見たら、確かにメガネブタだわ!」


 隔週誌『小箱の放置』でデマ記事を書いたモデスト・コースライスの似顔絵を見たというリディアが、あれは正しくメガネブタだと大笑いをしている。俺が名付けたのはリサだと話すと、更に受けたようだ。


「グレンのお姉さん、本当にセンスがあるわ」


 何の話か掴めないフレディを置いてけぼりにして、一人笑うリディア。そのリディアを置いて、フレディが言う。


「グレン。この話をそのまま置いておくのか?」


「いや、それはできない。全てがデマだからな。信じられたら大迷惑だ」


「じゃぁ、この雑誌で反論を」


「いや、この件はリサに任せてあるんだ」


 ギョッとするフレディに事の概要を説明する。王都通信社を作って『週刊トラニアス』を創刊し、第三民明社を買収して『小箱の放置ホイポイカプセル』を隔週誌化したことを。話を聞いて唖然とする二人に俺は話した。


「リサがやるというというから、任せなきゃしょうがないだろ」


「グレンはやっぱりやることが違う」


「まさか雑誌を作っちゃうなんて。それもタダの」


 フレディとリディアが感心している。まぁ、こちらがカネを持っているからできることなんだが。


「これからどうなるのか楽しみだな」


「そうね。ワクワクするわ」


 事情を知ると、野次馬根性を丸出しにする二人。特に好奇心旺盛なリディアは楽しみにしているようだ。対照的に安心したような表情を見せるフレディ。そのフレディが、俺に封書を差し出してきた。


「お父さんがこれをグレンにって」


「デビッドソン主教がか?」


 フレディが頷く。封書の内容について聞いてみたが、全く分からないらしい。出発前に突然、デビッドソン主教から渡されたそうだ。しかし、あのデビッドソン主教が、息子に内容を明かさないとは余程のことではないか。ただならぬものを感じた俺は、フレディから封書を受け取ると、その場で開封せずに『収納』したのである。


 そのデビッドソン主教からの封書を開けたのは昼休みのこと。ロタスティでアーサーと昼食を食べた後である。アーサーとの話題はもちろん二つの貴族家に宰相府の路政調査官の代理人として、新たなる幹線道路計画の調査を行う旨を伝えに行った件についてである。どうだったと聞く俺に対し、アーサーは神妙な面持ちでこう言った。


「首尾は上々と言ったところだ」


 その表情を崩さないアーサー。


「両貴族家はシャルマン男爵家に通行料の値下げを通知してきた」


 そう言うと、ようやく姿勢を崩したのである。


「よくやった! これで面子が立ったじゃないか!」


「いやぁ、どうなるかと思ったぜ」


 ホッとした感じのアーサー。おそらくシャルマン男爵家からの通知が来るまで不安だったのだろう。アーサーによると訪問した二つの貴族家、パルポート子爵とイエスゲル男爵はいずれも恐縮というか、萎縮した感じであったのだという。だからアーサーは持てる力を振り絞って、宰相府の代理人として振る舞ったらしい。


「行くまではバレるとどうなるかばかり考えていたが、行ってみるとどう見せるかばかりを考えていた」


 それはお前が貴族家の嫡嗣だからだよと思ったが、それは言わずにアーサーが話している間の相手の反応について聞いてみた。


「パルポート子爵とイエスゲル男爵は諦めたような感じだったな」


 やはりそうか。共に宰相府とボルトン家が結託している。そう取ったようだ。下手をすれば宰相府が本当に新線を作るかもしれないと考えたのだろう。アーサーは去り際、新たなる幹線計画の因となったシャルマン男爵家から事情を改めて聞き、幹線計画の調査を進めたいと伝えた。つまりシャルマン男爵家と話が付けば新線計画は不問となるという事。


 そこで二つの貴族家は書簡でシャルマン男爵家に通行料の値下げを打診。一度目は応じず、二度目の打診を受けてシャルマン男爵は受け入れた。この辺りの話は事前にボルトン伯と協議をして詰めていた部分。つまりパルポート子爵とイエスゲル男爵もこちらの術中に嵌まってくれたということである。通行料は共に従来の七割減で妥結した。


 実は通行料など、あってないようなものなので、極端な話ゼロで話をしても良かった。だが貴族間の関係もあり、流石にそれは無理だとボルトン伯が苦笑したことから、二度目の往復書簡で決まった料金にする事を事前に決めておいたのである。ボルトン伯曰く、二度も突き返されると三度目は話もしないのがノルデン貴族の振る舞いなのだという。


「シャルマン男爵家から連絡が来たのだが一昨日だ。やっと肩の荷が下りたよ」


「よく大役を果たしたな」


「こんな仕事、二度とやりたくないなぁ」


 アーサーは両腕を伸ばしながら言った。これでようやくボルトン家の懸案は片付いたのである。

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