340 父親の心理
クリスとアルフォンス卿。二人の我が子に席を外させて事実上、俺とサシとなった宰相閣下はクリスのことを尋ねようとしたのだが、俺は先回りをして、閣下にモノを言わせなかった。口を
「閣下、ご安心を」
「うむ・・・・・」
そう言って畳み掛ける俺に、宰相閣下はぐうの字も出ない。これには後ろに立つレナード・フィーゼラーもメアリーも驚きを隠せないようだ。こちらは外見十六であろうとも、中身は四十七歳プラス六歳。クリスと俺が関係を持てばどんな事になるかぐらい分からない筈がないではないか。大体、俺には嫁もいるんだから。
「そうか・・・・・」
「閣下。失礼ながら御令嬢は分別をつけられる御方。ご安心下さい」
複雑な表情を見せる閣下に対し、俺は強く言った。何が言いたいのか分かっているので、先回りをしてモノを言っている訳で、口を封じているのと同じこと。娘を持つ親としての経験が役に立つとは何という皮肉か。これを見たレナード・フィーゼラーも呆気にとられている。ニコラという娘を持つ父だから、閣下の気持ちが分かるだろう。
「分かった。すまぬが今後ともよろしく頼むぞ」
「はっ」
俺は宰相閣下に頭を下げた。俺も娘を持つ身だから気持ちは分かりますよと言いたかったが、そんな事を言ったところで信じてもらえる訳もないだろうし、頭がおかしい人間扱いだ。それに娘が自分と同世代のおじさんに惹かれていると知ってしまったら、それこそ悶絶してしまうだろう。ここはこのような収め方が一番である。
宰相閣下との話し合いが終わった俺は、クリス達との食事に呼ばれた。閣下とアルフォンス卿は再び宰相府に赴いて、小麦急騰の件について協議を行うとの事である。俺とクリス、二人の従者であるトーマスとシャロンの四人で会食をすることになった。
「・・・・・お父様との話は・・・・・」
クリスは言いにくそうに聞いてきた。表情を見ると不安そうだ。父である宰相閣下と俺との間の話がどうだったのか、気になって仕方がないのだろう。先日、クリスが引き起こした「プチ家出」の事を考えれば、心配するのはむしろ当然か。
「よろしく頼むと言われた」
「えっ?」
俺の言葉に呆気に取られているクリス。予想外の返答だったのだろう。
「閣下もクリスの事が心配だったのだろう。そう仰っていた」
「お父様・・・・・」
表情を見るに俺とクリスの関係について、あれこれ詰問される事を恐れていたのは明らか。それが全く無かったことで肩透かしを食らったような感じになっているようだ。シャロンが何か言いたそうな目をこちらに向けている。
「シャロン、心配するな。主を信じるんだ」
「グレン・・・・・」
俺がクリスに手を出していないのかについて、一抹の不安があったのだろう。前の時にもシャロンは不安がっていたのだが、その不安を解消するには至っていなかったのである。いや、クリスの行動力を見た時、それぐらいの用心というか心配をするぐらいで丁度と言ってもいいだろう。
「シャロン、心配しないで」
「はい・・・・・」
クリスの言葉にシャロンは従う。主従だから従わざる得ないのだ。親友にして主従、中々成立しえない関係が二人の中では成立している。この話題は切り替えた方がいいと考えた俺は話題を変えた。
「クリスはレジドルナ行政府の守護職であるドファール子爵の事は知っているのか?」
「え、ええ・・・・・」
話題が変わった事に戸惑いつつも、クリスは話してくれた。ドファール子爵はアウストラリス派に属する貴族で、二年前にアウストラリス公の推挙によりレジドルナ行政府の守護職に勅任された人物であるとの事。ノルデンにある四つの行政府の中でもレジドルナ行政府は別格であるらしく、レジドルナ行政府だけに守護職が置かれているそうである。
「だから黙認か・・・・・」
普通に考えたらそうであろう。アウストラリス公の陪臣モーガン伯が「買い上がり」を仕掛けたとして、アウストラリス派に属するドファール子爵がレジドルナ行政府のトップであったとしたら・・・・・ 黙認するに決まっているではないか。しかし、厄介な事になった。レジドルナが中央の影響力が及ばない治外法権の地となっているようなものだからな。
「グレン。もっと小麦は上がるのか?」
「ああ、上がる。間違いない」
「どのくらい上がるんだ?」
「二倍、三倍、四倍だ」
これには聞いてきたトーマスが固まってしまった。そうなのだ。カネに糸目を付けずに値を上げると、その値を見てカネが群がってくるのだ。そうなれば今現在の値が上限な訳がない。更に値を上げてくるに決まっている。
「どうしてそんな事を!」
「お父様の失脚」
従者の疑問に主は静かに答えた。
「・・・・・お、お嬢様・・・・・」
「小麦対策の失敗の責を問うため」
クリスの言葉にトーマスは絶句している。
「その為に値を吊り上げ、民が小麦を手に入れられなくしているのよ」
「なんてことを!」
「民の怒りをお父様に向けさせるため・・・・・」
シャロンの声にも動ずることなく、クリスは静かに言った。全くその通りだ。それを阻止するために海外から小麦を輸入して流通させ、値を抑え安定化させてきたのである。ところが相手はそれを越える手に出てきた。つまりカネに糸目を付けずに高値で買い取る方法をである。これは損得の話ではない。それ以外の目的であることは明白だ。
「だからそれを回避するだけの策を打ち出さなけければならない」
「グレン、どうやって」
「クリス! 心配するな。方法は必ずある」
今、策をここで言う訳にはいかない。それは今『金融ギルド』のシアーズが考えている筈だし、ラスカルト王国で小麦の交渉をしているであろうザルツも考えている筈。案が固まっていない以上、話すわけにはいかない。ただ、手はあるのだという事を伝えるのが精一杯なのである。俺の言葉にクリスはコクリと頷いた。
「分かったわ。お願いグレン、お父様を守って」
「約束は果たす。安心しろ」
俺はクリスと約束したのだ。ノルト=クラウディス公爵家を守ると。小麦高騰という号砲が鳴った今、その約束を果たさなければならぬ時がやって来たことを実感する。三商会で『金融ギルド』に出資して金融界に流れる資金を安定化させなければならないし、『オリハルコンの盾』を揃えて『常在戦場』の体制整備を急がせなければならない。
「もうすぐ学園が始まりますね」
そうか、冬休みが終わるのか。シャロンの言葉で俺達にとっての日常、学園生活がまた始まることを知った。クリスもトーマスもシャロンも学園に帰ってくる。アイリもレティも戻ってくるだろう。そういえばパルポート子爵とイエスゲル男爵に対して、幹線道路の調査通告をキチンと出来ただろうか。俺はアーサーの事を思い出したのである。
――ムファスタから帰ってきてからの鍛錬は分かってはいたことだったがキツかった。いつもの半分のメニューでも身が入って痛い。それはリサも同じことで、魔法が使えるようになりたいからと張り切って鍛錬した結果、悶絶してしまっていたのである。結局、二人揃って屋敷の寝室にそれぞれ籠もり、筋肉痛が和らぐのを待つしかなかった。
一方、ムファスタに行っている間に動きがあった。隔週誌となった『
その内容はというと、『常在戦場』の面々がデマだと告発した記事を載せた『週刊トラニアス』を握りしめた記者が、メガネブタことモデスト・コースライスに直撃し、インタビューしたものを文字起こしを行い記事化したもの。インタビューに答えたメガネブタは『週刊トラニアス』の記事を事実無根と話し、『常在戦場』の面々を嘘つきと断じた。
その上で、週刊トラニアスに載っている彼らのような下っ端では事実を知りようもなく、自分の方が真実を知っているのだと豪語している。これを見たら週刊トラニアスで反論した事務長のスロベニアルト、二番警備隊長のルカナンス、五番警備隊長のマキャリングが発狂するのは確実だろう。大丈夫なのだろうか?
またモデスト・コースライスにはテクノ・ロイドという優秀な助手がおり、このロイドが俺の悪だくみや『常在戦場』の裏の顔を調べ尽くしており、もはや自身が書いた記事の正しさには、一片の瑕疵すら無いことは明らかだと、勝手に決めつけている。しかし何の根拠にもならぬ主張を以て認定されたって、こちらが困る。
そして週刊トラニアスに書かれている内容は、自分が『翻訳
対して『週刊トラニアス』にメガネブタの反論を全て伝えた上で取材し、『週刊トラニアス』の編集長が「本記事は当事者に直接聞いたものを掲載しており信憑性に自信を持っている」とした上で、メガネブタの記事には証言者を含め誰一人実名が明かされておらず、事実を疑われるとした。そして「ペンには、ペンを以て応じる」と宣言したのである。
実によく構成された記事だ。以前見せてもらったものとは段違い。タイトルの文字を大きく、刺激的なものとし、メガネブタの似顔絵やケルメス大聖堂等のイラストをふんだんに入れて誌面を膨らませる。しかも記事は『週刊トラニアス』の記事に対するメガネブタの反論と、週刊トラニアス側の返答なのだから、ネタを取るのに労はかからない。
今度は『週刊トラニアス』でメガネブタに対する反論記事を書くのだろう。『
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