339 クリスの出迎え

 レジドルナで今起こっている小麦暴騰の原因は「買い上がり」だと話したのだが、クリスの反応はなかった。おそらく暴騰という自体そのものは覚悟はしていたのだろうが、現実に起こったショックは大きかったのだろう。しばらくしてクリスが「これは買い占めなのか」と聞いてきたので、俺は「買い占め」と「買い上がり」の違いついて説明した。


 「買い占め」は同じモノを全て買い取る事を指すのだが、「買い上がり」はモノの価格を意図的に釣り上げる行為だと説明する。それに対してクリスの方は具体例を求めてきた。明敏なクリスであっても、畑違いである経済的な話は掴みにくいのだろう。商人じゃないから、仕方がないのだが。


「以前、ディルスデニア、ラスカルト両国に売る毒消し草を買い占めていたのだが、品薄にならないよう、静かに徐々に買い増ししていた。少しずつ買っていくと品薄だと分かりにくいからな。そうすることで値を上げずに買い占めることができた」


「では買い上がりは?」


「前に買った値よりも高く買うんだ。つまり売れば売るほど高値になる。これが今、レジドルナで起こっているのだ」


 クリスは、どうして? という野暮な事は聞いてこなかった。俺が話した意味が理解できたからだろう。レジドルナにおいて、小麦の意図的な価格操作が行われている。今はその認識が出来ていればいい。話をしている間に馬車は王都トラニアスに入った。俺は逆に聞いてみる。


「しかしクリス。どうして迎えに来てくれたんだ?」


「お話を聞いたので・・・・・」


 昨日、宰相閣下ノルト=クラウディス公、すなわち父から直接話を聞いたのだという。クリスはその場で迎えに行きますと即答して、高速馬車の運行業者から経路についての情報を手に入れ、馬の繋ぎ変えを行う駅舎があるロ・セーモの村までやってきて待っていたのだと。


「どうして・・・・・」


「グレンが王都に帰ってきてから連絡を取り合えば、話を聞くことができるのは明日になりますわ。ですから迎えに来たのです。そうすれば今日にお話を聞くことができますから」


 なるほど。合理的な判断だ。しかし駅舎で俺を待つ為に朝早くに出発したことは間違いない。馬車は全部で三台。クリスたちが乗る馬車を中心に前後の馬車に、それぞれ四人の衛士が護衛として乗り込み、クリスの警備に携わる。ただ隠密行動の為にクリス達が馬車の外に出ることなく、紋章を外しての行動となったのである。


「リサさんには申し訳ないことをしましたわ」


 リサの同乗が予想外だったとクリスは言う。実はロ・モーセからの出発前、馬車で待つリサに事情を伝えて、先に一人で屋敷に帰って欲しいと頼んだのである。すると馬車の外で待機していた衛士が伝達役となり、リサの元に走ってもらったのだ。そんな話をしていると、車列はノルト=クラウディス公爵邸に到着した。

 

 ――ノルト=クラウディス公爵邸に到着すると執事長のベスパータルト子爵が出迎えてくれた。ベスパータルト子爵は何かを言うわけではないが、目が合うと軽く頷いてくれる。特に長く会話をした訳でもないのだが、このベスパータルト子爵とは何か通づるところがある。子爵の案内で俺達は屋敷にある応接室に入る。


 しばらく待っていると、程なくして宰相閣下とクリスの次兄で宰相補佐官のアルフォンス卿が、それぞれの従者を従え応接室に入ってきた。宰相閣下はレナード・フィーゼラーとメアリー・パートリッジが、アルフォンス卿にはグレゴール・フィーゼラーがそれぞれ付いている。かつて公爵領を訪れた際、一緒に王都へとやってきた面々。


 故あって主人がいる王都から公爵領で働いていた三人をクリスと共に王都へと連れ出しだしたのである。そんな関係なので、本来なら和やかに声を掛けても良いのだが、今はそれどころではない。宰相閣下が上座、左にアルフォンス卿、右にクリス。三人の後ろにはそれぞれ従者が付いて、俺が下座。険しい表情の宰相閣下が、単刀直入に尋ねてきた。


「レジドルナの情勢、誠か?」


「レジドルナの商人ドラフィルによりますと、売れば売るほど値が上がる状況とのこと。現在は一五〇〇ラントに達していると話しておりました」


「書簡にあった話だな」


 宰相閣下の言葉に頷いた。宰相閣下もアルフォンス卿も厳しい表情をしている。まさか小麦価がいきなり六倍値、平価の二十倍に跳ね上がってくるとは思いもしなかったのだろう。


「レジドルナ周辺の村々ではその高値に誘われて、小麦を売る者が続出しているとか」


「売った者は小麦を持っておるのか?」


「ドラフィルの話では値が下がった時に買い戻そうと思っているのではないかと」


「値は戻るのか・・・・・」


「おそらく戻りますまい」


 俺の言葉に応接室の空気はピンと張り詰めた。買い戻せないとなるとどうなるか? 言わずとも知れたこと。それが分からぬ者はここにはいない。


「・・・・・何ということだ! 小麦価が落ち着いておったと思っていたのに」


 アルフォンス卿が悔しそうな表情を見せた。凶作であった小麦の対策に中心的な役割を担っていたのが他ならぬアルフォンス卿であった。昨年末の段階では、平価よりも高い水準にあるとはいえ安定していたので、安心していたのは間違いない。何があるか分からないと戒めていたものの、緩みがなかったとは言えないだろう。


「レジドルナ行政府から、何か連絡は?」


「ない」


 俺の問いかけに宰相閣下は憮然と言い放つ。相当苛立っているようだ。しかしずっと気になっていた事がある。これまでレジドルナ行政府から小麦価の情報が入ってきたことが一度もないのである。レジ側の商人による小麦買い占めの際にも、価格高騰の連絡が宰相府に入らず、ドラフィルからの情報を受けた俺経由で入ったようだ。どうしてなのか?


「父上、やはりドファール子爵の更迭を上奏すべきです」


「・・・・・」


「ドファール子爵は明らかに無視しております」


 アルフォンス卿が語気を強めた。しかしドファール子爵とは一体何者なのか?


「畏れ多くも勅任官を軽々に扱うことは出来ぬ」


 勅任官。ということはレジドルナ行政府の守護職のことか。守護職というのは行政府の長官のようなもの。行政府によって置かれたり、置かれなかったりしている。現にモンセルやセシメル、ムファスタの各行政府には守護職がいない。おそらくレジドルナ行政府のみに守護職が置かれているのであろう。


「しかし!」


「確たる証拠がなければ上奏などはできぬ。それはお前も分かっておろう」


「・・・・・」


 アルフォンス卿は黙ってしまった。勅任官。国王自ら任命する者に対する扱いは容易なものではないらしい。つまり現在、レジドルナ行政府に対して宰相府は手も足も出ないということか。しかし、宰相といいながら異様に権限が小さいな。まぁ、日本でも首相が知事を辞めさせる事ができる訳ではないので、その点は似たものなのかもしれない。


「しかしドファール子爵は、レジドルナにおける小麦価の変動を王都に伝えず、守護職の努めを果たしていないのは自明ではございませぬか!」


「こちらが指弾したところで「報告が遅れた」と言われれば、それでこの話は終わりだ!」


 気を取り直して進言するアルフォンス卿を宰相閣下は退けた。苛立っているが、手の打ちようがないのだろう。しかしレジドルナ行政府守護職にあるというドファール子爵は一体何を考えているのだろうか。俺には全く分からない。


「アルフォードがこうして知らせてくれたのだ。今後はレジドルナ行政府を介さずに小麦対策を考える」


「父上!」


「こちらが小麦対策を行って乗り切れば、守護職の怠慢を告発することもできよう。話はそれからだ」


 宰相閣下が断じた。つまり小麦対策で成果を上げ、その後にレジドルナ行政府に対して然るべき処置を採る方針を示したのである。つまり小麦対策が宰相閣下の死命を制する問題となったのだ。やはり乙女ゲーム『エレノオーレ!』で起こった暴動の因は、この小麦だったのか。それが分かると身が引き締まる思いがする。


「してアルフォードよ。当主はどう申しておった」


「はっ。残念ながらレジドルナの商人ドラフィルとムファスタで会ったのは父が使節の方と共にラスカルトへ向かった後のことであります。ですので、話は・・・・・」


「そうか・・・・・」


 残念そうに肩を落とす宰相閣下。俺は話を続ける。


「ですがディルスデニアから搬入される小麦の増加に合わせ、ラスカルト王国からの搬入も貨車を増やして搬入量を増やす予定でございました。ですので当主帰還後、同業の者と相談し、更なる対処を考えようと」


「なるほど」


 俺の話に宰相閣下も少しは気持ちが持ち直したようである。俺の話を聞いた宰相閣下はアルフォンス卿に対し、今後の対策についてあれこれと話し始めた。そして一通りの話が終わった後、アルフォンス卿とクリスに対して席を外すように求めたのである。


「アルフォードと話がしたい」


「お父様」


「・・・・・」


 父親からのいきなりの言葉に戸惑う二人だったが、宰相が沈黙して意思を示すと共に立ち上がり、従者を従えて応接室を後にした。去り際のクリスが凄く心配そうな目をこちらに向けてきたのだが、俺にはどうしようもない。部屋には宰相閣下と閣下の従者レナード・フィーゼラーとメアリー、そして俺の四人だけが残った。


「先日、娘が世話になったそうだな。礼を言うぞ」


 やはりその話か。俺は頭を下げた。どうして報告を宰相府ではなく屋敷で受けたのは、これが理由だったのか。まぁ、親としては言わずにはいられないのだろう。クリスが愛羅だったとして、同じ様な事をやらかされたら、俺ならどう言うのだろうか。


「クリスティーナは家中の者を驚かす事を度々起こす」


「今日、迎えに来ていただいた事には驚きました」


「そうだろうな」


 宰相閣下はため息をついた。クリスの突拍子もない行動に対して、どう扱えば良いのか分からないのだろう。クリスは我が強く、ツンとしているように見えるが我儘ではない。しかし時としてお嬢様の枠を飛び越えた行動をしてくる訳で、その辺りの事について困惑しているのだろう。


「ワシが言うのはなんだが・・・・・」


「ご心配には及びません」


 俺の言葉に宰相閣下はハッとした表情を見せる。言わんとしていることをこちらが察しているから当然だ。父親が娘のことを話す心理、娘を持つ俺が分からぬ筈がないではないか。だから先手を打って、宰相閣下の口を封じたのである。

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