341 『小箱の放置』
『
更に誌面をめくると、ダダーンの夫ブランク・アスティンが書いた書評が載っていた。この号で、ブランクが選んだ本は「エナーレの果てに」という第三民明社が出版している小説。トラニアスを北西から南東に横切るようにして流れるエナーレ川の対岸に住む男女が、互いに惹かれ合っているのにすれ違いを重ねてしまうという、よくある恋愛小説。
その「エナーレの果てに」を情感豊かに紹介するブランクの文才には感心した。これを読んだ人は「エナーレの果てに」を買って読みたいと思うのではないか。これだけの仕事をしていたら、ケチが付けられる事はないだろう。
またブランクの書評の次には未刊行の小説が掲載されており、編集長のフロイツが予想以上に俺のアドバイスを相当受け入れたのだなと思った。隔週誌になっても月刊誌と同じ厚さで内容も充実しているので、しっかりとした売上が上がるのではないか。
俺に『小箱の放置』を渡してくれたリサは、メガネブタの反応を「全く予想通り」だと話している。その上でメガネブタが神に誓ったことを後悔させると、ニコニコ顔で言っていたのには思わず引いてしまった。ザルツが言うように、キューっと絞め殺す気マンマンなのが明らか。しかしこのメガネブタの反論を読む限り、同情の余地はゼロだ。
そんな事をいいながら、痛い痛いと筋肉痛にのたまうリサを見て、どちらが本当のリサなのか判断に苦しむところ。しかし俺だって人のことを言える立場じゃないかもしれない。佳奈という嫁がいながら、いい歳こいてアイリと付き合い、クリスに好意を持つなんて事になっているからな。人間誰しも二面性があると思わないと仕方がないだろう。
――俺とリサは翌日も筋肉痛と闘いながら鍛錬を続けた。昨日は鍛錬をした結果、殆ど動けない状態だったが、今日は鍛錬した後も動ける状態になった。体が若いから回復力や適応力が早い。せめてこの体だけでも現実世界に持って帰りたいものである。という訳でリサは王都通信社に、俺はファーナス商会にそれぞれ向かった。
俺がファーナス商会に向かったのには訳がある。ムファスタの倉庫で『収納』した小麦をファーナス商会の倉庫に荷下ろしする為だ。久々にやってきたファーナス商会。半年ぶりか。あの時はワロスがグレックナーを雇って俺を殺そうと企んでいたので、それを阻止するためにファーナス商会に協力を求めるためにやってきたんだったな。
その時持ってきた手土産が『金融ギルド』で、その見返りがアルフォード商会の王都ギルドへの加盟だった。そして『金融ギルド』の責任者になったシアーズがワロスを抑えて傘下に加え、グレックナーは曲折を経て自警団『常在戦場』の団長に就任。今に至る流れの源は、全てこのファーナス商会から始まったのである。
ファーナス商会を訪れると当主であるアッシュド・ファーナスが出迎えてくれた。ファーナスは爽やかなイエローのジャケットに白い綿のスラックス、グレーのシャツという組み合わせ。流石は装いに拘りのある若旦那ファーナス。現実世界でファーナスがこの格好で歩いていても、おそらく違和感がないだろう。俺は早速、小麦の荷下ろしの話に入った。
「で、どれぐらいの小麦を降ろしたいんだ?」
「倉庫十棟分だ」
「は?」
「だから倉庫十棟分」
「・・・・・」
若旦那ファーナスが固まっている。何を言っているのか分からないといった感じだ。しばらくして、意識が戻ってきたファーナスに尋ねられた。
「ところでその小麦はどこの小麦なんだ?」
「ムファスタにあった小麦だ」
「ムファスタ! グレン君も行ったのか!」
ああ、と返事をした。そしてムファスタでドルナの商人ドラフィルと会って、レジドルナの情勢について聞いてきた事を伝えると、どうだったと興味深そうに尋ねてくる。そこで俺は、ドラフィルが言ったことをありのままに話した。
「現在、小麦価は一五〇〇ラントであるとのこと」
「一五〇〇ラント!」
「売れば売るほど、値が上がると話してました」
「買い上がりか・・・・・」
これにはファーナスも深刻な表情を浮かべている。レジドルナで何が起こっているのかを察知したのである。ファーナスは俺がムファスタから倉庫十棟分の小麦を移動させようとしている事を理解してくれた。ただ『収納』で小麦を持ってきているところまでは分かってはいないようなので、それには触れず、現段階で倉庫に空きがあるかを聞くことにする。
「今、全力でセシメルの倉庫に移動しているところなのだよ」
ファーナスによると二日前、ジェドラ商会に所属している貨車が当面の間ムファスタに向かわなくてもよい事になったので、その貨車全てを使って倉庫にある小麦をセシメルに搬送している最中であるという。代わりにセシメルの倉庫に眠っている毒消し草を全て王都に運び入れる事になっているとの事。
「セシメルからの毒消し草とディルスデニアから入ってくる小麦の量を計算すれば、王都にあるウチの系列の倉庫は全て埋まってしまう」
現在、三商会側の商会が管理する倉庫、全て合わせて四十棟余。その殆どに空きがないというのである。加えてモンセルにある毒消し草を運び入れる予定となっており、それを考えると相当シビアな倉庫管理を行わなければならない状況にあるそうだ。
「つまり倉庫十棟分は・・・・・」
「無理だ。済まない・・・・・」
そうか。当面の間、小麦は『収納』で抱えておく他なさそうだ。一応この小麦はアルフォードのものなのだが、アルフォードは独立採算制を取っているので、ムファスタギルドの会頭を務めているホイスナーには俺宛に請求するように言ってある。ホイスナーが俺に売った形にしなければ、ホイスナーが小麦を失った形となって大損をしてしまう。
これは元々独立商だったホイスナー達、各地に散ったモンセル商人たちが自由に動けるようにするため、俺が考えたこと。流通通信が弱いエレノ世界で、無理に経営を統合強化すれば莫大な維持費用がかかるからだ。独立採算で各責任者に機動力を持たせているという訳である。俺にファーナスが頭を下げているとき、応接室のドアが開いた。
「アルフォードさん、お久しぶりです」
「こら、リシャール! 今、話し中だぞ!」
「まぁまぁ」
息子に怒鳴り散らす若旦那を俺はなだめた。
「父さん、ごめん。この前のお礼をどうしても言いたかったんだよ」
「リシャール・・・・・」
あまり詫びる気がない感じのリシャールに対し、ファーナスは呆れたような感じで息子の名を呼んだ。そういや、裕介にこんな感じで呼んだ記憶がないなぁ。今まで気にもしたことがなかったが、ウチの家には重大な欠陥があるのかもしれないな。帰ったら、一度佳奈と話し合いをした方がいいのかもなぁ。
「アルフォードさん。王宮前広場での臣従儀礼に参列させていただき、ありがとうございました」
満面の笑みで話すリシャール。物凄く嬉しかったようだ。喜んでくれたのならそれでいい。スロベニアルトに掛け合った甲斐があったというもの。
「息子が世話になって・・・・・」
「いえいえ。気になさらずに」
恐縮するファーナスに、気にしないように伝えた。これまで若旦那ファーナスにはどれだけ世話になったことか。それに比べれば俺がリシャールにしてあげた事など、やったうちにも入らない。
「実はアルフォードさん、この前お貸しいただきました『商人秘術大全』。これを読んで打ち込みをしているのですが、分からない部分がありまして・・・・・」
リシャールが立木打ちについてあれこれと聞いてきた。俺は立ち上がって、身振り手振りを交えながらあれこれと説明する。左足を前にして右足を一足半ほど離して右、左、右、左、右、左と拍子を打つように、リズムを乱さず打つこと。これをやり続けるように話した。俺の話を聞き漏らすまいと、懸命に聞くリシャールの目は真剣そのもの。
「確実に一本一本を打ち込むことが大事なんだ、雑に打ち込んだら打ち込んだことにはならない」
「一本打っても、それは打ったつもりということですね」
そうだ。ファーナスの息子、リシャールは俺の話をよく理解している。何でもそうだが、雑にしてはいけない。雑にすれば、それは仕事に出る。俺とリシャールがやり取りをしていると、若旦那ファーナスが聞いてきた。
「前からリシャール、息子が大声を上げて木の枝で打ち込んでいたが、これのことか」
「ええ。商人剣術ですよ」
「商人剣術!?」
若旦那ファーナスがビックリしている。なので俺は商人剣術についてあれこれ説明した。商人剣術は商人だけが使える剣術で、鍛錬する事でレベルが上がると。
「リシャール! だから・・・・・」
「父さん。商人でも鍛錬すればレベルが上がるんだよ」
「知らなかった・・・・・」
「商人はレベルが高くなくとも、暮らしに困らぬぐらい稼げますから」
「確かにそうだ」
ファーナスは俺の説明に納得したようだ。エレノ世界において、商人は身分こそ低いが、堅実にやっていれば食いっぱくれのない職業である。だからレベルを上げる必要がない。ただレベルを上げれば『値切り』や『ふっかけ』の率が高まったりするので、高くなれば得になる事は多い。しかしそれを知っているのは、今の所俺一人。
「アルフォードさん、実地で教えて頂けませんか?」
「リシャール! 無理を言うな・・・・・」
「ああ、いいよ。今日は予定があるから、明日になるが・・・・・」
「はい、それでも!」
リシャールは元気よく返事をした。これには父親である若旦那もお手上げのようだ。ファーナスが次はどこに行くのだと聞いてきたので、『常在戦場』の屯所に行くと、今度はリシャールが同行したいと言い出したのである。
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