333 捨ててこそ

 宰相府から帰ってきたザルツとロバート。その二人と俺、そしてリサを加えたアルフォード家の家族四人で、ロタスティの個室に入り会食をしながら、ディルスデニア王国の宰相イッシューサムから託された封書の内容について話を聞いた。


「しかし、どうして交渉のネタを先に提示したのでしょうね」


 ザルツの話を黙って聞いていたリサがポツリと言った。確かにそうだ。普通、交渉というもの、要望があるから相手に話すもの。その前に何らかの手土産を持っていくのは、こちらの話を聞いてもらうため。それをイッシューサムは、周旋という要望と小麦という条件を同時に提示してきたのだ。俺達商人にはない、いや現実世界でも聞かない交渉手法。


「正式な交渉ルートがないからだ。全く繋がりのない相手といきなり交渉をする。しかも相手の側の人間を通じてな。その時、お前達ならどうする」


 俺とリサを見てザルツは言った。いきなりの話にリサは困惑している。俺は思案したが妙案が浮かばなかった。大体、繋がりのない相手と交渉するには、その相手と繋がっている人間を探し、懇意となる事から始まるもの。懇意になった者から相手を紹介してもらって、そこから相手と交渉することになるのである。


 宰相閣下との交渉の時がそうだ。寮の隣の部屋にいるクルトに父親で財務官吏のジェフ・ウインズを紹介してもらい、そのジェフ・ウインズを通じて財務卿グローズ子爵、そして宰相ノルト=クラウディス公に行き着いた。交渉をするということは人脈を辿ることであって、いきなり飛び込みなんて、若旦那ファーナスの時ぐらいなものだ。


「やりようがないだろう」


 俺もリサも認めざる得なかった。しかしだからといって、このイッシューサムのこのやり方。際どくはないか?


「『捨ててこそ』だよ」


「『捨ててこそ』?」


 突然の言葉に思わず聞き返した。『捨ててこそ』。話によるとイッシューサムは一度失脚した事があるそうだ。そこで地獄を見たのだという。しかしその監獄から一身を投げ打って、九死に一生を得たイッシューサムは、路上踊りとカニとメロンを配る術で首相にまで這い上がった。身を捨ててこその精神で、現在の地位を築いたのである。


「常に死中に活を求める姿勢だからこそ、全てをさらけ出せるのだろう」


 ザルツからの説明を聞いても、分かったような分からないような感じだが、身命を賭して勝負してくる人物であることは間違いないようだ。一つ言えることは、イッシューサムは見えない相手に対して覚悟を以て、交渉に臨んでくる人物であるということ。


「イッシューサム首相は宰相閣下の事を色々と聞いてきた。自身でもノルト=クラウディス公爵家の事について調べたようだ。その上であの様な書簡を私に預けられた。おそらくは正式な交渉ルートもない中にあっても、早急に疫病対策を施したい。だから宰相閣下を信じて、あのようにハッキリと交換条件を示す書簡となったのだろう」


 イッシューサムと宰相閣下。その二人がやり取りする書簡の間にいる形となったザルツは、そのような見解を示した。相手を信じて条件を提示する。俺にはそんな事、とてもじゃないができない。見知らぬ相手に手の内を見せる怖さ。


 相手がこちらの読み通りにならないリスクが高く、カードを事前に全て切っているので、奥の手が使えない。その上でやったとすればイッシューサムという人物、相当な胆力を持つ人物である。


「実際、宰相閣下はイッシューサムの求めに応じられた。イッシューサムは宰相閣下の協力を取り付けることに成功したのだ」


 先にカードを全て示した上で、相手側が求めに応じた。交渉としてみれば、これは完全にイッシューサムの勝利である。だが、相手である宰相閣下、ノルト=クラウディス公はそれを丸呑みしたという点で、イッシューサムに貸しを作った事になる。考えてみれば小麦を調達しながら借りはないということ。何を取って、何を得るか。


 どうやら政治であるとか外交であるとかは、商人の損得とは違う次元でモノを考えなくてはならないようである。これは現実世界でも同じなのだろう。何故なら現実世界もエレノ世界も人の社会には変わりがないからで、こちらに『世のことわり』があるように、現実世界にはとてつもない自然災害がある。共に神の見えざる手が存在するのだ。


 結局の所、どの世界に生きようと、逃れられぬものからは逃れられない。その点においては同じ。だから今回の件は、現実世界に戻ったときに役に立つ経験だと思って、頭に叩き込んでおこう。疲れ気味のザルツから、宰相府での協議の内容。ディルスデニアとラスカルト、両王国に届ける書簡についての協議、その概略を聞いた。


「出発は明後日だ。ロバートはクラウディス=ミーシャン伯の車列と共にディルスデニア王国に向かう。リサは私と共に外務部のシェーレンター補佐官の車列と共にムファスタに向かう。いいな」


 ロバートとリサは頷いた。リサはムファスタでドルナの商人ドラフィル商会のレットフィールド・ドラフィルと、アルフォード商会の幹部でムファスタギルドの会頭であるジグラニア・ホイスナーの三者でレジドルナ対策を協議することになっている。悪巧みに長けた『ムファスタ三悪』が再結集するのだ。何も起こらない訳がない。


「グレンもリサや私と同行すること」


「えっ! 俺も?」


 俺は驚いた。俺がムファスタに行くなんて考えてもいなかった。思わずどうしてなのかと聞いた。


「宰相府にレジドルナでの小麦暴騰の件を伝えなければならないではないか」


 は? え? 何故? 俺の頭の中はクエスチョンマークしか出てこない。そんなまどろっこしい事をしなくとも、日取りを決めて、その日に伝えればいいではないか? ムファスタから伝える意味が分からない。


「お前は私と共にムファスタに入り、私とシェーレンター補佐官がラスカルト王国に向かった後、レジドルナの小麦暴騰を知ってしまった・・・・・・・のだ。知った以上は伝えなければならぬ」


 なるほど。これは俺でも分かった。要は所用でムファスタまで同行した俺が、たまたま・・・・レジドルナの小麦が暴騰した一件に触れた。そこですぐさま早馬を飛ばして宰相府に知らせ、追って王都に戻り協議を行う。全ては偶然が重なった結果こうなった。このような筋立てで動けということのようである。


「明日も宰相府に向かう。ムファスタへは明後日に出発だ。そのつもりで用意するように」


 書簡の中身や相手側への応対について、引き続き協議をすることになっているとのこと。ザルツとロバートは明日も宰相府に出向くことになっている。既にディルスデニア、ラスカルト両王国へは、使節が赴く事を知らせる早馬が出されたとのこと。二人は明日に備え定宿である『グラバーラス・ノルデン』へと向かった。


 ――ムファスタ。王都トラニアスの南西に位置するノルデン王国第五の街。ラスカルト王国に近い場所にあるノルデンの古都である。ノルデンがまだ群雄割拠であった時代、ラスカルト王国との交易で栄えていたムファスタは、ノルデン諸侯の中でも有力だったダングラム家が首府を置いた街であった。ムファスタは古来、ノルデンの中心だったのである。


 ところがムバラージクがノルデンを統一してムバラージク朝ノルデン王国が成立すると、ノルデンの中心は王都トラニアスに移り、ムファスタの衰退が始まる。その衰退に追い打ちをかけたのがラスカルト王国との交易量の減少で、現王朝であるアルービオ朝が成立しラスカルト王国との関係が疎遠になると、その衰退に拍車をかけた。


 ムバラージク朝からアルービオ朝への移行期に独立国家となったサルジニア公国。その公国交易で成長した、アルフォードの本拠地であるモンセルとは対象的な歩みをしたムファスタ。ノルデンの中心でなくなり交易がなくなったムファスタはモンセルの後塵を拝し、ノルデン第五の街に甘んじなければならなくなったのである。


 ただムファスタの周りにはバーデット侯やホルン=ブシャール候、ゴデル=ハルゼイ候といった有力貴族の広大な所領があり、黒屋根の屋敷の所有者だったレグニアーレ候の所領や、年末に婚約者であるウェストウィック公の嫡嗣モーリスと一悶着があった、悪役令嬢カテリーナの実家であるアンドリュース候の所領もこの周辺だ。


 こうした有力貴族の所領に住む多くの領民が行き交かう場所として、また各所領の物品を集積する役割を担うことで街の規模は維持されている。古い街には古い街なりの蓄積があるのだろう。そのムファスタに俺達は夕方に入った。


 昨日の昼前、王都トラニアスから出発したので、およそ一日で着いた計算になる。高速馬車に乗ったザルツと俺、そしてリサの家族三人は、ムファスタにあるホテル『グランデ・ラ・ムファスタ』に到着。同じ車列でムファスタに向かっていた、ラスカルト王国への使節で宰相府外務部のシェーレンター補佐官達は、その足でムファスタ行政府に赴いた。


 シェーレンター補佐官に随行しているのは、秘書役二人と衛士四人。ディルスデニア王国の使節クラウディス=ミーシャン伯には、外交副処長アンエルツら十名余が付いた話を聞くと、少ないほうだなと思えるというもの。一方、ホテルに入った俺達をムファスタギルドの会頭となっているホイスナーの出迎えを受けたのである。


 ホイスナーとは約一年ぶりの再会。ムファスタギルドの会頭に就任したホイスナーが、モンセルへ挨拶に来たとき以来。その時と変わらない姿で現れたホイスナーと俺は握手を交わす。話によると、ドルナの商人レットフィールド・ドラフィルはまだムファスタにはやってきていないらしい。ドラフィルは明後日到着との事。


 ジグラニア・ホイスナーはノルデン第四の街セシメルのギルドで会頭をしているザール・ジェラルド、サルジニア公国でジニア・アルフォード商会を開いているアーレント・ロブソンと同じく、元はモンセルの独立商。つまり我がアルフォード商会の同業者である。だが三人は我々に呼応し、商店を畳んで、アルフォードに参じてくれた。


 彼らがいてくれたからこそ、アルフォード商会はセシメルやムファスタ、サルジニア公国に手を伸ばす事ができたのである。ホイスナーはアルフォードと張り合う規模の商いをしていたのだが、ザルツの誘いを受ける形で商会を畳んでアルフォードに入った。現在は家族と共にムファスタに移住し、根を張った商いをしている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る