332 返書

 ディルスデニア王国やラスカルト王国から王都に搬入された小麦は、ファーナス商会が管理をしていた。当初から輸出入をアルフォード、搬送をジェドラ、倉庫をファーナスがそれぞれ担当していたのだが、そのファーナスが深刻な表情で話した。


「王都の倉庫の搬入量が八割に達している・・・・・」


 ファーナスはその上で、これ以上のペースで小麦が搬入されると、小麦を置く場所がなくなってしまうと話した。小麦の運び入れを増やせば、今度は倉庫が持たなくなるのか。あれを立てれば、これが立たず。たった一つの事を変える事の難しさ。それが分かる話。


 現在、備蓄している薬草を出荷して、代わりに王都に運び入れた小麦を搬入しているのだが、出荷量よりも入荷量の方が多い結果そうなっているのだという。倉庫に入らなければ、いくら搬入量を倍にしようと思っても持ってくることができない。するとザルツは少し考えた後、一つの提案を行った。


「在庫をセシメルに運びましょう」


 今、王都の倉庫にある小麦をセシメルに移して、スペースを空ける。小麦はセシメルで売り払ってもいいし、王都の在庫が予想以上に捌けた場合、セシメルの備蓄分を再び運び入れたらいい。


 このザルツの話にファーナスは安堵したようである。この日の話は終始、ザルツのペースで進んだ。ザルツにはザルツの意図があるのだろうが、その狙いは分からない。ただ会合の中で、それぞれのやるべきことは決まった。そして動くのはザルツがラスカルト王国から帰ってきたとき、そう確認して散会したのである。


 ――会合の翌日。俺はザルツから学園での待機を命じられた。ディルスデニア王国の首相イッシューサムから託された書簡の返書を受け取る為、ザルツとロバートが宰相府へと出向いたのだが、その間学園で待っておけというのである。おそらくは俺が宰相府への連絡を怠った事に対する懲罰的なものなのだろう。


 俺はケルメス大聖堂にもいけず、器楽室でピアノを弾くしかなかった。一方、リサは今日も王都通信社の方に出向いていた。朝の鍛錬場で聞いた話では、次号の『週刊トラニアス』にいよいよ、『翻訳蒟蒻こんにゃく』でメガネブタことモデスト・コースライスが書いたデマ記事に対する糾弾記事が載るらしい。


 『週刊トラニアス』は創刊準備号からわずか三号で一万部以上を発行するタウン誌に成長した。配布先も王都トラニアスだけではなく周辺の村々にまで及び、次号では一万五〇〇〇部発行するという。


 これは月刊誌『翻訳蒟蒻』のおよそ倍であるというのだから、もはやノルデン最大の雑誌と言ってもいいだろう。急速な成長を見せる『週刊トラニアス』に載せるメガネブタ糾弾記事がいかなるものになるのか、実に楽しみである。


 俺がピアノを弾きながらザルツ達の連絡を待っていたのだが、魔装具が反応したのは予定時間より遅く、夕方になってからの事。ザルツとロバートが学園の馬車溜まりに到着した頃には日が暮れようとしていた。二人を見ると、共に疲れているようである。ザルツ達が来る直前にリサも帰ってきたので、俺達はロタスティの個室で夕食を摂ることにした。


「宰相府の使節が同行!?」


 疲れた表情のザルツから出てきた言葉に、思わず声が出てしまった。ディルスデニア王国に向かうロバートと、ラスカルト王国に向かうザルツに、それぞれ宰相府の使節が同行するというのである。宰相府は政府なのだから、宰相府の使節「に」ザルツとロバートが同行するものだろう。現実世界とあべこべじゃないか。


「宰相閣下の御意向だ」


 話によると、通知された時間に出頭したザルツとロバートは宰相府の奥にある宰相閣下の執務室、そう『金利上限勅令』の話の時に俺も連れて行かれたあの部屋に連れて行かれたのだという。そこにはクリスの次兄で宰相補佐官であるアルフォンス卿以下、外務部の幹部達が並んで立っており、その場で挨拶を済ませると全員が会議室へと移動した。


 外務部の幹部は外務部補佐官シェーレンター、外務部特別参事クラウディス=ミーシャン伯、外務部外務処長ポアト=リスネア子爵、外事処長アルレネート男爵の四人。現在外務卿は空席の状態。実質的な外務部の長となっているのは外務処長のポアト=リスネア子爵だという。つまりこの国が外務大臣を必要としないくらい、外交を行っていない証。


 ポアト=リスネア子爵は宰相からの指示に従い、ノルデン王国の外務部の状況を洗いざらい話した。現在ノルデン王国は交流を持つ国は、アルフォード商会の本拠地があるモンセルの北にあるサルジニア公国のみである事や、そのサルジニア公国とも使節のやり取りを行っていない事などを説明し、宰相府には実質的な外交経験がないと告げた。


 実質的な鎖国状態にあるノルデン王国の外交事情をつまびらかにした外務処長ポアト=リスネア子爵は、その上でディルスデニア、ラスカルト王国両国との間をアルフォード商会が取り持ってくれないかと持ちかけてきたのである。


 その上でディルスデニアには特別参事のクラウディス=ミーシャン伯を、ラスカルトには補佐官シェーレンターを使者に立てるとの話。この人事には宰相閣下の強い意向が働いたようだ。外務部に特別参事職を新たに設け、親族のクラウディス=ミーシャン伯をその職に付けた。


 クラウディス=ミーシャン伯は臣従儀礼の際にもクリスの親族として参加していた壮年貴族。ディルスデニア王国に隣接している南部に所領を持っている事も、親族の中から選ばれた要因だと思われる。


「どうしてそのような事を」


 俺はザルツに問い質した。ポアト=リスネア子爵の言う通り、外務部とは言っても殆ど外務の仕事をしていない。鎖国状態なのだから当然だが、交流がない故に外国との利害関係に巻き込まれることなく、ノルデンは今日まで平和に国を営んでいるのである。それをわざわざ使者、それも宰相の親族を立ててまで書簡を出すとは・・・・・


「イッシューサム首相の書簡が原因だ」 


 ザルツはそう言った。イッシューサムは書簡に薬草の礼を書いた上で、二つの要望を出してきたのである。一つはディルスデニア産小麦の購入量を増やして欲しいという要望。ディルスデニア王国は今年小麦が大豊作であり、アルフォード商会側にこれまでよりも多くの小麦を購入するように、ノルデン王国側から促進して欲しい旨が書かれていたとの事。


 これならば容易だ。しかし問題はもう一つの要望。隣国ディルスデニアの西にある隣国、ラスカルト王国との仲介を要望してきたのである。理由は疫病の沈静化の為、ラスカルト王国と提携したいのだという。だったら自分達でラスカルト王国と話をすればいいだろうと思ったが、事情は俺が考えているよりもずっと複雑であった。


 まずディルスデニア王国とラスカルト王国の間には、ノルデン王国と両国の関係と同様に国交が結ばれておらず、国同士の正式なルートはなかった。そして両国の間には山脈が走っており、人の行き来そのものも少ない。そういう事もあって、両国は元々疎遠な状態だったのである。


 そこへ両国に跨がる形で疫病が発生してしまったものだから、大変な事態に陥ってしまった。人間というもの、都合の悪いことや理解できないことを人のせいにしてしまう傾向がある。今回の場合、両国の民は疫病の因を相手国に求めた。これによってディルスデニアとラスカルトの両王国は、連携して疫病と対峙することができなくなってしまった。


 その為、疫病が鎮静化に向かいつつあるものの、疫病の抑制までには至っていないという。そこでイッシューサムは、ザルツよりラスカルト王国の側も疫病対策に苦慮しているとの情報を得たので、ディルスデニアとラスカルトの両国が何らかの形で提携を行わなければ疫病を封じ込める事は難しいと考えるに至ったのである。


 そこでディルスデニアと同様にノルデン王国より薬草を輸入しているラスカルト王国に、我が国が疫病対策の連携の意思がある事をお伝え願えないであろうか。イッシューサムの書簡にはそう記されていた。


 つまりノルデン王国に対して、疫病対策の周旋して欲しいという依頼か。しかしノルデン、ディルスデニア、ラスカルトの三国間はいずれも正式な国交がなく、話し合いを行おうにも行うだけの土壌すらない状態。この状態でどうやって提携する為の協議の場を周旋できるというのだろうか。


「国交を開くことを促進する意図はないが、一国で解決できない問題については最小限の協力の中で対処したい。イッシューサム首相はそのような意図を持っているようだな」


 この書簡を読んだ宰相閣下は、イッシューサムに対して単に返書を送る形ではなく、使者を立てて協力の意思があることを伝える考えに至ったとのこと。また同時にラスカルト王国に対しても使者を立ててイッシューサムの意向を伝え、両国間で広がる疫病対策の提携を促したいとの意思を示した。つまり疫病対策の周旋を行おうということである。


 特にディルスデニア王国に宰相閣下の親族であるクラウディス=ミーシャン伯を使者として立てるということは、イッシューサムの書簡に対する返答そのものと見て良いくらいだ。つまり書簡への賛同と同義だということ。そこまで宰相閣下が前のめりになったのは何故か? おそらくは小麦の件であろう。宰相閣下は意欲的に小麦獲得に動く意思を見せたということ。


 一方、イッシューサムの方としては、ディルスデニア王国からの小麦の輸出量を増やす代わり、ラスカルト王国との疫病対策の提携について後押しして欲しいというのが、その意図なのだろう。人の足元を見てと言えばそれまでなのかもしれないが、それが政治である以上、あるものを使って交渉してくるのは当然の話。


 それを宰相閣下は読み取った上で、親族のクラウディス=ミーシャン伯を使者として送るという形で積極姿勢を見せているのだ。疫病対策を仲の良くない隣国と提携して促進したいイッシューサムと、少しでも多くの小麦を確保したい宰相閣下。宰相閣下は自身と思惑が一致していることをイッシューサムに示そうとしているのだと思われる。

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