325 神社と寺と初詣

 神社と寺。二つの宗教施設が並立している状況について説明するのだが、明晰な頭脳を持つクリスであっても理解し難いようだ。しかしあれこれ話をするうちに、おぼろげながらではあるものの、理解をしていくクリスには本当に驚かされる。俺は夜中に初詣をする人がいる事や、そのために参拝する人を運ぶ電車が運行している事を話した。


「夜中にも?」


「ああ。初日だけだけどな」


「あの何百人とか乗せられるとかいう乗り物を動かしているなら、参拝する人は数千人にも・・・・・」


「数万人だな。多いところは三日で三百万人を超える」


「三百万! 桁違いで想像もできませんわ」


 現実世界の話を驚きつつも、前のめりになって聞くクリス。クリスはアイリとは違う部分で現実世界への興味を示す。アイリは文化的、感覚的な違いに興味を持つのに対して、クリスは制度や慣習といったより政治的なものに向く。この辺り、二人の性格や気質の違いがよく出ている。


「本当にグレンの話は飽きませんわ」


「楽しいか?」


「楽しいですわ」


 クリスはいつもにも増して楽しそうだ。俺の方も現実世界の話となると、あれやこれやと思い出し、時間を忘れて話してしまう。一方クリスも、普段なら従者であるトーマスとシャロンがいる手前、自身の感情を抑えているのだろうが、二人がいないものだから気兼ねなく振る舞っているように見えた。


 例えば紅茶一つを取っても、いつもであればシャロンが注いでくれるのを待っているだけなのだが、今日はいないので自分でティーカップに注いでいる。その仕草はすごく自然。生来クリスはマイペースなのかもしれない。


「グレンはいつも、昼から何をしているの?」


「ううん・・・・・ どうだったかなぁ」


 俺は考え込んだ。特段深く決めて動いていた訳じゃないからなぁ。


「ピアノを弾くの?」


「それだ! そうそう。用事がなければピアノなんだよ」


 よく考えたらそうだった。昨日ボルトン伯と話し込んでリズムが狂った上、今日はクリスが顔を出してくれたのですっかり忘れてたよ。「じゃぁ、聴かせてよ」というクリスの言葉に、よしピアノを弾こうかとなった。


 クリスと話すことができて、気分が乗ったのも大きい。もしもボルトン話を引きずっていたら、こうにはならないだろう。俺はクリスと一緒にフルコンのある、黒屋根の屋敷に向かった。


「この字はなに?」


 フルコンが置かれた両階段下にあるピアノ部屋。指を慣らして練習曲を引いていると、クリスが楽譜に書かれている文字を見つけて聞いてきた。手に持っていたのは「愛の残骸」という曲の楽譜。元書かれていたこちらでいう古語、日本語の下に俺がノルデン語の訳詞を書き入れた楽譜で、アイリが実家に帰る直前に歌っていたものである。


「それ、歌だよ」


「歌?」


 クリスがキョトンとなっている。このノルデン王国、楽器に合わせて歌を歌う習慣がない。だから音符の下に歌詞が書かれていること自体に違和感があるのだろう。俺はクリスが持っていた楽譜を受け取ると、演奏しながら軽く歌った。


「・・・・・」


 どうした? 何かおかしいのか? クリスは両手を口にあててビックリしたまま。まぁ、この国では歌とは神に捧げるものであって、教会における聖歌隊の賛美歌しかない。聖歌隊は無伴奏のコーラスなので、俺がやっているような演奏しながら歌うなど、想像すらできなかったものなのだろう。


「・・・・・す、凄い。凄いですわ、グレン!」


 何かクリスが感激している。演奏に合わせて歌うというのが斬新に見えたようだ。


「演奏と歌がこんなにも合うなんて・・・・・」


「伴奏って言うんだよ。この曲は女の人向けだから、俺には歌いにくいけどね」


「男の人向けの曲もあるの?」


 もちろんだ。俺は練習曲を弾きながら現実世界の話をする。歌手という職業があり、伴奏に合わせて歌う人や、演奏しながら歌う人、踊りながら歌う人など、様々な特徴のある歌手がいる事や、数千数万の曲があること。そしてカラオケというものがあり、多くの人が伴奏に合わせて歌うレパートリーを持っている事を話した。


「じゃあ、グレンも得意な曲が?」


「・・・・・無いことは・・・・・」


「あるのね!」


 クリスがパッと明るい顔になった。それを聞きたいと言うのである。俺はピアノが主体だったので、そんなに歌える曲はない。大学時代とか人に合わせる為に何曲か歌えるようにした程度。俺と違って佳奈はガンガン歌う方だったけど。佳奈は社交的だったので、よくカラオケに行っていたのだろうなぁ。


「聴かせてよ」


 子供のようにせがんでくるクリスに負けた俺は、一曲歌うことにした。河島英五の「時代おくれ」。数少ないレパートリーの一つ。俺は脳内採譜した楽譜を『収納』で取り出すと、フルコンで演奏しながら歌う。確か河島英五は、娘さんの名前を旅行先で見たアフガニスタンの湖から採ったんだよなぁ。歌いながら、何故か愛羅の事が頭をよぎった。


「・・・・・この曲はどんな歌なの?」


「時代に取り残されたおっさんの曲さ」


 演奏が終わって聞いてきたクリスにそう答えた。首を傾げるクリス。そりゃそうだ。ノルデン生まれのクリスに日本語なんて分かる訳がない。まして嫁持ち子持ちのおっさんの曲なんか聞かされたって、クリスに理解できる訳もないからな。クリスは俺の説明にイマイチ納得できないようで、あれこれ聞いてくる。


「さっきの曲のような訳詞はないの?」


「訳詞か・・・・・」


 聞かれた中で、訳詞の事を聞かれた。まぁ、翻訳はしているが・・・・・ 俺は訳詞をするカンを身につける為、いくつかの曲の訳詞をしていた。レパートリーだった「時代おくれ」もそんな曲の一つ。訳詞があると分かったクリスは、是非聞きたいとせがんできた。こういう時のクリスは強い。押しに負けた俺はノルデン語訳の「時代おくれ」を歌った。


「・・・・・お父様・・・・・」


 俺が歌い終わるとクリスがそう呟いた。訳詞を聞いて歌詞が分かったからだろうか、

見ると琥珀色の瞳から涙を流している。


「ごめんなさい。お父様はこんなお気持ちだったのかと思って・・・・・」


 宰相閣下か・・・・・ 宰相だった父親が死去したことで宰相を引き継がなければならなくなった事で、クリスの母親と王都と領地と別れて住まざる得なくなり、領地で息を引き取った妻の死に目にも会えなかった。よく考えれば身分は高いが、言いたいことも言えぬ生き方か。確かに歌詞とは外れてはいないな。


「まぁ、結婚して子供ができたら、多かれ少なかれ、取り残されていくもんだからなぁ、男は」


「女は?」


「順応する人が多いなぁ。強いから。まぁ、過去に囚われる人もいるけど、それは男も女も同じ」


「まるで体験してきた見たいな言い方ねぇ」


 いやいやいや、体験しているから、俺。クリスのそれを言うと、ハッとしたクリスは笑いだした。


「ごめんなさい。そうだったわ。つい、忘れちゃって」


 先程まで涙を流していたクリスとは打って変わって、ニコリと笑った。まぁ、どう考えても同級生にしか見えないもんなぁ、今の俺。おっさん姿だったら、クリスの父ノルト=クラウディス公やザルツと同世代の風貌であるはずだし、そうであればクリスもそんな勘違いをせずに済むのになぁ。


 落ち着いたクリスは別の歌が聴きたいと言い出したので、村下孝蔵の「踊り子」をノルデン語で歌う。「時代おくれ」があまりにも男臭い曲なので、 女の子の前でも歌えるようにしておいた曲の一つ。


 村下孝蔵は歌詞も曲も手掛けるシンガーソングライターだが、何と言っても独特の声色なんだよなぁ。あれは何度やっても出せないな。まぁピアノでも、この人にしか出せない音っていうのがあるが、人間の声は尚更の話。


「こんな曲があるのね・・・・・」


 感嘆しているクリス。戸惑うのも無理はないか。まぁ「踊り子」はラブソングだからな。おっさんの心情を歌った「時代おくれ」といい、どう考えてもエレノ世界における歌への意識、神への捧げ物という感覚とは全く繋がらない。


「でも、素敵だわ。この曲、誰かの前で歌ったことがあるの?」


「いや、クリスの前で歌ったのが初めてだ」


「そう!」


 クリスは凄く嬉しそうだ。この二曲はアイリの前でさえ歌ったことがない曲。というか、アイリの場合、まずは自分が歌いたいからなのだけど。俺は気分が乗ってきたのでブラームスの「ハンガリー舞曲」の四番と二番、そして八番を立て続けに弾く。最近、調子が良くて脳内採譜がどんどん進み、一番から八番までの採譜が出来たのである。


 およそ三時間近く演奏をしたのだが、クリスがワインを飲みたいというのでピアノを切り上げて、俺の執務室で休むことにした。執務室のソファー座ったクリスは、グラスを片手に上機嫌だった。銘柄は『サヴォーレ・デハズ・ディブローシャー』。先日の学園舞踊会の席で、ドーベルウィン伯から「学生が飲む酒じゃない」と言われたワインだ。


 クリスは今日初めてこの銘柄を飲んだのだが、気に入ってくれたようだ。黒屋根の屋敷では料理人がいないので、ミモレットという干からびたチーズをアテとする。どうして現実世界にもあるミモレットチーズが、エレノ世界にあるのかは分からない。


 確か昔、どっかの偉い政治家が首相と会った後、ビールの空き缶を持ちながら「あいつ、干からびたチーズを出しやがった」と、このチーズを見せたことで有名になった。その話、俺でも知っているくらいだから、恐らくエレノ製作者も知っていたのだろう。それを面白がってエレノ世界にミモレットを入れ込んだ可能性が高い。


 あいつらはホント碌な事をしないが、このミモレットと白ワインの相性というのが非常に良く、寮の部屋やここで飲む時にはいつもミモレットをアテにしている。その点に関してはエレノ製作者に感謝をしても良いかもしれない。そのミモレットをアテにして機嫌良くワインを飲むクリスが、ふと応接セットのテーブルに置かれた冊子を手にとった。


「これは・・・・・ 何?」


「週刊トラニアスという雑誌だ」


 クリスが持っているのは「週刊トラニアス」の第二号。一昨日、『常在戦場』の調査本部長のトマールとジェドラ商会のウィルゴット、そして週刊トラニアスの編集長で王都通信社の社主を兼ねるヴァリス・ミケランの三人が、わざわさ黒屋根の屋敷までやってきて持ってきてくれたのだ。


 年末に出した創刊号が予想以上に好調だった為、第二号は倍の一万部に増やしたとの話だった。リサが不在の中、リサの代わりに様々なコーディネートをしてくれているのがウィルゴットで、トマールやミケランと提携して、発行から配布に至るプロセスを滞りなく進めてくれているようである。


 その上で一定の発行部数が確保できたので、次号でモデスト・コースライス、メガネブタに対して一撃を加えようということで報告に上がりましたと話した。このミケランという人物、代筆稼業という事で筆が立つのは分かってはいたが、会ってみると口も立つ男だな。そりゃリサが気にいる訳だ。俺は三人に一任する事を伝えた。

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