326 週刊トラニアス
応接室の机に置いてあった「週刊トラニアス」を手に取り、パラパラとめくって内容を確かめるクリス。ワインが入っているからだろう、初めは散漫に見えたクリスの目が、次第に真剣なものへと変わっていった。
「この冊子、お店の情報が充実してない?」
「王都にあるお店や、人気のある商品の紹介が中心の雑誌、タウン誌だからな」
初めて見るであろうタウン誌を食い入るように見るクリス。やっぱり好奇心が強いよな、クリスは。俺はリサが実質的なオーナーとなって王都通信社という出版社を設立したことを話した。クリスが驚いたのは、このタウン誌「週刊トラニアス」が週一回発行される事についてで、そんな速いペースで出すんだと呆気にとられている。
「この冊子、どこで手に入るの?」
「王都にある色々なお店さ。学園が始まれば学園にも置かれるぞ」
「え? 学園で?」
「ああ。無料だしな」
「無料! これが!」
クリスは無料という言葉に目を丸くした。このタウン誌が無料だなんて予想も付かなかったのだろう。リサはどうしているのかと聞かれたので、モンセルに連れて行かれたと話すとクリスが、またも驚いた。
「連れて行かれたって!」
「ザルツが持って帰ったんだよ。リサは『週刊トラニアス』の事をやりたかったのだが、ザルツが丸め込んで連れて帰っちゃったんだよ」
「そうだったの・・・・・」
俺の話を聞いて残念そうなクリス。どうして無料なのか聞いて見たかったようだ。内容が充実しているのに、これで無料だったら、リサの吐き出しじゃないかと言うのである。
「いや、出すどころか、リサの元にお金が入ってくるぞ」
「ど、どうやって?????」
「ここに載っているお店や商品を出している所からお金を貰うんだよ。出稿料、広告費としてな。無料にすることで、王都に住む人々全てに見てもらうようにすれば、タウン誌に載せた情報は街に一気に広がる。皆見ているからな。そうすれば情報の発信力が高まる」
「つまり、配れば配るほど、この冊子の価値が高くなる」
その通りだ。流石はクリス。飲み込みが本当に早い。こういう話をするとき、一番楽しいのはクリスだ。
「こちらはどんどん無料で配ればいい。発行部数が多ければ多いほど、出稿料を高くもらえるからな」
「賢いわ! 流石はアルフォードね。考えることが違う」
クリスは感心している。ワインを飲み干したクリスは俺に聞いてきた。
「でも、どうして急にそんな冊子を・・・・・」
鋭いな。クリスが疑念を持つのも当然か。突然無料タウン誌なんか作っているんだもんな。俺は月刊誌『翻訳
「臣従儀礼を受けた宰相府への挑発ですか! 許せません。月刊誌と書いた者を早急に呼び出すべきです」
「待て待て。ここで宰相府を出すわけにはいかん」
「どうしてですか。このような根も葉もない虚言を吐かれ、侮辱を受けているというのに!」
「発刊元はノルデン報知結社だぞ」
クリスの口が止まった。その名を聞いて意味が分かったようだ。ノルデン報知結社はあの車椅子ババアの家、イゼーナ伯爵家が経営している。イゼーナ伯爵家が所属する派閥は、宰相派の対抗勢力である貴族派第一派閥のアウストラリス派。
「だからと言って、このまま引き下がるのですか・・・・・」
今、宰相府を矢面に立たせたならば、ノルト=クラウディス家を要らぬ争いに巻き込みかねない。その事をクリスは理解したようで、悔しそうな表情を見せた。クリスは負けず嫌いなのである。俺はワインを口に含ませると、対抗策を話した。
「だからこのタウン誌を使って対抗するんだよ」
「どうやって」
「ペンにはな、剣や権力ではなく、ペンで以て対抗するんだ」
「ペンで?」
「相手側に論戦を仕掛けて、デマを撃つ」
クリスは発想の外にある論理を説かれ、呆気にとられたようだ。
「言論には言論で対抗する。これは俺達の社会での常識だ。幸い俺の方にはクリスがいる。相手の方も権力を使って俺達を黙らせる事はできない。それは相手も同じこと。アウストラリス公がいることで、迂闊には仕掛けられない。だから言論で勝負するんだ。そして民衆にジャッジさせて勝敗を決める」
「相手と同じ土俵に立って勝負をするということですね」
「そうだ。本当の情報を持っているのは俺達しかいない。だから俺達の方が正しいことを民衆の前で証明すればいいんだよ」
思っても見ないやり方に戸惑っているクリスだが、言っている意味が理解出来たようで、俺に言ってきた。
「しかしこの世の中、真実や正論を述べたからといって、それが常に通るとは限りません」
そうだ。まさにその通り。いくら真実を述べようと、デマの声の方が大きいとそちらの方が勝ってしまう。どうしてなのか? 人は信じたい事を信じようとする生き物だからである。不都合な事実よりも都合の良いデマの方を信じるのだ。故に人はデマや陰謀に走る。意識、無意識を問わず事実を封印してでも。俺はワインを飲み干すと、クリスに尋ねる。
「なぁ、クリス。事実が入っていないデマと事実が入っているデマ。どちらの方が信憑性があるんだろうなぁ」
「もちろん事実が入っているデマですわ」
「ということだ」
「まぁ!」
クリスは俺の言わんとする事が理解できたようだ。
「相手より信憑性の
面白くない真実ではなく、信憑性が含まれた面白みのあるネタを載せる。そこで人々を引き付けて、メガネブタを晒し者にしていく。これが基本戦略だ。デマではないという部分が重要で、相手より少し良い程度でいいのである。現実世界においてもメディアがどんぐりの背比べなのはこの為なのだから。
「ああ。それを別の雑誌に直接取材させるのさ」
「そんな事って・・・・・」
「買ったんだよ、出版社を。別にな」
「まぁ!」
何故かクリスが大喜びしている。聞けば二つの出版社を使ってどうデマを潰すのかが楽しみであるらしい。ワインのピッチが上がったクリスはひとしきり話すと、今度は眠たいと言い出した。よく考えたら三時間以上飲んで話している。眠たくなるのも当然か。俺はクリスを女子寮に連れて行こうと立ち上がる。
「動けないわ。もうここで寝る!」
は? 何を血迷っているんだクリス! そんな事が許される訳がないじゃないか!
「だって、飲みすぎたもの」
クリスは言う。確かにそうだ。二人で三本開けているもんな。レティより強いクリスであっても酔うのは当たり前。しかし、ここは俺の屋敷。そんなところで寝せたら、宰相閣下に何を言われるか分かったもんじゃない。最悪処罰じゃないか。
「寮に連れて行ってあげるから」
「イヤよ、ここで寝る! 寝させてくれなかったら言いつけるから!」
何を言ってるんだ! 脅迫するつもりか、クリス。
「寝かせてくれたら、黙っていてあげる」
あっちゃ~。俺には選択肢はないのか。仕方がないので、クリスを俺の寝室に連れて行く事にした。クリスを寝室で寝かせて、俺は応接室で寝よう。それでいいだろう。クリスがトランクを出してくれというので、『収納』で預かったトランクを出す。するとクリスはトランクを開けて何やら物色している。そしてピンク色のネグリジェを差し出してきた。
「ねぇ。これを『装着』して!」
えええええ!!!!! これ着るの? あちこちにフリルが付属し、胸元には大きなリボンが存在感を放っているネグリジェ。クリスよ。見かけと違って少女趣味だったのか! 早く早くと急かされたので、俺は『装着』でピンク色のネグリジェを着せた。クリスが着ていたドレスワンピースは『収納』され、ピンク色のネグリジェに着替えた状態になる。
「わぁ。一瞬で終わったわ! レティシアが言ってた通り簡単だわ」
そう言いながら、クリスはベッドに
「待って!」
ん? 今度はどうした?
「一緒に寝よ」
はぁぁぁぁ! 何を言ってるんだ。俺は応接室で寝るよ。そう言ったら、クリスはプイと顔をふくらませる。
「一緒に寝てくれなかったら、言いつけてやる!」
「・・・・・」
「早く着替えて、こっちにおいで」
おいおい。何だその意味深な言い回しは。クリスは早く早くと催促してくる。その挙げ句「言いつけるわよ!」と迫られた。この状況を宰相閣下に知られたら、どうなってしまうんだ。仕方なく折れた俺は『装着』で寝間着に着替えて、ベッドに座った。
「こっちこっち」
するとクリスに抱きつかれて、ベッドの上で俺は寝転んでしまった。ワインのせいで目は据わっているが、それを見てキャキャと喜んでいる。クリスはこんな性格だったのか。
「最初からこれを・・・・・」
忘れ物を取りに来たとか、ピアノが聴きたいとか、ワインが飲みたいとか・・・・・ 今着ているピンクのネグリジュをトランクに入れているという用意の良さを考えれば、初めから俺と一緒に寝ることを狙っていたとしか思えない。
「もちろんよ!」
元気よく返事をするクリス。だから来たのにと、ムニュムニュと言いながら、俺に体を寄せて来る。クリスの胸が背中に当たって、こちらがおかしくなりそうだ。そうこうするうちに言葉が聞き取りにくくなり、クリスの腕の力が抜けていった。どうやら力尽きて眠ったようだ。俺はホッとしながら、クリスを仰向けにして布団を掛ける。
(やれやれ。大変なことになったなぁ)
クリスの寝顔を見ながらそう思った。クリスは情熱的で一途なのだと。そしておぼろげながら分かっていた事だが、可愛らしいところがある。こうやって迫ってきてくれるのは嬉しいが、俺にはアイリがいるし、何よりも佳奈がいるのだ。
どうすればいいのかと考えれば考えるほど、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。結論が決して出るわけがない話を無意味に考える中、眠たくなってきた俺は本能的に布団に潜り込んだ。
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