320 図書館の魔導書

 図書館で魔導書を読むためケルメス大聖堂に訪れていた俺は、ケルメス宗派の長老格であるニベルーテル枢機卿とラシーナ枢機卿に挨拶し、二人から聖属性魔法についての話を聞いた。その中で聖属性魔法を使う者は女性に限られ、「聖女」と呼ばれていた事を知る。その話が終わった後、俺はニベルーテル枢機卿との約束の話を持ち出した。


「猊下。以前お約束いただきました、大聖堂の図書館で魔導書の閲覧をお願いできないかと」


「おお、そうじゃったのう」


 ニベルーテル枢機卿が目を細める。以前フレディと一緒に闘技場で行われた、オルスワードら教官組との決闘の件を『決闘報告書』に纏め、ケルメス大聖堂に提出した際にニベルーテル枢機卿が、大聖堂の図書館にある魔導書の閲覧を認めてくれたのである。


「解読不能の魔導書も多い。それでも良いのか」


「構いませぬ」


 どうせ書かれているのは日本語だ。古文でなければ幾らでも読める。ニベルーテル枢機卿は約束だからと快く図書室の閲覧を許可してくれた。その上で、もし読める魔導書があるのなら、タイトルとジャンルを書いた付箋を貼り付けておいてくれと言われた。


 いいのですか? と聞いたのだがニベルーテル枢機卿が「構わん、構わん」と言うので、依頼通りの作業を行う事を約束する。俺は周囲に怪しまれないよう、神官服に着替えて図書室の奥にある、解読不能の古代文字の書が置かれているスペースに入った。ここはケルメス宗派の関係者ですら、立ち入りの許されない場所。


 魔導書と呼ばれている書を開く。日本語だ。確かに日本語。しかし魔導書と呼ぶには程遠いもの。なぜならレシピ、料理の手順について書かれていた本だったからである。誰がこんなものを書いたのか。しかも読めばノルデンの伝統的な料理についてのもの。早速俺は、タイトルとジャンルを書き込んだ紙を本に挟み込む。


 ノルデン料理と言えば、昨日『グラバーラス・ノルデン』にあるノルデン料理店『レスティア・ザドレ』の個室で、俺はザルツやロバート、リサの四人で会食した。この席で『収納』の話となり、あれは便利だと話が盛り上がった。聞くと、ロバートは最近になってようやく『収納』が使えるようになったらしい。


 その一方、商人特殊能力『装着』の習得はまだのようで、早く使えるようになりたいと言っていた。因みにザルツは両方使えるとのこと。意外なところでは母親であるニーナも両方使えるらしい。そんな話は始めて聞いたぞ。しかしいつそんな技能を習得したんだ?


 俺が知る限りニーナが商売に携わっているのを見たことがない。仕事場には直接顔を出さず、内を守っているのがニーナのイメージ。それでどうやってレベルを上げたのだろうか? 謎は深まる。


「リサを生む前にはバリバリ仕事をしていたからな、母さんは」


 え! そうだったの。それは初耳だ。ザルツが言うには、ザルツよりも商売が上手かったというのだから意外や意外。だから特殊技術を習得できたのか。そんなニーナがロバートを生み、リサの誕生を機に店先から退いたと知って妙に感動した。


 ザルツから聞くニーナの話は新鮮だった。俺のイメージするニーナは控えめな良妻賢母。ところがザルツの話すニーナは、イケイケ女将。嫁入りしてからのニーナは先代、つまりグレンの祖父母が相次いで無くなると、商会の先頭に立って販路を広げたのだという。ザルツもそれに負けじと対抗して販路を拡大。


 俺が知るアルフォード商会の規模になったというのである。その話を聞いているロバートもリサも驚いた表情をしているので、おそらく誰も知らないニーナの顔なのだろう。ひとしきりニーナの話をしたザルツはリサに視線を移すと、ニーナが心配しているから一緒に帰るようにと、突然言い出した。それに対してリサは抵抗する。


「お父さん! 私だって予定があるのよ!」


「どんな予定だ」


 リサは王都通信社の設立と創刊するタウン誌『週刊トラニアス』の事について話しだした。立ち上げ作業に奔走するリサにとって、ザルツの言葉は青天の霹靂。リサにしては珍しく、今は王都から離れることができないと熱弁を振るう。それをザルツは頷きながら話を聞いていた。


「という事情で、今は王都から離れられないの」


「情報誌とは、実に素晴らしい着想だ。よく考えたな、リサ」


 ザルツは珍しくリサを褒めた。そしてリサに創刊する『週刊トラニアス』について、あれこれ聞き始める。リサはザルツに褒められたからか、さっきより熱心に説明する。誌面についてや、取材体制、収益性等々。現段階における『週刊トラニアス』の現状について、表裏なく説明した。


 すると話を聞いていたザルツは紙質をもっと落としてもいいのではないかとか、一般広告のスペースを作ってより高収益を目指すべきなど、雑誌全般の事について色々とアドバイスまで始める。その上でリサの努力を褒め讃える。


「短い期間によく出版する体制を作ったな」


「でしょ。協力してくれた人が皆優秀だからよ」


 ザルツは娘の仕事っぷりが嬉しいのか、リサを大いに褒めた。リサもそれが嬉しいのか、見たこともないくらい上機嫌だ。こう見るとザルツとリサも普通の父娘なんだな、と思う。ザルツは、いつもにも増してニコニコしているリサに聞いた。


「リサは取材するのか?」


「いいえ、記者がするわ」


 リサは首を横に振った。


「じゃあ、編集や校正をするのか?」


「いいえ、編集者がするわ」


 リサは首を横に振る。


「じゃあ、『週刊トラニアス』を配布するのか?」


「それはジェドラ商会の人と、ファーナス商会の人がするわ」


 リサははたまた首を横に振った。


「だったら、経営をするのか?」


「いいえ、それは社主がするもの」


「だったら、今王都にいる必要はないな」


「お父さん!」


 リサがビックリしてしまっている。ザルツのペースに乗せられて完全に嵌められたのだ。


「聞くと、お前はしっかりと枠組みを作っているではないか。キチンと役割は果たしている」


「でも・・・・・」


「明日、モンセルに帰るから用意をしておきなさい」


「・・・・・」


「年始早々帰ってくるのだから、そんな顔をするな」


 父親に完敗して泣きそうなリサに、ザルツは慰めの言葉をかけた。そして自分が王都ギルドの納会に出席している間に、王都通信社に指示を出しなさいと諭す。


「リサよ。人に任せるのも大きな仕事だぞ」


 ザルツの殺し文句に、うなだれたリサは従うしかなかった。


(しかし、リサもザルツにかかれば肩なしだな)


 魔導書とされる書物、実は織物の製造法にまつわる書物を読みながら、昨日の出来事を思い出して笑ってしまった。あれほど猜疑心の強いリサが、ザルツの前では容赦なく武装解除させられるのだから、見ていて痛快だろう。同じ娘を持つ親として、愛羅に向かってあんな事はできない。まぁ、だからザルツは優秀なのだが。


 しかしそれにしても魔導書というヤツ、さっきから読んでるが魔法の事が一つも書いていない。ノルデン料理、金属の精錬法、石工指南本、そして織物の製造法。年代を見ると四百年以上前のものばかり。俺はニベルーテル枢機卿との約束を守り、そんな古い本にノルデン語でタイトルとジャンルを書いた紙を挟み込む作業をひたすら行う状態である。


 古いと言えば『商人秘術大全バイブル』も確か三百五十年前に書かれていたはず。その時代のエレノ世界は、普通に日本語が使われた世界だったのだろうか。俺は疑問に思いながら、魔導書の書架にある本を読み続けた。


 リサは結局、ザルツやロバートと一緒に帰ることとなった。朝の鍛錬場でそう言っていたから間違いがない。俺がケルメス大聖堂から帰ってきた時にはもうモンセルに旅立った後のこと。ザルツやロバートもリサと行動を共にしているので、二人が参加した王都ギルドの納会に関して、俺が知る機会はなかった。


 極めてアルフォードらしい、ドライな対応である。一人残された俺は早朝に起きて朝食を食べ、鍛錬場で立木打ちに勤しみ、浴場で体を洗ってケルメス大聖堂に向かい、図書館で魔導書を読む。帰ってきたら夕食を食べ、寝るまでの間、黒屋根の屋敷にあるフルコンを弾く。そんな暮らしに入ったのである。


 ただこれまでと違うことが一つあって、学園の寮ではなく、屋敷にある俺の寝室で寝るようになった事だ。理由はピアノを弾いた後にワインを飲むので、そのまま寝てしまうからだ。リサがモンセルに帰った日は寮の部屋まで戻っていたのだが、次の日には面倒くさくなってしまったのでそのまま黒屋根の屋敷に留まり、寝室で寝ることにした。


 こんなサイクルになったのは、夕方までケルメス大聖堂にいるためにピアノが弾けなかった事にある。だから帰ってくるとそのままロタスティで夕食を摂り、屋敷にやってきてピアノを弾くスタイルに変えた。その方が移動が少なく、それ故に時間も有効に使える。


 有り難いことに毎日ベッドメイクの人が来てくれるので、自分で布団の手入れをせずに済むというのもポイント。この点も屋敷の寝室で寝起きするようになった理由の一つである。よくよく考えれば贅沢な暮らしをしているのではないか。こんな暮らし現実世界でも中々できないだろう。


 ケルメス大聖堂の図書館にある魔導書を読んでいるが『ノルデンダンス列伝』とか『やさしい馬車の御し方』、『ノルデンの道具』といった専門書と言っていいのか、よく分からない本にしかぶち当たらない。ただノルデン国内の話か書かれていないはずなのに、全てが日本語文なので、ついつい読んでしまう。つまり日本語に飢えているのだ。


 そうした本にタイトルとジャンルをノルデン語で書いた紙を挟み込む。俺は一人になるのは怖くもないし、寂しくもないのだが、いつまでこの世界で暮らすのかが分からないのがもどかしい。一方でアイリやクリスの存在が佳奈より大きくなっていくのも怖い。そんな思いを抱えながら俺は新年を迎えることになった。

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