第二十五章 年始の動き

321 ノルデンの年明け

 俺は新年を思わぬ場所で迎えた。なんと『グラバーラス・ノルデン』で年越しを迎える羽目になってしまったのである。どうしてそんな事になってしまったのか。それは元旦三日前に遡る。なんと学園自体が閉鎖されてしまったのである。年中無休だと思っていたサルンアフィア学園も、年末年始には勝てなかったのだ。


 これによって、浴場もロタスティも寮も鍛錬場までもが使えなくなってしまった。しかも年始は、元旦五日後から開けるのだという。ファリオさん以下第四警護隊の面々も正月休みに入るらしい。俺が学園は年中無休だと勝手に思い込んでいたのが悪いので、これはどうしようもない。


 あれこれ考えても仕方がない。この先一週間、黒屋根の屋敷で鍛錬しながら街で食事をして、ケルメス大聖堂の図書館で調べ物でもしよう。そう思っていた俺を更なる悲劇が襲った。なんと馬車までもが、年末年始休業に入ったのである。運行業者によると年末年始は客が少ないので、毎年休むのだと話していた。


 これによって俺は、外に出るべき足をも失ってしまったのである。黒屋根の屋敷から繁華街まで歩いて二時間、ケルメス大聖堂は三時間はかかる。いくらなだらかな地形のトラニアスとはいえ、往復五、六時間も使っては意味がない。結局のところ、俺は足も風呂場も食事も全て奪われてしまったのだ。


 行き場を失った俺は、仕方なく『グラバーラス・ノルデン』で年末年始を過ごす決断をした。ここならば『レスティア・ザドレ』やラウンジで食べることが出来るし、温泉に入ることができる。最上級ホテルなので、サービスに関しては申し分がない。もちろん無休営業なのでその点は安心だった。


 これで一安心だと思った俺に、トドメの一撃が打ち込まれたのである。なんと魔装具までが年末年始休業に突入するというのである。魔装具の通信機能は、魔塔に駐在する魔道士が二十四時間態勢で魔力を送って維持しているのだが、その魔道士までもが年末年始に休むので休業すると連絡してきたのである。


 これには流石の俺も呆れ果てた。もし現実世界で年末年始、お休みするので携帯は使えませんなんて言ったら発狂モノだろう。ところがエレノ世界ときたら、堂々とそれをまかり通らせるのだ。こうして俺はインフラも通信もすべて奪われた状況の中、『グラバーラス・ノルデン』で暮らす日々を送ることになってしまった。


 考えてみれば、結果としてリサはザルツ達と共にモンセルに帰って大正解だった。一連の事態によって、冬休みにケルメス大聖堂の図書館で魔導書を読んで、現実世界に帰る方法を探そうという計画は頓挫してしまった。まだ四日しか行けていないのだから仕方がない。しかし、その四日の間でも「魔導書」を読むには読んではいる。


 魔導書は、ケルメス大聖堂の図書館の奥にある書架に置かれている。だが、今のところ芳しい成果はない。というのも日本語で書かれているのはいいのだが、エレノ動物の生態やら、生活に役立つ知恵、薬草本やらどう考えても魔導書とは程遠い内容の書物ばかりなのだ。これでは調査が進みようもないだろう。


 ただ、久々に読む日本語の数々が懐かしかったのは事実である。俺は昼食をケルメス大聖堂の食堂で食べながら、魔導書を読み漁った。そして調子に乗ってきたところでまさかの悲劇。俺は『グラバーラス・ノルデン』のトレーニングルームで体を動かしたり、ラウンジにあるピアノを弾かせてもらったりして、学園が開くのを待つしか無かった。


 そして俺が学園に戻ったのは、元旦から六日経った後のこと。結局、俺はホテル暮らしを八日も強いられたのである。というのも、学園自体は前の日から開いていたのだが、ロタスティや浴場が開くのが元旦から六日目だった為だ。俺は学園に戻ると鍛錬場で打ち込みを行い、屋敷のフルコンで演奏するのに時間を費やした。


 というのも何日もやっていないと、元に戻すのが大変だからである。確かに『グラバーラス・ノルデン』では体を動かしていたし、ピアノも弾いていた。トレーニングルームには三時間、ラウンジのピアノは六時間費やしていたので、体の方はそこまで鈍ってはいない。しかし、この環境とは違う。


 一度ルーチンに組み入れたものを崩されると、調子が狂ってしまうのである。だからそれを戻すには、ルーチンにプラスして時間を費やさなければならない。結局、元の生活リズムに戻すのに三日もかかってしまった。その間の出来事といえば、武器商人のフィデルナルが「オリハルコン製の大盾」を持ってきたこと。


 去年の暮れ、盾術使いのファリオさんとドーベルウィン伯、そしてスピアリット子爵とフィデルナルの四人が、あれやこれやと相談して形を決めた大盾が完成したのである。フィデルナルは武器工房で完成した、四十帖の大盾を学園に運び込んで来た。


 学園に常駐する第四警護隊の隊士から報告を受けた俺は、早速この大盾の納入に立ち会った。そしてファリオさんや隊士と共に、フィデルナルが持ってきてくれたオリハルコン製の大盾を自分の手に持って確かめる。


「軽い!」


 率直な感想だった。それは皆も同じようで、振り回しても負担が全く無い。本当に軽いのだ。しかしただ軽いだけではない。剣や槍で切りつけようが、刺そうが盾に傷一つ付かないのだ。俺自身、盾を持って攻撃を受ける側に回ったのだが、受けた攻撃の衝撃が少ない。これには本当に驚くばかりだ。


「それが攻撃を受け流すオリハルコンの特性ですよ」


 ディフェルナルはそう説明してくれた。以前にもファリオさんやディフェルナルが言っていた事だったが、今回それをハッキリと実感する事ができたのである。オリハルコンの大盾、この出来の良さにはファリオさんも大満足のようだ。オリハルコンの大盾が納入された事は『常在戦場』にも、ドーベルウィン伯やスピアリット子爵にも通知されているとの事。


 一方、ディフェルナルに話を聞くと、現在人員増強や工程見直しで一日二十五帖ペースで作ることができるようになったとの事で、これから増産していくようだ。とりあえず今月は四百帖、来月は六百五十帖の納入を目指す方針であると説明してくれたので、量産の方を頑張ってくれと頼んでおいた。これで暴動対策も何とかなるだろう。


 こちらの方は大丈夫だと、オリハルコンの大盾を見て安心した。そんな中にあっても学園内での普段の生活に戻すために傾注している自分がいて、ルーチンワーカーの性から抜け出せない俺がいる。無意識の内に学園生活に最適化する暮らしができるように動いている事に今頃になって気付いた。実は学園生活、凄く快適なのである。


 このエレノ世界の暮らし、学園生活が快適過ぎて、すっかり適応してしまっているのである。これでは現実世界に戻った時、社畜暮らしに戻れるのかどうかが不安だが、今はとにかく目の前の事だけを考えて生きよう。そうなった時には、その時に考えればいい。俺は立木打ち三千回を行った後、アーサーを送り出すためボルトン家に向かった。


「アーサー。いいな、お前はボルトン家の嫡嗣ではなく、宰相府の代理人として赴くのだ。パルポート子爵とイエスゲル男爵には、そのつもりで接するんだぞ」


「ああ、昨日の話の通り、しっかりと「通告」してくるよ」


 王都にあるボルトン伯爵家の屋敷。馬車に乗ったアーサーがしっかりと答えてくれた。馬車にはボルトン伯爵家の紋章ではなく、代わりに宰相府の紋章が飾られている。これはハッタリではなく、アルフォンス卿から許可を受けたもの。年末、アルフォンス卿との会見の際に所望したのだ。アーサーはこの馬車に乗って二つの貴族家に赴く。


 ボルトン伯爵家の陪臣であるシャルマン男爵家は、伯爵家の所領である飛び地リッテノキアの地を拝領したのだが、立地に問題で領国経営に大きな問題を抱えていた。リッテノキアは支線を通らなければ、幹線に出ることができない。そのため、二つの貴族領に跨がる支線を通らなければならず、それぞれの家に高額な通行料を支払わなければならなかった。


 この通行料がシャルマン男爵家の財務を圧迫させ、男爵家は疲弊していたのである。これを何とかしなければならない、ということで二つの貴族家、パルポート子爵家とイエスゲル男爵家に支払う通行料を少なくする策を考えた。それが「新たなる幹線計画」の調査という方法。


 つまり、二つの貴族領を通らない新しい道を作る「調査」を行いますよ、と二つの貴族家に揺さぶりをかけるのである。そもそもこのような問題が起こったいる原因は、ノルデン王国の統治機構にあった。王国に張り巡らされた道路網は幹線と支線で構成され、幹線は国が費用を出していたが、支線の方は所領を持つ貴族が費用を出さねばならなかった。


 正確にいえば幹線は国が費用を負担して、道路が通る貴族に管理を委託しているのだが、支線は道路が通る貴族が維持管理を行わなければならない。要は維持費用の負担を貴族が行わなければならないので、代わりに通行料の徴収が認められているという訳だ。ところが現実には、通行料が支線が通る貴族家の収入源となってしまっていたのである。


 その為、道によっては高額な通行料が請求されるケースがあって、この国の発展を阻害する要因の一つとなっている。どうしてこのような事態となったかというと、国の領土の八割が貴族領であり、貴族が管理する支線が数多く存在する為である。一方、王国側も収入の問題から新たな幹線を造ることは、歳入減の話を聞くに難しそうである。


 ただアーサーに授けた「新たなる幹線計画」、新線を造る予定はない。いや、それどころか新線のルートを調査する予定すらない。ただ二つの貴族家に新線、新たなる幹線を通す調査を行うと通告することによって、通行料収入がなくなることを恐れさせるのが狙いである。


 収入が無くなるよりかはマシだと思い込ませて、通行料の値下げを行う代わりに幹線道路の計画を中止するように求めさせるのだ。俺は宰相府より封書便箋を受け取って、宰相府内務部路政課名義でパルポート子爵家とイエスゲル男爵家に通知を送った。年明け早々、新たなる幹線計画を調査する為、路政調査官の代理人を派遣する、と。

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