305 錯綜

 ロタスティの個室で開かれたクリス達との会食。そこでの話題は臣従儀礼が始まる直前に起こった椿事。正嫡殿下アルフレッドが引き起こした、兄殿下ウィリアム王子が座る椅子と自身の椅子の場所を入れ替えた「事件」についてだった。


「ウェストウィック公は顔を引きつらせていましたわ」


 マティルダ王妃の弟で正嫡殿下の後ろ盾と目されているウェストウィック公にとっては有り得ない事態であっただろう。もしかすると宰相府に対し、この件について抗議をしているかもしれない。


 クリスにとって宰相府、いや父である宰相閣下の基盤を強化する為に行った、臣従儀礼の式典における正嫡殿下のまさかの行為「椅子の取り替え」によって、逆に基盤そのものが揺らぎかねない事態を招く結果となったのは、ショックだったに違いない。クリスはため息まじりに言った。


「難しいですわ、人って」


 俺もクリスも最善手だと信じていたものが、まさかの形で悪手となってしまったのである。しかもその原因となった正嫡殿下に全く悪意がないので、俺もクリスも殿下に対して何も言えない。


 臣従儀礼そのものは成功裡に終わった。効果も狙い通りのもの。だが同時に、盤石であるはずの宰相体制を揺らがしかねない事態を引き寄せてしまった訳で、全ては計算通りにいかないものだ。肩を落とすクリスに声を掛ける。


「しかし、なったものは仕方がない。クリスは全力で考えてくれたじゃないか」


「そうよ。グレンが言う通りよ。考えうる最高の手立てを打ったのに、これ以上どうしろと言うの?」


 俺の言葉にレティが続く。


「それにアウストラリス公が来られた際に、躊躇なく席を譲ったじゃない。あんな事までしてもらって、とやかく言える訳がないでしょ」


 なんだなんだ、それ。レティが言っている意味がよく分からない。レティに説明を求めると、高位家の席で起こった事について話し始める。両殿下御臨幸の直前、統帥府側にある高位家の席に、宰相府側から駆け寄ってくる貴族がいた。それがアウストラリス公その人だったというのである。


 従者を連れたアウストラリス公は、高位家の席がある統帥府側にやってきたのだが、急な来場で公爵の席が用意されていなかった。その理由は、アウストラリス公が参列する予定がなかったからである。それが当日の朝、突然宰相府にやってきて臣従儀礼に参列すると言い始めたものだから騒動になった。


 その上、ロクロク申し入れもない状態で宰相府を飛び出して、統帥府側の高位席に向かったものだから、騒ぎはより大きくなってしまったという次第。この高位貴族が引き起こした思わぬ事態に、狼狽して狼狽える職員や困惑する貴族を見たクリスは立ち上がった。


「閣下。こちらの席でよければどうぞお座り下さいませ」


 隣席にいたウェストウィック公に話しかけようとしていたアウストラリス公に対し、クリスは席を譲ることを申し出たのである。これにはアウストラリス公の方が困惑した。あまりに予想外の展開にどう反応すれば良いのか分からなかったのであろう。あるいは席次について気にしたのかもしれない。


 本来アウストラリス公は王族であるスチュアート公、宰相家であるノルト=クラウディス公に次ぐ、序列第三位の家。それがクリスの席次だと、序列四位のエルベール公や五位であるウェストウィック公の後塵を拝する事になる為、躊躇した可能性がある。


 あるいは臣従儀礼の主唱者であるエルベール公の次に座りたいとウェストウィック公の席を見ていたのかもしれない。また、もしかすると対抗心を燃やすノルト=クラウディス家の令嬢から席を譲られる事を嫌っての困惑の可能性だってある。ただ事実としてアウストラリス公が驚いたのは事実。この状況を見た、クリスの左隣に座る人物が立ち上がった。


「公爵令嬢の謙譲の御姿勢。感服いたしました。皆さん、我々もここは公爵令嬢の素晴らしい御振る舞いに倣おうではありませんか」


 呼びかけたのは貴族派第五派閥ドナート派の領袖、ドナート候であった。このドナート候の一声で、参列した高位家が協力して着座の位置を一つずらし、その間に席が用意されたのである。クリスが言っていたように、ドナート候は機を見るに敏な人物のようだ。


 現実世界でもこれほど機転の利くというか、一瞬でアピールする場に変えることができる人物なぞ、そうはいない。移った席に機嫌よく座るドナート候とは対象的に、アウストラリス公やウェストウィック公はバツの悪そうな顔をしていたという。


 そりゃそうだ。見境なく割り込もうとするアウストラリス公に、それを見て見ぬ振りをしてやり過ごそうと考えていたウェストウィック公。共に救いがない大人の行動ではないか。それをクリスが譲り、ドナート候が呼びかけた事によって事なきを得た訳で、これでは二人共、派閥領袖としての資質が問われかねない。


「そんな状態なのに、あの二人がどの面下げて宰相府に抗議できるのよ!」


 リッチェル子爵夫人となったからなのか、いつもにも増して舌鋒が鋭い。だがレティの言う通りである。そんな状態なのに「椅子の取替事件」を名分にした抗議をしようものなら、恥知らずもいいところだろう。しかし突然やってきたというアウストラリス公。一人慌てて来たというのだから、おそらく派内の者には何も言わずに来たのだろう。


 『ソントの戦い』において、アンリ軍がソントへの進軍途中に離脱したというアウストラリス家の芸風そのままではないか。ここでも歴史は繰り返されたのだ。家や組織の芸風というもの、無意識の内に未来へと引き継がれていくものなのだろう。ハシゴを外された形となったバーデット派やランドレス派なぞ、いい面の皮。全く信じがたい話である。


「ありがとう・・・・・」


 レティの言葉を受けたクリスは呟いた。小声だが、うれしいというか感謝の言葉なのだろう。それを見て気を使ったのか、レティは話題を変えてきた。


「学園舞踊会が終わったら冬休みよ」


「レティはどうする」


「もちろん帰るわよ。片付けが残っているから」


 俺が聞くとそう答えた。帰って戻ったばかりなのにまたか、とも思えなくもない。、一定時間を置かないと処理できない事案というのも結構多いものだ。レティはそれを片付けて、来年ミカエルが学園に入学する為、当主が不在となる子爵領への備えを施そうとしているのである。


「私は家族が待っていますので」


 アイリは控えめに言う。当たり前の事だ。アイリは学園舞踊会が終わる平日週末の翌日、休日初日に学園を発つという。それに関してはレティも同じようだ。


「私は王都の屋敷に・・・・・」


「帰りたくないのか?」


 俺が言うと、クリスは何故か口籠もる。夏休みも確か王都の屋敷に帰っていた筈だろ。


「メアリーと話せる好機じゃないか」


「そうですけれど・・・・・」


 メアリーって誰? とレティから聞かれたので、クリスの傅役で宰相閣下の侍女にしてシャロンの師匠だと説明すると、シャロンの顔が真っ赤になってしまった。


「師匠だなんて、そんな」


「でも、教えてもらったんだろ」


「そ、それはそうですが・・・・・」


 シャロンが凄く照れている。いつもはポーカーフェイスなのに、こういうところは凄く可愛らしい。まだ十五、六だもんな。可愛らしくて当然だ。そんなシャロンを見てクリスは嬉しそうに微笑んでいる。


「皆さんにとって大切な人なんですね」


「ええ」「はい」


 アイリからの問いかけにクリスとシャロンが同時に返事をする。そして顔を見合わせて二人で笑った。臣従儀礼の話そのものは中々際どいものだったが、会食しながら話す他の内容は、いつものようにありきたりだが和やかなもの。


 クリスは、このような集まりはしばらくお預けですね、と言いながらグラスに残っていたワインを飲み干した。以外な事だがクリスは酒が強い。レティより強いのではないか。そんなクリスを見ながら俺は冬休みに思いを馳せた。


 ――『常在戦場』の臣従儀礼の影響は俺の学園生活だけに留まらなかった。近衛騎士団の幹部が学園内で行われている盾術の授業を見学したいとの申し出があったというのである。しかも話を聞いた今日の今日にという話。あまりに急な話に俺も驚いた。


 この話を伝えてくれたのはファリオ配下のティマランという青年隊士で、ファリオさんから話を伝えるように言付けられたとの事である。また『常在戦場』からは団長のグレックナー、一番警備隊長のフレミング、事務総長のディーキンの三人も学園に駆けつけ、近衛騎士団の幹部と同行するのだという。


 ついては俺も参加して欲しいとのこと。一体誰の企画かとティマランに尋ねたところ、ドーベルウィン伯であるらしい。ドーベルウィン伯は近衛騎士団出身で、義兄スクロード男爵と実弟レアクレーナ卿と親族が二人も近衛騎士団長になっている。因みに今回の近衛騎士団幹部の見学。伯爵閣下が頼まれたのか、それとも主導しているのかは定かではない。


 そういうことで三限目が終わって鍛錬場へ駆け込むと、近衛騎士団の幹部達もグレックナーら『常在戦場』の幹部らも既に到着していた。フレミングに話を聞くと、既に三限目から盾術の授業は行われているとのことで、俺が知らない間に学園のカリキュラムが変わっていたことに愕然となる。


 だって俺、ここの生徒だぞ。なんて学園に興味がないのだろうか、俺。一方、近衛騎士団の幹部達を見ると先日、臣従儀礼の二日前、統帥府で顔を合わせた者が何人もいる。近衛第四騎士団長でドーベルウィン伯の実弟レアクレーナ卿、近衛第三騎士団副団長ローランド卿、近衛第四騎士団騎士監ペジャールの三人だ。


 ドーベルウィン伯の義兄スクロード男爵もいる。近衛騎士団の面々は合わせて十一人。皆、年頃は俺より若い壮年。誰も屈強な身体をしているので、青年将校に見える。しかしそれにしてもこれだけの幹部がやって来るなんて、近衛騎士団は大変な熱の入れようだ。これに教官指南役のドーベルウィン伯と剣聖スピアリット子爵がいる。


 この面々を見て、授業を受けている生徒達の熱が入らない訳がない。ファリオ配下の第四警護隊と激しく衝突している。以前と違って、生徒側の攻勢や盾捌きが飛躍的に向上しているのは、ファリオさんやドーベルウィン伯、スピアリット子爵の指導の賜物だろう。白熱した授業は四限目が終わった後も続き、終了したのは十六時を過ぎてからだった。

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