304 余波

 学園貴賓室で正嫡殿下アルフレッドとの会見に臨んだ俺に対し、殿下が熱心に話したのはもちろん昨日の臣従儀礼の事であり、特に熱心に話されたのは鼓笛隊と隊士の行進についてだった。なんでも式典の最中、兄殿下ウィリアム王子からサルジニア公国にある『騎士楽団』があるという話を聞いたらしく、それが参考になったのかと尋ねられた。


 俺は鼓笛隊長のニュース・ラインがサルジニア公国に音楽留学していた経験があることを話すと、殿下は興味深そうに聞いていた。俺はその上で『騎士楽団』の影響があった可能性は十分に考えられると答える。正嫡殿下は音楽に対する興味が強く、話題は当然ながら音楽についての話となっていく。


 特に『常在戦場』の退出時に流れた「祝典行進曲」に感銘を受けたようで、あれを王宮での式典に採用できないものかと思案されていた。殿下の話では宮廷楽団が存在するらしいのだが、『常在戦場』の鼓笛隊よりも小規模な編成だそうだ。そのため演奏するのは通常のディナーの時に限られるとのこと。


 だから殿下は音楽に興味を持たれていたのかと、話を聞いて納得した。殿下も兄のウィリアム殿下も自身では演奏こそはしないものの、音楽を聴くことは大好きであるとのことである。二人共、小さい頃から音楽に触れている訳で、聞くことが嫌いになるとは考えにくい。


 このノルデン王国。音楽がある環境に育っている人間は、王族含めてごく僅かであるという事が明らかになった。このエレノ世界に来てからというもの、どうして音楽がないのか不思議だったが、単に普及していなかっただけのようである。そして話題は臣従儀礼が始まる前、両殿下の席の周辺で起こっていた事に話が移った。


「という次第だ。実に爽快だったぞ」


 俺に向かってひとしきり状況を説明した正嫡殿下アルフレッド王子は楽しそうに笑っている。それとは対象的に、後ろに控えるフリックとエディスは困惑した表情を浮かべた。俺の方はといえば呆気に取られてしまって反応できなかったのである。というのも、あまりにも予想外の椿事だったので、どう考えれば良いのか分からなかったのだ。


 話としてはこうだ。臣従儀礼に出席するため、王宮から広場に入ったウィリアム殿下と正嫡殿下は着座する為、用意された天蓋付きの壇上に上がった。その際、正嫡殿下は兄であるウィリアム殿下に上座に座るように勧めた。


 ところが椅子は正嫡殿下アルフレッド王子の方が上手、兄殿下ウィリアム王子が下手に用意されている状態。確かに両殿下御臨幸を告げるアナウンスでもアルフレッド殿下が先で、ウィリアム殿下が後だった。それを正嫡殿下がひっくり返そうとしたようである。


「兄上がおられるのに、私が上座であることはおかしいと思ってな。兄に上座を勧めたのだ」


 ところがウィリアム殿下は弟殿下の勧めには応じない。上手の席は正嫡殿下アルフレッド王子に用意されたもの。自分には下手に用意された席がある。故にアルフレッド王子の椅子には座れないと、ウィリアム王子はその勧めを断ったのだ。


「そこで私は一計を案じたのだ。なぁ、フリック」


「・・・・・は、はぁ・・・・・」


 胸を張る正嫡殿下と、肩をすぼめる正嫡従者。横のエディスを見ると微妙過ぎる顔をしている。想像するに、これは殿下が何かとんでもない事をやらかしたのではないかと、俺は直感した。


「兄上が椅子に座れないというので、私の椅子と兄上の椅子をフリックと共に交換したのだ」


 なんだと!!!!!! 殿下自らが両殿下の椅子を交換しただと! フリックはやってしまった、という顔をしている。フリックとエディスが微妙過ぎる顔をしていたのはこれでだったのか。正室の子であるアルフレッド殿下に配慮して上手に椅子を用意しているのに、まさかそれを自らが潰しに行ってしまうとは何という事だ。


 そりゃ、二人の従者が微妙な表情になるのは分かる。これまで次男であるアルフレッド王子を『正嫡殿下』と呼び、実質的な次期王太子として皆が扱ってきたのは、ひとえに正室マティルダ王妃の手前があってのこと。


 その為マティルダ王妃を憚って、長男ながら側室の子であったウィリアム王子の露出を行わせず、意図的にアルフレッド王子との同席を避けるようにしてきた筈。それをまさかマティルダ王妃の実子であるアルフレッド王子自らの手によって全否定されるなんて、思いもよらない事だろう。


 聞けばウィリアム王子が座る予定であった下手の椅子を正嫡殿下アルフレッド王子が、アルフレッド王子が座る予定であった上手の椅子をフリックが、それぞれ持ち上げて交換したのだという。


 人前に姿を現さなかった長男ウィリアム王子を正嫡殿下と呼称され、後継者と目されている次男アルフレッド王子が上手にあった自分の椅子を動かして、兄に上手を譲った。定められた秩序を自ら崩しにかかるなど、身分絶対、序列絶対のエレノ社会において、これは正しく『事件』である。


「私は兄上の椅子はこちらですので、お座り下さいと勧めたのだ」


 あいやぁ! 上手の椅子に座る事を断り、下手の椅子が私の椅子だと断る兄殿下ウィリアム王子に対し、椅子そのものを入れ替えて兄の椅子はこちらにありますのでどうぞお座り下さいと、正嫡殿下アルフレッド王子はやってしまったのである。これにはウィリアム王子も参ったのだろう。弟の言を受け入れて、上手の椅子に座ったとの事であった。


「兄上なのだから、やはり上手に座らねばならぬと思ったのだ。そうであろう、アルフォード」


 殿下よ。今それを俺に投げないでくれ。上機嫌で話す殿下に対し、フリックもエディスも哀願するような目で俺を見てくる。何とかしてくれと訴えているのだろうが、俺にはどうすることもできない。ここは兄弟の関係に触れないようにしつつ、話を続けていくしかなさそうだ。


「我家にも長男ロバートがおり、家の事は専らこのロバートが父と共に当たっておりまする」


「うむ。まさにその通りだ。余もアルフォードに学んで知恵が使えたと思う」


 いやいやいや。ネタ元を俺なんかにされたら、皆に何を言われるか分からないじゃないか。殿下の後ろに控えるフリックが、かぶり頭を振っている。どうにもならないという感じだ。俺は困惑したが、全力で表情を出さないようにして、やり過ごす事にした。


「しかし『常在戦場』の行進、実に見事なものだった。見る者、皆圧倒されておったぞ」


 殿下が話題を変えてくれてホッとする。俺はその言葉に感謝を述べると、ディマリエ門からマーサル庭園までの区間で行われたパレードについてあれこれ話した。民も歓迎してくれて良かったと殿下は大いに喜び、上機嫌の中で会見が終わった。


 ――クリスと約束していたロタスティの個室に入ると、既にクリスと二人の従者トーマスとシャロン、そしてレティとアイリが席に座っていた。ただ、個室の中は緊張感が漂っている。


 目を瞑ったまま座っているクリスから発せられたものが、この空気を形成しているのは明らかだった。こういうときのクリスをこちらから触るのは危険である。俺は何事もなかったように着座した。


「グレン。殿下はどのように申されておりましたか」


 目を瞑ったまま、クリスは言葉を発した。いつものメゾソプラノより一オクターブ下がっている。これは明らかに殿下との話、いや殿下が昨日の臣従儀礼の際に行った「事件」のせいであろう。


 俺は殿下とのやり取りについて、正直に話す。兄殿下ウィリアム王子に上手を勧めたが断られたので、従者フリックと共に椅子を交換して上手に座らせた件をである。すると黙って話を聞いていたクリスは、目を閉じたまま大きなため息をついた。


「殿下はなんてことを・・・・・」


 想定外の事態にクリスは頭を抱えているようだ。俺は殿下から聞いたことをそのまま話す。


「兄のウィリアム殿下が下手に座られるのはおかしいと考え、そのようにしたと殿下は・・・・・」


「しかし、それをなされれば、最も困るのは殿下御自身!」


 クリスの両目がカッと見開いた。


「殿下が次期王太子である事は周知のこと。それを多くの貴族が参列する場において、勝手に席次を動かされるなんて・・・・・ 貴族達の心が揺れ、内に災いを呼び込みかねませんわ!」


 クリスの言わんとすることはよく分かる。実質的に王太子と目されている正嫡殿下アルフレッド王子以外に、後継者となり得る者の存在が認知された時、貴族らが長男派と次男派。つまりウィリアム派とアルフレッド派の二手に分かれて相争う可能性は否定できない。


 現に百三十年前『ソントの戦い』で長男フリッツと次男アンリが争う形となり、最終的にはフリッツが勝って、アンリが失脚したのだから。その悪夢を繰り返すつもりか。クリスがそう問い詰めたくなる気持ちは理解できる。しかし俺に言われても、正直どうすればいいのか分からないし、何も出来ないではないか。


「殿下は元々、あのような御性格だったのか?」


 クリスは首を横に振った。


「いいえ。そのような方ではありませんでした。しきたりはしっかりと守られるお方です」


 見るとトーマスが何か言いたそうだ。俺はクリスにアイコンタクトを取り、トーマスへの発言機会を求めた。


「恐れながら申し上げますと、殿下が多くの参列者の前で、あのような大胆な行動をなされるなど、思いもよりませんでした」


「何度かお会いしているよな」


「ですが、そのような兆候は一度としてありませんでした。殿下は物静かな方ですし」


 トーマスはそう答えると、隣にいたシャロンと頷きあっている。ゲーム上でもそうだったが、二人は何度も殿下を見ているもんな。


兄様にいさまは式典が終わった後、血相を変えていました」


 そりゃそうだよな。宰相府側が細心の注意を払い、正嫡殿下アルフレッド王子を先、兄殿下ウィリアム王子を後に呼び、椅子もアルフレッド王子が上手、ウィリアム王子が下手となるように置いているのに、まさか正嫡殿下御自らが席を移すなんて誰も想像ができないよ。宰相補佐官のアルフォンス卿が狼狽するのも無理はない。

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