293 十一匹の鼠
このエレノ世界。貴族の家で働く者を「家中」と呼ぶ。上は爵位を持つ陪臣から、下働きの下男や下女、馬丁に至るまで等しく家中の者である。当主の前における平等。それが「家中」という言葉に示されている。
しかし今、リッチェル子爵家ではその家中の者の中に「鼠」と疑われし者が十一名おり、その中でも最高位者である執事次長のコワルタは、リッチェル子爵夫人となったレティからの怒りを買っていた。
「王都の屋敷にいた多くの者は解雇されたというのに・・・・・ 何を考えているの?」
コワルタに対して、静かに問うレティ。リッチェル子爵家が所持していた王都の屋敷を売却したのは、エアリスより子爵家の采配権を取得したレティだった。レティは売却の際、過半の者を解雇したのだが、多くは売却先であったローホスト男爵家に引き取られ、そのまま屋敷で働くことになったのである。
これは屋敷を買い求めたローホスト男爵家が王都に屋敷を持っておらず、人員がいなかったからである。それを知ったレティが、再雇用と屋敷の売却をセットにしたのだ。結果として屋敷の売却費用は安いものとなったが、売却価格を下げる代わりに多くの者が男爵家で再雇用された。
これによって下男下女をはじめ、庭師、コック、馬丁といった多数の使用人がローホスト男爵家で働くことになったのである。ただ執事侍女や衛士らは再雇用リストから外され、処遇は宙に浮いた。何故かと言えば、リッチェル家側から見れば多くの秘密を知っているし、ローホスト家から見れば家のしきたりに疎く、信用ならないからである。
そこでレティはその者達をリッチェル城に戻して働かせた。屋敷付き執事コワルタをはじめ、侍女ナイトヤーをはじめとする執事侍女、衣裳付、補佐役、衛士の十名は、売却された王都の屋敷から、子爵領にあるリッチェル城に異動し、働くこととなったのである。レティは屋敷で働いていた者全ての雇用を守ったのだ。
ところが異動した中でも執事次長となったコワルタは内通者として告発されたのに対し、侍女ナイトヤーや他の者達は、今回リサから告発されなかった。同じような境遇と待遇。なのにこの差はどこから出てきたのか。
「我々は無実です! 無縁の者を信用なさいますのか!」
「勝手に内通者扱いをするなんて許せません!」
リサに告発された執事トートベルニや侍女ハルムスタッドは、当主の椅子に座るミカエルやその横にいるレティに対して必死に訴える。トートベルニはミカエル付きの執事であり、ハルムスタッドは離れ付きの侍女。リッチェル家中の中では上役と言ってもいいだろう。
その声に合わせて衣裳付バーライスら、告発された他の者も騒ぎ出した。これに対し、リサは脇に差した商人刀『燕』をちらつかせて脅しながら、呼び出された十一人を黙らせる。こういった時のリサは容赦がない。しかしアルフォードでは考えられない話だな。ウチは人に恵まれている。
「リサ殿。この者達は家中の者。内通の証があると申されるのか」
新当主ミカエルが苦々しい顔をしながらリサ尋ねると、前に引き出された十一人は意を強くしたのか「そうだ、そうだ」と再び騒ぎ出した。彼らからすれば、余所者のリサと、家中の自分達。どちらを信用するのかと、若い当主に迫っている。そんな感覚なのだろう。経験がないのに判断できないだろうという意識が透けて見える話だ。
「もちろんございます。これより全て読み上げます」
リサはリッチェル家中の者それぞれに全く別の話を伝えていた事を話し、それが前当主エアリスの口から発さるかどうかについて調べたことを告げると、引き出された九人それぞれについて報告を始めた。伝えた内容、伝えた人間、伝えた日時、エアリスが話した日付等々、一つずつ事細かに報告するリサ。
それに対して「違う!」「嘘だ!」「止めろ!」という声が上がるが、リサは声が上がる度に商人刀で威嚇して黙らせ、淡々と報告を続けていく。そのリサの報告に怒る者、強がる者、震え上がる者、地面に伏して詫びる者など様々だったが、リサは態度を全く変えることなく、同じ調子で読み上げ続けた。
ある種の冷徹さ、いや冷酷非情と表現した方が良いかもしれない。淡々と詳細を読み上げ、状況証拠を突きつけ続けるリサに、声を上げて抗議する者はいなくなった。一方で話が進むにつれ、嫌疑をかけられた十一人に対して、家中の者達からの冷ややかな視線が浴びせつけられる。
「何か言いた事はあるか?」
リサからの報告を聞き終えたミカエルは、自身の前へ横一列に引き出された、十一人の家中の者にそう問いかけた。告発された彼らに弁明の機会を与えたのである。すると堰を切ったように次々と声が上がった。
「お許しください。家の事を大切に思っての行動でした」
「ただ家の事を考えて、御屋形様に申し上げた次第」
「家の大事だと思い、無私の心でご報告を・・・・・」
「業務の一つだと思ってやっておりました。他意はございません」
家の大事と言いながら、どうでもいいことまで報告するのか。既に家の実権は代理者であるレティが握っている事は誰もが承知しているはず。それを陪臣ダンチェアード男爵と家付き騎士のレストナック、執事長ボーワイド、侍女長ハーストが支えている事も全部分かっていた筈だ。
にも拘わらず前当主エアリスに事細かく報告していたのは何故か。それは路銀か、思惑、下心の三つ以外の理由はないだろう。路銀は分かりやすい。決済権を失った当主エアリスがカネを渡して家中のものを手懐けた。下男下女、馬丁は恐らくその類。おそらく衛士も同じだろう。
問題は思惑と下心。当主エアリスの復権があり得ると読み、エアリスとレティとを二股して保険を掛けていた者達だ。その上で当主復権の際には己の地位上昇を目論み、エアリスと通じていたという訳である。執事次長コワルタや執事、侍女はこの部類。しかし二股というもの、処世としては実は最悪である。
二股をするということは自分は何時でも裏切りますと表明しているようなもの。仮にその時上手くいったとしても、内通していたという事実は消えないのだから、主君が体制を整えると体よく片付けられてしまうのである。面従腹背と二心を持つということは根本的に違う。
面従腹背は力関係で止むなく従っている状況を指す。対して二股は己の利害からの行動。悪質なのは二股であるのは言うまでもない。例えば宰相府の八部卿が宰相を支持するかどうかを問われたとき、内心は違っていたとしても支持を表明する事は面従腹背。八部卿、財務卿や民部卿は宰相閣下から任命されてその役についている者。
だから考え方が違っていようと宰相の意向に従う義務がある。不本意ながらも支持し、表面だけでも従ったフリをする事は、自分の任に従っている事になるのだ。つまり己の考えと相違があろうと支持を表明する事は面従腹背である。対して言を左右にして態度を明らかにしないということは、自身の任を放棄しているに等しい。
本来ならば職を辞さなければならないものを選択肢を確保したいが為に辞めもせず、我が身可愛さの為にフリーハンドを得ようするに過ぎない。それは全て私心、下心から発したもので、任務と我が身、公と私とに二股を掛けているのと同じことである。二心を持つということはそういうことなのだ。
公と私を天秤にかける行為そのものが二股であって、そのような者は己の後ろ暗さを認識しているから妙な理屈をこねくり回す。だから自身の行いを覆い隠す為に、わざわざ「仕事大事」「お国大事」と美辞麗句を並べ立て、嘘偽りしか申さないのである。
それは当主の前で横一列に並ぶ、十一名の者の言い訳を聞いても明らかだろう。だから本来、それは容易に見分けられる筈なのだが、曇った目を持っているとそれが見抜けない者が多い。何故ならそうした人間は本質を見抜こうとせず、その場その時の「点」しか追っていないからで、結果面従腹背と二股を混同し、その違いすら分からないのである。
「して、この事態。リサ殿はいか
十一人の家中の者の話を聞いたミカエルは、リサに問うた。
「皆、家の大事を思ってのことと申されております。ならば霞を食ってもお仕えするおつもりのはず」
「給金が無くとも忠誠心だけで働けるって訳ね」
リサの言葉を聞いた子爵夫人のレティはそう言い放った。その言葉に、前に進み出た九人は凍りつく。苦し紛れに言った自分達の言葉に絡め取られた事に気付いたのだ。しかし、だからと言って手加減するようなリサではない。部外者であるリサは、効率的で無駄のない九人の処分方法を導き出すだけだ。子爵夫人レティシアの言葉を受け、リサは献策する。
「ですので、本日付けで解雇の上、蟄居なされるエアリス御夫妻のお世話に当たっていただくのが妥当かと」
「給金は?」
「もちろん無給ですわ。忠誠心があれば霞を食べて生きていけると申されているのですから」
レティの疑問に対し、リサはそう答えた。このやり取りに十一人、誰もが顔面蒼白になっている。これを受けて当主ミカエルは判断を下した。
「守秘義務を怠った十一名に対し、当家は本日付けで免職とする。その上で蟄居するエアリス夫妻の世話を自らの意思で行うように」
このミカエルの言葉に十一人は狼狽し、当主ミカエルに対して懸命に懇願した。この世界において免職は最大の不名誉。厳しい身分制社会であるエレノ世界では、免職とはノルデン社会からの追放に相当する。
その重みは現実世界のそれとは全く異なるのだ。家という概念が支配するこのエレノ世界では本人だけではなく、場合によっては家や一族にまで及ぶ処分。助けを求めるのは当然だと言える。だが必死に懇願する十一名の者に対し、子爵夫人レティシアが立ち上がると、傲然と言い放った。
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