292 父親失脚

 リッチェル子爵ミカエル三世はリッチェル子爵家に伝わる当主の椅子に座ると、姉であり子爵家の采配権を握っているレティに対し、リッチェル子爵夫人の称号を贈った。


「レティシア・エレノオーレ・リッチェルのリッチェル子爵夫人号の授与。このトランバール・ジアーナ・レジュームがしかと見届けた!」


 ミカエルの宣言をレジューム子爵が見届けたことを表明。第三者である見届人によって、レティに与えられた「リッチェル子爵夫人」の称号と地位は保全された形となったのである。これを受け、左右に位置していたダンチェアード男爵やリサらは、静かに頭を下げた。しかし下座にいる家中の者達は、顔を見合わせてざわついている。


 彼らの多くは、まだ今の状況を受け入れられてはいなかったのである。混乱している家中の者をレストナックが再び一喝すると、家中の者達は我に返りミカエルに頭を下げた。ミカエルはレストナックを呼ぶと、レストナックは前に進み出る。


「レストナックよ。父上と母上をここに」


 「はっ!」とレストナックが返事をすると、ダダーンとリンド、ドットクロスと共に離れに向かう。リッチェル家の衛士らが付き従わなかったのは、未だ状況が飲み込めず、全く身動きができなかったからであった。


 しばらくすると、前当主となったことを全く知らないエアリス夫妻が、レストナックの案内でリッチェル本城のホールに現れた。当主の椅子に座るミカエルと、その左右に座るレジューム子爵とレティ。この状況にお調子者のエアリスも、流石に顔が強張っていたらしい。


「ミ、ミ、ミカエル! これはなんだ? どういう事なのだ?」


 暫しの静寂の後、我が子に向かってエアリスに問うた。だが、ミカエルは言葉を発さない。


「レジューム子爵殿。これは一体・・・・・」


「エアリス殿。リッチェル子爵殿の見届け人として参りました」


 レジューム子爵の回答に、エアリスはギョッとした。自身とリッチェル子爵を別々に扱った為だろう。


「子爵はこの儂じゃ」


 狼狽えながらエアリスは訴える。だがレジューム子爵は意に介さない。


「エアリス殿。私は本日、リッチェル子爵殿の見届け人として参りました


「ですからレジューム子爵殿。どうして儂を見届けなければならぬのだ?」


 そう問い質したエアリスだが、当のレジューム子爵は答えない。二度も答えたのに、三度も答えを求めるのか、といった態度だ。何度も同じ問いをするのは貴族社会ではマナー違反。困ったエアリスは、そのままミカエルに向けて言葉を発する。


「どうしてお前がその椅子に座っているのだ! 誰が座っていいと言った!」


「口を慎みなさい、エアリス!」


「なっ!」


 立ち上がって言い放つ実娘レティの姿に、前当主は唖然とした。


「エアリス! リッチェル子爵家三十六代当主ミカエル三世に対し、礼節を弁えなさい!」


「な、な、なにぃ・・・・・ 当主は儂だ!」


 父エアリスを呼び捨てにする娘のレティ。自身が当主の座を失った事を実質的に告げられたようなものなのだが、エアリスはそれに気付く事もなく、ただただ狼狽えるばかり。


「今の当主はミカエル三世殿であるぞ、エアリス殿」


「そ、そ、そんなことが・・・・・ 認められん! 当主は儂であるはずだ!」


 見届人であるレジューム子爵からそう告げられたにも関わらず、なおも悪態をつくエアリス。自身が当主の座から追われるなど、思ってもみなかったようだ。まさに青天の霹靂というやつだ。悪態をつく父エアリスを見ながら、リッチェル子爵家当主の椅子に座したミカエルは言った。


「我はケルメス大聖堂に於いて、エルベール公をはじめ三百余家の貴族家の前で、リッチェル子爵位の襲爵を宣した。よってリッチェル子爵家の当主は我がミカエルである。当主という僭称せんしょうは止められよ!」


「何故だ・・・・・ 何故そのような事が・・・・・」


 信じがたいといった表情で、エアリスは立ちすくんだ。しかし無情にも、見届人であるレジューム子爵はミカエルの言葉を追認する。


「エアリス殿。私はリッチェル子爵家の親族として、ミカエル三世殿の襲爵之儀、確かに見届けた」


「・・・・・」


「城への帰還に先立って教会に立ち寄り、仮病を使われて我が家の襲爵式を邪魔したディアマンデス主教に対し、絶縁を通告しました。ディアマンデス主教にはケルメス大聖堂より然るべき処分が下ります」


 我が子レティの言葉に、前当主となってしまったエアリスは両膝から崩れ落ちてしまった。だが、こんな状況にも関わらず、エアリスの妻でありレティとミカエルの母であるアマンダは、何の事なのかさっぱり分からないといった感じで、首を傾げて「何事なの?」と尋ねるのみ。


 この後に及んでまだ分からないの? バカなの、この人? そう思ったリサは、この母親は話にもならない人間だ、論外だと心の中で切り捨てたという。見ようともせず、学ぼうともせず、知ろうともしない人間。真に愚かな人間とは、まさにアマンダのような人間だろう。リサはそう断じた。それをよそにレティは言葉を続ける。


「ディアマンデス主教は前リッチェル子爵家当主エアリスより、仮病を使って襲爵式を受けないように要請されたと白状しました。そのことを認める署名にもサインをしています。エアリス! 貴殿の罪を拭うことはできません」


「嘘だ! 嘘だ! 嘘だ!」


「エアリス! 貴方は御自身の無能を悟り、ミカエルの襲爵に同意されたはず。あろうことか我が子の襲爵を邪魔するとは! エアリス、恥を知りなさい!」


 なおも悪態をつくエアリスに対し、レティは激しく糾弾する。


「親に・・・・・ 親に向かって言う言葉か!」


「そうよ、レティシア。御屋形様の申される通りよ」


 この期に及んでまだ親づらをするエアリス夫妻。その態度にレティの怒りは頂点に達した。


「どこまで娘に尻拭いさせるつもりなの、このバカ親!」 


 レティの怒声がホールに響き渡る。怒髪天を衝く勢いのレティは止まらない。


「エアリス! 当主として借金一つ片付けられない分際で、なに親ヅラしてんのよ! いい加減にしなさいよ!」 


「その場限りの幼稚な悪あがきで、このリッチェルの家名に泥を塗ろうとは! どこまでガキなの、このボンクラ夫婦!」


「出来もしないくせに偉そうに! アマンダ! 貴方もよ。旦那の不徳を指導もせず、おだてられて価値のない宝石や着もしないドレスなんか買い漁って! すべき事を何一つせず、家のカネを散財ばかりして。この穀潰しが!」


 厳しく断罪されたアマンダは、娘レティに睨まれガタガタと震えている。これまで一度もこのような叱責を受けたことがなかったのだろう。


「家族にも一族にも家中にも領民にも責任を負わず、我が事我が為しか考えられないくせに、バカげた企みだけは一人前。当主としても親としても最低だわ! 夫婦揃って同罪よ!」


 レティの容赦なき糾弾に、親であるエアリス夫妻はおろか、家中の者も圧倒されてしまった。リサですら呆気にとられてしまったというのだから、余程の事である。一通りの事を言ったからなのかレティの口が収まると、代わりにミカエルが当主の椅子から言葉を発した。


「エアリスよ。畏れ多くも国王陛下から下った旨を蔑ろにせんとする所業。その方の罪状は最早明らか。観念なされよ!」


 父であり前当主でもあるエアリスに、当主となったミカエルは叱責した。親にこんな事をするなんて、本当に情けなかっただろうなぁ、ミカエルは。話を聞くだけでも想像ができる。このやり取りを見て蒼白となるリッチェル子爵の家中を尻目に、ミカエルは子爵家としての処分を言い渡す。


「エアリス。当主として処分を言い渡す。妻と共に今すぐリッチェル城を退去し、領内東にあるトーナイの邸宅で蟄居せよ」


「ミカエル!」


「エアリス、アマンダ。すぐに出立の御用意されよ!」


「ミカエル、どうして!」


 ワイワイと騒ぐエアリスとアマンダの夫婦をレストナックとダダーン、リンドとドットクロスが離れへと送った。いや、送るというより、連行されている感じであったとの事で、それは十分に想像の範囲。流石はリッチェル元子爵といった感じだ。乙女ゲーム『エレノオーレ!』の芸風から、一歩もはみ出ていないというのが凄い。


 リッチェル城に同行した見届人のレジューム子爵は、エアリス夫妻のその無様な姿を見て、ただただ呆れる他にはなかった。二人がホールから退去したのを見計らって、リサがミカエルの前に進み出た。


「御屋形様。申し上げたき儀がございます」


「申してみよ」


「家中の者を呼んで宜しいでしょうか」


「構わぬ」


 ミカエルから了解を得たリサは、リッチェル家中の者を次々と呼んだ。執事次長コワルタ、執事トートベルニ、侍女ハルムスタッド、衣裳付バーライス、執事補アムセルス、衛士マーナス、衛士エッタース、下男ダリヌー、下女コーポラン、下女サーラル、馬丁コーユウ。


 この中で侍女のハルムスタッドと執事補のアムセルスは離れの担当である。この十一人に対して、当主ミカエルの前に進み出るようリサは命じ、十一人に当主ミカエルの前で横、一列に並ぶよう指示を出す。


「この者達は・・・・・」


「内通者。鼠でございます」


 リサのこの言葉に、鼠扱いをされた十一人は、色めき立って抗議した。特に呼ばれた者の中で最高位者である執事次長コワルタは、得体の知れない部外者の言を信じるのかと、執事長のボーワイドや侍女長のハーストに激しく迫った。


「コワルタ、いい加減にしなさい! 貴方が今の地位にあるのは誰のおかげ?」


「しかし、お嬢様!」


 コワルタは顔を引きつらせている。王都の屋敷付き執事だったコワルタは王都の屋敷が売却された際、解雇されずリッチェル城に戻り、序列二位の執事次長となった。城に戻したのも、執事次長を新設したのも、コワルタを執事次長にしたのも、他ならぬレティ。裏切られたレティはいい面の皮である。その怒りを察知したコワルタはガタガタを震えた。

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