第二十三章 リッチェル子爵家始末記

291 リッチェル城の虜

 リッチェル子爵領から王都に帰ってきたリサとレティ。屯所で出迎えた俺達と共に休憩室に入った。高速馬車の強行軍による体の疲れを癒やすためである。俺達は誰もいない休憩室で、アイリが入れてくれた紅茶を飲みながら歓談した。


「無事に片付いたのか?」


「ええ。問題なく」

 

 俺が聞くと、リサはニコニコしながらそう答えた。問題なく、ということは〆たんだろうなぁ、絶対に。


子爵は城を出ました」


 レティは無表情に説明をする。つまり前当主となってしまった実父エアリス・ダーヴィット・リッチェルを、リッチェル城から叩き出したのだ。レティとミカエルの両親は、城を出て子爵領の東端にある別邸に身柄を移されたとの事である。


 彼らは城内の離れに住まうことすら許されなかったのだ。既に城の外に出されて領内の南端の別邸に住まわされている、レティの実兄ドボナード卿と同じ扱いをエアリス夫妻は受けることとなった。


「それでは?」


 俺が問うと、レティとリサは顔を見合わせ頷いた。


「九匹いたわ」


 リサがそう話した。過去形。という事はその九人。既に城にはいないのであろう。その経緯についてリサが話を続ける。リッチェル城に秘密裡に到着したリサらは、城外で王都に出発する予定のミカエルや執事長のボーワイド、侍女長のハーストと会って引き継ぎ事項を確認した。


 この時、城にはダンチェアード男爵が身を置いて、家中の者に対し目を光らせていたのだ。しかしミカエルらが王都に向かった後、城を発ったという情報がリッチェル子爵エアリスに洩れていたというのである。


「これは・・・・・ と思ったのよね」


 リサはニコニコしながら説明する。情報を洩らしたのは少なくともダンチェアード男爵ではない。それは確実。レティと深い信頼関係にあるはずのダンチェアード男爵を真っ先に疑うのがリサのリサである所以。普通なら忠臣ダンチェアード男爵など、その関係性から嫌疑について真っ先に外すはず。


 ところがリサは逆をやる。本当に猜疑心が強いのが分かる話だ。俺はどうしてダンチェアード男爵ではないと分かるのかとリサに聞くと、ミカエルに同行するためにダンチェアード男爵が城から出た後の情報も洩れていたからだと話した。隣で聞いているレティは何回も頷く。


 レティから言わせれば、そんな話は当然だという事なのだろう。それほどレティとダンチェアード男爵との信頼関係は強いし、深いもの。そんな話、一笑に付すという感じなのだろう。本城の情報が全て離れに洩れている。


 それが分かったのは、レティの父であるリッチェル子爵エアリスが離れから本城にやってきて、城番をしているリサにあれこれと話したからであった。おそらくニコニコしながら話を聞くリサに、エアリスはペラペラと自慢げに話したのだろう。レティの話や乙女ゲーム『エレノオーレ!』に出てくるリッチェル子爵を見れば容易に想像がつく。


 そこでリサは毎日エアリスと懇談する場を設け、その上で家中の者それぞれに全く別の話をした。そうすることでどの話がエアリスに伝わり、どの話がエアリスに伝わらなかったのかを確認できる。とは言っても下働きを含めれば八十人以上いるリッチェル家中の者から、鼠を絞り込む事は容易ではない。


 まず上役十人程度からそれを始め、流した話がエアリスの口から話題に上らなかった者を、疑いのリストから外しつつ対象を広げた。話を流す。言うのは簡単だが、リサ一人でできるものではない。そこでダダーン以下第三警護隊の力を借り、あれやこれやの話をリッチェル家中の者に流していった。


 その際、ダダーンが誰に何時どのような話をしたのかを紙に書いて提出するよう隊士に指示したので、リサは流した話について容易に把握できたという。だからリサはエアリスから話を聞き出す事に集中できたという訳である。但し、流した話が一度話題に上らなかったからといって、そのままリサの疑いのリストから外された訳ではない。


 違う話が二回連続して話題に上らなかった者を疑いのリストから外していくという念の入れよう。逆に話が話題に上ったからといって、一度だけでは「鼠確実」という烙印を押さなかった。話を聞いた者が当主エアリスに話したとは限らないからである。その者から話を聞いた別の者からエアリスに伝わっている事もあるからだ。


 こんな話をしていくと、人をどこまで疑い続けていくのかという事になる。それをニコニコと笑いながら進めていくリサには感心してしまう。元々人を疑っているから、逆に疑心暗鬼でおかしくはならないのだろう。おかしいからおかしくない。妙な話だが、そう考えれば辻褄が合ってくる。


 そのような手法でミカエル帰還までに下働きの者を含めた全員を調査し、最終的には九人に絞り込んだ。流石はリサ。そんな面倒くさい事なんか俺にはできない。猜疑心の塊みたいなリサだからこそ出来る芸当と言えよう。鼠を炙り出してミカエルらの帰りを待つリサの元に、襲爵式を終えたリッチェル子爵家一行の先発隊が到着した。


 リッチェル子爵家の一行を警護していた『常在戦場』の第五警護隊副隊長ドッドクロスが二人の隊士を連れて先行してきたのである。ドットクロスはリッチェル子爵一行が到着した後の段取りについて打ち合わせを行うために先にやってきたのだ。リサはダダーンや第三警護隊副隊長のマニングを交え、ドットクロスと入念に示し合わせる。


 ドットクロスが高速馬車に積んでいた旗竿を使って、第三警護隊の者に儀仗の訓練を施し、本体到着を待つ。そして翌日、先行して到着した第五警護隊の隊士四人と共に、本城入口の左右にリッチェル子爵旗を掲げて整列し、ミカエルらを出迎える。城内にいたリッチェル家中の者も、本城前で並ぶよう、商人刀を装備するリサから指示を出された。


「リッチェル子爵ミカエル三世閣下。御帰還!」


 城に到着した三台の高速馬車。そのうち真ん中の馬車から降りてきた、第六警護隊長リンドの言葉に、本城前で待っていたリッチェル家中の者達は騒然となった。この瞬間まで何も聞かされていなかった家中の者達にとっては、まさに青天の霹靂だったのであろう。


 ダダーンが「静粛に! 静粛にせよ!」と一喝すると、家中の者のざわめきは収まった。一台目の馬車に乗っていた家付き騎士レストナックが降りてくると、皆に向けて言葉を発する。


「御屋形様の御帰還である! 一同、礼!」


 その言葉を合図としてミカエルが、リッチェル子爵旗を掲げる隊士の間を通っていく。


「レジューム子爵閣下、御登城! 一同、礼!」


 ミカエルの後ろにはエルダース伯の親類筋のレジューム子爵が続いた。一族の見届人としてミカエルらに同行していたのである。


「レティシア様御帰還! 一同、礼!」


 レティがレジューム子爵に続き、その後ろにはダンチェアード男爵夫妻とレストナックが歩き、リッチェル子爵旗の間を通っていく。皆が抜けた後、リンドを先頭にリッチェル子爵旗を掲げた左右合わせて十二名の隊士がその後ろに続いた。そして隊列の最後尾には、執事長のボーワイドと侍女長のハーストが位置し、歩いている。


 リサによると、その光景に子爵家の家中の者は皆茫然となっていたという。「御屋形様」とは、リッチェル子爵家の当主を指す言葉で、領内の者は皆そう呼ぶ習わしである。どうして「御屋形様」と呼ぶのかは誰にも分からないそうだが、六百年以上リッチェルの地で代々続いてきた子爵家だからこそ継がれた習わしなのだろう。


 これまで「御屋形様」とはレティとミカエルの父エアリスを指すものであったが、これからはミカエルを指す言葉となる。城内玄関に立っていたリサと第三警護隊長のダダーン、第五警護隊副隊長ドットクロスの前にミカエルが到着すると、リサはミカエルから城番の返上を申し上げて頭を下げる。


 この瞬間、名実ともにリッチェル城は完全にミカエルのものになったのである。ミカエルを先頭に本城城内を入った一行は、そのまま玄関を通りホールに進み、ミカエルとレジューム子爵、そしてレティは用意されていた椅子に座った。ミカエルの座った椅子はリッチェル子爵家に伝わる当主の椅子であった。


 中央にミカエル、左にレジューム子爵、右にレティが座ると、右側にダンチェアード男爵夫妻、その隣に家付き騎士のレストナック。左側にはリサが立ち、その次に執事長のボーワイドと侍女長のハーストが続く。


 その左右に立つ者の後ろには『常在戦場』の十二人の隊士がリッチェル子爵旗を掲げている。それとは向かい側、下手には出迎えたリッチェル子爵家家中の者が並んだ。家中の者は何が起こったか、よく分からないという表情を浮かべていたという。


「皆の者。留守の間、城をよく守ってくれた。此度、ケルメス大聖堂において襲爵之儀に臨み、リッチェル子爵位を襲爵した」


 当主の椅子に座ったミカエルがそう話すと、下座にいる家中の者はざわついた。それを家付き騎士のレストナックが一喝して静めると、ミカエルは宣言した。


「リッチェル家の当主としてここに宣言する。姉レティシア・エレノオーレ・リッチェルをリッチェル子爵夫人に任ずる」


 リッチェル子爵ミカエル三世は前当主エアリスより采配権を譲られ、自身の庇護者となっていたレティに子爵夫人の称号を贈り、その功労に報いた。エレノ世界において「夫人」とは貴族当主の妻室の称号であるが、当主が家にいる女性に贈るケースもある。


 どうして贈るのかといえば、家の女性の地位や身分の保障の為。よくあるのは未婚の伯母に贈られるケースで、「夫人」の称号を持つことで社交界において一定の敬意を受ける事ができるからだ。その場合、妻室を含め二人の「夫人」が一つの貴族家の中にいる事になるが、それは問題視されることはない。


 「夫人」の後にファーストネームが付く事で見分けられる為、問題にならないのだ。レティの場合は既に采配権を持ち、リッチェル子爵家を実質的に代表していたので、その実情に合わせてミカエルが「夫人」の称号を贈ったのである。これによって「リッチェル子爵息女レティシア」は「リッチェル子爵夫人レティシア」となったのである。

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