294 エアリス蟄居

 リッチェル子爵家前当主エアリスと通じていたとして、新当主ミカエル三世より免職を言い渡された、侍従次長コワルタを含めた十一名の家中の者。皆が処分の減免を求め、懇願する姿を見たレティは立ち上がって、処分を受けた者達に対して傲然と言い放った。


「貴方達には、この二年間大いに機会を与えたわ。でもその機会を潰したのは他ならぬ貴方達自身ではありませんか! 自らの意思で罪を犯す選択をしたのです。違いますか、コワルタ! ラミーレやナイトヤーは寡黙に働いていたというのに!」


 レティは免職者の中で最高位の者であるコワルタを睨みつけた。ラミーレはエアリス夫妻が住む離れ付きの執事で、離れの最高責任者。ナイトヤーは離れ付きの侍女で、同じく離れ付きの侍女であるハルムスタッドの部下。


 共に離れ付き勤務であり、本来であれば真っ先に内通を疑われる者達であった。ところが二人共、リサから呼び出しをされていない。どうしてだったのか? それはリサが自分自身で調べた事以外、全く信じなかったからである。


 リサは猜疑心が強い。普通、猜疑心が強い人間は見境なく処分しそうなものだが、リサの場合その猜疑心は人に向けられたものであって、事柄に対してではなかった。そのためリサは人を見て判断せず、自分が調べた事実のみを見て判断したのである。結果、離れ付きだった執事ラミーレと侍女ナイトヤーは内通者リストから外された。


 ラミーレとナイトヤーは職務に忠実である一方、リサ達が流していた話を離れの主であるエアリスに伝えることはなかった。これは職務に忠実である事と、主人に対する「ご注進」という行為がイコールではない事を示すもの。つまり二人に私心がなかったということである。


 そもそもレティの側についた執事長のボーワイドや侍女長のハーストが、そんな分別すらつかない人間をエアリスの元に配置するはずがないのだ。そんな事なぞ考えるまでもない。お付きの者から疑うような者は、物事を肩書が上辺だけしか見ることが出来ない浅はかな輩。


 しかしリサのリストから外された、侍女ナイトヤーと同じ境遇にあったナイトヤーの上役侍女ハルムスタッドは内通していた。違いはどこにあったのか。ハルムスタッドが長年、アマンダ付きの侍女として、心を交わしていたからかもしれない。それが理由で離れに配されていたというのだから。


 一方それとは別に、家中におけるポジションに因があったとも考えられる。内通者のハルムスタッドは侍女序列二位。対して内通していなかったナイトヤーは侍女序列四位。同じく内通者の執事次長のコワルタが執事序列二位で、内通していない離れ付き執事のラミーレは三位。


 内通者が共に二位で、内通者ではない者がそれより下位であるのは偶然ではあるまい。下心が働いたか否かが影響を及ぼした可能性があるということだ。またこうも考えられる。執事序列二位のコワルタ、侍女序列二位のハルムスタッド。共に序列二位。前当主エアリスが全権を回復した暁にはそれぞれ執事長、侍女長にと考えた可能性は十分にある。


 しかし、それならば上役だけではなく、陪臣や家付き騎士までもエアリスを見限って、年端もいかないレティに付いた事について、全く意識していなかったということではないか。二人が日頃、肩書だけで物事を判断していたかを如実に示している。要は肩書という上辺のものでしか、事象の軽重を判断することができなかったという訳だ。


 序列一位である執事長ボーワイドや侍女長ハーストは、どちらの方が家を守ることができるのかを見極めた上でレティを選んだ。当主の肩書を見て選んだ訳ではないのである。実力を見極めた上で選んだのである。レティはリッチェル子爵家の采配権を取得した際に大鉈をふるい、王都の屋敷を売り払って家中の者を半減させた。


 レティはこれによってリッチェル子爵家の財政を立て直し、家の存続を確かなものにしたのである。執事長ボーワイドや侍女長ハーストはリッチェル子爵家の破綻を回避するには、レティの采配に委ねるしかないと考えて、レティに惜しみなく協力をした。その意味についてコワルタやハルムスタッドは全く分からなかったのである。


 長い間、執事長や侍女長の側にいながら、それが分からない時点で、一位と二位の間には天と地との差ぐらいの絶望的な差がある。一の次が二ではない。一の次は五か十、いや、それ以上の差があったのだ。しかし今、それは重要な話ではない。リッチェル子爵家の家中の者の序列がどうであろうと、離れ付きか本城勤務であろうが、リサには関係がない話。


 リサにとって重要なのは、俺からの依頼である「鼠」取りであり、それを実現する為の調査と分析。そして「鼠」の捕獲と処分である。そこに「人」や「肩書」、「ポジション」などどうでも良い事であった。だから離れ付きだからという理由だけで処分されることはなかったのである。


「そのような者はこのリッチェル子爵家には要りません! 今直ぐに立ち去りなさい! そしてエアリスの元で働くといいわ。貴方達のお望み通りに」


 リッチェル子爵夫人レティシアから放たれたこの言葉に、なおも十一人は抵抗を続けた。そこでリサが商人刀『燕』に手をかけて刀を抜いた上、子爵旗を置いた隊士らが前に進み出ると、さすがに観念したのかようやく沈黙する。最早、彼らに選択肢はなかった。


 免職された十一人が『常在戦場』の隊士達に脅されながら、無言で玄関ホールから退出すると、当主ミカエルが立ち上がって家中の者に声をかけた。


「皆の者。これまで多くの苦労、心配をかけて済まなかった。今後は私が家を取り仕切る。皆私を信じ、これからも務めて欲しい」


「御屋形様。改めてお願い致しまする」


 陪臣ダンチェアード男爵が頭を下げると、執事長ボーワイド、侍女長ハーストがそれぞれ「お仕え申し上げます」と頭を下げた。それに続いて下座に残ったリッチェル家中の者が皆、挙って頭を下げる。前当主が放逐され、内通していたものが一掃された。こうしてリッチェル子爵家は新当主ミカエルの元、体制が一新されたのである。


「貨車を用意しなさい。エアリス夫妻と免職の十一人をトーナイの邸宅に運びなさい!」


 子爵夫人レティシアが家中の者に指図をする。リサは第三警護隊の副隊長マニングに、トーナイの邸宅まで同行するように指示を出した。またレティは明日、城下町であるリッチェルの街において、新当主ミカエルのお披露目を行う事を発し、家中の者に準備をするよう申し送る。


 リッチェル家中の者と『常在戦場』の隊士は、続けざまに出してくるレティとリサの指示に、かなり激しく振り回されたようだ。エアリス夫妻が蟄居させられ、免職処分を受けた十一人が送られる事になったトーナイの邸宅とは、今は亡きエアリスの伯母でレティの大伯母、リッチェル子爵夫人シルディレーナが居住していた邸宅である。


 シルディレーナは領内東端のトーナイの地に邸宅を建てることを望み、その邸宅を終の棲家とした。どうしてトーナイの地であったのかは定かではないが、静かで穏やかなトーナイを気に入っての事だと伝えられている。この邸宅の存在を知ったリサが下調べをして、その現状をエルダース伯爵邸にいたレティに報告していた。


 前当主エアリスと妻アマンダ、そして放逐された家中の者十一名は一時間後、三台の幌馬車に荷物と共に載せられてリッチェル城を後にした。また、その護衛のためダダーン以下第三警護隊が同行。確認や作業の為にリッチェル家中の執事二名、下男三名も随伴し、合わせて四台の馬車でエアリスらと共にトーナイに向かう。


 貴族が僅かな荷物と共に幌馬車で都落ち。このような屈辱的な話、エレノ世界でそうそう聞ける話ではない。エアリス夫妻と免職された十一名は、まるで不用品のようにリッチェル城から運び出されたのである。


 ――翌日、城下町リッチェルの街にある広場で、ミカエルは襲爵を行ったことを宣言した。御触れを出したのは昨日であったにも関わらず、多くの領民が新たな領主を一目見ようと街に集まり、広場は人々の熱気に包まれたという。ミカエルの襲爵に対する領民の反応はすこぶる良く、皆が若き領主の誕生を祝った。


 特に領民を喜ばせたのは新領主ミカエルがケルメス宗派の総本山、ケルメス大聖堂で襲爵式を行った事だった。敬虔な信仰心から、ミカエルは若年にも関わらず、多くの領民から崇敬の念を持たれたのである。ケルメス大聖堂で襲爵式を執り行ったことが、思わぬ効果をもたらしたのだ。


 両親の放逐や家中の内通者の一掃など、出だしからツライ仕事を行わなければならなかったミカエルも、領民達からの歓待には喜んだ事だろう。夜には有力者を集め、リッチェル本城の玄関ホールにてパーティーが開かれた。リッチェル子爵領には『ラディーラ』という身分の者がおり、その者達がリッチェル子爵領の中で土地を所有していた。


 『ラディーラ』は直訳すると「地主兵」あるいは「兵隊地主」といい、その名が表すように、元々はリッチェル子爵家の兵士だった者達である。それがどうして地主となったのか。それは当然ながらリッチェル家の歴史と深い関係があるのは言うまでもない。元々リッチェル家はアムルンヘルン家といい、千年以上昔からこの地を支配する豪族であった。


 それが六百年前、ムバラージク朝ノルデン王国が成立すると、兵を率いて参じたアムルンへルン家の当主ジェロームは所領を安堵され、子爵位とリッチェルの家名を賜った。これが初代リッチェル子爵ジェローム一世である。ジェローム一世は所領も城も「リッチェル」と改め、先祖より受け継ぐこの地を引き続き治めていく。


 リッチェル家はムバラージク朝時代、傭兵的な仕事を生業として暮らす貴族であった。そのため兵を養い続けたのだが、三百年以上前にアルービオ朝ノルデン王国が成立すると、世が中が平和となり、傭兵的な仕事が失われてしまったのである。そこで時の当主である十九代リッチェル子爵アルトー四世は、兵を解散する決断を行った。


 アルトー四世のこの決断によって、これまでリッチェル子爵家の元で兵士として働いていた者達は、職を解かれてしまったのである。その代わり退職金として領内の土地を受領し、やがて地主化して『ラディーラ』となったという訳だ。そして土地を持つ『ラディーラ』は、子爵領内の取り仕切る支配階層となっていったのである。

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