287 地獄耳

 休日の昼下がり、鼓笛隊と俺でロタスティにて行った演奏会。その事を何故か正嫡殿下は知っていた。しかしどうやって知ったのだろうか?


「何でも、太鼓やラッパ、笛とアルフォードのピアノで演奏会をしていたとか」


 先程とは打って変わって、殿下が楽しそうな顔で聞いてくる。しかし先週の演奏会は成り行きで行われたもの。俺と鼓笛隊の面々が行進で使う音楽などの話をするうちに話が盛り上がり、その中で鼓笛隊が俺に演奏を披露する代わりに、俺がピアノ演奏を披露する事になったのである。俺は演奏会に至る事の詳細を殿下に話した。


「襲爵式で音楽を奏でておったのは、その鼓笛隊なる一隊だったのか」


 殿下は前のめりになった。殿下も音楽が好きなのだ。この世界で音楽に理解のある数少ない人物。音楽隊がどんな楽器を持っているのかとか、何人いるのかとか、嬉しそうに聞いてくる。


 どうしてそのように音楽をご存知で、と聞くとウィリアム王子がサルジニア公国の留学から返ってきた後、リコーダーを演奏したのを聞いて感銘を受けたとの事。そしてウィリアム王子から、サルジニア王国には様々な楽器があり、奏者がいると聞いたのだという。

 

 また宮廷内にも小規模ながら楽団もあり、演奏を聞きながら王族でディナーをすることもあるそうだ。殿下やウィリアム王子が音楽に理解があるのは、エレノ世界には珍しく音楽に触れる環境で育ってきたからだ。


「鼓笛隊長と相談しまして、音楽に合わせて入場し、行進をと」


「しかし襲爵式でその鼓笛隊の音楽に合わせて行進するとは・・・・・ 是非にも見たいものだ」


 そう言われても、あれをそのまま再現するというのは中々難しい。直したいところもあるし・・・・・


「『臣従儀礼』の際に行進を行えば良いのではないか」


 えっ! いやいやいや。宰相閣下に「へへぃ!」と頭を下げて終わりじゃないのか?


「私にはその辺りの事情に疎く」


 俺がそう答えるも、殿下は意に介さずフリックに聞く。


「フリックよ、確か近衛騎士団の臣従儀礼、団員達の行進から始まっておったよな」


「音楽はありませんが相違ございません」


 そうなんだ。フリックによれば年初、近衛騎士団は王宮内の広場において王族臨席の中、陛下に対して臣従儀礼を行うのだという。その際、騎士団が広場に入場するところから儀式が始まるのだという。と、いうことは『常在戦場』宰相府において臣従儀礼を行う際も、臣従儀礼の場所に入場するところから始まるということか。


「アルフォードよ。『常在戦場』の臣従儀礼、余も必ずや見届けようぞ」


 え、えええ!!! 殿下臨席の元で臣従儀礼を行うのか。


「フリックよ、宰相閣下に『常在戦場』の宰相府への臣従儀礼、この目でしかと見届けたいと伝えよ」


「し、しかし殿下。まだ決定されておらぬ事項を・・・・・」


「だからこそ伝えよと申しておるのだ」


 殿下は後ろを振り向いた。困った顔をしていたフリックが、顔を戻す。


「明日の朝一番に宰相府へ赴くように。私が書こう」


「殿下、それは不要にございます。必ずや宰相閣下にお伝えします」


 おそらくフリックがいきなり赴き宰相閣下と会えるのかどうか不安であるのだろうと思い、「一筆を書く」と言い出したのだろう。しかしフリックの考えていることはそうではない。


 まだ決定していないものを「出席する」と伝えることに対する違和感と、殿下が動く影響力に対する危惧であろう。だが、殿下の顔を見るに、その点に関して全く意に介していないようである。


「アルフォードよ、臣従儀礼。楽しみにしておるぞ」


 正嫡殿下が立ち上がったので、俺も慌てて立ち上がって深々と礼をした。殿下が歩き始めたので従者たちが慌てて立ち上がり、フリックが本室の、次に前室のドアを開けていく。エディスが小声で「片付けておくよう指示しておきますので、そのまま貴賓室をお出になって下さい」と俺に伝えると、急ぎ殿下の元に小走りで駆け寄る。


(あぁ、エディスも大変なんだな)


 殿下に対する対応で精一杯だろうに、こちらに気を配るなんてな。フリックと違って会見中、殆ど言葉を発しなかったエディスだが、周囲への目配りを怠らなかった。シャロンとはまた違った仕え方が垣間見える。


 シャロンの場合、クリスと主従を越えた友誼を感じるが、エディスの場合、友誼というより心配というか、母性的な愛情に近いもの。まぁ人間関係、色んな関係がある。そう思いながら俺は殿下を見送った。


 ――俺は寮の部屋でワインを飲みながら、一人思案していた。臣従儀礼に出席するという、正嫡殿下アルフレッドの意図についてである。確かに殿下は音楽好き。襲爵式で行われた鼓笛隊の演奏に合わせた『常在戦場』の隊士達の行進を見たい、それはあるだろう。


 だが、それだけではないように感じる。確かに殿下は浮世離れしたところはあるが、浮世離れしたお公家さんだとは思えないからだ。そうでなければ、兄であるウィリアム王子からの封書を読んだだけで、社会構造の変化について理解できる訳がない。お公家さんは育ちであって、その内面はまた別の話。


 明日の朝、フリックを使者に立て、宰相閣下に臣従儀礼に出席することを伝えるという。普通、出席を伝えるなら宰相府から臣従儀礼を受け入れることを発表してからのはず。それからでも遅くはないし、その方が自然。しかし殿下は明日の朝、わざわざフリックを遣わせて宰相閣下に臣従儀礼への出席を伝える。


 一方、俺達が臣従儀礼を宰相府に申し入れをするのは昼過ぎ。するとどうなるか。おそらく俺達が宰相府に申し入れる前に、宰相閣下は臣従儀礼の受け入れを決断する形となる。もちろん臣従儀礼の受け入れは既定の事実。その点において、宰相閣下も変わりはないのは間違いないだろう。しかし問題はそこにあるのではない。俺はグラスのワインを飲み干した。


(殿下の申し入れによって、宰相閣下の選択肢がなくなるということだ)


 宰相閣下にとって、俺達が臣従儀礼を申し入れているだけならば、何も問題はない。俺達の申し入れを受ける、受けぬは宰相閣下の胸先三寸できまる。主導権を握った状態となるのだ。ところが正嫡殿下が出席を申し込んだらどうなるのか。わざわざ殿下が申し込んできているのに、臣従儀礼を行えませんという事はできない。


 つまり宰相閣下は主導権を失うということである。俺はワインボトルを手に持って、ワインをグラスに三分の一程度注ぎ、グラスに視点を落とした。宰相閣下にとって同じ臣従儀礼を行うにしても、主導権を持った状態かそうでないかは重要であるはず。


 これがまさかの殿下登場によって「そうではない状態」、つまり主導権を持たない状態での臣従儀礼に臨む形となってしまう。果たしてそれが今後にどのような影響を及ぼすのか、俺は全く想像ができない。この件が正嫡殿下や宰相閣下のポジショニングにどう影響するのかなど、俺の理解の外にある話である。


 これがクリスなら分かるかもしれない。だがとてもじゃないがクリスに話せる話ではないし、第一クリス自身当該者だ。宰相閣下は父親で、正嫡殿下は成立こそしなかったが元婚約者。あまりにも近すぎる。殿下の話というだけでも話しにくいのに、それでは何も言うことはできないではないか。


(間違ってもクリスには言えないな)

 

 クリスの顔を思い浮かべながらワインをあおる。この手の話で、俺がどれほどクリスに頼っているのか、分かってしまうじゃないか。言うに言えぬこのもどかしさ、何とかならないものか。身分の違いによる感覚の相違というものは、全く埋まりそうにもない。俺はグラスのワインを飲み干すと、そのままベッドに倒れ込んだ。


 ――週末、俺は武器職人ディフェルナルが来るのを待っていた。放課後、盾術使いのファリオさんや剣術指南のドーベルウィン伯やスピアリット子爵と共に実戦で使える盾について聞くため、取引ギルドのエッペル親爺から紹介してもらったディフェルナルの到着を学園の馬車溜まりで待っていたのである。


 馬車溜まりと言えば、俺は昨日もこの場に立っていた。臣従儀礼の申し入れを行うために、馬車を待っていたのだ。宰相府に向かう俺を迎えに来たのは第六警備隊長ルタードエと隊士一人。思っていたものと違っていたのでルタードエに確認すると、ルタードエ自身が出頭方法を進言し、本人が段取りを行ったとのこと。


 曰く、宰相府に軽く見られないようにする為、最低限の体裁だけでも取る必要がある、との話だった。ルタードエが護衛が付いていると付いていないのでは見られ方が異なるのだという。どうせ出向くのであれば、良い見られ方をしたほうが良い。これがルタードエの言い分である。


 俺はルタードエの言い分に一理がある事を認めた。ルタードエは『常在戦場』でも珍しい、貴族階級出身の人物。煩わしいようにも思えるが、貴族社会に明るいルタードエの言葉を無下にもできまい。だからグレックナーはルタードエの言葉を採用したのであろう。俺はそう解釈した。


 俺を載せた馬車が宰相府に入ると、既に二台の馬車が到着していた。先に来ていたのであろう、儀仗服を着た六人の隊士が立っている前に俺の馬車が止まると、ルタードエと隊士が降りる。


 暫くしてルタードエが「グレン・アルフォード代表権者到着!」と言葉を発するのに合わせ、俺は馬車を降りる。続いて他の馬車に乗っていた団長のグレックナー、一番警備隊長のフレミング、事務総長のディーキン、事務長のスロベニアルトも下車をした。


 対する宰相府側は玄関前に十人以上の衛士が立ち、我々を出迎えた。その中で一人違う服を着ていた、民部卿補佐官を名乗るデミールという人物が前に進み出て、俺達を宰相府の中に案内する。そして小講堂らしき部屋に通されると、意外な光景に出くわした。宰相府の幹部達が、俺達を待っている状態だったからである。

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