285 心配と杞憂
リッチェル子爵領に戻ったレティを心配するクリスとアイリ。確かに続報がないことは気になるだろうが、それを俺達がどうこう言っても仕方がない。それにレティは機転が利くから大丈夫だ。何も心配する必要はない。問題はそれをクリスとアイリにどう伝えるかである。
「子爵領にはザルツの娘、リサがいる。心配しなくても大丈夫だから」
「お姉さまに向かってなんて言い方を!」
「俺の方がずっと上だぞ」
そう答えると、皆が一斉に笑い始める。いやいやいや、事実だろ。どうして笑うんだ。俺が四十八歳プラス六歳で五十四歳。リサが十八歳。どう考えても俺の圧勝。揺るぎなき事実じゃないか。
「リサは俺の娘よりも下なんだぞ」
愛羅はもう二十歳だからな。普通にリサより年齢は下だ。まぁ、大人びているのはリサなのは認める。それに愛羅じゃ、ああいう仕事の捌き方なんて絶対に無理だからな。大体娘をそんな風に見たこともない。愛羅の事を思い出していると、シャロンが笑いながら言ってきた。
「私達よりずっと上なはずなのに、そういうところは意固地ですよね、グレンは」
「そうそう。だから上なのは分かるんだけど、グレンって呼べるんだよ」
トーマスがシャロンに歩調を合わせる。そんなところで夫婦をやったらダメじゃないか。君たちはまだ若いんだから。
「年齢が上という割には、子供っぽさがありますわ」
「それ分かります。何かを隠そうとするときとか」
「そうです。そうです。丸わかりなのに、誰も気付いてないと思い込んで」
クリスとアイリが何故か楽しそうに盛り上がっている。隠し通せていると思っていたのだが、そうじゃないのか? 二人のやり取りを聞いて大笑いしているトーマスとシャロンを見ると、もしかして気付いていないのは俺だけだったのか? 俺は当惑した。
「こらこら、何を言ってるんだ君たちは」
「こちらじゃ私達と同じ年じゃないですか。ねぇ、アイリス」
「はい。だから同学年ですもの」
俺の注意を無視して、何故かこちらの同い年設定を持ち出してきたクリスとアイリ。二人共ワインが入っているからなのか、何やら楽しそうだ。しかしだ、こちらの世界の年齢は同じでも、社会経験数は圧倒的に俺の方が上だぞ。これは揺るぎがない事実。それを君たちは・・・・・ このままでは玩具扱いされると判断した俺は、話題を元に戻す。
「リサはあのザルツと言い合いするような、本当に気の強い娘だ。そこにあの親父の首根っこを掴んできたレティが加わる。この二人が組むんだ。ダダーンもいる。何の心配もないよ」
「ダダーン?」
「『常在戦場』の女闘士でな。団に属する女隊士を引き連れて、リサと共に子爵領にいる」
「そんな人が!」
クリスが驚いている。見るとトーマスもシャロンもだ。アイリは何度か会っているから素面だが。
「ほら、以前ロタスティで、グレンを捕まえていた大柄の・・・・・」
「あ! ああっ!」
アイリの説明でクリスは誰か分かったようだ。見るとトーマスもシャロンも思い出したようである。あのとき俺は、個室から出たところを酔ったダダーンに捕まって、抱きつかれた上に頬にブチューとキスをされ、クリスに思いっきり睨まれたんだよなぁ。
「あの方も子爵領に?」
「ああ、旦那も子供もいるのに王都に置いて行っている。他にも二人の女隊士が子供を置いて行ってるんだ」
「女が家族を置いてですか?」
トーマスが唖然としている。ダダーン達の動きは、エレノ世界の常識からはかけ離れた行動だからだ。ここは良妻賢母社会なのである。
「ああ。俺の世界じゃ珍しい事じゃないんだが、こっちじゃ考えられないよな」
「グレンの世界ではよくあるの?」
「よくある訳じゃないけど、珍しくはない話だ。遠い国に赴任している人だっている」
アイリにはそう答えた。事実だもんな。女性の社会進出が遅れていると言われている日本でさえ、エレノ世界と比べたら先鋭的なんだから。俺の話を聞いたシャロンが尋ねてきた。
「家族を置いてですか?」
「ああ。別に珍しい事じゃない。例えばシャロンの母親だけが、王都の屋敷で勤務なんてことは普通にあるから」
シャロンは呆気にとられている。自分の母親だけが王都の屋敷で仕事をするなんて考えたことすらないからである。よく考えればアルフォード家でニーナが単身赴任なんてあり得ない話だからな。シャロンが驚くのも無理はないか。
「まぁ、そんな連中がリサとレティの周りを固めているんだ。何の心配も要らないよ」
俺の言葉にアイリが頷く。まぁ、リサを先頭にした女傑軍団だ。
――クリスから伝えられた宰相府への出頭について、『常在戦場』の団長のグレックナーに告げたのは昼休みの事。いつものようにアーサーと昼食を食べた後、一足先にロタスティを出て真装具で連絡を取ったのだ。
グレックナーは先週会議で臣従儀礼の概要を聞いていた事もあって、特に驚いた様子はない。やり取りの中で一番警備隊長のフレミング、事務総長のディーキン、事務長のスロベニアルトの三人が同行する事が決まり、具体的な話に移る。
話の中で明日の午後、俺を迎えに馬車を送ってもらう事となり、グレックナーとフレミングは儀仗服、俺とディーキン、スロベニアルトは略礼服で宰相府との交渉に臨むことや、宰相府との細部調整にはスロベニアルトが当たる事を確認。魔装具を切って、いよいよ本番だなと思っていると、正嫡従者フリックが声をかけてきた。
「グレン。久しぶりだな」
「ああ。元気だったか」
俺はフリックに合わせ、そう返した。正嫡殿下アルフレッドの従者であるフリックと、最後に顔を合わせたのは狩猟大会前だった。本当に久しぶりである。クリスもそうだったが、狩猟大会の関係で殿下も学園に戻ったのが遅かったからだろう。あの狩猟大会で、皆の活動サイクルが変わってしまった感じがする。
「狩猟大会が終わって秋が過ぎたと思ったら、もうすぐ『学園舞踊会』だ。これが終わると冬休み。一年が終わって新年だ」
学園舞踊会? そういや、乙女ゲーム『エレノオーレ!』でもあったな。確かヒロインが攻略対象者と踊ろうと思ったら、もう片一方のヒロインが正嫡殿下を巡ってクリスとバトルになり、一悶着が起こるというあれか。
正嫡殿下を攻略している場合、クリスを跳ね除けて踊ることができると好感度が上がり、クリスとの鍔迫り合いに負けると好感度が下がるというもの。あれを見て正嫡殿下は強い女が好きなのかと思ったものだ。単純なヤツだなと思ったが・・・・・
「『学園舞踊会』はいつなんだ?」
「再来週の最終日だよ。そこから冬休みだ」
「後、二週間ちょっとじゃないか!」
いつの間にか冬休みが迫っている。気付かなかった・・・・・ いや、そこに意識が回っていなかったのだ。エレノ世界は寒暖の差が少なく、体感的に冬だとイメージしにくい。しかし、冬休みってどれぐらいあるんだろうか?
フリックに確認すると一ヶ月あるという。本当に勉強しないところだよな、サルンアフィア学園は。まぁいい。冬休みを利用して、ケルメス大聖堂の図書室にでも通おう。元々、冬休みに通う予定だったし。
「話は聞いたぞ。リッチェル子爵家の襲爵式。大変な式典だったらしいじゃないか」
「まぁ、無事に済んで良かったよ。レティは今、領地の方に戻っている」
「君が執り行うと随分と大きな規模となるなぁ」
そう言いながらフリックは微笑んだ。俺が執り行った訳ではないのだが、巷に流れている話ではそうなってしまっているようだ。世間話から始まって本題に入るという貴族会話。このパターン、後の展開はだいたい見えてくる。
「殿下が君と話がしたいと仰っている。放課後、貴賓室に来てもらえないだろうか?」
そうなるよな。本題はやはり正嫡殿下のご意向だった。フリックの話しぶりから、殿下が興味を持たない訳がない。俺の右手中指に嵌まっている『勇者の指輪』が鈍く反応している感じがした。殿下の要望を断る事はできないので、俺の口から出せる言葉は自ずと決まってくる。
「分かりました。放課後、貴賓室に伺わせていただきます」
「後の処理で忙しいだろうに、すまんなグレン」
フリックは既に臣従儀礼の件も知っているようだ。殿下の周りにいるのだから、知っているのはむしろ当然か。フリックは多くの情報を知る立場にいるのだから。また放課後に会おう、フリックはそう言うと颯爽と立ち去っていく。
立ち去り方一つ見ても、攻略対象者だよな。サマになっている。学園舞踊会もあることだし、レティが帰ってきたら、カインかフリックにくっつけるように動いてみようか。フリックの背中を見ながら、俺はそんなことを考えていた。
放課後、約束通り貴賓室をノックすると、正嫡従者フリックがドアを開けて応対してくれる。本室には正嫡殿下アルフレッドが着座し、俺を待っていてくれた。
「よく来てくれたな、アルフォード」
「殿下、ご無沙汰しております」
立ち上がって声を掛けてくる殿下に俺は頭を下げた。殿下とお会いするのは、一月ぶりぐらいだろうか。声や表情を見る限り、上機嫌に思える。殿下の左後ろには侍女エディスが控えている。クリスの従者シャロンとはまた違った雰囲気だ。
仕えているのが男性か女性かという違いが大きいかもしれない。フリックより席を案内される。殿下が上座で、俺が下座。殿下の両後ろにフリックとエディスがそれぞれ座る。皆が座り終わると、殿下が俺に声を掛けてきた。
「実は兄上からの封書で、アルフォードと会ったとの知らせがあってな」
えええええ!!!!! 兄ってウィリアム王子の事、だよなぁ。御苑で俺と会ったことを正嫡殿下に知らせていたんだ。兄弟で封書をやり取りしている事は、アルフォンス卿から話を聞いて知ってはいたが・・・・・ 意表を突いた殿下の話に、俺は内心驚いた。
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