280 手土産の楽譜

「相分かった。では臣従儀礼の話、進めるとしよう」


 臣従儀礼について『常在戦場』の了解を取り付けた俺は、グレックナー以下『常在戦場』の幹部にそう告げた。これで正式に次のステップへ歩を進めることが出来る。内心ホッとしたところで、第六警護隊長のルタードエが俺に尋ねてきた。


「アウストラリス公はこの件、どのように・・・・・」


 おっと、そう来たか。そういえばルタードエは貴族家出身だったな。貴族世界の事情にある程度は詳しいという事か。


「今のところは無反応だ」


「ではウェストウィック公は?」


「同じく沈黙を守っている」


「つまりはノルト=クラウディス公とエルベール公、そしてトーレンス候に対抗する形でアウストラリス公とウェストウィック公がおられる形ですな」


 そうだ。まさにその通り。少なくとも『常在戦場』の臣従儀礼を取り巻く空気はそれだ。


「わが方とは直接関係はありませぬが、貴族界には我々が付く側とそうでない側がある。このことについては理解しておく必要があるかと」


 ルタードエの言葉に会議は沈黙した。決まったところにそんなことを言うなんてと、人によっては水を差す行為だと思うかもしれない。だが、俺にとってはその言葉は再確認であって、やはり考えていた方向性は間違いなかったと認識できた。海千山千の『常在戦場』、多士済々と言ったところか。


「我々は勝つ側に付かかねればならないな。その側を勝たせる為にも」


「はい。おカシラの申される通りですな」


 ルタードエは俺に頭を下げた。俺とルタードエのやり取りを聞いていた皆の顔が引き締まったところを見ると、ルタードエの発言に意味があったと言うことだろう。最後にもう一度、臣従儀礼への意思を確認する。誰の異論もなく、全員が臣従儀礼に同意した。こうして『常在戦場』が宰相府へ臣従儀礼の申し入れを行うことが決まったのである。 


 会議が終わった後、鼓笛隊長のニュース・ラインと顔を合わせた。正確には顔を合わせたのではなくて、ニュース・ラインが会議が終わるまで待っていてくれたのである。俺はニュース・ラインの元に駆け寄った。


「おカシラ。先日は楽譜を頂きましてありがとうございます。今日はその返しに」


 そう言うなり、ニュース・ラインは結構な分量の楽譜を渡してくれた。実は襲爵式前日のリハーサルの時、『コッペパン』や『なんちゃら要塞』といった今まで俺が脳内採譜してきた楽譜を渡したのである。今日はその返しということで、わざわざ営舎から屯所へ駆けつけてくれたのだ。嬉しいではないか。


「おカシラの演奏も聞けますので、それまでにと思って・・・・・」


 あっ! ニュース・ラインの意図を察知した。俺は鼓笛隊の面々と意気投合し、俺のピアノ演奏を聴かせる約束をしたのだが、それが明後日のロタスティでの話。それまでに、渡された楽譜から一曲を、という意味だ。


 おいおい。これからすぐに曲を選んで、明日中には形をしなきゃいけないじゃないか。無茶にも程があるぜ、と思っていたら、鼓笛隊の側も楽器を持って学園にやってくるという。


「さすがにチャイムやシロフォンは無理ですがね」


 ニュース・ラインは笑いながら言った。確かにそうだ。持ってきてセッティングしなきゃいけないからな。


「おカシラ。一緒に演奏しましょう。楽しみにしています」


 そう言うと、ニュース・ラインはフレミングら営舎に帰る者達が乗る馬車に飛び乗った。おじさんである筈のニュース・ラインが童心に返ったかのようにはしゃいでいる。まぁ、それを言ったら俺もおっさんなのだが。横にいたアイリがどういうことか、と聞いてきたので事情を話すと、笑いながら言った。


「じゃあ、明日は練習ですね。一日お付き合いしますから」


 俺のピアノの練習に付き合ったところで、退屈だろうに。そう思いながらも、楽しそうなアイリを見るとまぁいいか、という気持ちになる。練習なんて本来、誰にも見せたくはない。愛羅どころか佳奈にだって見せたことはないのだから。


 しかしアイリだったら何故か許せる。自分でも理由が分からないが許せるのだ。それどころか譜読みが早くなって、進捗がいい。本当に不思議な話だ。会議が終わって皆が立ち去る中、俺たちも馬車に乗り、学園への帰途に就いたのである。


 ――休日二日目の昼下がり。俺たちは学食『ロタスティ』で、座席を動かし演奏会の準備をしていた。俺と一緒に作業をしているのはアイリとフレディ、そしてリディアの三人。フレディとリディアは鼓笛隊が来るというので、喜んで手伝ってくれた。


 アイリは昨日の今日の二日間、黒屋根の屋敷にあるピアノ部屋で練習する俺にずっと立ち会ってくれていた。何の会話もなくて申し訳ないのだが、それが楽しいと言ってくれるので、その言葉を額面通りに受け取っている。


 一昨日、ニューズ・ラインが渡してくれた楽譜。楽譜自体はマトモだった。というか現実世界の日本の曲そのままだという点が衝撃的だ。このエレノ世界が製作者によって作られた世界だという事を改めて実感させられる。懐かしいと思いつつも、問題は楽譜の選曲。


 「太陽にほえろ」とか「西部警察」はまだいいじゃないか。「ルパン三世」もいいだろう。やたらテレビに偏っているが、「エレノオーレ!全曲集」よりかは遥かにマシ。俺もピアノの楽譜に拘って探したから、こういった楽譜が手に入らなかったのだろう。一方、気になるのはスポーツ番組、それも昔使われたスポーツ番組の曲がやたらあることだ。


 NHKの高校野球中継で使われていた「スポーツショー行進曲」、TBSのスポーツ中継で使われていた「コバルトの空」、新日のプロレス中継の曲「朝日に栄光あれ」などがそれである。三曲ともタイトルだけでは何の曲か分からなかった。楽譜を見て、演奏してみてどんな曲かが、初めて理解できたのだから。


 しかしそれはまだ序の口だった。真打ちがある。どういう訳か、宝塚関連の楽譜がやたらあるのだ。「おお宝塚」とか「ああ宝塚わが宝塚」、「タカラジェンヌに栄光あれ」、「パレード・タカラヅカ」、「タカラジェンヌに乾杯!」、「タカラヅカ行進曲」「レインボー宝塚」、「ハロー・タカラヅカ」・・・・・ 


 どうして宝塚自画自賛曲ばかりなんだ? 宝塚の曲。意識してよく聞くと分かるのだが、花月雪星宙という組の名前と、自画自賛がやたら出てくるのだ。しかも自ら「我が憧れ!」と高らかに歌っているのだから、中々のツワモノである。


 ああいう歌詞を涼しげに歌い切る事が舞台で求められているからだろう。俺もギャラリーのいる演奏会で弾いて思う時がある。「これは公開処刑だな」と。冷静になったときのあの恥ずかしさはたまらない。あれを悠々と乗り越えられるぐらいじゃないと、女優なんて無理なのだろうな。


 「宝塚」を冠した曲以外にも宝塚らしき曲がある。というか多分ヅカ曲ばかり。姉ちゃんがファンだったから曲調から何となく分かる。まぁ、曲自体はマトモだからいいんだが、どうしてこの選曲なのかは全く謎である。


 それなのに定番である「ベルサイユのばら」や「エリザベート」「ロミオとジュリエット」といったメジャーどころの楽曲が皆無というのも分からない。これはどう考えても、乙女ゲーム『エレノオーレ!』の音楽担当の趣味なのだろう。


 しかもこの音楽担当、相当「宝塚」には入れ込んでいたようで、この「宝塚」群の楽譜だけには、ご丁寧にも歌詞まで振ってある。それも日本語でだ。どうしてこんなところに日本語、いや古語が残っているのか? それを横から見ていたアイリが言ってきた。


「グレン、この文字、読めるよね?」


「ああ。歌詞だよ」


 アイリはその直感で、これが俺の世界の文字だと察していた。そして日本語の歌詞を興味深げに見ている。もちろんアイリには読めない。するとアイリは一曲歌って欲しいとせがんできた。


 俺はどの曲にするか迷ったが、比較的頭に残っている「この愛よ永遠に」を選び、ピアノで弾きながら歌い始める。あゝ懐かしいや、そう思いながら歌った。男声なのでキーを下げて歌ったのだが、ヅカの雰囲気とあまりに違い過ぎて脳内でズッコケてしまう。しかしこれは、俺が女声をだせないのだから仕方がない。


「わぁ、曲に歌えるのですね。私も歌いたいです」


 歌い終えるとアイリが大喜びしている。この国では歌とは賛美歌の事を指し、一般人が歌うことはない。歌うのはザビエルカットの修道士だけだ。だからアイリは珍しがって歌え歌えと言ったのである。


 今度は「私も歌いたい」と言うアイリの為に、ノルデン文字を歌詞に当て、その楽譜を渡した。テンションが高いアイリ。俺が何回か演奏しながら歌っているのを聞かせた後、アイリが歌う。もちろんアイリの声はソプラノなので高い。俺はキーを上げて伴奏した。


(・・・・・)


「どうでしたか?」


(・・・・・)


 ニコニコと歌の出来について聞いてくるアイリに、俺は即答できなかった。音程が取れていないというレベルじゃない。音程が・・・・・ 音程が・・・・・ 異世界に飛んでいくレベル。ハッキリ言ってヤバい。聞いたことがないレベルでヤバい。恐らく生まれて初めて歌ったのだから仕方がないのだろうが、それでもヤバい。


 アイリのキレイな声質があらぬ方向に飛んでしまっている。もし美少女が激しい音痴だったとしたら、そのギャップの激しさに仰け反るしかないだろう。まさにあれである。楽しそうなアイリに、俺はどう答えたらいいのか分からない。


「どうでした、グレン?」


 俺の答えがないので、アイリが再び聞いてきた。どう取り繕えばいいのだ? こういう場合。


「アイリ、歌って楽しかったか?」


「うん」


 アイリはニコリとしながら首を縦に振った。そうか、楽しいのか。だったらいいじゃないか、もう。


「アイリ。歌う時には、俺と二人の時に歌おうな」


 俺はアイリに言った。アイリは屈託ない笑顔で「うん」と頷く。もう一度「この愛永遠に」を弾いて、アイリと一緒に歌う。相変わらず音程調子は外れたままだが、アイリは楽しそうに思いっきり歌っている。


 カラオケ代わりで鬱憤晴らし、そう思ったらいいじゃないか。俺も発声指導なんてできないから、アイリにそのまま付き合うことにした。まぁ他の人に歌声を披露しなければ問題はないだろう。俺は譜読みしながらそう思った。

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